二人で輝くとき編7(終・二人で輝く未来)
朝から、裕奈の周囲は慌ただしく動いていた。
マネージャーやスタッフが次々と指示を出し、スケジュールを確認する。
裕奈はそれに応じながら、次の撮影現場へと向かう準備を進めていた。
そんな中、千鶴が静かに裕奈のそばへと歩み寄った。
「……今日が久住くんの最終日だけど、それでいいの?」
裕奈は手を止めることなく、鏡越しに母の顔を見た。
「大丈夫だよ。」
穏やかに、そして力強く微笑んでみせる。
「渉が残してくれたものがあるから。」
それだけ言って、裕奈はヘアメイクの最終確認に戻る。
千鶴はしばらくその背中を見つめていたが、やがて住吉の方へと視線を向けた。
「住吉さん、今日のスケジュールは?」
「これから明日の昼まではオフです。」
即答する住吉。その言葉に、千鶴はわずかに目を細めた。
「……あら、珍しいわね。」
「ええ、まあ。」
住吉は視線をそらしつつ答えたが、その表情にはどこか意図的なものが滲んでいた。
スケジュールを無理やり調整していたのだ――千鶴はすぐにそう察した。
千鶴はゆっくりと裕奈の前に立ち、その目を真っ直ぐに見つめる。
「裕奈、スケジュールがオフなら、あなたの行きたいところに行きなさい。」
裕奈の動きが止まる。
「……え?」
「言葉の通りよ。」
千鶴は微笑みながら言った。
裕奈は戸惑い、そしてゆっくりと理解する。
この時間は、誰かが作ってくれたもの。
(住吉さん……それに、お母さんも。)
胸の奥が温かくなるのを感じながら、裕奈は小さく頷いた。
「ありがとう……行ってきます。」
それは、ただの移動ではなかった。
裕奈にとって、人生で一番大切な場所へ向かう決意だった。
☆
渉は事務所の玄関を出て、静かに振り返った。
そこには彼がこの1年間、多くのことを経験し、学び、成長した場所があった。
松永と千鶴の厳しい言葉、紗良の成長、佐藤と住吉のサポート、そして何より裕奈の存在が、彼の胸に去来した。
「これで終わりか…」
呟いた言葉は、どこか寂しさと安堵の入り混じったものだった。
それでも、次の道への覚悟は固まっている。
歩きながら、渉はこれまでの1年を回想した。
大学で裕奈と再会したとき、そして初めてこの業界に飛び込んだときの戸惑い、松永に厳しくも暖かい言葉をかけられ、裕奈とすれ違い、そして裕奈の笑顔に救われた数え切れない日々――すべてが、かけがえのない時間だった。
アパートの前に着いたとき、彼はふと立ち止まった。
今では引っ越し準備のために空っぽになりつつある部屋の姿を想像し、微かに胸が痛む。
しかし、次の道へ進むためには、この場所を後にしなければならない。
ドアを開けて部屋に入ると、やはり生活感のない殺風景な光景が広がっていた。
段ボールがいくつか積まれ、机の上には整理しきれていない書類が散らばっている。
だが、電気をつけて部屋の中央に立っている人影を見つけた瞬間、渉は息を呑んだ。
「裕奈…?」
驚きの声が自然と漏れる。
彼の目の前には、まるでそこにいるのが当たり前であるかのように佇む裕奈の姿があった。
彼女は渉の姿を見つけると、そっと微笑んだ。
その表情には、静かだがこれまで見たことのない強い決意が宿っている。
「どうしてここに?」
戸惑いを隠せない渉に、裕奈は少し照れたように笑みを浮かべた。
「住吉さんがスケジュールを調整してくれて…お母さんが、ここまで送り出してくれたの。『あなたの行きたいところに行きなさい』って。だから、ここに来た。」」
その言葉に、渉は一瞬言葉を失う。
千鶴も住吉も、裕奈の想いを察し、彼女を送り出したのだ。
「それで…渉に伝えたいことがあって。」
裕奈は一歩近づき、真剣な眼差しで彼を見つめた。
そして大きく息を吐くと、そっと呟いた。
「……渉、小学校のとき、私を助けてくれてありがとう。」
突然の言葉に渉は驚きつつ、黙って彼女の言葉を待った。
「中学校のとき、私と約束してくれてありがとう。」
その言葉に、渉はふと懐かしい記憶を思い出す。
裕奈と交わした約束――いつか二人で輝こうという言葉が胸に蘇る。
「そして…成長してからも、ずっと私を支えてくれてありがとう。」
裕奈の目には、徐々に涙が浮かんでいたが、彼女はそれを振り払うように力強く続けた。
「私……ずっとあなたのことが好きでした。」
静まり返る部屋の中、裕奈の告白は渉の胸にまっすぐ突き刺さった。
その瞬間、彼の中に眠っていた思いが一気に目を覚ました。
裕奈は言葉を続けた。
「一人で輝こうと、ずっと思ってた。でも……できなかった。私には無理だったの。どんなに努力しても、どんなに強くなろうとしても……一人じゃ輝けなかったの。」
涙が彼女の頬を伝い落ちた。
その姿を見た渉は、自分の胸が締め付けられるように痛むのを感じた。
「私が輝けるのは、渉が隣にいてくれるから。私にとって、渉はただの支えじゃない。渉がいるから、私の世界は輝くの。」
裕奈はノートを抱きしめながら、渉を見つめた。
「だから……行かないでなんて言わない。渉の夢を応援する。でも、これだけは伝えたかったの。私は……渉がいないと、本当の意味で輝けない。」
渉は息を呑み、言葉を失ったまま裕奈を見つめた。しかし、彼女の言葉が胸に深く刻まれていく。
そして、自分がずっと忘れていたものが、心の奥底から浮かび上がるように感じた。
「裕奈……」
渉はゆっくりと口を開いた。
「俺も……ずっと好きだった。小学校の頃からずっと。中学の時、裕奈が転校する直前、俺たち約束したよな。」
裕奈は驚いたように目を見開いた。
渉は苦笑しながら頷いた。
「でも、俺はその約束を忘れてた。いや、忘れたふりをしてたんだと思う。ただ支えるだけで、裕奈が輝けるって信じ込んでた。でも……それじゃダメだったんだ。」
彼は視線を真っ直ぐ裕奈に向けた。
「二人で輝くためには、俺も輝かなきゃいけなかったんだ。支えるだけじゃなくて、自分自身がちゃんと輝いて、それで初めて裕奈の隣に立てる。」
裕奈の瞳に、再び涙が溢れる。
しかし、今度はそれが喜びの涙であることを、渉は感じ取った。
「だから、俺は大学に戻る。教えること、人を導くことで俺は輝く。その姿を胸を張って裕奈に見せられるように、俺は努力する。」
渉の言葉に、裕奈は小さく頷いた。
「渉……待ってるね。私ももっと輝けるように頑張る。二人で一緒に……輝くために。」
渉と裕奈は、言葉を失ったまま静かに抱き合っていた。
渉の腕の中で、裕奈は何度も深く息をつき、震えを少しずつ鎮めていく。
互いの鼓動が重なり合い、二人の間に流れる沈黙には、これまで積み重ねてきた時間が確かに存在していた。
やがて、裕奈がそっと渉の肩から離れた。
その顔は赤く染まり、視線を伏せながらも、彼女は意を決したように小さな声で言った。
「渉……今夜、ここに泊まってもいい?」
渉は一瞬驚いた表情を見せたが、すぐに柔らかな笑みを浮かべて頷いた。
「もちろん。いいよ。一緒にいよう。」
その言葉を聞いて、裕奈はホッとしたように微笑み、渉の手をそっと握った。
二人はそのまま手を繋ぎながら部屋に向かい、並んで座った。
「なんだか不思議だな。」
渉がぽつりとつぶやく。
「何が?」裕奈が少し顔を上げて渉を見る。
「こうして隣にいるのが、すごく自然に感じるんだ。昔からずっとこうだったみたいに。」
「……私も。渉といると、いつも安心するの。」
裕奈はそう言って、そっと渉の肩にもたれかかった。
渉は驚きながらも、彼女を受け入れるように優しく肩を寄せた。
「中学で離れてから、裕奈はどうしてた?」
渉が静かに問いかけると、裕奈は少し考え込むように目を細めた。
「転校先では、すごく緊張してばかりだった。渉みたいに私のことを気にかけてくれる人なんて、いなかったから……最初は慣れるのに時間がかかった。」
「でも、すぐに裕奈は周りに愛されるようになったんだろ?」
渉の言葉に、裕奈は小さく首を振った。
「そうでもなかったよ。自分に自信がなくて、ずっと周りに合わせるばかりだった。芸能界に入ってからも、本当に自分がどうしたいのかも分からなかった。」
裕奈の声には、少しだけ切なさが混じっていた。
渉はその手をそっと握り返しながら、自分の想いを語り始めた。
「俺も、裕奈がいなくなってから空っぽだったよ。サッカー部に入ってから頑張ってみたけど、怪我して辞めてからは目標も見失って……。でも、周りの人達のお陰で、人を支えたり導いたりすることが好きなんだって気づけたんだ。それでも、裕奈のことはずっと心のどこかに引っかかってた。」
二人はお互いの話を聞きながら、何度も頷き合い、時折笑顔を交わした。
時間が経つのを忘れるほど、会話は途切れることなく続いていった。
ふと、渉が裕奈の目を見つめた。
その視線を感じた裕奈も顔を上げ、二人の目がしっかりと重なる。
「裕奈……」
渉が彼女の名前を呼び、そっと手を伸ばすと、裕奈も自然と顔を近づけた。
そして、二人の唇が静かに触れ合った。
柔らかな感触と温もりが、二人の間に流れる。
長い年月の想いが、その一瞬に込められていた。
そのまま二人は言葉を交わすことなく、身も心も結ばれていった。
互いの存在を確かめ合うように触れ、支え、寄り添う。
その夜、渉と裕奈は、これまでの全ての不安や孤独を消し去るように、ただ相手を感じ続けた。
夜が更けていく中、二人の間には静かな安らぎと幸福感が満ちていた。
静かに時間は流れ、二人の間には言葉はなくても十分な想いが交わっていた。
やがて、裕奈が少しだけ体を起こし、渉の顔を見つめる。
「渉、私ね…今夜ここに来て本当に良かった。だって、渉が私にとってどれだけ大切な存在か、改めて分かったから。」
「裕奈…俺も同じだ。君がここにいてくれることが、こんなに嬉しいなんて。」
渉のその言葉に、裕奈の目には涙が浮かんだ。
しかし、彼女はその涙を拭おうともせず、静かに微笑んだ。
「私たち、これからずっと一緒だよね。」
「ああ、一緒だよ。」
そう言って、渉はそっと裕奈を抱きしめた。
裕奈もその腕の中で静かに目を閉じ、二人の間に流れる温かい空気を感じた。
外の街灯の光が静かに窓から差し込み、二人を照らしていた。
それはまるで、二人で輝く未来を祝福するかのように優しく包み込んでいた。
後は間章2つとエピローグで完結です。
ここまで読んで頂き、本当にありがとうございました。




