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二人で輝くとき編5(限界を超えて)

スキャンダルが表向き収束して数日後。


事務所の応接室に呼び出された渉は、松永の前に座っていた。


すでに自分の決断を伝えたあとだったが、松永が改めて時間を作ったということは、それだけ伝えておくべきことがあるのだろう。


松永は静かに渉を見つめ、低い声で口を開いた。

「やはり大学に戻るのか。」


渉は深く頷いた。

「はい。考えた末に、そう決めました。」


松永は一瞬、渉を値踏みするように目を細める。そして、ふっと笑った。

「まあ……お前らしいな。」


その言葉の裏には、渉の性格を見抜いた上での納得があるように思えた。

「裕奈は大丈夫か?」


松永の問いに、渉は迷わず答えた。

「ええ。彼女なら、もう大丈夫です。」


松永は渉の表情をじっと見つめた後、わずかに顎を引いた。

「……そうか。」

そして、腕を組みながら言葉を続ける。

「だが、お前にはまだやるべきことがある。」


「紗良さんのことですね。」

渉が先に言うと、松永は満足げに頷いた。


「そうだ。大学に戻るまでの間、紗良の担当は最後まで全力でやれ。あの子はリーダーになったが、まだ不安定な部分がある。お前がいることでどれだけ支えられるか、分かるよな?」

「はい。」


紗良がどれほど努力してきたか、渉はよく知っている。そして、その努力の裏でどれだけ迷い、不安を抱えていたかも——。


「裕奈を支えたように、今度は紗良を支えろ。中途半端な仕事は許さない。」

松永の目は鋭く、そこには芸能事務所の社長としての厳しさがあった。


「紗良はまだ若い。リーダーとして自覚は持ち始めているが、強くなるにはもう少し時間が必要だ。その間、お前がしっかりと導け。」


「分かりました。」

渉は迷いなく頷いた。


松永は満足したように一度だけ軽く息を吐いた。そして、静かに立ち上がる。


「久住、お前はどこに行っても人を支える役回りになるんだろうな。」

「……そうかもしれません。」

「だったら、最後までやり遂げろ。紗良の成長を見届けてから、次の道に進め。」

「はい。」


渉の返事を聞いた松永は、再び静かに笑った。

「裕奈にとって、お前は特別な存在だった。だが、お前の役割はそれだけじゃない。」


その言葉の意味を、渉はすぐに理解した。


「久住、お前はお前の道を歩け。だが、ここで学んだことは忘れるな。」


渉は深く頭を下げた。

「ありがとうございました。」


松永はそれ以上何も言わず、静かに部屋を後にした。


渉は一人残された部屋で、小さく息を吐く。そして、握りしめていた拳をそっと開いた。


——俺は最後までやり遂げる。


大学に戻るまでの間、紗良を支えること。それが今の自分にできることだ。

渉はゆっくりと顔を上げ、静かに決意を固めた。




同じ頃、裕奈が撮影現場に向かう車の中で、千鶴がふいに声をかけた。

「裕奈、今日のシーン、特別な意味があるわよね。」


裕奈は静かにうなずいた。


その日、撮影するシーンは裕奈を主演とする大規模な映画のクライマックス。


裕奈が演じる主人公が、大切な人を失い、孤独の中から再び立ち上がる瞬間だった。この役は裕奈自身のこれまでのキャリアの中でも、最も感情を揺さぶるものだった。


しかし、それだけではなかった。

そのシーンは、生放送での特別公開撮影という形式がとられていた。


映画のプロモーションの一環で、リアルタイムで視聴者に現場の緊張感を伝えるという試みだった。


視聴者はもとより、業界関係者、メディア、そして多くのファンが見守る中での挑戦だ。


車を降り、撮影現場に入ると、緊張感に満ちた空気が肌に触れた。

スタッフの足音や機材の動く音が、いつも以上に大きく感じられる。

共演者たちもみな集中しており、軽口を叩く者など一人もいなかった。


裕奈は準備室に入り、ゆっくりと目を閉じた。心臓が高鳴り、不安が胸を締めつける。


しかし——今までとは違う。


あの日の会見。

世間の視線、好奇の目、批判の声。その全てを前にしても、自分は逃げなかった。


そして何より、あの場で渉と交わした視線、互いの決意。

「俺は迷わない。裕奈を支えていく。」

その言葉が、確かに自分の中に残っている。


もう怖れるものなどない。

一人ではないと知っている。

あの日、二人で選んだ道を歩むことを決めたのだから。


その時、監督が入ってきた。

「高宮さん、今日のシーン、君にとっても挑戦だろうが、私にとってもそうだ。」


彼は裕奈の目を真っ直ぐに見据えた。その瞳には期待と厳しさが入り混じっていた。


「このシーンで、君の真価が問われる。今までの女優としての肩書きや評判は一切関係ない。今日の演技次第で、君はさらに高みへ行けるか、それともここで終わるかが決まる。」


言葉の重みが裕奈にのしかかった。


だが、心は静かだった。

あの会見を乗り越えた自分に、恐れるものはない。

あの時、自分は確かに「一人じゃない」と気づいたのだから。


現場から呼び出しが入った瞬間、裕奈は深く息を吸い込み、ゆっくりと立ち上がった。


迷いも、不安も、全て置いていく。

この一歩を進むことが、これからの自分を決めるのだから。


裕奈は振り返らずに、真っ直ぐ撮影現場へと歩を進めた。


カメラが回り始め、スタッフが静まり返る中、監督の声が響いた。


「本番、スタート!」


裕奈は目を閉じ、役の中に深く沈み込んだ。しかしその瞬間――予想外のアクシデントが起こった。


突然、共演者の一人がセリフを飛ばしてしまったのだ。

そのズレがスタッフ間に動揺を生み、カメラの微妙なズレや、タイミングの乱れが生じた。


普通ならばここで「カット」がかかるはずだった。しかし監督は黙っていた。これは明らかに裕奈に試されている、と彼女は悟った。


心臓が一瞬止まりそうになる。

だが、その時、頭の中に浮かんできたのは――渉がノートに記してくれた最後の言葉だった。


「迷ったときは、相手の呼吸を感じろ。言葉が途切れても、心が繋がっていれば必ず導ける。」

「演技は一人で作るものじゃない。共演者と空気を共有し、瞬間を生きろ。」

「自分を信じて。君ならできる。」


裕奈は迷わずに動き始めた。

役としての言葉を紡ぎ直し、共演者を視線と仕草で導いた。


(大丈夫。私は一人じゃない。——自分を信じて)


その即興の演技は自然な流れを作り、場の空気を立て直した。

撮影現場の緊張感が再び集中へと変わるのを感じながら、裕奈は全力で感情を表現した。


彼女がカメラに向かって最後のセリフを放った瞬間、現場が一瞬静まり返った。


そして、監督の低い声が響いた。

「……カット。」


その後、スタッフや共演者から自然と拍手が湧き上がった。

裕奈は息を整えながら、その場で立ち尽くした。


彼女は、またひとつ自分の限界を超えたのだ。




舞台挨拶の夜、裕奈は、控室で母でありマネージャーでもある千鶴は、娘の姿をじっと見つめていた。


裕奈は疲れているはずなのに、どこか晴れやかな表情をしている。目に宿る力強さと、自信に満ちた佇まい。


舞台での演技を支えたのは紛れもなく彼女自身の努力だが、その裏で彼女を支え続けてきた人の存在が脳裏をよぎる。


「裕奈。」

千鶴が声をかけると、裕奈が振り向いた。


「お母さん、どうしたの?」

「いいえ、ただ…立派になったなと思って。」


裕奈は少し照れたように笑った。

「まだまだだよ。もっと成長しないと。」


その言葉に千鶴は柔らかく微笑んだ。

そしてふと独り言のように口を開いた。


「ここまであなたを導いてくれたのは、久住くんのおかげね。」

その言葉に裕奈は驚いたように目を見開いた。


「え?」


千鶴はその反応に気づいたが、何も言わずに軽く肩をすくめた。

「さあ、今日はもう帰りましょう。」

千鶴はそう言い残し、控室を出ていった。


裕奈は何かを考え込むように、いつも持ってる渉の残したノートを持ち、そっと胸に抱えた。

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