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間章3:香月真由

渉と後輩の香月真由こうづきまゆが付き合い始めたのは、渉が高校2年の秋だった。


渉がサッカー部の中心メンバーとしてチームを率いていた頃、真由は1年後輩で、サッカー部のマネージャーになった。


真由にとって、渉は憧れそのものだった。

練習に打ち込む姿や、試合で仲間に指示を出す凛々しい表情。

その全てが彼女の心をときめかせた。


しかし、付き合い始めてから真由は少しずつ物足りなさを感じるようになった。


渉は彼女に優しく接してくれたが、彼の心は常にサッカーに向いていた。

デートの最中でも、試合の話やチームについてばかり話すことが多く、真由は少し寂しさを覚えていた。




その日は練習試合だった。

渉がグラウンドを駆け回る姿を、真由はいつものようにベンチから見守っていた。

だが、試合の後半、渉は敵選手と激しく接触し、ピッチに倒れ込んだ。


「久住先輩!」


真由が駆け寄ると、渉は苦悶の表情を浮かべていた。

救急車で運ばれた渉は、右膝の前十字靭帯断裂と診断され、長期のリハビリが必要だと言われた。


その日から渉は部活に参加できなくなった。


部員たちは渉の復帰を心待ちにしていたが、彼自身の表情はどこか曇っていた。ある日、部室で話し合いが開かれた。


「久住先輩、リハビリが終わったら戻ってきてください。試合に出なくても、分析や指導でチームを支えてくれるだけでも助かります!」

後輩たちが懇願する中、渉は静かに首を振った。


「いや、俺はもうここにいない方がいいと思う。」


その言葉を聞いた真由は、胸が締め付けられるような気持ちになった。渉がサッカーから離れる決断をするとは思っていなかった。




サッカー部を辞めた渉は、しばらく学校にも姿を見せなくなった。

心配になった真由は、何度もメッセージを送ったが返事はなかった。

そして、ようやく繋がった電話。


「……久住先輩?」


受話器越しに聞こえる渉の声は、いつもよりも静かで遠かった。


「ああ、真由か。ごめんな、心配かけて。」

「もう……。なんで何も言ってくれなかったんですか?」


真由の声が少し震える。

渉は短く息をつき、少し困ったように笑う声がした。

「……ごめんな。俺、真由にとって、いい彼氏じゃなかったよな。」


「そんなことない!」

真由は声を張ったが、すぐに言葉を詰まらせた。

必死に涙をこらえ、震える声で続ける。


「私は……先輩が笑っていてくれたら、それでよかったのに……。」


しばしの沈黙。

そして、渉がゆっくりと口を開いた。


「真由……俺な、サッカー辞めたら何も残らないんだ。サッカーをしてる俺以外、何もない。こんな俺じゃ……真由のこと、支えられないんだよ。」


「そんなの……!」

真由は必死に言い返そうとするが、声が震えて言葉が出てこない。

ーー本当は、そんなことないと言いたかった。

けれど、受話器越しに聞こえる渉の声は、どこか決意を秘めていた。


「ありがとうな。今まで俺を支えてくれて。でも……もう、終わりにしよう。」


「……やだ。」

思わずこぼれた言葉。

でも、渉はその言葉を受け取ることはなかった。


「ごめん、真由……。」


そう言い残し、通話が切れた。


ツー、ツー……と無機質な音だけが真由の耳に響く。


「……先輩……っ。」


もう声は届かない。

真由はその場で携帯を胸に抱きしめ、必死にこらえていた涙を流した。




高校卒業後、真由は大学へ進学した。

新しい環境で彼女は前向きに生きる努力をし、やがて新しい恋人もできた。

彼氏は渉とは違い、彼女にしっかりと向き合ってくれるタイプだった。


だが、ふとした瞬間に渉のことを思い出してしまう。

サッカーに打ち込む姿や、ふいに見せる優しい表情。


「今頃、何してるのかな……。」


ある日の夜、真由の携帯が鳴った。

画面に映し出された名前を見て、彼女は驚きのあまり固まった。


「久住先輩……?」


おそるおそる通話ボタンを押すと、懐かしい声が耳に届いた。


「久しぶり、真由。元気か?」


真由は思わず声を詰まらせた。

「……元気、だけど。どうしたの、急に。」


渉は少しの沈黙の後、静かに言った。

「ただ、気になったんだ。真由が元気でいてくれるなら、それでいいんだけどさ……ごめんな、突然。」


真由は胸の奥が少しだけ痛むのを感じながら、努めて明るく返事をした。


「うん、大丈夫。私、今はちゃんと元気だよ。」

「そっか。それならよかった。」

渉の声が少しだけ寂しそうに聞こえたのは、真由の気のせいだったのかもしれない。


電話を切った後、真由は少しだけ涙をこぼした。





ある夜、真由は机に向かって勉強をしていた。静まり返った部屋に、突然携帯の着信音が響く。

画面に表示された名前を見た瞬間、胸が小さく波打った。


――久住先輩。


思わず手が止まる。最後に話したのはいつだっただろう。あれからどれくらい時間が経ったのか、すぐには思い出せない。


「……どうして、今?」


一瞬、出るべきか迷った。しかし、指は自然と通話ボタンを押していた。


「……もしもし、久住先輩?」


少し緊張していた声が、懐かしい声を耳にした瞬間、ふっと和らぐ。


「久しぶり、真由。急にごめんな。」


相変わらず落ち着いたトーン。

その声を聞いただけで、心のどこかがあたたかくなる。

けれど同時に、遠くなってしまった時間の重みも感じた。


「いいよ。こうしてまた先輩から連絡が来るなんて思ってなかったけど……どうしたの?」


明るく振る舞ったつもりだった。

でも、先輩が電話をかけてくるなんて、何か理由があるに違いない。


しばしの沈黙。何かを迷っているような気配。


「真由、俺さ……今、自分がどんな人間なのか分からなくなってるんだ。お前に、俺ってどういう人間だったのか聞きたくて。」




翌日、真由は渉と会うために近くのカフェへと向かった。互いに大人になった姿で顔を合わせるのは初めてだった。


久しぶりに会った渉は、相変わらず控えめな雰囲気だった。

けれど、どこか高校時代よりも落ち着いて見える。


共通の友人たちの話題や大学時代の思い出を語り合い、自然と笑い合った。

高校時代にはできなかった、落ち着いた会話。

(あの頃も、こんなふうに話せてたらな……)

ふと、そんなことを考えてしまう。


そして、自分でも驚くほど自然に、今の恋人の話をしていた。


「実は、大学で出会った人と付き合ってるんです。もう1年くらいになります。」

少し緊張しながら言葉を口にした。

(なんで、こんなに気を使って話してるんだろう……。)


「そうなんだ。それは良かったな。」

渉は穏やかな笑みを浮かべてそう言った。

心から祝福しているような声。


でも、真由にはその裏にあるわずかな揺れを感じ取ってしまった。

(……やっぱり、気にしてる?)

そんな期待とも不安ともつかない気持ちが、心の奥で小さく波打つ。


しばらく沈黙が続いた後、渉が不意に真剣な声で問いかけた。


「真由……俺、高校の頃、どんな先輩だったと思う?」


唐突な質問に、真由は少し驚いた。

(なんで今、それを聞くんだろう?)

でも、その表情は真剣で、ただの雑談とは違う何かを感じた。


「先輩は……すごく真っ直ぐな人でした。サッカーに夢中で、自分のやりたいことに全力で。」


言葉を口にしながら、心の奥に隠していた気持ちが浮かんでくる。

(でも、私はその“真っ直ぐさ”に置いていかれてたんだよね……。)


「それは素敵だったんです。けど……私はね、正直言うと、すごく寂しかった。先輩の頭の中には、いつもサッカーのことばっかりで……私のこと、見てくれてないんじゃないかって思ってた。」


一瞬だけ、渉を見た。

彼は真剣な眼差しでこちらを見ている。


「……ごめん。俺……何も分かってなかったんだな。」


謝罪の言葉に、少しだけ胸が痛んだ。

「でも、先輩だけが悪いわけじゃないの。私も言えなかったんだ、『もっと私のこと見て』って。」


自然と笑みがこぼれる。

少しだけ、あの頃の自分に言い聞かせるような笑顔だった。


渉はカップを見つめながら、苦しげな表情を浮かべた。

「今、誰かを支える立場になってようやく分かったんだ。あの頃の俺は、周りをちゃんと見れてなかった。」


(……変わったんだ、先輩。)

その姿を見て、真由は少しだけホッとした気持ちになり、渉に告げる。

「でも、先輩は変わったんじゃない?こうして自分の過去を見つめようとしてる。それだけでも、すごいことだと思うよ。」


だけど――ふと、渉が問いかけた。


「俺がもし、あの頃に戻れるなら……どうすれば真由を寂しくさせなかったと思う?」


思わず言葉を失った。

(そんなこと……聞かないでよ。)


一瞬だけ胸がきゅっと締め付けられる。

でも、それを悟られないように、微笑んでみせた。

「ちゃんと向き合うことだよ。自分のことで精一杯にならないで、相手を大事にするってこと。」


もう、過去の話。

だから、笑顔で返せる。

――はずだった。


「難しいけど、今の先輩ならできるんじゃない?」


そう付け加えると、渉は少し安心したように笑った。

「……俺は、サッカーを失った時、自分には何も残らないと思っていた。でも……違ったんだな。」


その言葉に、真由は少し目を細め、呟く。

「うん。先輩には、先輩にしかできないことがあった。私はただ、そばにいたかっただけなんだけどね。」


少し目を伏せる渉に真由は声をかけた。

「先輩はとても優しい方ですから、自分を責めすぎないでくださいね。」

それは、心からの言葉だった。


そして、ふと渉がこちらを見つめ、問いかけた。

「真由は……今、幸せか?」


その問いに、真由は一瞬、心がざわついた。

(今さら、そんなこと聞くんだ……。)


でも、すぐに小さな笑みを浮かべた。

「色々とありますけど、まあまあ幸せですよ。」


それは本心だった。

それでも、心のどこかで少しだけ、「『完璧な幸せ』って言えたらよかったのに」と思っている自分がいた。


渉はその答えに満足そうに笑った。

「そっか、それなら本当に良かった。」


(……うん、これでいいんだ。)


真由はゆっくりと立ち上がり、会計を済ませた。


別れ際、渉が言った。

「ありがとう、真由。またいつか話せたらいいな。」


真由は少しだけ視線をそらし、けれど優しい笑顔で答えた。

「そうですね。そのときは、もっと色々話しましょう。」


軽く手を振り、背を向ける。


(あの頃の私も、今の私も、きっともう大丈夫。)


そう、静かに自分に言い聞かせた。

輝きを求めて編8(真由との再会)の真由側の話です。


幾つかの間章の後に最終章となります。

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