大学生編4(終・そして再会へ)
渉は喫茶店の制服に着替えながら、少しだけ重たい気分を引きずっていた。
今日は週末で来客が多い。アルバイト先のこの喫茶店は、落ち着いた雰囲気が特徴で、常連客から大学生グループ、時にはカップルまで訪れる。
気の抜けない日だ。
「久住くん、ホールお願いね。あのグループ、対応が面倒だから気をつけて。」
店長からそう声をかけられ、渉は軽く頷いた。
渉は接客業が得意だった。
細やかな気遣いや礼儀正しい態度が功を奏し、客からの評判も良い。
だが、それはあくまで仕事としての一面だ。
彼は自分の本心を押し殺し、必要最低限の言葉しか発さないよう心がけていた。
「あの時の自分とは違う」
ふとそんな言葉が頭をよぎる。
高校時代、渉はサッカー部の主将だった。
チームを引っ張り、多くの人に頼りにされる存在。
それがいつの間にか、自分の中でのアイデンティティになっていた。
しかし、高校3年に負った大怪我がすべてを変えた。
それ以来、渉は「輝いている自分」をどこか遠いものと感じていた。
表向きは穏やかで気さくに振る舞いながらも、内心では「自分なんて」と卑下する部分が拭えなかった。
喫茶店でのバイトも、そんな思いを抱えながら始めたものだ。
顔立ちは悪くないし、元サッカー部主将という肩書きも相まって、女性客からは度々声をかけられた。
それでも彼は曖昧に笑うか、事務的な返答で切り上げることしかできなかった。
落ち着いた店内に響く柔らかなジャズの音色。
午後の静かな時間帯、客はまばらで、カウンターには常連らしき人々が穏やかに過ごしていた。
渉はホールを回りながら、注文を取ったり、会計をしたりと、手際よく仕事をこなしていた。
そんな時、ふと視線を感じた。
店の片隅、二人掛けのテーブルに座る女性。メニューを開いているが、その視線はそこに落ちているものの、どこか宙に浮いているようだった。
(……誰かに似てるような?)
長い髪、綺麗に整った顔立ち。
どこかで見たことがある気がしたが、はっきりと思い出せない。
芸能人みたいな雰囲気のある女性だな、と思いながらも、渉はそのまま彼女の席へと足を運ぶ。
「ご注文はお決まりでしょうか?」
いつも通りの柔らかな口調で声をかける。
すると、女性は小さく肩を揺らした。驚いたように顔を上げるが、目を合わせることができないのか、視線が揺れていた。
「え、えっと……コーヒーを……」
妙にぎこちない口調だった。
(なんだ? そんなに緊張するような店じゃないけど……)
渉は軽く首を傾げたが、特に気にすることもなく、メモを取りながら頷いた。
その時、別の女性客がふいに声をかけてきた。
「ねえ、君、カッコいいね。大学生?」
「ええ、まあ……」
渉は一瞬戸惑いながらも、社交的な笑顔で応じる。よくあることだった。
接客をしていると、こうして客に話しかけられることは珍しくない。
「どこの大学? もしかして近くの○○大とか?」
「はい、そうです。」
形式的な受け答えをして、再び注文を取りに戻る。
先程の女性の事はそのまま気にせずに流してしまった。
渉は厨房に戻ると、洗い物を手伝いながら、自分の対応について少し反省する。
「なんでこんなに距離を取ってしまうんだろう?」
かつての自分なら、もっと自然に女性と会話できたはずだ。
それが今は、少しでも期待を持たせるような態度を取ることが億劫に感じる。
「どうせ俺なんかじゃ、満足させられないだろうしな……。」
そう呟くと、店長が軽く眉を上げて振り向いた。
「何か言ったか、久住くん?」
「いえ、何でもないです。」
渉は自分を奮い立たせるように、手を動かし続けた。
ちょうどその日が最終日で渉は喫茶店を辞めることになった。
元々短期のバイトであり、大学での勉強と他のバイトが忙しくなり、両立が難しくなったためだ。
「お世話になりました。」
渉は常連客たちに別れを告げ、店を後にした。
ふと自分の進むべき道について考えた。
ふと立ち止まり、自分の進むべき道について考える。
(このまま、なんとなく時間が過ぎていくんだろうか……?)
将来への明確な目標もなく、ただ日々をこなしている自分に、どこか物足りなさを感じていた。
「……俺は、このままでいいのかな。」
そんな漠然とした不安を抱えながら、彼は大学生活に専念することを決意した。
だがその裏で、渉が気づくことのなかった視線があった。
☆
ある日、仕事の合間に訪れた自由な時間、
裕奈は思い立って昔住んでいた町を訪れることにした。
幼い頃の思い出を振り返りたかったのだ。
町の景色は少しずつ変わっていたが、どこか懐かしさを感じさせるものがあった。
裕奈はふと目に留まった喫茶店に入る。
店内に入ると、懐かしい香りとともに温かい雰囲気が広がっていた。
裕奈はふと視線を窓際に向ける。
そこには一人の青年が立っている。
「……渉?」
裕奈の心臓が早鐘を打つ。
その姿は、確かに彼女が知る渉だった。
少し成長した、どこか落ち着いた雰囲気を纏う彼。彼女は思わず目をそらし、席に着いた。
喫茶店のざわめきの中で、渉はアルバイトの制服姿で働いている。
オーダーを取りに来る彼の姿を見て、裕奈は思わず息を呑む。
「間違いない、渉だ…。」
だが、渉の表情はどこか疲れているように見えた。
会話する店員仲間には控えめな態度を見せ、女性客から話しかけられても軽く笑って受け流す様子が目に入る。
落ち着いた店内に響く柔らかなジャズの音色。
店の片隅に腰を落ち着けた裕奈は、メニューを見ながらそわそわしていた。
目の前にいるのは、間違いなくかつての友人、渉。
彼女の中でこの再会をどう切り出すべきかを考えるが、胸が高鳴りすぎて言葉がまとまらない。
少しして渉が近づいてきた。
「ご注文はお決まりでしょうか?」
柔らかな声に、裕奈の心が跳ね上がる。
「え、えっと……コーヒーを……」
ぎこちなく伝える裕奈を前に、渉はメモを取りながらうなずき、次の言葉を待っている。
「……あの、渉……」
名を呼びかけそうになるが、その瞬間、近くの女性客が彼に声をかけた。
「ねえ、君、カッコいいね。大学生?」
突然の質問に、渉は少し戸惑った様子を見せる。
「ええ、まあ……」
曖昧な笑顔を浮かべながら答える渉。
「どこの大学?もしかして近くの○○大とか?」
女性客の言葉に少し困ったような表情を浮かべた渉だったが、軽く笑って「はい、そうです」と頷く。
そのまま女性客に形式的な対応をして、その場を離れる渉。
そのやり取りを見つめていた裕奈の胸には、小さな波紋が広がっていた。
「大学生……渉も大学生なんだ。」
(なぜ気づいてくれないの……?)
そう思う自分に驚きながら、彼が忙しそうに動き回る姿を目で追う裕奈。
しかし、渉は再び彼女のテーブルに来ることはなかった。
裕奈は結局その日は話しかけることができなかった。
彼女が知らない間に、渉もまた別の世界で生きていたのだと実感し、胸に言いようのない痛みを覚える。
それから数日後、裕奈は再びその喫茶店を訪れた。今度こそ彼に話しかける。
そう意気込んで足を運んだ店だったが、彼の姿はどこにもなかった。
「あの…ここの店員さんで、ちょっと前に窓際で働いてた方、いませんか?」
裕奈が恐る恐る尋ねると、店員は申し訳なさそうに言った。
「ああ、彼なら辞めちゃいましたよ。大学が忙しいみたいで。」
裕奈の心にぽっかりと穴が空いたような気がした。渉と再会できたと思った矢先、彼はもうこの場所にはいない。
それでも、隣のテーブルで聞いた「◯◯大学」という言葉が頭に引っかかっていた。
「渉が言ってた○○大学……。会いたいなら、私が行くしかない。」
渉の大学を訪問することを決意した裕奈の目には、強い意志が宿っていた。
ーーこうして物語は、再会編へと繋がっていくのだった。
そして、1話の冒頭に繋がっていきます。




