大学生編2(膨れ上がる幻想)
裕奈は小学校時代から、決して社交的な性格ではなかった。
幼少期から美貌が際立っていたため、周囲から「可愛い」と言われることは多かったが、彼女自身はそれを特別なことだとは思っていなかった。むしろ、そのせいで距離を取られることもあった。
「裕奈ちゃんって、なんか別世界の人みたい。」
「可愛いからって調子に乗ってるんじゃない?」
そんな言葉を耳にすることもあり、自然と深い友人関係を築くことは少なかった。
それでも、小学生の頃の裕奈は寂しさを感じていなかった。渉が隣にいてくれたからだ。
だが、中学で東京に転校し、芸能界に入ってからは、周囲との距離が徐々に広がった。
芸能界に入ったばかりの頃、裕奈はまだ無邪気だった。
共演者やスタッフに対して、普通のクラスメイトと同じように接しようとした。
しかし、次第に気づいたのは、そこには学校とは異なる”階級”のようなものが存在しているということだった。
「裕奈ちゃん、すごいね。あっという間に主演女優か。」
「私たちはずっと端役なのにね。」
最初は軽口のように聞こえた言葉も、いつしか嫌味や嫉妬に変わっていった。
それでも、裕奈は誰にでも分け隔てなく接することを心がけた。
「おはようございます!」
朝早く現場入りしたとき、眠たそうなエキストラやスタッフに、裕奈は欠かさず挨拶をした。それをやめることはなかった。
撮影の合間、台本を片手にソファに座っていた裕奈は、物陰で泣いている新人スタッフを見つけた。
誰かに怒鳴られたのだろう。
裕奈は誰にも気づかれないように近づき、ペットボトルの水を差し出した。
「……大丈夫?」
スタッフは戸惑った顔をしたが、裕奈はにこりと笑う。
「最初は誰だって失敗するものだから。気にしないで。」
それだけ言って、裕奈はすぐにその場を離れた。
(助けたって、何かが変わるわけじゃない。でも、放っておけなかった。)
裕奈自身、深く関わろうとはしない。
だが、困っている人を前にして見て見ぬふりができる人間ではなかった。
しかし、裕奈が20歳を超える頃には、彼女の成功が決定的なものとなり、それに比例するように敵意が増していった。
メイク道具が突然なくなったり、衣装のサイズが直前で変更されたり、台本の重要なセリフが勝手に書き換えられたり…
それが悪意によるものなのか、単なるミスなのか、はっきりとは分からない。
一つ一つは些細なミスだったのかもしれない。
しかし、そうした出来事が続くうちに、裕奈は「周囲を信用してはいけない」という意識を強めていった。
一方で、裕奈を慕う人間も確かにいた。
マネージャーの佐藤や、親しくしてくれるスタッフもいた。
共演者の中にも、彼女の演技を評価し、尊敬する者はいた。
しかし、裕奈自身がそうした好意や評価を素直に受け取ることができなくなっていった。
過去の経験が、彼女の心に深い影を落としていたのだ。
異性からの好意は、絶えず寄せられてきた。
小さな頃から「可愛い」と言われ続け、成長するにつれて、それはただの褒め言葉ではなく、恋愛感情や打算を含んだ視線へと変わっていく。
「裕奈ちゃんって、本当に綺麗だよね。連絡先、教えてくれない?」
「一度だけでいいから、食事行こうよ。」
芸能界に入ってからも、それは変わらなかった。
人気俳優や業界関係者からの食事の誘い、共演者からの告白。
そのどれもが、裕奈には本心からの好意には思えなかった。
(私じゃなくて、“女優・高宮裕奈”が欲しいだけでしょ。)
そう思うと、自然と距離を取るようになった。
本当は信じたい気持ちもある。
だが、これまで何度も裏切られてきた。
親しくなれそうだと思った人が、裕奈のいないところで悪口を言っていた。
助けてくれたと思った人が、結局は彼女の知名度を利用しようとしていた。
(私が特別だからじゃない。外見や肩書きがあるから。私自身を見ているわけじゃないんだ。)
そんな疑念が積み重なり、裕奈はますます他人を遠ざけていった。
誰も信じられない。
誰にも頼れない。
そんな裕奈の中で、ただ一人変わらない存在だったのが――渉だった。
小学校時代、渉は何の見返りも求めず、ただ自然に裕奈の隣にいてくれた。
「裕奈が困ったら、俺が助けるよ。」
その言葉は、今でも彼女の心に残っている。
だからこそ、どれだけ芸能界で傷ついても、彼女は渉のことを思い出すことで踏みとどまっていた。
「渉だけは、私を裏切らない。」
そう信じることで、裕奈は孤独に耐えていた。
しかし、それは単なる友情や信頼ではなく、もっと歪んだ感情に変わりつつあった。
「渉がいれば、私は大丈夫。」
「渉がいないと、私はダメになる。」
渉への執着は、彼女の心を支える唯一の拠り所となり、同時に彼女を縛る鎖となっていった。
こうして裕奈は、渉という「幻想」にすがることで、孤独な芸能界を生き抜いていたのだった。




