輝きを求めて編9(進路)
裕奈は渉のノートを胸に、少しずつ以前の自分を取り戻しつつあった。
演技への自信が蘇り、現場では「まるで別人みたいだ」と周囲から賞賛の声が上がるほどだった。
輝きを失っていた時期を知るスタッフたちは、彼女の変化に目を見張り、監督も深く頷いていた。
「裕奈さん、本当に素晴らしい演技だったよ。この調子で次も頼むね。」
監督の笑顔に、裕奈は小さく頭を下げる。
「ありがとうございます。」
その声は以前より力強く、彼女の内側から光が差しているように感じさせた。
渉が書き留めてくれた言葉たち――「自分を信じて」「君には輝く力がある」――そのすべてが、彼女の心を支えていた。
だが、心のどこかで渉のことが引っかかっていた。
最近、撮影現場で顔を合わせることも減り、会話の時間も少なくなっていた。
彼のノートを通じて支えられている自分に気づきながら、同時に彼の存在を失うのではないかという不安が胸を締めつけた。
そんなある日、裕奈は撮影の合間に事務所を訪れた。
台本の相談をするためだったが、打ち合わせ室から漏れ聞こえる話し声に足を止める。
中には千鶴と住吉がいた。
「渉くん、一週間以内に進路を決めるって言ってるの。」
千鶴の落ち着いた声が響く。
「そうですね。本人も悩んでるみたいですけど、大学に戻る選択肢もあるみたいですし、場合によってはこの事務所を辞めるかもしれないって。」
「ええ。ただ、本人も迷っているみたい。今まで裕奈の補佐をしてきたけど、ずっと続けるつもりはないのかもしれない。」
「渉くん、もうすぐ進路の返事を出すみたいね。一週間以内だって松永さんに言われたって。」
「……裕奈、大丈夫かしらね? 久住くんがいなくなったら、また不安定になっちゃうかも。」
「本人には言わないようにしてますけど、もし彼が辞めたら、どう支えていくか考えないといけませんね。」
裕奈はその言葉を聞いて、息を呑んだ。
一週間――渉が自分の進路を決めるタイムリミット。その重みが心にのしかかった。
(渉……辞めちゃうの?私のそばからいなくなっちゃうの?)
ノートの言葉で支えられていたはずの心が一気に揺らぐ。
彼がそばにいない未来を想像するだけで、全身が強張るようだった。
その場に飛び込んで確認したい衝動に駆られたが、足は動かない。
裕奈はそのまま背を向け、そっと廊下を歩き出した。
楽屋に戻った裕奈は震える手でノートを取り出し、渉が書き留めてくれた言葉をもう一度目で追った。
「自分を信じて。」
「君には輝く力がある。」
(渉がいないと、私はまた輝きを失ってしまうんじゃないか――。)
胸の奥に不安が膨れ上がる。
その一方で、渉の言葉は確かに裕奈の中に残っている。それを失いたくないという思いが、彼女の心を支配していった。
次第に湧き上がる感情に、裕奈はようやく気づく。
(渉にいてほしい。ただのマネージャーとしてじゃない。私は渉が……。)
その先の言葉はまだはっきり形にならないまま、涙が頬を伝う。
一方、紗良もまた、渉の進路についての話を聞いてから、自分の中の不安と向き合っていた。
渉がどんな選択をするにせよ、自分にできることは何なのか──彼の隣にいたいという気持ちがますます強くなっていた。
渉の選択の期限が迫る中、二人の女性の心には、それぞれ違う形の葛藤と想いが渦巻いていたのだった。
⭐︎⭐︎⭐︎
仕事を終えた渉は、久しぶりに実家に帰り、リビングで両親と弟の健太と向き合った。いつも明るい食卓が、今日は少し緊張感に包まれている。
「…父さん、母さん、俺、進路のことで悩んでるんだ。」
渉が静かに口を開くと、母が優しく微笑みながら問いかけた。
「進路って、具体的には?」
「今、事務所から3つの選択肢を提示されてるんだ。正社員になるか、大学に戻るか、それとも中途半端な形で契約を延ばすか。でも、どれが正解か分からなくて…。」
父は渉の話に耳を傾けたあと、コーヒーを一口飲み、落ち着いた口調で尋ねた。
「お前、自分がどんな人間だと思ってる?」
渉は少し驚いたように眉を上げ、しばらく考え込む。
「どんな…人間?」
すると健太が横から口を挟む。
「兄ちゃんって、昔から人に何か教えるのがうまかったよな。俺が宿題分からない時も、ただ答えを教えるんじゃなくて、やり方まで教えてくれてさ。」
渉は少し驚きながらも、その言葉に聞き入る。
母は健太の言葉に頷きながら、穏やかな表情で口を開いた。
「サッカー部の話じゃなくてね……小さい頃、近所の子たちと遊んでたときのこと、覚えてる? 渉はいつもみんなの中心にいて、ケンカが起きれば間に入って仲裁してた。遊びのルールを決めるときも、皆が楽しめるように考えていたわよね。」
渉は一瞬戸惑った顔をした。
すっかり忘れていた幼い頃の記憶が、母の言葉でぼんやりと蘇る。
確かに、自分は自然と周りを気にしていた。誰かが取り残されることを嫌い、みんなが楽しめる空気を作ろうとしていた。
ーーそこで、独りぼっちの裕奈を見つけたのだ。
「そういうところ、あんたの良いところだと思うのよ。だからね、サッカーだけじゃない。どんな場所にいたって、その優しさや気遣いを生かせるはずなの。」
母の言葉に、渉は今度こそハッとしたが、すぐに気持ちを落ち着けた。
武藤にも同じようなことを言われたことがあったが、母の言葉はそれとは少し違っていた。
サッカーに限らず、自分がずっと大切にしてきた「人と関わる在り方」そのものを肯定してくれているような気がしたのだ。
健太は、そんな兄の様子を気にすることなく笑いながら続ける。
「だからさ、兄ちゃんがどんな仕事を選んでも、誰かを支えたり教えたりするんだろうなって思うんだよな。」
渉は苦笑しながらも、その言葉に少し心が軽くなるのを感じた。
すると父が静かに口を開いた。
「――お前には人を教え、導く力がある。親の贔屓目抜きでもな。」
その言葉に渉は驚いて父を見る。父は真剣な眼差しで渉を見つめた。
「サッカーのことも、健太や周りの人間のことも、お前はいつだって誰かのために考えて動いてきた。だがな――」
父は一度言葉を切り、さらに重みのある声で続けた。
「どんな道を選んでも、途中で投げ出すな。最後までやり抜け。それができないなら、何をやっても信頼は得られないぞ。」
父の言葉は、これまでの誰の言葉よりも渉の胸に深く突き刺さった。
その瞬間、渉は高校時代の記憶が鮮明によみがえった。
サッカー部で主将を任され、必死にチームを支えていた日々。
そして、大怪我を負ったあの日。
怪我の影響で練習ができなくなり、「もう戻ってこなくていい」と自分を責める声が頭の中で響いた。
リーダーとして別の形でチームを支える事が出来たのに、そのまま部活を中途半端に辞めてしまった後悔。
それ以来、どこか自分に自信を持てなくなった記憶。
「俺…部活を中途半端に辞めたんだ。」
渉はぽつりと漏らすように言った。
「怪我のせいにしてたけど、でも……結局逃げてただけだったんだな。あのときちゃんと続けてたら、何か変わったのかもしれない。」
母はそっと手を渉の肩に置き、穏やかな声で言った。
「でも、今気づけたじゃない。それを無駄にしないために、ちゃんと自分の答えを出しなさい。」
(……途中で投げ出さない。最後までやり抜く。俺は今まで、その覚悟を持てていたのか?)
渉は心の中で自分自身に問いかけた。
サッカーを諦めたとき、大学生活をなんとなく過ごしたとき、目の前のことから逃げていたのではないかと。
健太の無邪気な笑顔と、父母の真剣な眼差しに見守られながら、渉は心の奥で決意を固めつつあった。
(――今度こそ、最後までやり抜ける道を選ぼう。)
その夜、部屋に戻った渉は一人で考え続けた。自分が何をしたいのか。何を目指すべきなのか。
そして、これまでの経験を振り返り、ようやく一つの答えにたどり着く。
「俺は…もう一度大学に戻る。」
渉は小さな声で自分にそう言い聞かせた。
「大学で教育を学び直して、自分ができることを最大限に伸ばす。その力を、裕奈を含めた多くの人のために使いたい。中途半端じゃなく、最後までやり抜こう。」
朝早く目を覚ました渉は、両親に感謝を伝えた。
「父さん、母さん、俺、大学に戻るよ。もっと自分を磨いて、ちゃんと胸を張れる人間になりたい。」
両親は静かに頷き、息子の決断を受け止めた。
「それでいい。お前の人生だ、後悔しない道を選べ。」
健太も小さくガッツポーズをして、「兄ちゃんらしい選択だな」と笑った。
渉の心は、次第に晴れ渡っていく。
これから始まる新たな道への希望を胸に、彼は前を向いて歩き出すのだった。




