再会編5(お願い)
ーー数日後の晴れた日の午後、渉は大学の図書館から出てきたところだった。
何かを考え込むように本を手に持ち、校舎を歩く。
その姿を見つけた裕奈は、人目を忍びながら彼の背後から近づいていた。
「渉……」
控えめな声が渉の耳に届く。振り返った彼は、そこに立つ裕奈の思い詰めた表情を目にして一瞬驚く。
「また来たのか……」
渉はため息をつき、彼女に目を合わせようとしない。
「少し、話せる?」
裕奈の声は小さく震えていた。
渉は無言のまま、近くの公園へ向かう道を指差す。裕奈は黙って彼の後をついていった。
静かな公園のベンチに座る二人。
渉は距離を置くように少し離れた位置に座り、裕奈は気まずそうに視線を落とす。
「それで……何が言いたいんだ?」
渉は直球で問いかける。その声にはわずかな苛立ちが混じっていた。
裕奈は拳を握りしめ、震えを抑えるように深呼吸をする。
そして、言葉を絞り出すように話し始めた。
「渉……お願いがあるの。」
渉はその言葉に顔をしかめ、視線を逸らした。
「なんだよ。裕奈なら大抵のことは自分でできるだろ。」
「違うの。私には、渉じゃないとダメなの。」
その一言に渉は一瞬動きを止めたが、すぐに冷静を装って答える。
「……俺に何ができるんだよ。もう昔の俺じゃない。お前を支えられるようなヒーローじゃ――」
裕奈は言葉を遮るように声を上げた。
「そういうの、違う! 渉がどう変わったかなんて、ヒーローかどうかなんて私には関係ない!」
渉はその言葉に動揺しながらも黙り込む。
裕奈は胸に手を当て、涙をこらえるように顔を伏せた。
「私ね、もう……無理なの。頑張らなきゃって思うほど苦しくなって、誰にも言えなくて、どんどん追い詰められて……」
裕奈の声は次第に震え始め、涙が頬を伝ってポロポロと落ちた。
「でもね、渉のことを思い出したら、どうしても……渉に頼りたくなったの。」
彼女の涙に渉は戸惑い、何も言えないままその場に立ち尽くす。
「お願い……渉。私のマネージャー補佐になってくれない?」
その言葉に、渉は息を飲むように目を見開いた。
裕奈の言葉の真剣さ、そして涙に込められた感情が、胸を強く打つ。
「マネージャー補佐……?」
ようやく言葉を返した渉に、裕奈は小さく頷いた。
「うん。マネージャーは、今は佐藤さんと……お母さんが担当してる。でも、私はどうしても渉にそばにいてほしい。スケジュール管理とか、現場でのフォローとか、私が不安になった時に支えてくれる存在として……」
「……それ、俺じゃなくてもいいだろ。」
「違うの!」
裕奈は必死に否定した。
「確かに、お母さんも佐藤さんもすごく支えてくれてる。でもね、仕事のことだけじゃなくて……私は、私自身のことを支えてほしいの。渉にしかできないことがあるの。」
渉は口を開きかけたが、すぐに閉じた。
「期間は決めてない。でも、渉が嫌なら無理にとは言わない……でも、一度考えてほしい。」
そう言って裕奈は鞄からメモ帳を取り出し、手早く何かを書き込んだ。
そして渉の前に立ちはだかり、書いたメモを差し出す。
「これ、私の連絡先。……もし受けてもらえるなら、連絡して。」
メモには所属事務所の住所と電話番号が書いてあった。
渉は驚いたように裕奈を見たが、すぐに表情を引き締め、無言でそれを受け取る。
何も言わず、メモをポケットにしまうと踵を返してその場を去った。
裕奈はその背中を見つめながら、ぽつりと呟いた。
「私は、今でも渉がヒーローだって思ってるのに……」
彼女の涙は止まることなく流れ続けていた。
☆
公園を出た渉は、あてもなく街を歩いていた。
商店街を抜け、大通りを歩くたびに、ショーウィンドウや広告看板、雑誌の表紙に映る裕奈の写真が目に飛び込んでくる。
「……あいつ、本当に国民的女優なんだな。」
呟いた言葉には、驚きと皮肉が混じっていた。
写真の中の裕奈は堂々とした笑顔を浮かべ、完璧な存在に見えた。
渉は歩みを止め、しばらくその写真を眺める。
渉の脳裏に、中学時代の裕奈の姿が浮かぶ。
「私、引っ越すことになったの。」
渉の家で告げられた裕奈の言葉。
その時の彼女は泣きながらも、どこか覚悟を決めたような目をしていた。
その言葉に渉は離れる事が寂しかった。
ただ、それよりも裕奈の夢を応援したいと思う気持ちでいっぱいだった。
その時、また何かを約束した気がする。
しかしその約束はどうしても思い出せなかった。
渉は裕奈を支える「ヒーロー」であり続けたいという思いから、サッカーに全力を注いだ。
彼は地元の近く、全国的に有名なサッカー強豪校へ進学。
持ち前のリーダーシップで主将に選ばれ、スカウトからも声がかかるほどの選手になった。
だが、高校3年の夏、練習試合中の接触プレーで膝に重傷を負い、選手生命を絶たれた。
怪我の治療に専念しながらも、渉はどこか心が折れていた。
仲間たちの前では明るく振る舞おうとしたが、ピッチに立てなくなった自分に耐えられなくなり、そのまま部活から距離を置き、辞めた。
「俺なんて、結局何も支えられない。」
マネージャーだった彼女からの励ましも拒み、最終的に別れることになった。
居場所を失った渉は、高校卒業後に進学した大学でも自信を持てず、どこか自分を見失ったまま日々を送っていた。
過去の記憶が渦巻く中、渉はふと自分のポケットに触れた。そこには裕奈が渡してくれたメモがある。
「……俺に何ができるんだ。」
呟きながら空を見上げる。
彼の目に映るのは遠い昔、裕奈のために何かをしてあげたいと思った自分の姿だった。
裕奈の存在が大きくなればなるほど、渉は自分の小ささを痛感していた。
そして今、再び彼女が自分を求めている。その現実が渉の心に重くのしかかる。
渉は無意識に歩みを止め、また裕奈の写真を見つめていた。




