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絡み合う感情編3(呼び名の変化)

渉は紗良の担当となって数週間が過ぎていた。


紗良の現場に付き添いながら、彼女の仕事ぶりや課題をじっくり観察し、自分なりに気づいたことを少しずつ提案するようになっていた。


裕奈の補佐をしていた頃の渉は、彼女が持つ圧倒的な実力と存在感に圧倒され、自分の考えを口にするのがはばかられた。


裕奈には佐藤や千鶴といった経験豊富なスタッフがついており、渉はあくまで補佐に徹することが求められていたからだ。


しかし、紗良との仕事は違った。

彼女の担当として信頼を寄せられたことで、渉は「自分がこの仕事をどう作り上げていくか」を考えるようになった。


紗良がダンスの振り付けに苦戦している場面を見たときのことだ。

彼女はリズムの取り方で苦しみ、他のダンサーたちと微妙にタイミングがずれていた。

渉はリハーサル後に彼女に声をかけた。

「紗良さん、ダンスの最後の部分、もっと大きく腕を広げたほうが映えると思います。あと、リズムは少し後ろにずらして取ると、全体のバランスが良くなる気がしました。」


最初は不安だった。

自分の意見を口に出すことが、彼女の負担にならないか、反発を招かないかと心配だった。

しかし紗良は真剣に頷き、リハーサルの合間に何度もその部分を繰り返していた。

渉の提案を取り入れた結果、パフォーマンスは見違えるほど良くなった。


ステージが終わった後、紗良は満面の笑みで言った。

「久住さんのおかげで、自信が持てました。ありがとうございます。」


その言葉を聞いた渉の胸には、ほんの少し自信が芽生えた。

自分の提案が役に立ち、目の前の人を成長させる手助けができたという実感。

それは渉自身の成長にもつながる感覚だった。


(俺も、ただ支えるだけじゃなくて、自分で考え、提案し、相手を輝かせる存在になれるんだ。)


渉は少しずつ、責任感とともに「支える側の輝き」を感じ始めていた。

紗良もまた、渉からの具体的なアドバイスをもらうことで、以前より仕事への意欲が高まっていた。

彼の提案が的確であるだけでなく、自分を本気で応援してくれていると感じられることが何よりも嬉しかった。


そんな日々が続く中で、紗良の表情は以前よりも自信に満ち、輝きを増していく。


渉との関係が彼女の心を支え、彼に恋心を抱く思いは日に日に強くなっていた。




紗良は、渉のそばにいる時間が長くなるにつれて、自分の気持ちを誤魔化せなくなっていた。

最初は「頼れるマネージャー」だったはずなのに、今では彼の些細な言葉や表情に心が揺れてしまう。


(やっぱり、ただの憧れじゃない。私、久住さんのこと――。)


けれど、彼の視線の先には誰か違う人がいる事も薄々勘付いていた。

それがわかっているからこそ、この気持ちは胸にしまっておかなければならなかった。


でも、それでも。

せめて、名前くらいは――。


仕事の合間、カフェで打ち合わせをしていた。


渉はスケジュールを確認しながら、いつも通りの落ち着いた声で言う。


「相沢さん、来週の撮影スケジュールですが、変更が入ったので共有しておきます。」

(また、『相沢さん』って呼んだ…。)


紗良はギュッと手を握りしめた。


「ねえ、久住さん。」

「はい。」

「私のこと、『紗良』って呼んでください。」


渉は手を止め、少し驚いたように彼女を見た。


「え…どうしてです?」

「だって……ずっと『相沢さん』って呼ばれるの、なんか寂しい。」


紗良はまっすぐ渉を見つめる。


「それと、もうちょっと砕けて話してよ。久住さん、私にだけ敬語なのずるい。」

「ずるい?」

「そう、ずるい。裕奈さんには普通に話すのに、私には距離取ってるみたいで嫌。」


渉は少し考え込み、軽く息をついた。そして、やや困ったような笑みを浮かべる。


「……じゃあ、『紗良さん』で妥協させて。」

「えっ、そこは『紗良』でいいじゃん!」

「なんとなく、その方がしっくりくるから。」

「もう、頑固なんだから。」


少しむくれながらも、紗良はどこか嬉しそうに微笑んだ。


「じゃあ、私も『久住さん』やめるね。これからは『渉さん』って呼ぶ。」

「……好きにして。」


ぶっきらぼうな返事だったけれど、紗良にはわかっていた。


(それでも、今までよりは距離が近づいた気がする。)

そう思うだけで、ほんの少し胸が温かくなるのだった。




一方で裕奈と遼の仲も微妙に変化しつつあった。


ある日の撮影休憩中、遼と裕奈がたまたま二人だけになる場面があった。

外は晴れていて、軽く風が吹く中、裕奈が撮影の合間にジュースを買いに行こうとしていたところ、遼が声をかけた。


「高宮さん、少し時間ある?」

「はい、大丈夫です。」裕奈は立ち止まって振り返る。


遼は笑みを浮かべながら、ポケットから一本のドリンクを取り出し、裕奈に差し出した。

「これ、さっき買っておいたんだ。君、コーヒーより紅茶派だろう?」


「え……ありがとうございます。」裕奈は驚きつつも受け取った。

「よく分かりましたね。」


「君のことは共演してからずっと見てるからさ。」

遼はさらりと答えたが、その言葉には彼女をよく観察している様子がうかがえた。


「でもさ、澤村さんって呼ばれるの、なんかよそよそしい気がするんだよね。」


裕奈は少し目を丸くした。

「そうですか?」


「うん。せっかくだし、俺のこと、遼って呼んでくれない?代わりに俺は裕奈さんって呼ぶからさ。」


その軽い提案に裕奈は一瞬ためらった。


これまで親しくなっても、同業者を下の名前で呼ぶことはあまりなかったからだ。


でも、遼の柔らかい笑顔を見ると、断る理由も思いつかなかった。

「……遼さん。」

裕奈は少し照れくさそうに彼の名前を呼んだ。

「これでいいですか?」


「うん、完璧。」

遼はにこりと笑って答えた。

「ありがとう、裕奈さん。」


その自然なやり取りが、二人の距離感を少しだけ縮めた瞬間だった。


それ以降、裕奈は遼を「遼さん」と呼ぶようになり、彼との会話にも以前より親しみが生まれた。

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