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マネージャー補佐編9(昇格と配置換え)

数日後、松永社長に呼び出された渉は、緊張した面持ちで執務室のドアをノックした。


「失礼します。」

「入れ。」


松永社長はデスクの向こうから渉を見つめ、手元の資料を机に置いた。その眼差しはいつもの厳しさを湛えていたが、どこか渉を試すような気配も感じられた。


「久住、最近の仕事ぶりはどうだ?」

「はい。裕奈さんのサポートに集中できていますし、彼女の演技の現場にも少しずつ慣れてきました。」


松永社長は軽く頷き、椅子にもたれかかった。

「そうか。確かに、裕奈もお前のことを信頼しているようだな。」


その言葉に渉は少し安心しかけたが、次の言葉で一気に緊張感が走った。


「だが、お前にはさらに視野を広げてもらいたい。」

「……視野、ですか?」


松永は渉をまっすぐ見据え、ゆっくりと言葉を継いだ。

「裕奈の主担当を住吉に任せることに決めた。お前は引き続き補佐として裕奈のサポートを続けてもらうが、新たに相沢紗良の担当を任せる。そしてーーお前を正式にマネージャーに昇格させる。」


「……え?」

渉は驚きに目を見開いた。

裕奈の主担当から外れるだけでなく、マネージャーとして正式に任命される――そんな展開は予想していなかった。


「そうだ。」松永は静かに頷く。

「紗良は次世代のエース候補だが、まだまだ課題も多い。お前の力を試すには、ちょうどいい相手だろう。」


相沢紗良――アイドルグループ「Brillar」のセンターを務める19歳。

圧倒的なビジュアルと明るく快活な振る舞いで人気を集めているが、その自由奔放に見える言動でスタッフを振り回すこともしばしばあると聞いていた。


「俺が……相沢さんのマネージャーを?」

「ああ。紗良はまだ若手だが、これから確実に伸びる。お前のような柔軟な考えを持つ者が担当すれば、いい化学反応が起きるはずだ。」


渉は戸惑いながらも、意を決して口を開いた。

「ですが……高宮さんの主担当を続けたいという気持ちはあります。裕奈さんは、僕にとって――」


松永はその言葉を遮るように手を挙げた。


「裕奈への思い入れは分かる。だが、これはお前自身の成長のためでもある。そして、裕奈もまた新たな視点を持つ人間と接することで次のステージに進むことができる。」


渉は拳を握りしめた。裕奈のそばにいることが、当たり前ではなくなるかもしれない――そんな不安が胸の奥をざわつかせる。


裕奈のそばにいることは、これからも変わらない――はずなのに。


「ー最終的な意思はお前に任せる、と言いたいところだが……この件はすでに事務所として決定事項だ。受けてもらう前提で話を進めている。」


渉はその言葉に圧を感じながらも、視線を落として考え込んだ。

松永社長の言葉の裏には、事務所の期待だけでなく、彼自身への信頼があるようにも思えた。


「……分かりました。相沢さんの担当、引き受けます。」

渉はそう答えた後、自分の中に少しずつ覚悟が芽生えていくのを感じた。


松永社長は満足げにうなずいた。

「そうか。なら、明日から早速紗良の案件に同行してもらう。詳細は千鶴から説明があるはずだ。」


一呼吸置いて、松永社長は視線を真っ直ぐに渉に向けた。


「あと一つだけ言っておく。誰かを支えることには、覚悟と信念が必要だ。」

発したその言葉には重みがあった。


渉は一礼し、執務室を出て行った。



⭐︎


翌日、渉は千鶴に呼ばれ、マネージャー室へ足を運んだ。千鶴の表情はいつも通り冷静で、デスクに渉を座らせると、淡々と本題を切り出した。


「久住くん、少し話があるの。」

「はい、何でしょうか?」


千鶴は資料に目を落としながら説明を始めた。


「昨日松永社長から聞いていると思うけど、佐藤さんが今度、統括マネージャーに昇進することになったわ。それに伴って、相沢さんの担当が空くことになるの。松永社長とも話し合った結果、あなたを正式にマネージャーへ昇格させ、そのポジションを任せることに決まったの。」


「……正式に、マネージャーへ?」


松永から事前に聞いてはいたものの、渉は思わず言葉を繰り返した。

これまで補佐として動いてきたが、正式なマネージャーとして認められるというのは、大きな変化だった。


「ええ。相沢さんの主担当として、正式に責任を持ってもらうわ。それに伴い、契約内容もマネージャーとしてのものに変更することになる。」


渉は真剣な顔で静かに頷いた。


「相沢さんの担当ですか……確かに、大役ですね。」


「そう。週5日、休日を除いて相沢さんの担当をお願いしたい。そして、裕奈のサポートについては、週2日を目安に続けてもらうことになるわ。」


渉の表情に一瞬戸惑いが浮かぶのを見て、千鶴は続けた。


「理由としては、久住くんにはまだ裕奈の主担当を完全に任せるには経験が足りないと判断したからよ。ただ、それはあなたが劣っているからではないわ。むしろ、マネージャーとしての視野を広げるために必要なことなの。」


渉は視線を落とし、悔しさと納得が入り混じる感情を抱いた。

「……そう、ですか。確かに、まだ自分には足りない部分が多いと感じています。」


千鶴は頷きながらも、表向きの冷静さを崩さなかった。

「松永社長も、あなたにはもっと幅広い経験を積んでほしいと考えているの。相沢さんの担当をすることで、さらに成長できるはずよ。そして、正式なマネージャーになった以上、あなたの判断や行動がこれまで以上に重要になってくるわ。」


渉は再び頷き、真剣な声で答えた。

「分かりました。相沢さんの担当、精一杯頑張ります。そして、高宮さんのサポートもできる限り力を尽くします。」


「その意気よ、久住くん。期待しているわ。」

千鶴は穏やかに微笑んだが、その心の内では安堵を感じていた。

渉を裕奈から遠ざける意図が彼に気付かれなかったことに。



⭐︎


夜、渉は自室の机に向かいながら、松永と千鶴からの打診を何度も思い返していた。


(マネージャーに昇格して紗良の担当がメインになる…。そして裕奈には新しいマネージャーをつける、と言っていたな。)


その新しいマネージャー――松永が紹介したのは、業界でも名の知れた住吉という優秀な女性だった。

以前、別の事務所でトップ女優を支え続け、有能さを買われて事務所に引き抜かれた経験があり、その実績は申し分ない。


(もしその人が裕奈のマネージャーになれば、俺よりもずっと上手く彼女をサポートできるだろう。)


渉はそう考えた途端、胸の奥がずきりと痛むのを感じた。


(俺は…本当に裕奈の役に立てているのか? 佐藤さんのフォローがなければ、現場で失敗ばかりしていただろうし…。裕奈の負担を減らすどころか、むしろ足を引っ張っているんじゃないか?)


千鶴の提案は理にかなっている。

裕奈の負担を軽減し、事務所として彼女をさらに輝かせるための最善策だ。それでも、渉の心はどうしても晴れなかった。


(俺じゃなくてもいいなら…それなら俺は何のためにここにいるんだ?)


ふと、机の上に置かれた裕奈のスケジュール表が目に入る。


(あのキスだって…。裕奈は仕事のために俺に頼んだんだ。あれは何でもないことだったはずなのに…。)

渉は頭を振って、そんな考えを振り払おうとした。


渉は椅子にもたれかかり、天井を見上げた。

(裕奈は俺に「頼りにしてる」って言ってくれたけど、それだって本心かどうか…。きっと、俺に気を遣ってるだけなんだろう。)


自分の気持ちがどこに向かっているのか、渉自身もよくわからなかった。

ただ一つだけわかっているのは、裕奈のそばにいることが自分にとって特別だということだ。


(でも、俺は本当に彼女の支えになれているのか? それとも…ただ彼女の負担を増やしているだけなのか?)


渉の手は自然と、いつも持ち歩いているノートに伸びた。

そこにはこれまでの改善策や反省点がびっしりと書き込まれている。


(こんな俺が裕奈にとって必要だなんて…思えない。でも、もし俺がいなくなったら、彼女はどう思うんだろう?)


不安と葛藤が渦巻く中、渉はふと松永の冷静な声を思い出した。


「だが一つだけ言っておく。誰かを支えることには、覚悟と信念が必要だ。」

松永の言葉が胸に刺さり、渉は深く息を吐いた。


(俺にその覚悟があるのか…。ちゃんと考えなきゃいけないよな。)


渉はノートを閉じ、目をつぶった。


明日、裕奈の顔を見た時、自分の答えが少しでも見えることを願いながら。

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