マネージャー補佐編5(気にしすぎ)
「おはようございます、高宮さん!」
撮影初日、まだ朝の空気が冷たいスタジオの入り口で、澤村遼が爽やかな笑顔とともに裕奈に声をかけた。
柔らかい茶髪に端正な顔立ち、白いシャツに軽く羽織ったジャケット。まるでドラマのワンシーンのように絵になる姿だった。
「おはようございます、澤村さん。」
裕奈も笑顔を返し、軽く会釈する。
だが、渉の目には、その表情がほんの少しだけ硬く見えた。
(やっぱり、少し警戒してる……?)
それでも、澤村はまるで気にする様子もなく、自然に裕奈の隣へ歩み寄った。
「今日からよろしくね。シーンで分からないこととか、なんでも聞いてよ。」
「ありがとうございます。でも、まだまだ勉強中なので、足を引っ張らないように頑張ります。」
「いやいや、そんなことないって。君の演技、すごく繊細で好きだよ。」
さらりとした褒め言葉。
それが澤村にとって特別な意味を持たないものだとしても、周囲のスタッフが微笑ましく二人を見つめるのが分かる。
「いい雰囲気だな」
「お似合いじゃない?」
そんな囁き声が聞こえ、渉は思わず視線を落とした。
(仕事の一環……だよな。)
裕奈は淡々と受け流しているように見えたが、澤村はどうなのか。
これが単なる共演者としての距離感なのか、それともそれ以上なのか――渉には、判断がつかなかった。
「高宮さん、これ飲む?」
ふと顔を上げると、澤村が裕奈にペットボトルを差し出していた。
どうやら自分の分と一緒に買ってきたらしい。
「あ、ありがとうございます。」
裕奈は一瞬戸惑いながらも、丁寧に受け取る。
それだけのやり取りなのに、なぜか渉の心の奥に小さな棘が刺さったような気がした。
(……気にしすぎか。)
けれど、渉のその”気にしすぎ”が、これからの撮影期間を通して、彼の中で少しずつ膨らんでいくことになるのだった。
⭐︎
その日の撮影が終わった後も、渉の胸の奥には妙な違和感が残っていた。
裕奈と澤村遼の距離感。
リハーサルでの一瞬のためらい。
(気にしすぎなのか……?)
そんなモヤモヤを抱えたまま帰ろうとしていたところに、スマホが震えた。
画面を見ると、小沢からのメッセージだった。
「お前、なんか落ち込んでない?」
(……なんでわかるんだよ。)
渉は小沢に「ちょうど帰るところだ」と返すと、すぐに「じゃあ飲もうぜ」と返事が来た。
特に予定もなかった渉は、そのまま待ち合わせの居酒屋へ向かうことにした。
「ほら、飲めよ。」
久々に会った小沢は、相変わらず気楽そうにビールをジョッキに注いだ。
渉は小沢と向かい合いながら、無言でジョッキを持ち上げる。
「……で、なんかあったんだろ?」
「いや、別に何も。」
「嘘つけ。お前の顔に“悩み事があります”って書いてあるぞ。」
渉は苦笑しながら、ジョッキを口に運んだ。
そんな渉の様子を見て、小沢は「やっぱりな」と納得したように笑う。
「大体察しはつくけどな。裕奈さんの共演者って、あの澤村遼だろ?」
その名前を聞いた瞬間、渉の表情がわずかに硬くなる。
澤村遼――今をときめく若手俳優。
甘いマスクと柔らかい物腰で、女性ファンのみならず、共演者たちの心もつかんできた男だ。
業界では「共演者キラー」とまで言われている。
「……そうだけど。」
渉が答えると、小沢は苦笑混じりにビールを飲み干した。
「お前、気が気じゃないんじゃないか?」
「仕事だし、俺がどうこう言うことじゃない。」
「へえ? ほんとにそう思ってんの?」
「……。」
小沢はジョッキを置き、じっと渉を見つめる。
「前も言ったけどさ、裕奈さんはお前に依存してると思う。」
「依存……?」
「小学校の頃約束したんだろ? 裕奈さんが芸能人になってお前が支えるってやつ。」
「ああ。」
「裕奈さんは、その約束を今でも律儀に守ろうとしてる。お前が支えてくれるから、彼女は頑張れる。でもさ、それって裏を返せば、お前がいないとバランスが崩れるってことでもあるんだよ。」
渉は無言のまま、小沢の言葉を噛みしめた。
「で、問題はお前の気持ちだ。」
「俺の……?」
「そう。裕奈さんが澤村遼に取られそうになったら、どうする?」
渉は言葉に詰まった。
(裕奈が、誰かに……?)
想像したことがなかったわけではない。
いや、本当はずっと無意識に考えないようにしてきた。
裕奈は女優で、自分はマネージャー補佐。
彼女には彼女の道があるし、渉はただ支える側に徹するべきだと。
けれど、小沢の言葉は、そんな渉の心に楔を打ち込んだ。
「お前は今、マネージャー補佐としての仕事に徹してる。でもな、もし本当に裕奈さんが誰かに取られそうになったとき、どうするかはちゃんと考えとけよ。」
小沢の言葉が、渉の胸の奥にじわりと染み込んでいく。
「……俺は……。」
答えが出ないまま、渉はただグラスの中の氷を見つめていた。
⭐︎
ドラマの宣伝のため、裕奈と澤村は人気のエンタメ雑誌のインタビューを受けることになった。
渉はマネージャー補佐として控えめにその場に立ち、二人のやり取りを見守る。
記者やカメラマン、スタッフたちが準備を整え、いよいよ撮影とインタビューが始まる。
撮影では、二人が並んで笑顔を交わしたり、時折ふざけたようにアイコンタクトを取る場面もあった。
澤村は余裕のある様子で、撮影の合間にも「こんな感じ?」とカメラマンに声をかけ、場を和ませる。
(……慣れてるな。)
渉はそんな様子を見ながら、胸の奥に小さな違和感を覚えていた。
そして、いよいよインタビューが始まる。
「お二人は初共演ですが、お互いの印象は?」
記者の問いに、澤村が爽やかな笑顔で答えた。
「高宮さんは、本当に真面目で努力家ですね。役に対する姿勢が素晴らしくて、僕も刺激をもらっています。」
(……まあ、無難な回答だな。)
渉は内心そう思いながらも、裕奈の反応に目を向ける。
「澤村さんは、いつも現場を明るくしてくれる存在ですね。」
裕奈もまた、淡々とした口調で答えた。
彼女の言葉には、澤村のような大げさな称賛もなければ、特別な感情もにじませていない。
しかし、そんな彼女の対応が、渉にはどこか安心できるものだった。
(裕奈は仕事として、しっかり線を引いてる。)
だが、次の質問が場の雰囲気を変えた。
「ちなみに、作中では恋人役ですが、実際に恋人にするならお互いどうですか?」
唐突な問いに、裕奈がわずかに表情を硬くしたのを、渉は見逃さなかった。
(――またかよ。)
最近、裕奈のドラマや映画が恋愛ものになるたび、こうした質問が飛ぶことが増えている。
ファンの期待を煽るためのものだとはわかっているが、それでも渉はどうしても引っかかってしまう。
裕奈は短く息を吸い、なるべく穏やかに答えた。
「えっと……役柄では素敵な関係ですけど、現実では……どうでしょう?」
やんわりとかわすその言葉は、裕奈らしいといえば裕奈らしい。
だが、澤村はそこで終わらせなかった。
「それは、これから次第かもしれませんね。」
その発言に、記者やスタッフが「おお!」と盛り上がる。
「澤村さん積極的ですね!」
「これは期待しちゃいますね!」
周囲のざわめきが大きくなる中、渉は心の中で小さく舌打ちした。
(これから次第って……なんだよ。)
あたかも裕奈との関係が進展する可能性があるかのようなその言葉に、胸の奥がざわつく。
一方で、裕奈は苦笑しながら「そういうのじゃないですから」と軽く流していたが、記者たちは楽しそうに「本当に?」「でも、お似合いですよ?」と突っ込んでくる。
そんな光景を見ながら、渉は無意識に拳を握りしめていた。




