試用期間編8(終・合否結果)
渉は事務所の会議室に呼ばれた。
扉の向こうからは裕奈の声や、松永社長と千鶴の話し声が微かに聞こえる。
スーツの襟を整え、深呼吸して気持ちを落ち着かせると、彼はノックをして中に入った。
「失礼します。」
部屋には松永社長、千鶴、そして佐藤が座っており、その横には裕奈が微妙に緊張した様子で待っていた。
渉の顔を見ると、裕奈はホッとしたような笑顔を浮かべたが、その目には一抹の不安が隠されている。
松永は椅子に深く腰掛けたまま、渉に鋭い視線を向ける。そして、事務的な口調で切り出した。
「久住、試用期間3ヶ月が終了した。」
その一言が、会議室の空気を一瞬で引き締めた。
「この期間で私たちが求めていたのは、スケジュール管理能力、現場対応力、そして裕奈のパフォーマンス向上への貢献だ。」
渉は息を飲んだ。松永の一言一言が重く響き、全身が強張る。
「結論から言おう。評価は――及第点だ。」
その言葉に渉は肩の力が一気に抜けた。
しかし、安心する間もなく松永はさらに続ける。
「ただし、『及第点』というのはお前にとっては厳しい評価でもある。補佐としての能力を発揮するにはまだ足りない部分が多い。しかし……」
松永は渉を一瞥し、口元に微かな笑みを浮かべた。
「お前が見せた行動力と適応力は評価に値する。特に、現場でのスタッフからの評価が高かった。それが今回の合格の決め手だ。」
渉の目がわずかに見開かれる。松永がこうした評価を口にするのは珍しいことだった。
裕奈が渉の方を見てにっこりと笑い、何か言いたそうにしていたが、松永の厳しい視線を感じ取ったのか、あわてて口をつぐんだ。
「私も評価は同じです。」
千鶴が淡々と話し始めた。
「久住君、あなたが試用期間内に見せた行動は確かに良かった。ただ、それはあなたが一生懸命だったからであって、まだ安定しているとは言い難い。裕奈の現場での負担軽減には多少役立ったものの、さらに効率的な方法を模索してほしい。」
彼女の口調はあくまで冷静であり、どこか渋々とした印象を受ける。
元々渉に良い印象を持っていない千鶴にとって、彼が評価されること自体、納得のいくものではなかった。
しかし、スタッフからの評価もあり、認めざるを得なかったのだろう。
渉はうなずきながらその言葉を受け止めた。
千鶴が持ち出したタブレットには、撮影現場での具体的な渉の行動や、スタッフからのコメントがまとめられていた。
そこには、肯定的な意見もあれば、厳しい指摘もあった。
「最初の頃は正直、素人だなと思った。でも、現場を理解しようとする姿勢は伝わってきた。」
「機転が利くし、何より周りをよく見ている。指示を出さなくても動けるのは良い。」
「新人としては十分。でも、まだ確実に頼れる存在とまでは言えない。」
ただ、最も決定的だったのは、助監督のコメントだった。
「撮影の進行が遅れたとき、久住が機転を利かせて小道具の代替案を提案してくれた。そのおかげで、予定より早く撮影を再開できた。あの判断力は評価すべき。」
千鶴は渉をまっすぐ見つめた。
「あなたが周囲を観察し、適切な対応をしようとする姿勢は、スタッフからも高く評価されていました。彼らのコメントが、あなたの試用期間延長を後押ししたのよ。」
渉はタブレットの画面を見つめながら、言葉にならない思いを噛み締めた。
自分は芸能界の素人だ。最初は何もできなかった。
だが、それでも――周りの人たちから必要とされる存在になりつつあるのかもしれない。
松永が軽く腕を組みながら言った。
「だが、ここからが本番だ。3ヶ月間の努力で新人補佐としては合格だが、マネージャー補佐としてはまだまだ。これから先、お前がどこまで成長できるかは自分次第だ。」
松永の言葉には、厳しさの中にもどこか期待を込めた響きがあった。
彼は渉と裕奈をじっと見つめる。
――まるで、かつての自分と沙織を重ねるように。
だが、それを口にすることは決してなかった。
渉は深くうなずいた。
「……はい。」
それは単なる返事ではなく、自分自身に言い聞かせるような、決意のこもった一言だった。
「渉、合格おめでとう。」
会議の後、裕奈は渉の方を向いて満面の笑みを浮かべた。その笑顔を見た渉は、不安や緊張が一気に消え去るような気がした。
「ありがとう、裕奈。でも、俺がまだまだってこともよく分かったよ。これからも全力で支えるから、よろしくな。」
裕奈は静かに頷き、「私も頑張るから、よろしくね。」と答えた。
こうして久住渉の試用期間は幕を閉じた。
これが彼の新しいスタートラインとなる――それは彼自身もまだ気づいていなかったが。




