試用期間編1(小沢への報告)
大学キャンパス内のカフェ。
窓際の席で、渉はカップに入ったコーヒーを指で回しながら、ぼんやりと考え事をしていた。
向かいでは、親友の小沢大輝が腕を組み、渉をじっと見つめている。
「……で、あの高宮裕奈のマネージャー補佐をやることになったのか?」
小沢は渉の反応をじっと観察するように見つめ、顎に手を添えながらゆっくりと言った。
「お前、やっぱり知り合いだったんだな。」
渉はその言葉に一瞬だけ指の動きを止めたが、すぐにまたカップを回し始める。
「……まあな。小学校の時の同級生だった。」
「なるほど。」
小沢は納得したように軽く頷いた。
「前に裕奈さんが大学に来たとき、お前が教育学部の3年だって裕奈さんに教えたけど、その時は何も言わなかったよな。」
「別に言う必要なかったしな。」
「まあ、お前がベラベラ話すタイプじゃないのは知ってるが……それにしても、小学校の同級生が国民的女優で、いきなりマネージャー補佐をやるって、どういう繋がりだよ?」
渉は小沢の探るような視線を感じながら、少し考えた後、静かに言葉を紡いだ。
「……昔、俺が何気なく言った言葉が、あいつが芸能界を目指すきっかけになったらしい。」
「へえ。」
小沢は目を細め、軽く笑った。
「そんな大層なことを言った覚えもないんだけどな。」
「お前、そういうところあるよな。」
渉の謙遜するような態度に、小沢は呆れたように言う。
「無自覚に人に影響を与えるタイプ。サッカー部の時もそうだったみたいだしな。」
渉は苦笑いしながら、小沢の言葉を聞き流す。
小沢は腕を組み直し、少しだけ真面目な表情になった。
「まあいいや。なんとなくお前と裕奈さんの関係は分かった。だけど、お前が本当にその仕事をやる気があるのかどうかは、まだ分からないな。」
渉はコーヒーをひと口飲み、カップを置いた。
「……俺自身、まだ試してる途中だからな。」
その答えを聞いた小沢は、ふっと笑い、肩をすくめる。
「ま、せいぜい頑張れ。お前の性格的に、適当に流すって感じもしないしな」
渉は微かに笑いながら、「さあ、どうかな」とだけ答えた。
小沢はそれ以上は何も言わず、スマホを取り出しながら、渉の向かいで静かにコーヒーを飲んだ。
「で、期間はどれ位なんだ?」
「正確には試用期間中だけだ。」
渉は肩をすくめ、視線をコーヒーから上げないまま答えた。
「試用期間って、1ヶ月だっけか?能力を判断するのに短すぎるだろ、それで何か結果を出せとか無茶苦茶だな。」
渉は少し苦笑いしながら、「まあ、確かにな」と頷いた。
「それにしてもお前、何で引き受けたんだ?」
小沢が興味深そうに身を乗り出して尋ねる。
「いくら昔の知り合いから頼まれたからって、国民的女優が相手って、普通の奴なら怖気づくだろうに。」
「普通なら、そうだろうな。」
渉はカップを持ち上げ、少しだけ飲んでから言葉を継いだ。
「でも……俺には断る理由がなかったんだ。それに――約束を果たしたいと思った。」
「約束?」
「昔、裕奈としたんだよ。」
渉は小さな声で呟いた。
「まだ俺たちが子供だった頃、俺は『お前が辛い時は俺が支える』って言ったんだ。その約束を、ずっと果たせないままだったからさ。」
小沢は珍しく目を見開いた。
「お前……意外と一途なんだな。」
渉は照れ臭そうに笑った。
「一途っていうか、あの時の俺にはできなかったことを、今になって埋め合わせたいだけだ。」
小沢は腕を組み直し、少しだけ顎を上げて考える素振りを見せた。
「……まあ、お前がどう思ってるかは勝手だけどな。試用期間1ヶ月で『結果を出せ』とかまともな人間がやる仕事じゃないな。」
「確かにキツいけど、裕奈は本気だ。それが伝わってくるから、俺も本気で応えたい。」
「ふうん……」小沢は渉の顔をじっと見つめた後、小さく笑った。
「途中で投げ出すお前じゃないことは分かってるけどな。ただ、お前自身が無理しすぎて壊れたら意味がないだろ。」
渉はその言葉に軽く頷いた。
「分かってるよ。でも、俺は今まで大したことなんて何もできなかったからさ。せめてこの1ヶ月で、俺にしかできないことを見つけたいんだ。」
渉がカップを置いたタイミングで、小沢が軽く息をつきながら言った。
「で、大学はどうするんだよ?試用期間とか言ってるけど、まさか両立する気か?」
渉は一瞬目を伏せ、それから静かに答えた。
「今は両立するつもりだ。」
「……は?」小沢は驚いたように眉を上げた。
「いや、待てよ。マネージャー補佐なんて激務だろ?1ヶ月とはいえ、授業にまともに出られるのか?」
渉はわずかに苦笑しながら答える。
「ギリギリでやるしかない。試用期間の1ヶ月で結果を出せなかったら、どうせ続けられないんだからな。それに、続けるかどうか決めるのは1ヶ月後だ。もし延長になったら、その時に考える。」
小沢は呆れたように笑いながら首を振った。
「お前……事務所が無茶振りなら、お前自身も無茶苦茶だな。そこまで無茶するやつとは思わなかったよ。」
渉は肩をすくめる。
「かもな。でも、やってみないと分からないし、どっちつかずのまま終わるのは嫌なんだ。」
「はあ……」
小沢はコーヒーを飲み干し、空になったカップをゴミ箱に捨てると、渉を指差して軽くため息をついた。
「ま、せいぜい頑張れよ。ただ、無理して自爆するなよな。高宮裕奈のマネージャー補佐がぶっ倒れたなんて笑えないだろ。」
「心配してくれてるのか?」渉は思わず吹き出した。
「いやいや。ただの忠告だ。」
小沢は肩をすくめ、皮肉めいた笑みを浮かべた。
「俺がこうやって忠告してるの、あとで『俺が言った通りだろ』って言うためだからな。」
渉は思わず笑いながら、「お前らしいな」と答えた。
「ま、1ヶ月でクビにならないことを祈ってるよ。」
小沢は席を立ちながら、軽く渉の肩を叩いた。
「お前がもしそこで結果を出したら、次はどんな無茶をするのか見ててやるよ。」
渉はその言葉に苦笑しながらも、小さく頷いた。
「次があるといいけどな。」
小沢は振り返らずに片手を軽く上げて去っていった。その背中を見送りながら、渉は深く息を吸い込んだ。
仮に正式な契約となっても、休学という大きな決断をすることに不安がないわけではない。
それでも、自分にできることを全力でやり遂げたい。
その気持ちが渉の胸に強く刻まれていた。




