小学生編2(二人の呼び方)
裕奈が渉の後をついて歩くようになったのは、それからすぐのことだった。
朝の登校時間、渉が校門をくぐると、少し距離を置いて後ろを歩く裕奈の姿がある。
最初は恥ずかしそうにしていた裕奈だが、渉が「何してんの?早く来なよ」と手を振ると、小さな笑顔を浮かべて足を速めるようになった。
クラスの男子たちは渉の周りにいつも集まっていた。
サッカーをすれば「渉、パス!」と声が飛び、鬼ごっこをすれば真っ先に追いかけられる。
渉はあっけらかんとした性格で、女子にも気取らずに話しかけるため、男女問わず人気があった。
最初のうちは、そんな輪の中に裕奈が入ることはなかった。
彼女は渉の近くにいながらも、友達の輪から一歩引いているように見えた。
しかし、渉はそんな裕奈を放っておかなかった。
「高宮も一緒にやろうよ。」
「えっ、でも…。」
サッカーで遊んでいるとき、渉は前の様に迷っている裕奈の腕を引いてボールの前に立たせた。
「じゃあ、僕がパス出すから蹴ってみてよ!」
裕奈は戸惑いながらも、渉の期待に応えようとボールに向き合った。その姿を見ていた男子たちが笑う。
「おいおい、高宮が蹴るの?ちゃんと当たるのかよ!」
「ほら、静かにしなよ!」
渉は軽く笑いながらも男子たちを諌めた。
そして「大丈夫だよ、好きに蹴ってみな」と優しく言った。
裕奈は小さく息を吸い、渉からのパスを思い切り蹴った。
ボールはぎこちなく転がりながらも、ゴールの近くまで届いた。それを見て、男子たちは「おおー!」と歓声を上げ、渉は満足げに笑った。
「ほら、できたじゃん!」
「……うん。」
裕奈の頬はほんのり赤く染まり、はにかむように笑った。
こうして、裕奈は渉を中心とした友達の輪に少しずつ溶け込んでいった。
渉が「高宮も一緒にやろうよ」と声をかけるたびに、彼女は一歩前に進む勇気を持てた。
クラスでの浮いた立場が変わり、周りの子供たちも裕奈を「変な子」ではなく、次第に一人の友達として見るようになったのだ。
それでも、裕奈にとって渉は特別な存在だった。
クラスのみんなが渉を「友達」として慕う一方で、裕奈の心には静かながらも確かな思いが生まれていた。
渉は、誰に対しても優しく、公平で、何よりも輝いていた。
裕奈がつまずいたときには手を差し伸べ、笑いながら「気にするな」と言ってくれる。
そんな渉の姿を見て、裕奈は自分がもっと頑張れるような気がしていた。
「久住くんがいるから、私もきっと大丈夫。」
そんな思いが裕奈の心を支えていた。
そしてそれは、子供ながらに深い思慕となって、彼女の中で育っていったのだった。
⭐︎
放課後の教室。授業が終わったばかりの賑やかな教室の中、裕奈と渉は同じ机を囲み、宿題を進めていた。
他愛もない会話を交わしながら、ふと裕奈が鉛筆を置いて渉の方を見た。
「ねえ、久住くん。」
その声に、渉は顔を上げる。
「ん?何?」
裕奈は少し恥ずかしそうに笑いながら言葉を続けた。
「久住くんじゃなくて、渉くんって呼んでいい?」
渉は一瞬目を見開き、驚いたように裕奈を見つめた。
「渉くん…?」
「うん。」裕奈は少し照れながらも真剣な眼差しを向ける。
「なんか、名字で呼ぶのってよそよそしい気がして…嫌だな。」
渉はその言葉に困ったように笑いながらも、小さく頷いた。
「……別にいいよ。」
裕奈の顔がぱっと明るくなった。
「ほんと?じゃあ、私のことも名前で呼んでいいよ!裕奈って。」
その言葉に、渉は急に心臓が早くなるのを感じた。
「ゆ、裕奈…?」
「そう!それでいいよ!」
裕奈の笑顔に、渉は照れくさそうに頷いた。
その日から二人は名前で呼び合うようになり、いつの間にかそれが二人だけの自然な形となった。
しかし、渉の周囲には常にクラスの女子たちがいた。
特に明るく積極的な女子たちが、渉を取り囲む様子を見ていると、裕奈の胸の奥にチクチクとした痛みが広がった。
「久住くん、昨日のテレビ見た?」
「ねえ久住くん、一緒にゲームしようよ!」
渉が楽しそうに笑いながら応じる声を聞くたび、裕奈は自分でも説明できないもどかしさを感じていた。
その日、渉が裕奈の元へやって来たとき、いつもよりも彼女は素っ気なかった。
「裕奈、どうしたの?元気ない?」
「……別に。」
渉の純粋な瞳が自分を見つめる中、裕奈は言葉に詰まった。




