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雨天につき人生の分岐点に入ります

 雨は嫌いだ。


 雨が古い記憶と結びつくせいで身体が重いし頭も痛い。グラウンドも使えない。脳ミソ全体に響く頭痛をおして、薬を飲む。30分もすれば痛み止めが効いてくるはずだ。俺は部屋を出て簡単に身支度を済ませたあと、朝ごはんも食べずに、手ぶらで共同墓地に向かって歩きはじめた。


「アンウィルくん。」

「わあ!……マカミくん、来てたんですね。おはよう。……さっきお線香つけたんだけど、この天気だからすぐ消えちゃって。」

「ええよ。ほういうの気にしてないやろし。」

「分かるの?」

「うん。なんとなく。」


 「俺なんか手ぶらやもん。」自信を持ってそう答えると、アンウィルは困ったように眉を下げて、「そっかあ。」とふんわり笑う。

泣きそうな顔だ。

 それを見て、思わずつられそうになる。瞼がじんわりと熱を持って、鼻の奥がツンとする。


 雨が降っている。

 シトシトと降り続く雨が大気の汚れを洗い流すように、どうかこの胸のモヤモヤも一緒に綺麗にしていってほしい。


 今日は夏の予選大会の開会式の日だ。


     ▽


「マカミ!練習行こ。」

「おわっ。」


 昼間からリビングで眠りこけていた。目の前には双子の片割れであるイザリがボールとプロテクターと二人分のグローブを背負って俺を覗き込んでいた。

 小学生の小さな体に大きな荷物。まるでイザリの方が荷物に背負われているみたいでくすりと笑ってしまう。

 まだ夢の中なのかと周りを見渡すが、どうやら現実らしい。ヘンな夢を見ていた。よくは思い出せないが、懐かしいような、胸が締め付けられるような。


 ここは自宅のリビング、テレビでは土曜の昼のニュース番組が流れている。俺たち双子は小学生にあがって野球を始めた。近所に住む幼馴染のアンウィルが始めて、それを見たイザリが羨ましがって後を追うように始めて、俺はイザリに引っ張られるように始めた。


 本当は俺、野球なんて全然興味ない。ただでさえ双子だから周りから比較されやすいのに、同じ部活をやってるってだけでそれに拍車がかかる。俺は不真面目な部員だった。やる気がない。いつも監督に怒られている。それでも抵抗する。


 だって、必死に真面目に一生懸命しっかりやって、それでイザリに敵わなかったら一生立ち直れない。考えるだけでも怖いのだ。


 とりあえず起き上がろうとソファから腰を上げるとイザリはじっと俺を見つめ待っている。

 俺が必ず来ると信じて疑わない真っすぐな目。


 イザリは負けず嫌いだ。その激しい気性にふさわしい、優れた身体能力も持っているし、何より俺なんかよりよっぽど努力家だ。練習はサボらないし、自主練だって積極的にやる。俺みたいに嫌々じゃない。


 それに、日々の練習記録だって毎日つけているし、なんなら「肩は消耗品」だなんて言われる投手の俺がどんなコースで何球イザリに投げたかまできっちり管理・把握している優秀な捕手、それがイザリ。


 対する俺はマカミ。アルベルト・マカミ・ガルシーア。父がスペイン人で母が日本人。小学校低学年までいたスペインではアルベルト・ガルシーアと名乗っていたが、日本に引っ越して来てからはミドルネームのマカミ+母の性である湊を名乗っている。上背の高い両親の遺伝子を引き継いだためか、背は平均より高め。10歳から野球を始めたが、今でも身長は伸び続けている。正直言って、この体格の良さは有利だ。いくら俺がやる気のない投手だと言ってもまだマウンドに出させてもらえているのは、この体の大きさあってのことだから。


 イザリは俺のことをマカミと呼ぶ。昔から。俺の下の名前は、アルベルト。でも日本じゃ家族以外にその名前で呼ぶ人はいないし、俺としても自分の名前を呼ばれるよりイザリにはマカミと呼ばれ続ける方がなんだかしっくりくる。


 俺たち双子は同じ日に生まれた同じ顔の兄弟で、遺伝子の99%以上を共有しているのだが、性格はまるで違う。イザリは勝ち気で頑固だけど根は優しいし真面目で努力家だ。対する俺は、全然ダメ。いつもイザリの足を引っ張っているし、そもそもやる気もない。


 でも、それでも。こんな俺でも野球を続けるのには理由がある。


 俺はアンウィルのことが好きだ。


「マカミくん、僕とペアになりましょう。」


 俺が初めて日本に来て一緒のクラスになったアンウィルは、周囲に溶け込めないでいる俺に構い、みんなの輪の中に引き込んでくれた。先生の「二人組を作って~」という無茶ぶりの時にも気後れして馴染めていない俺を真っ先にペアに誘ってくれた。来日当初はまだ日本語の発音がおぼつかなかった俺の会話を一生懸命に聞き取ろうとしてくれたし、給食で食べられないものも先生に秘密でこっそり代わりに食べてくれた。そうこうしている内に、親友になり、いつの間にか好きなってしまっていた。


 そんな不純な動機で野球をやるなんて我ながらどうかしてると思うけど。どんなに努力しても叶わないとしても、好きな子の必死な姿を見ていると、俺も頑張ろうとは思えなくても、「せめて続けることですこしでも側にいたい」と思うのだ。だって好きだし。


 好きな人の好きなものを俺も好きになりたいと思うのは当然のことだと俺は思うのだが、イザリは俺が野球を始めたことをあまり嬉しく思っていないらしい。

 なぜなら周りの人間が俺たちを比べて、結果、俺が落ち込むから。


 優しいのだ、あいつは。

 こと、俺に関しては。


 イザリは俺よりも野球が上手い。人付き合いも、勉強も、それ以外も何もかも。

 対して俺は、イザリよりも何もかもが下手。

 いつだって俺は「双子のうちの出来ない方」「イザリじゃない方」だった。


 その事実は、誰よりも俺が一番よく分かっている。




 「ほな、行くで。」イザリが手を差し出してくる。その手を取って俺は立ち上がる。外へ出ると、夏の陽射しが強くて眩しい。蝉の声がやかましく、夏の空気はむしろ息苦しいくらいだ。だが、イザリはそんな環境にまったく怯まず、黙々と歩き出す。俺もそれに従う。


 「アンウィルくんも来るやんな?」俺が尋ねると、イザリは少し顔をしかめたが、すぐに頷いた。「うん、さっき連絡したからもうすぐ来ると思う。」


 たぶん、イザリとアンウィルは両想いなんだと思う。だから俺がアンウィルを気にかけるとイザリは顔をしかめる。しかも最近二人は俺に隠れてコソコソと内緒話をしていることが多くなった。「何話してんの?」と聞いても「秘密~!」と言われるのだ。内心はショックだけど、「そっか」と言って深追いはしない。

 俺はアンウィルのことが好きだし、イザリのことだって兄弟として大事に思っているから、二人の恋路は邪魔したくない。俺は自分のこの気持ちを墓場まで持って行くつもりだ。


 アンウィルは三人のレギュラーピッチャーのうちの一人だ。「ピッチャーの肩は消耗品」。複数人が投手の役を交代で務めるから、うちのチームにピッチャーはたくさんいる。


 アンウィルは優しい。親切で、いつも俺たちに、主にイザリの自主練に付き合ってくれる。彼の存在が、俺たちの生活にどれだけ大きな影響を与えているかは、言葉では言い尽くせない。イザリにとっても、俺にとっても、アンウィルは特別な存在だった。


 練習場に着くと、もう既に数人の部員たちが自主練の準備を始めていた。俺たちもそれに加わり、準備運動をした後にブルペンでの練習を始める。イザリは真剣そのもので、俺にサインを送りながら指示を出す。その姿はいつもと変わらないが、今日はなぜか一層頼もしく見える。


 「マカミ、次カーブで!」イザリの声が響く。俺は彼の指示に従い、ボールを投げる。いつものように、彼は正確にキャッチしてくれる。俺がどんなにダメでも、イザリだけは絶対に失敗しない。


 少し離れたところで、アンウィルが手を振りながら走ってくるのが見えた。彼の笑顔を見ると、胸の中がじんわりと暖かくなる。アンウィルが近づいてくると、イザリは手を止めて彼を迎え入れた。


 「アンウィル、待っとったぞ。」イザリが笑顔で言うと、アンウィルも嬉しそうに応じる。「ごめん、少し遅れちゃった。」


 俺たち三人は、いつものように一緒に練習を続ける。俺がピッチャーとしてボールを投げ、イザリがキャッチャーとして受け止める。そしてアンウィルは、バッターボックスに立つ。三人の動きが一つになり、チームとしての連携が磨かれていく。


 練習が終わる頃、太陽はすっかり西に傾いていた。疲れ果てた体を引きずりながら、俺たちは帰り道に着く。アンウィルが「お疲れ様」と言ってくれるその一言が、全ての疲れを吹き飛ばしてくれるような気がした。


 好きだ。という気持ちで胸がいっぱいになる。


 帰り道、イザリがふと立ち止まり、俺に向かって言った。「マカミ、今日はようやったな。」


 その言葉に、俺は少し驚いた。イザリは普段、野球に関することは、厳しい言葉しか言わないからだ。だが、今日はその言葉が胸に染みた。


「ほんと、ナイスピッチングでしたよ。制球も指示通りだったんでしょう?」


「ありがとう、二人とも。でも、俺はまだまだやよ。」俺は素直に応じた。イザリは微笑んで頷いた。「かもな。でも、俺は信じてるから。お前がいつか追い越せるって。」


 誰を追い越すんだよ、とは聞けなかったけど、その言葉に、俺は少しだけ自信を持つことができた。イザリが信じてくれるなら、俺もすこし、ほんのちょっとだけ頑張ってみようかな。そんな気持ちが湧き上がってきた。


 その日の夜、ベッドに横たわりながら、俺はイザリの言葉を思い出していた。そして、アンウィルの笑顔を思い浮かべる。彼のために、アンウィルの笑顔のために、俺はもっと頑張ろう。そんな決意を胸に、俺は静かに目を閉じた。



     ▽



 俺たちは高校生になった。



 その日は朝から雨が降り続いていた。空は重く、灰色の雲がどこまでも広がっている。イザリと俺、そしてアンウィルは、いつものように放課後の練習に向かっていた。野球の練習はせまい屋内練習場で行うことになっていたが、それでもイザリたちはやる気満々だった。イザリの夢である甲子園への道を一歩ずつ進むために、どんな日でも努力を惜しまなかった。


「今日は室内練習やけど、気ィ抜かずに行こな。」イザリが元気よく言った。


「うん、そうだね。」アンウィルも頷く。


 俺はその二人を見て、心の中で安堵する。イザリのリーダーシップとアンウィルの優しさが、俺たちのチームを支えてくれていると感じたからだ。


 練習が終わる頃、外の雨足はさらに強くなり、風も吹き始めた。俺たちは急いで家路につくことにした。途中、イザリがふと思い出したように言った。「マカミ、俺カバン一個忘れたかも。弁当箱入ってるやつ。先に帰ってて、取りに戻るわ。」


「え、いけるん?一緒に行こか?」俺は心配になって尋ねたが、イザリは笑って首を振った。


「いや、すぐ戻るからいける。アンウィルも待たせたら悪いし。」イザリはいつも通りの自信満々な笑顔で答えた。


「分かった、気をつけてね。」アンウィルが優しく言う。


「うん、じゃあ。」イザリはそう言って傘をひるがえし、学校に向かって走り出した。俺たちはその背中を見送り、家路に着いた。


 アンウィルと交代でシャワーを浴び、イザリが戻ってくるのを待ちながら、俺はアンウィルと二人で家の中で時間を過ごした。テレビを見たり、宿題をしたりしながら、イザリの帰りを待った。だが、イザリはまだ帰ってこない。時が経つにつれて、俺たちは次第に不安になっていった。


「遅いね、イザリくん。何かあったんだろうか。」アンウィルが心配そうに言った。


「そやな。電話してみる。」俺は携帯電話を取り出し、イザリに電話をかけた。しかし、何度かけても応答がない。その時、俺の胸に嫌な予感が広がった。


 その時、ドアが勢いよく開き、母が顔を出した。彼女の表情は蒼白で、恐怖に満ちていた。「マカミ、アンウィルくん、大変なことになった。」


 俺たちはその言葉に驚き、母の後を追って外に出た。外の雨はまだ強く降り続けていた。母は俺たちを車に乗せ、急いで現場に向かった。


 現場に到着すると、そこには救急車と警察の車が並んでいた。雨の中、赤いライトが不気味に光っている。俺たちは車を降り、現場に駆け寄った。そこには、横転したトラックと、その傍らに倒れているイザリがいた。地面には水溜まりに、赤黒い液体が混じっているのが見えた。


「イザリ!」俺は叫びながら駆け寄ったが、警察官に止められた。


「危険です、近づかないでください。」警察官の冷静な声が響く。


 イザリは地面に横たわり、意識がないようだった。救急隊員が彼の周りに集まり、必死に蘇生を試みていた。俺はその光景を見て、涙が溢れて止まらなかった。


「イザリくん…お願い、目を覚まして。」アンウィルも涙を流しながら呟いた。


 その瞬間、救急隊員が大きく首を振った。彼らの表情は無念さに満ちていた。「心肺停止…蘇生は不可能です。」


 その言葉を聞いた瞬間、俺の世界はガラガラと崩れ落ちた。目の前が真っ暗になり、体中の力が抜けていく。イザリが、俺の双子の兄弟が、俺の唯一の片割れが、もういない。

 信じられない現実が、俺を襲った。


 アンウィルも同じようにショックを受け、呆然と立ち尽くしていた。雨は止むことなく降り続け、俺たちの悲しみをさらに深く刻み込んでいった。


 その夜、家に帰った俺たちは、ただ静かにイザリのことを思い出しながら涙を流した。イザリが夢見ていた甲子園への道は、これからどうなるのだろうか。

 彼の夢を引き継ぐために、俺たちは何をすればいいのだろうか。

 イザリがいない現実を受け入れるのは、とても辛かった。


「アンウィルくん、話があるんやけど。」

「僕も。」

「イザリおらんなったけど。でも、野球続けるわ。」

「同じことを、思ってました。野球が、僕たちとイザリくんを繋げてくれる、唯一のものだから。」


 その日俺たちは、イザリの夢を忘れず彼の意志を継いで生きていくことを誓った。

 その夜、俺はアンウィルと共に、イザリのことを心に刻みながら眠りについた。


 つくはずだった。しかし、眠れなかった。


 俺はイザリの生きた痕跡を探して、イザリの部屋に入った。


「ッ……!」


 とたんにあいつの匂いがして、鼻の奥がツンとした。

 まるで、今にも「ただいま~」と後ろから帰ってきそうなのに。

 なのに、なんで。どうして。


 イスを引いて、勝手に勉強机に座る。すると右手にある引き出しが半開きになっていることに気づいた。

 プライバシー的に言うと完全にアウトだが、その時の俺はどうしても気になってしまって開けた。


「あ…。」


 昨日の日付で止まっている、イザリの練習ノートだった。

 パラパラとページを捲り、全ての記録に目を通す。

 備考欄に書かれている文字を見て、指が止まる。


 備考:

 マカミはわかりやすいねんな。アンウィルのこと、いつも目で追っとるし。でもな、俺は応援してんで。アンウィルはいい奴やから。俺も好きやもん。あ、好きってコレ恋愛感情の好きちゃうで、友達として好きってこと!マカミは何してんねん。はよ告ったれや。可哀想にアンウィルくん待ってんのにな。俺いっつも相談役やもん。見ててヤキモキするわ~。

 

 その言葉に、俺は涙をこらえることができなかった。イザリは、俺の気持ちをずっと知っていた。気づいていたんだ。俺がアンウィルを好いていることを。そして、俺たちの幸せを願ってくれていた。彼は、いつも俺たちのために見守ってくれていたことを、今、初めて知った。


「イザリ……ありがとう。」俺は小さな声で呟き、彼のノートをそっと閉じた。


 その夜、俺はイザリのベッドで彼の匂いを感じながら眠りについた。彼の言葉が胸に響き、彼の夢を引き継ぐ決意がより強くなった。アンウィルと一緒に、俺はイザリの夢を叶えるために全力を尽くそうと誓った。



     ▽



 イザリの死から数週間が経った。日々の生活はまるで霧の中を彷徨っているようだった。俺とアンウィルは、何とか日常を取り戻そうと努力したが、イザリの存在感があまりにも大きかったため、彼のいない現実に適応するのは容易ではなかった。


 学校では、クラスメートや先生たちが気を使ってくれた。友達たちも、いつもと変わらない態度で接してくれたが、どこかぎこちない感じがした。俺たちが元気を取り戻すことを期待しているのが、彼らの表情から見て取れた。しかし、俺たち自身がまだその一歩を踏み出せずにいた。


 練習場に向かうと、イザリのいない空間がさらに寂しく感じられた。彼がいつも立っていた場所、彼の声が響いていた場所、全てが静まり返っているように感じた。監督やチームメイトも、イザリのことを思い出させる何かを口にすることは避けていた。


 監督がメンバーのポジションに変更があることを告げた。


「キャッチャーを、アンウィル。受けてくれるか。」

「はい、わかりました。」


 イザリの居たポジションにアンウィルがついた。

 体の小さいアンウィルでは、ピッチャーでレギュラーになることは難しい。そのためか、イザリは中学校のときから少しずつ、アンウィルに対してキャッチャーの指導をしていた。その甲斐あって、そして慣れたアンウィルだと俺という投手が落ち着きを取り戻すだろうと踏んで、監督はアンウィルを捕手に指名した。


 野球を始めて8年、俺たちは初めてバッテリーになった。




 ある日、アンウィルが俺に話しかけてきた。「マカミくん、少し話があるんですが。」


「うん、何?」

「イザリくんのことだけど、彼が叶えたかった夢…甲子園に行くってやつ。僕が続けようと思ってる。」


 俺はその言葉に驚き、アンウィルを見つめた。「でも、俺らでできるんかな。イザリがおらな、予選大会優勝なんかとても…。俺、下手くそやし。」


 アンウィルは優しく微笑んだ。「イザリくんはきっと、僕たちがその夢を引き継ぐことを望んでいると思うんだ。彼のためにも、俺たちは頑張らなきゃいけない。」


 その言葉に、俺は少しだけ希望を感じた。イザリのために、俺たちは彼の夢を諦めるわけにはいかない。そう思い始めた。


 その日から、俺たちはイザリの夢を胸に、練習に励むことを決意した。イザリのように、いや、それ以上に努力することを誓った。彼の思いを無駄にしないために。

 「イザリは確かにこの世に生きていた」、そのことを証明するにはそれしかなかった。



 毎日の練習は、以前よりも一層厳しくなった。俺たちはお互いを励まし合い、イザリの意志を引き継ぐために全力を尽くした。アンウィルは特に熱心で、彼の存在が俺を支えてくれた。彼の笑顔を見るたびに、俺は少しずつ前に進む力を取り戻していった。


「マカミくん、今日はこのメニューをこなしましょう。監督には既に見せて許可は取ってあります。」アンウィルが練習メニューを手に取り、俺に指示を出す。


「うん、俺も頑張らな、な。」俺もその意気込みに応じた。


 毎日の練習を重ねるうちに、俺たちのチームは徐々に強くなっていった。イザリのいない穴は大きかったが、俺たちはその穴を埋めるために必死だった。そして、その努力が少しずつ実を結び始めた。




 季節が移り変わり、公式戦が近づいてきた。

 監督も、チーム全体も、イザリの思いを胸に抱いていた。


 試合当日、俺たちは緊張と期待で胸がいっぱいだった。イザリが生きていたら、この瞬間をどれだけ楽しみにしていただろう。俺たちは彼の思いを胸に、グラウンドに立った。


 試合が始まると、俺たちは全力でプレーした。「腰高いねん。」「肩張ってんで。」イザリの声が聞こえるような気がして、彼が見守ってくれていると感じた。アンウィルもキャッチャーとして素晴らしいリードを見せ、チーム全体が一つになって戦った。


 そして、試合の終盤、俺たちは逆転のチャンスを迎えた。俺が2人目のピッチャーとしてマウンドに立ち、アンウィルがキャッチャーとしてサインを送ってくれた。彼の目には確信が宿っていた。


「マカミくん、ここが勝負です。イザリくんのためにも、絶対に打たせません。」


 俺は頷き、全力でボールを投げた。その瞬間、俺たちの思いが一つになり、勝利への道が開かれた。


 試合が終わり、俺たちは勝利を手にした。イザリの夢を引き継ぐことができたと感じた瞬間だった。涙が溢れ、アンウィルと抱き合った。


「やったね、マカミくん。」アンウィルが笑顔で言った。


「うん、ありがとう、アンウィル。これからも一緒に頑張ろう。」


 俺たちはイザリの思いを胸に、これからも全力で生きていくことを誓った。

 イザリの夢を、彼の意志を、決して忘れずに。


「アンウィルくん、俺墓場まで持って行こうとしてたこと、やっぱり言うことにした。次の試合、勝ったら。」

「それって僕に、ですか?」

「うん、そう。俺んちで、イザリの前でアンウィルくんに言いたいことがあんねん。」

「分かりました。」

「ありがとう。」




 ある日、とある地域の地方紙の一面に以下のような記事が載った。

 潮騒しおさい高校、予選大会優勝。甲子園出場決定。


 そう書かれた記事を上にして、その地方紙はとある家庭の仏壇に祀られていた。

 その仏壇には、高校生らしい、瑞々しい笑顔を湛えた青年が映っていた。


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