6.盛誉と玖月善女さま。
「あぁ……ほらほら玉垂? もう朝なのですよ。
もういい加減、起きなさい」
優しい懐かしい声がボクの耳をくすぐった。
そっと目を開けると、そこには見知った優しい笑顔。
えっと、まさか……玖月善女さま……?
夢なのかと思ってボクは慌てて目を擦る。
するとまた、優しい声が降ってきた。
「ふふ。見て盛誉。なんて可愛いのかしら?
小さい お手々で……まるで顔を洗っているみたい」
懐かしい玖月善女さまの声が降ってくる。
夢なんかじゃない。
ちゃんと目の前にいる! 死んじゃったなんて
嘘だったんだろうか?
ボクは今まで、嫌な夢を見ていたのかな?
ぱちぱち……と目を瞬かせた。
大きかった体はいつの間にかしぼんでいて、小さな
子猫になっていた。
盛誉に初めて会った、あの頃みたいに──。
「本当に……なんて可愛いのだろう。
ふふ……猫が顔を洗うと雨が降ると言いますから
ここにもじき、雨も降りましょう」
別の声が聞こえた。
盛誉? 今、盛誉の声が聞こえた。
盛誉もここにいるの?
ボクは目を見張る。
見回せば、あの懐かしい夢にまでも見た盛誉が
目の前にいた!
『!』
盛誉盛誉、盛誉だ!
ボクの大好きな盛誉がいる!!
どうしちゃったの? ここはどこ?
もしかして約束破って、落ちたの食べちゃったから
ボク、死んじゃったの?
口を開けばニャーニャーと言う猫の声。
……言葉……話せなくなってる……。
『……』
ボクは愕然とした。
それから必死で考える。
もしかしたらボクは死んだのかも知れない。
だからここは天国なのかも。だから玖月善女さまとか
盛誉とかが目の前にいるのに違いない。
だけど……だけど……。
ボクは考える。
ボクが死んだって事は、もうあの2人に会えないって
事なのかな?
紫子さんと瑠奈さん。
ううん。それだけじゃない。
一ノ瀬さんや梨愛さんとも?
それを思うと悲しくなる。
ボク、2人に迷惑掛けたままで死んだのかな?
ボクが急にいなくなったら、あの2人はなんて
思うだろう?
清々したって思うかな?
それとも泣いちゃうだろうか……?
『……』
心がきゅっと痛くなる。
不安になって、もう一度顔を上げて2人を見ると
大きな手が降ってきた。
「玉垂? どうした?」
優しい声。
間違いない。盛誉だ。
盛誉の大きなあったかい手。
その大きな手は、包み込むような優しさでボクの頭を
撫でてくれた。
盛誉──盛誉……っ!
「そうであるといいですね。この日照りで民たちは
ほとほと困っておりますもの」
玖月善女さまが微笑んで言った。
「玉垂は、毛繕いが苦手なのですよ。
幼い時に親から、離れたせいもあるのかも知れません。
たまにこうして毛繕いする時には、必ず雨が
降りますから──……あ、ほら。外から雨音が……」
ポツ、……ポツポツ……
ザ────
「……まぁ、本当に。
玉垂はもしかしたら、水神さまのお使いやも
知れませんね」
驚く玖月善女さまに、盛誉は穏やかに微笑みかける。
懐かしい……安らぎの日々。
──どことなく、あの2人……
紫子さんと瑠奈さんに似てる……。
ふと、そんな風に思った。
だけど怒らせちゃった。
……ううん。怒ったと言うよりも、悲しませた。
ボクの……不注意のせいで──
「ん? そう言えば玉垂?
お前は何を持っているんだい」
盛誉が呟いた。
見るとボクの爪に引っ掛かった、破れた薄桃色の
ハンカチが見えた。
あ。紫子さんの大切なハンカチだ……。
『……』
それを見て、ボクの心は重く沈んでいく。
「まぁ玉垂? もしかして悲しんでいるの?
あぁ、この布が裂けているからですね?
ふふ……大丈夫ですよ。すぐに直してあげます
からね?」
微笑んで玖月善女さまは侍女を呼びつけた。
「針と糸を……それからあれを──」
──『あれ』?
あれって、なんの事だろう? そう思って見ていると
言いつけられた侍女は品良く『はい』と言って
下がっていく。
ボクは玖月善女さまを見上げた。
玖月善女さまは、そんなボクに
何も心配ないのよ……と呟いて、また優しく撫でて
くれた。




