9 うさぎ殺しのアドレフ登場
ロップは、座席に座ってジャズを聴いていますが、田舎町で生まれ育ったものですから、このような都会的なジャズを聴いたことがありませんでした。そのため、その演奏がいいのか、悪いのか、ちっともわかりません。
とにかく、目の前のステージに立っている1匹のうさぎがサックスという大きくねじ曲がった楽器を抱えて、美しい音色をたくさん出していること、それだけがわかるだけでした。
彼の隣に座って、ドラムという金属のお皿や太鼓を必死に叩いているうさぎについても、ロップからするとやたらと騒がしいだけの存在で、なにがいいのかまったくわかりません。
その後ろのうさぎは、ウッドベースという大きな楽器を抱え込んで、そいつの弦を爪で引っかいています。その度に、ボローンボローンと低い音が響いていて、まるでオオトカゲがのっそのっそ地面を這っているみたいなのです。
(いったい、こいつはなんてことだろう……)
田舎者のロップは、知りませんでしたが、これは今、若者のうさぎが熱中しているビー・バップという新手のモダンジャズなのでした。
「ねえ、ロップ。あなたも楽器のひとつやふたつ、演奏できるようにしなさいよ」
とマドレーナは、一曲演奏を終えたジャズバンドに前足を振ってから、ロップの方を向いてそんなことを言ったのでした。
「僕には楽器の才能がないんだ。勘弁してよ」
我ながらなんとなさけない言葉だろう、とロップは恥ずかしくなりました。
「慣れよ、慣れ。世の中、慣れさえすればなんだってできるのよ」
「それは君、才能があるうさぎの話だろ」
「才能なんてもの、はじめからありゃしないわ。なにごとも才能があるように見せかけることが大事なのよ。自分をだまくらかすのよ!」
マドレーナは興奮して、今にも踊りだしそうです。
「自分をだまくらかせるだけの才能があればいいんだがなぁ」
ロップはわけもわからずにそう漏らすと、首を傾げました。
「ほら、次の演奏が始まるわよ。あなた、ジャズのこと、何もわかってないんじゃない? あのドラムでカチンカチンと音を鳴らすじゃない。その音と音の間には、まったく音がならない時間があるわね。その音のならない時間に、あなたは好きなだけ色んなこと、想像できるじゃない。それがジャズなのよ」
「それは……マドレーナ、ほんの一瞬じゃないか」
ロップはマドレーナの言っていることがまったくわからず、誰か助けてくれ、という気持ちでそう言いました。
「ええ、ジャズの聴きどころって、ほんの一瞬の空白なのよ。わたしだって、こんなにぺらぺらお喋りしているけど、ちょっと言いよどんで、黙った瞬間にこそ、わたしの本当の気持ちがわかるってもんよ。そのもたつきなのね。あなたは気づかないだろうけど……」
とマドレーナが、そんなことをひとしきりしゃべったところで、ジャズの演奏が始まったので、2匹はまた夢中になって聴き入ったのでした。
その時、ステージ下の客席に黒いスーツ姿のうさぎが3匹ほど歩いてきて、お喋りをしながら座りました。
「ねえ、ロップ」
「また芸術論かい?」
「ちがうわ。あそこにいるうさぎが見える? あれ、ギャングよ」
「なんだって……」
ロップは生まれてからギャングというものを見たことがありませんでしたので、びっくりしてその3匹のうさぎを見ました。
「こんなデパートになんの用かしら。まさかこんなところでギャングがドンパチすることはないだろうけど。あら、楽しそうにジャズを聴いているわね。仕事じゃないんだわ。きっと休暇なのよ」
本当にそうだろうか、とロップは疑問に思いました。休暇だからと言って、ギャングが3匹もつれだって、デパートのジャズの演奏を楽しみにくるなんてことがあるでしょうか。
「おかしいわね。あの一番奥に座っているギャングは、うさぎ殺しのアドレフよ。とんでもなく悪玉のギャングだわ。やっぱりなにかあったのね」
うさぎ殺しのアドレフと呼ばれたうさぎは、黒い山高帽子をかぶって、黒いスーツを着ています。顔の毛は灰色で、頬に細長い傷があります。鋭い目つきでじろりとまわりをにらみつけるように見ているのです。
「おっかないな。ああいう手合いとわたりあわないといけないなんて……」
「わたりあうですって? 冗談はもっとユーモラスにいいなさいよ。うさぎ殺しのアドレフとわたりあったら、命がいくつあっても足りないわ。わたしたちにできることは気配を消して逃げだすことだけよ」
そう言って、マドレーナは椅子から立ち上がると、そろりそろりとその場から忍び足で離れてゆくのでした。ロップも忍び足で、マドレーナを追い、その場から離れたのでした。
この日、ロップははじめてギャングというものを見ました。それもとんでもない悪玉の「うさぎ殺しのアドレフ」を見たのです。さて、アドレフはなぜ、このラビットランドタワーに来ていたのでしょうか。ロップは、マスターズさんの古本屋でもらった古本と地図を抱えて、アドレフから逃げだしましたが、彼はこの先、アドレフと戦わなければならなくなる運命にまだ気づいていませんでした。それでは、次回をお楽しみに。