5 うさぎのデパート
その日の朝、ロップは鏡に映っている自分の姿を食い入るように眺めておりました。ロップは灰色のハンチング帽をかぶり、茶色いチョッキを着ていますが、これがいつにも増して、汚らしく見えるのでした。
「困ったな。こりゃ……」
ロップはそう呟きましたが、そんなことに悩んでいてもしょうがありません。約束の時間は刻々と迫ってきているのです。
「もう行かなくちゃいけないね」
ロップは怖気付きながら、探偵事務所の赤い扉から出ると、黒い螺旋階段をおりました。
約束の時間は10時です。ロップがすべり台を滑って、地下街の入り口に向かうと、そこにマドレーナの姿はありませんでした。
(僕はからかわれたのかな?)
ロップはすぐにそんなことを心配し始めました。
ロップはきょろきょろあたりを見回しながら、その入り口の端っこに立ちました。
しばらくそうしていると、山の形をした街の上の方から10時を告げる鐘の音が響いてきました。カランカランゴーンゴーンという音です。ロップは心臓がどきりと高鳴ります。鐘の音にまぎれながらも階段を駆け上がってくる靴音が聞こえてきました。タッタッタッという軽やかな音です。ロップが振り返るとそこに立っていたのは、まぎれもなき白うさぎのマドレーナでした。
白うさぎのマドレーナはオレンジ色のリボンをつけて、オレンジ色のドレスを身にまとっています。そして勢いよく、階段を駆け上がって飛びついてくると、
「さあ、行くわよ!」
と叫んで、ロップのかぶっているハンチング帽を思いきり叩きました。
(乱暴だな!)
とロップはびっくりしながら思いました。外れたハンチング帽をロップは慌てて拾い上げます。
「さあ、ラビットゲージで一番大きなデパートに向かうよ。ほら、地下街に行くんじゃないの。こっちこっち」
(こ、これはすごく、おてんばなんだ! きっと……)
ロップが昨晩からずっと想像していたマドレーナのうさぎ像とはちょっと違ったみたいです。
ロップは、マドレーナに小さな前足を引っ張られて、先ほど滑ってきたすべり台の横に続いている階段を駆け上がっていきました。
ラビットゲージの中央区には、円形の公園があって、それを囲むように公共の施設が並んでいます。そのすぐそばにホットケーキを何枚も積み重ねたようなデパートがそびえ建っています。このデパートの建物は、ラビットランドタワーと呼ばれ、エレクトロンポリスのラビットゲージに住むうさぎたちの数少ない誇りであり、かけがえのないシンボルとされています。
建物のサイズはうさぎに合わせているため、他の動物は入場できません。
五十年前、ラビットゲージのうさぎたちは、お洒落なものを買いたいと思ったら、隣の犬の居住区にあるデパートまでお出かけしなければなりませんでした。しかし、それは臆病なうさぎたちにとって、おそろしい冒険でした。
そこでラビットゲージのうさぎたちは、犬のデパートに負けないぐらい豪華なデパートを、自分たちでつくることにしたのです。それは今から五十年も昔のお話です。
それ以前は、ラビットゲージのうさぎの遊び場といえば、うさぎの穴蔵と呼ばれている地下街しかありませんでした。ロップが「ジョンソンとマッピンフィルの店」で実際に目の当たりにしたように、地下街には悪党が群がり、犯罪がはびこっています。
うさぎのデパートの建物、ラビットランドタワーは地上の楽園であり、うさぎなら誰でも安心して買い物を楽しむことができます。
ラビットゲージの悪いイメージをぬぐいさったラビットランドタワーは、特に流行に敏感なうさぎの娘さんに人気なのです。
マドレーナはすでにルンルンになっています。ふたりは、うさぎの丸い公園を抜けて、空高くそびえるラビットタワーへと走ってゆきます。そこは見わたすかぎり何もない広々とした石畳みの広場で、そこから、ゆるやかな下り階段が続き、その先にラビットタワーのガラス張りの入り口が横に並んでいるのが見えました。
「これがラビットランドタワーよ。ねえ、探偵さんだったら、思いきりおしゃれにしなくちゃいけないわ」
「えー、そんなもんかな」
「そりゃそうよ!」
マドレーナは、ラビットランドタワーに足を踏み入れます。外から見ると大きな建物ですが、ひとたび後ろ足をふみ入れると、廊下は細く曲がりくねり、枝分かれしていて、もの珍しい専門店がずらりと並んでおり、ところどころで黄色っぽいランプがともっています。こういうところは地下街と変わりません。うさぎの趣味はどうしてもこうなのです。
「ねえ、吹き抜けのホールがあるの。行ってみましょうよ」
「吹き抜け?」
ロップは、次から次と今まで見たことがないもの珍しいものに出くわすので、心臓がドキドキしてきてしまいました。
「そうそう。さあ、この廊下を曲がった先よ!」
そう言って、マドレーナはひとりでかけ出してしまいました。
「待ってよ、マドレーナ……」
ロップが慌てて追いかけると、マドレーナは、金色の鉄格子でできた檻のようなエレベーターを見つけて、ニヤニヤしながら立っていました。
「これを見てごらんなさい」
「なんだいこれ」
「エレベーターよ。田舎うさぎは知らないだろうけど」
(田舎うさぎだって?)
ロップはその言葉を聞いて、ひどく嫌な気持ちになりました。マドレーナはそんなことはまったく気にしていない様子でエレベーターの中に入り、エレベーターガール(中にはエレベーターバニーガールなんて、かっこうつけて呼ぶうさぎもいるのだとか)が立っていたので、
「5階にお願いします!」
と言いました。
「5階ですね。かしこまりました」
ロップは、自分ののった金色の箱が紐に引っ張られるようにして、どんどんのぼってゆくのに肝を冷やしました。
「この箱さ。落ちないよね?」
「落ちたら落ちたでいいじゃない! 臆病ね。探偵のくせに!」
と言って、マドレーナはからかうように笑ったので、ロップは悲しくてちょっと泣きそうになりました。でもロップは、マドレーナはきっと悪気がなく言っているのだと思いました。
「5階に到着しました!」
ふたりはエレベーターから飛び出して、黒い手すりに近寄り、そこから吹き抜けのホールを見下ろしました。
暗がりの中で、ロップが見た吹き抜けのホールはとても素晴らしいものでした。一階には円形のステージがあり、ギターをもったうさぎが陽気な演奏をしていて、マイクをもったうさぎがよく通る声で歌を歌っています。それを食い入るように見つめるうさぎの観客たちはとても楽しそうです。
その外側では、うさぎの娘さんたちが洋服やバッグを買い求めています。その上の2階は、レストラン街となっていて、その上の3階はおもちゃ屋さん。その上の4階は一段と暗く、映画館となっているのでした。
「これはすごいな!」
「こんなことで驚いているようじゃまだまだね。探偵さんっ」
そう言ってマドレーナは笑うと、小さな前足で、ロップのおでこをつんとつつきました。
これはロップが、田舎町ローリエントから出てきて、エレクトロンポリスに探偵社をかまえて2日目のお話です。地下街のおそろしさに肝を冷やしたのに続いて、今度はデパートの素晴らしさに驚かされることになりました。さて、気になるのはロップとマドレーナの関係です。マドレーナのおてんばなふるまいにロップは振り回されているようですが、さて、ふたりはどうなってしまうのでしょうか。それでは、次回お楽しみに。