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歩哨が交代する前に出た方が良いとマチルダが言うので、朝日が差し始め周りが少し明るくなった頃にカロン村を出発した。


村の出口の歩哨は俺の顔を見るとわざわざ馬車を止めて中を確認しようとはしなかった。


アドが泣き出すかどうかが心配だったが、温かいミルクを飲んで満足して眠っている間に検問を通り過ぎることができた。


「で、どちらに?」

万が一他の人に聞かれることを恐れてか昨晩マチルダに聞いても教えてくれなかったことを街道に出る前に聞いた。


「左」

誰かと話ているのを気付かれる可能性もあるので、マチルダの短い指示に無言で返す。軽く馬に鞭を入れたのが応えだ。


左はランスから遠ざかる方だ。寝た子を起こさないように街道に出てからもしばらく無言で馬車を走らせた。


すっかり朝日が上り、徐々に周りが明るくなってきた。


「……ヘイキチさん、御者を代わりましょう。お顔、治療して貰って下さい」

とカペラが言うので、その申し出に甘え、御者を交代して幌の中に入った。


「本当によく腫れている。ランス伯爵家の軍人としてお詫びする」

マチルダがそう言って俺の頬に手を翳した。頬がほんわか温かくなった。


「治療魔法でっか?」

マチルダは頷いた。

「治療は段階的にする。我慢してくれ」

全快させることもできるが副作用もあるし、治療者の負担もあるので、命に別状がないなら一度に治さないものらしい。


それでも治療魔法で食べ物を口に入れて痛くないようにはしてくれた。昨日の晩に仕入れたパンとチーズをやっと頬張ることができる。


「今後のことだが……聞くと本当に私達と一蓮托生になる。聞くか?」

「聞きますよ」

「最悪の場合、君の命を貰うことになるぞ?」


マチルダがじっと見つめて来た。引き返すか、先に進むか……俺はもう一度言った。

「聞きますよ」

マチルダはため息をついた。


「わかった。じゃあ話そう。私達は私の故郷、テルファに向かう」

テルファと言えば……

「方向間違ってませんか?」

テルファは東の山脈の山裾にある町で、今俺達は西海の方に向かっている。


「私がテルファの出だということは、相手も重々承知だ。西門から出たのは……」

「裏をかきはったんですね」

「子連れだからな。西に向かってから東に行くのは無謀だ。そのままならな」

マチルダはニッと笑った。

「……私の幌馬車があれば子連れでも西に向かえる、ですか」

最初俺の幌馬車の中に潜り込んだ時にはもう幌馬車で西に行くつもりだったってことや。ほんなら、町の外に出たら俺をどうすもりやったんやろ?俺は半目になってマチルダを見た。


「コホン、話を戻そうか。最終目的地はテルファだが、一旦西に向かってゴルディバに行く」


「ゴルディバですか……」

海に面したゴルディバはランス伯爵領では二番目に大きい町。俺も何度も行った事がある。ここからは2日もかからない。


「……と見せ掛けてテルファに向かう、というのが私達の計画だ」

「なるほど……」


この先のウクラ村で道が西と南北の三方に別れる。ランスの町から見て北東にあるテルファに向かうなら北の道だろう。テルファには大回りして行く事になるので、2週間は要る。西に向かえば1日でゴルディバに着く。


「……そこでだ。ヘイキチ君にお願いがあるのだが」

「へえ、なんでしょう」


マチルダが頼んできたのはカペラとアドをテルファまで連れて行くことだった。マチルダは一度別れてゴルディバまで行き偽装工作をする。


「何をするかは、ゴルディバに着いてから考えるさ」

俺が知っていることをできるだけ少なくするつもりなのか何をするかはマチルダは言わなかった。


「ゴルディバやったら、私も知り合いいますけど……。テルファに急ぐんやなくて、一度ちゃんとした宿に泊まって休んだ方がええと思うんです。赤ん坊のアドラー様のことを考えると旅程は無理はせんほうが……」


「宿に赤子を連れて泊まれば目立つだろう?」

「いえ、ゴルディバなら大きな行商ギルドがあるんで、赤子連れても泊まれます。夫婦や子連れで行商されてる方もいますさかい……」


「……カペラはどう思う?」

マチルダは御者台のカペラに声をかけた。

「アドラー様のミルクの事もありますし、ゴルディバで休めるのなら私もまずゴルディバに行く方が良いと思います」


「テルファに早く着いた方が安全なんだが……アドラー様が風邪など召されたら逆に動けなくなるか。わかった。ゴルディバに寄って体勢を整えよう」

マチルダはあっさり計画を変更した。


「いいんですか?」

「アドラー様を無事にお守りすることが私の任務だからな。アドラー様の健康も任務の内だ。それにゴルディバに向かうのも悪くはない」


「そうなんですか?」

「ああ、この先のウクラ村ですることは結局変わらんしな」


ウクラ村は街道の分岐点になっていて、農家だけでなく商家も多い。そして、小規模とはいえランス伯騎士団の駐屯所もある。


「マチルダさん、ウクラ村で何をするつもりなんです?」

今度はマチルダに尋ねた。俺もウクラ村に一緒に行くのだから、知っておく必要がある。訊いたらマチルダは答えてくれた。


「ウクラ村は交通の要所だから1個小隊が駐屯しているんだ。まず偵察に行ってその隊がエドワード派についているかを見極めないと村に近付けない」


「もしその隊が敵に回っていたら、どうするんですか?」

「……そうじゃないことを祈るよ。そいつらの為にな」



カペラが御者を務めてくれたので、カロン村近くになるまで俺は馬車の中で休んでいることができた。


カロン村から続いていた一面の畑から森に入り、岡を越えるとウクラ村までもうすぐだ。俺はカペラに言って上り坂に差し掛かる前で馬車を一旦停めさせた。


「どうした?」とマチルダが訊いてきた。


「山道はこの痩せ馬にはきついんで、私は降りて轡を取ります。おふたりは乗っていて下さい」


「じゃあ、私は先に行ってウクラ村を偵察してくるとしよう。ウクラ村は確かこの岡の向こうだろう?まだ日も高いから、行って帰って来ても夕方には合流できるだろう」


「分かりました。じゃあ、私らもゆっくり行きますわ」


「あの……私もちょっと歩きたいと思うんですが……いけませか?」

カペラがおずおずと言った。マチルダの顔がたちまち険しくなった。


「アドラー様をどうするんだ、カペラ?」

ドスが効いた声がカペラを刺す。


「馬車にお乗せしておけば大丈夫かと思うのですが……」

「馬車が暴走したら?」

「アッ」


マチルダは今にも斬りつけそうな顔をするし、カペラは可哀想なくらい狼狽して泣きそうになっている。俺は助け船を出すことにした。


「山道は平地より揺れますしねぇ。アドラー様を抱っこして歩くんもええかもしれまへんね。この辺りならそんなに通る人もおらんやろし」

マチルダは今度は俺をギロッと睨んだ。心臓がギュッと縮み上がる。虎に睨まれらこんな感じやろか。俺は唾を飲み込んだ。


「……確かに。アド様に泣かれても困るか。では、この岡を皆で歩いて越えよう。偵察に出るのは岡を越えてかにする」


そう言うとマチルダはさっさと馬車から降りてしまった。俺とカペラは顔を見合せて安堵のため息を吐いた。


馬に馬車に積んである水を飲ませて一休みさせてから岡を登り始めた。くねりながら登って行く坂道を馬車はゆっくりと進んだ。馬車の前をマチルダとカペラが歩いて行く。俺は轡を取って馬の先を歩いた。


マチルダはもう怒ってはいなかった。少なくとも見た目は。最初アドの抱っこの相手はカペラだったのだが、アドがむずかったので、今からはマチルダに代わっていた。赤子相手にいつまでも不機嫌なままではいられない。


マチルダの肩越しにアドがこちらを見ているので、俺も変顔をしたりして相手をしてやる。


心地よい風が吹き、小鳥の鳴き声が周りの木々から聞こえてくる。これが逃避行でなけりゃ、赤子をあやしながらのんびり旅をするなど長閑でいいんだが。


木々が遮るので遠くから俺達を見つけることはできないと思うが、赤子がキャッキャと笑う声は風が立てる葉音や馬車の歯車の音よりも遠くに届くかもしれない。曲がり角を曲がったところで誰かが待ち構えているかも?


俺は内心ハラハラしながら歩いているが、マチルダはというと鼻歌を歌い、アドの背を軽く叩きながら歩いている。余裕綽々とした後ろ姿は足首まで届くスカートを履いて農婦のようだが、大股で山道をのしのし歩くのは軍人丸出しだ。


カペラはマチルダの代わりに剣を持って先頭を歩いていた。マチルダと違って軽やかに登って行くカペラは男装しているし、遠目に少年に見えるだろう。


なだらかな岡の頂上が見えて来るとマチルダが呟いた。


「あの岡の頂上は用心した方がいいかもな。ヘイキチ君、ちょっと偵察してくるから、ゆっくり進んで来てくれ。それと……カペラ!」


呼ばれたカペラがはいと言って引き返して来る。


「カペラ、アド様をお願いする。剣はこちらへ……」

マチルダからカペラがアドを受け取ろうとすると、アドの顔がクシャっと泣き顔になる。


「はぁい、アド様、ちょっとの間カペがお相手しまちゅよぉ。待っててくださいねぇ」

マチルダが見事な変身を遂げた。


「はぁい、アド様……カペラでちゅ!しばらくわたちゅがお相手を……あっあっダメ、ぐずらないでぇ」

アドが泣きそうな顔をしたので、マチルダは慌ててまたアドを受け取った。


「ああ……もう!はい、はい、マチルダでちゅよぉ。はい、泣かないでくだチャイねぇ……カペラ、その男装がいけないんじゃないか?」

「そうですか?」


「女の格好の時は泣かれなかっただろ?早く着替えてこい!」

「分かりました。直ちに!」


すぐに馬車に跳び乗ったカペラが着替えるのを待つ間、マチルダが俺に話掛けて来た。


「やれやれ、今は兵よりも乳母が欲しい心境だ」

「確かにそうですねぇ。また甘露糖でも持って来ましょか?」


「その手があったな!カペラ、甘露糖がどこにあるか分かるか?」

俺もカペラに声を掛けた。

「薬箪笥の上の引き出しですけど、分かります?」

「あ、ありました。ありがとうございます!」


「とりあえず甘露糖だ。カペラ、先に持って来てくれ!」

「はい、ただいま!」

馬車から降りてきたカペラにマチルダは言った。

「甘露糖は?」

「ここです……アド様、おいチィい飴玉ですよぉ」

カペラが袋から甘露糖を取り出して見せると、アドがキャッキャと笑って身を乗り出して、手を伸ばす。


「おっと、危ない!アド様、甘露糖は逃げませんからねぇ」

甘露糖を口に入れてやるとアドは大人しくしゃぶり始めた。カペラはまた馬車の中に戻って服を着替えて来た。


「はい、カペラの所に行きましょうね……はぁい、いい子ですねぇ」


マチルダはカペラに赤ん坊を渡すと、ほっとため息をついた。

「今度は泣かずに抱かれているな。良かった……じゃあ、ちょっとあの頂上まで行ってくる。もしも、敵がいたら、馬車はこのままにして、アド様を抱えて坂を駆け下りろ」


マチルダはぎょっとするようなことを言った。


「馬車は私の全財産ですよ!捨てて逃げるなんて、そんな殺生な!」

俺が悲鳴を上げてもマチルダは平然としている。

「もしも敵が追って来ても、この馬車が多少は邪魔してくれる。できれば、道を塞ぐように橫に向けてから、馬を連れて逃げたら一番いいんだがな」


やっぱ軍人って嫌いだ。


マチルダはカペラと俺にアドを託すと、剣を掴んで頂上まで駆け上がって行った。俺はゆっくりと馬車を進ませた。アドはカペラが抱いて馬車のすぐ前を歩いた。


マチルダが頂上に着いたのが見えた時だった。


「あれ?」


俺は後ろを振り返って耳を澄ませた。


「どうしました、ヘイキチさん?」

カペラがアドをあやしながら訊いてきた。


「……馬の嘶きが聞こえませんでした?後ろから……やっぱりそうだ!」


1頭や2頭ではない馬の嘶きや馬蹄の音が後ろから聞こえてきた。


「しまった!これは騎兵かも知れません!よりによってマチルダ様がいない時に」

「ど、どうしましょ、カペラさん?」

「私は、アドさんを連れて走ってマチルダ様に追い付きます!ヘイキチさんは……」


「私は馬車と一緒に行きますわ。足止めにはなるでしょ」

馬車捨ててくなんて、でけんやろ。


カペラが駆け出してアドが驚き泣き出した。大きな泣き声は岡の頂上にいるマチルダにも聞こえたやろけど、後ろから迫る騎兵も気が付いたやろな。


馬車を止めると相手がどうでるか分からんので、俺に出来るんはゆっくりと馬車を進めることぐらいや。

遅くなりました。すみません。

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