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どうやら僕の存在がなくなったみたいです

作者: カンナ

友人に原案と監修を頼んでみました。

普段は書くことのない主人公だったので、ものすごい抵抗がありましたが、結構「楽しく」書けたかなーって思います!


なんだか嬉し恥ずかしみたいな状態です。

読んでほしいような、恥ずかしいような感じ。

1.消失



 日差しを遮る紺色のカーテンを開くと、眩しい朝日に身体が包まれた。

 網戸越しに伝わってくる生ぬるい風が僕の肌を優しくなでる。

 日常は続いていく。何があろうとも、何が起きようとも。

 よっぽどのことがない限り、この世界ではゲームオーバーにはならないし、リセットもやり直しも効かない。そんな単調な日々に嫌気が差していた。


 ベッドの上の寝具を畳んで、制服に袖を通す。

 窓の外ではセミが鳴いている。

 平凡な日常が、この先もずっと続いていくんだ。

 階下からドライヤーの音が聞こえる。

 また今日も姉がシャワーを浴びたのだろう。

 僕も早く朝食を済ませよう。学校に遅刻するのは嫌だ。


 手すりに手を置いて、階段を下りる。

 スリッパを履かなかったせいで、足の裏に埃がつく感じがした。

 ダイニングキッチンに通じる扉を開く。

 ふわりとこうばしい香りがした。

 ベーコンと玉子を炒めている母親の後ろ姿。

 フライパンからは煙が上がっていて、それは換気扇に吸い込まれていた。


「おはよう」

 冷蔵庫から牛乳パックを取り出しつつ、声をかける。

 お気に入りのマグカップを探そうと、食器棚に手を伸ばすと、

「どちら様でしょうか?」

 母親がいぶかしむような目付きで質問をしてきた。

 よそよそしい態度。いつもとは少し違う雰囲気だった。


「ねえ、エリのお友達かしら?」

 母親が脱衣所に向かって声をかける。

 姉がショーツとティーシャツ1枚のラフな格好で出てきた。

「はあ? あんた誰?」

 バスタオルを頭に乗せた状態で、姉が金切り声を発した。

「ちょっとお母さん、コイツ不審者だよ。通報しよ!」

「そうね。ちょっと警察の方にも来てもらいましょう」

 それを聞いた僕は、牛乳パックを流し台に置いて走り出した。

 何も考えないようにして駆けだしたのだった。


 しばらく走った気がする。

 胸の高鳴りを抑えようと、僕は電信柱に身体を預けた。

 何がどうなっているのだろう。

 家族の記憶から、僕の存在がなくなった?

 そんなバカな。あり得ない。きっと何かの間違いだ。


 ふと顔見知りのクラスメイトが僕の目の前を通り過ぎた。

 そいつとはとくに親しくはないが、暇つぶしに雑談をする程度の仲だった。

「ねえ、榊原くん。久しぶりだね」

 アスファルトに落ちた葉っぱが茶色く変色している。

 そんないつもの通学路で、僕は蝉しぐれを聞いていたのだが、

「えっと。……誰だっけ?」

 そう困った顔を向けられてしまった。

「あ、ご、ごめん。ぼ、僕の勘違いだったよ」

 そう適当にごまかしてその場をあとにする。


 どうやら僕の存在が、この世から消えてしまったらしい。

 名前も、戸籍も、住所も、学歴も……。

 何もかもが消失してしまったのだ。

 その理由にはなんとなく心当たりがあった。

 昨日の夜に「消えたい」って流れ星に祈ってしまったのだ。




2.願望



 僕の通う中学校は、俗に言うところの進学校だった。

 全国的にも偏差値は高いし、頭の回転も早い人が多かった。

 確かに恵まれた環境ではあるが、小学校から中学校までをエスカレーター式で進級してきたものが多く、僕のような転入生はほんのわずかな人数だった。クラスの中ではすでに派閥ができており、いじめる子、いじめられる子、うわさ話を楽しむ女子のグループ、教室の後ろでホウキを振り回して遊ぶ男子のグループ。そんな感じでそれぞれが独立して徒党を組んでいた。


 僕はそれに交わらないように身体を小さくしている。

 変に目立っていじめられるのも嫌だし、いじめられたくもない。

 うわさ話をするのも、騒ぐのも好きじゃなかった。


 昼休みになると、教室中の生徒は三々五々に散った。グラウンドで野球やサッカーをしたり、体育館でドッチボールやバスケットボールをしたり、はたまた教室内で絵を描いたり、本を読んだり、おしゃべりをしたり、その過ごし方はさまざまだった。


 僕はスマホのアプリに熱中していた。

 ゲームの世界なら素顔の自分でいられるから。

 それが心地よかったのだ。


「よう、小川。元気でやってるか?」

 そう呼びかけられて顔を上げると、僕と同じ転入生の小林がにやりと頬をほころばせて聞いてきた。

「お前さ、好きな子とかっているの?」

 にきびのせいで顔が赤いのか、照れて顔が赤くなったのか、それとも教室内が暑いのか、彼はゆでだこのような表情で僕に尋ねてきた。その唐突すぎる質問につい戸惑ってしまう。今までは当たり障りのない、音楽の話だったりとか、勉強の話だったりとか、ゲームの話に興じていたから、そこまでプライベートなことにまで突っ込んでくるとは思わなかったのだ。


「好きな子? ……それはいないかな」

「おいおい、釣れないな。気になる子とかもいないのかよ」

「気になる子?」

 僕は眉間にしわを寄せて考える。

「まあ、それならいるけど」

 僕は隣のクラスにいる幼馴染の女の子の名前を出した。

 彼女は男勝りな性格で、運動神経が優れており、男子よりも女子に人気だった。

 サッカーをしている姿が本当に格好良いのだ。

 僕はそんな軽い気持ちで個人情報をつい口走ってしまったのだ。


 最後の授業が終わるころには、その情報が学年全体に広まっていた。

 僕は「気になっている」としか言っていないのに、いつの間にか「僕が好きな子」として幼馴染の名前が挙げられていたのだ。

 大して話したこともないような女子からは「絶対に不釣り合いだよね」とひそひそ話をされ、男子は黒板に相合傘を書いて、その中に僕と幼なじみの名前を入れていた。


「他人の色恋沙汰のなにがそんなに面白いんだよ」

 極度に悪目立ちを恐れていた僕は、この世界から消えたくなっていた。

 だからあの夜、流れ星に願ったのだ。「消えたいって……」




3.成就



 セミの抜け殻を踏みそうになった。あわてて足をどける。

 背中にじんわりと汗を感じながらも、心の中で僕は快哉を叫んでいた。


「やった。願いが叶ったんだ! これからの僕は自由だぞ。勉強や人付き合いからも解放された。どれだけ帰りが遅くなろうとも好きなだけ遊べるんだ。こんなに幸せなことがあるか?」通学カバンを片手に急ぐ生徒を尻目に僕の足は軽やかに進んでいた。「でも家に帰れないから、パソコンもないし、ゲームもない。退屈だなあ」


 どこに行く当てもなくさまよっていると、広い公園が見えてきた。

 入口には児童用の水飲み場があって、そのすぐ近くには公衆トイレがあった。

 向こう側には小さい滝を模したモニュメントが飾ってあって、その手前には池がある。

 木陰のベンチには年配の女性が腰を落ち着けていて、それを見守るようにブランコが揺れていた。


「退屈しのぎにブランコに乗るか」

 公園の遊具を使うのは久しぶりだった。

 ブランコに乗ったのも今では懐かしい思い出だ。

 小学生の頃は地球の裏側まで到達するんじゃないかと、漕ぎながらひやひやしていたが、中学生にもなってくると前後の振り子運動が単調に続くだけに感じてしまって、幼い頃の好奇心は鳴りを潜めていた。それでも顔に当たるそよ風は気持ちがいいし、ここは日陰になっているから暑さに対しても効果的だった。


 ベビーカーを押しながら主婦たちが近寄ってくる。

 中学生がこんなところにいたら不自然だろうか。

 僕は片隅でそんなことを思ったが、彼女らの眼中に僕は映らなかったようだ。

 すぐそこのベンチに座って井戸端会議に花を咲かせている。

 そうなのだ。通報もされなければ、補導もされないのだ。

 拍子抜けするほど、世間は個人に対して無関心なのだと知った。

 そう思った開放感から、ブランコの振り子が頂点に達したところでジャンプしてみる。僕の身体は想像以上に高く宙に投げ出されて、あっけなく地面に叩きつけられた。そんな醜態をさらしても誰も気にも留める者はいない。最高の気分だった。今なら違う自分になれる気がした。


 小さな滝のモニュメントに近付いてみる。そこは薄暗くなっていて、「おばけが出るから近付かないように」と幼い頃に両親から注意を受けた場所だった。しかし踏み入ってみるとなんてことはなくて、小さなほこらにお供え物がしてあるだけだった。両親は僕に罰当たりなことをさせないためにおかしなうわさを流していたのだ。


 なんだか楽しくなってきた僕は、丸太の椅子の上を度胸試しのように跳んでみた。それは小学生の頃にみんながやっていた遊びで、その輪に入れなかった僕は当時を思い出して追体験をしてみたのだ。池を覗くと鯉が泳いでいた。優雅に水の中で生息している魚を見ながら「お前は楽しそうでいいな」と愚痴をこぼしてみる。一抹の寂しさだけが残った。


 土手を上がると、そこには川が流れていた。

 澄み切った水面が鏡のように陽光を反射している。

 人の姿はなく、ただの美しい自然だけが仰臥している。

 ここなら僕の本音を吐き出しても受け止めてもらえる気がした。


「誰も僕に、構わないでくれー!」

 いじめをしている人も、いじめられている人も、うわさ話を楽しむ人も、教室の後ろでホウキを振り回して遊ぶ人も、僕が誰に対してどんな感情を抱いても放っておいてくれよ。お前らには関係ないだろ。

「僕を……ひとりにしてくれー!」

 叫び声がこだまして、自分に返ってくる。

 虚しい気持ちが込み上げてきて、泣きたくなった。


 気が付いたら、中学校に戻ってきていた。

 山あいに夕日が沈んでいる。空虚な街並み。

 朝からなにも食べていないせいでお腹が空いていた。

 グラウンドでは部活動にいそしむ生徒の姿。

 そこには幼なじみの、あの子の姿もある。


 僕の足が、無意識に動き出した。

 ブラックホールに吸い込まれるように。

 自然の摂理として身体が反応してしまった。


 地面にあいた小さなくぼみ。

 僕はそれに足を取られて転んでしまった。

 膝頭を擦りむいた。赤く血がにじんでいる。


「ねえ、大丈夫? こんなところにいたら危ないよ」

 みんなが遠巻きに眺める中、彼女だけは僕に手を差し伸べてくれた。

 その手のぬくもりに胸が苦しくなる。

 彼女も僕を覚えていないんだと思うと、なんだか切なくなった。


「ほら、ちゃんとグラウンド整備をしてないからだよ。練習が終わったらみんなで地面をならそう」

 僕に背中を向けて指示を出す幼なじみ。

 それを見た僕は、くしゃくしゃになった顔を隠すために後ろを向いた。

 そうか。確かに、不釣り合い、だよな。


「くそ、情けないなぁ」

 痛む足を引きずって、家路に急ぐ。

 僕は昔からなにも変わっていない。

 本当は……僕だって彼女みたいになりたかった。


 僕が困ったときはいつでも先導してくれた彼女。

 その差し伸べてくれた手を、その背中を、僕は忘れられない。

 あの気持ちは、きっと、憧れだけじゃないはずだ。


 だからこそ、戻りたい。現実に。

 自分の部屋に行けば戻れるだろうか。


 僕は、相も変わらず僕のままだけど、それでもこの存在がなくなるのは嫌だ。

 みじめで情けなくても、地味な根暗でも、それが僕だから。

 僕が他の誰かになることは出来ないけれど、それでも僕だから。

 僕の存在は、僕だけのものだから。

 この世界から消えてなくなるのは、嫌だ。


 僕は僕のままでいいんだ。

 否定することも卑下することもない。

 ありのままの僕でなにが悪いんだ。


 表札の裏に隠してある玄関のカギを取って、僕は家の中に侵入する。

 この世界は間違っている。

 自分の部屋に行けば、きっと元の世界に戻れるはずだ。

 僕は帰らなければならない。帰るべき場所がある。


 そう階段を駆け上がって、自室の前に立つ。

 だけど、ない、ない、ない。

 扉が、ない。

 向かいには姉の部屋がある。

 だけど目の前には、壁。


 僕の存在だけじゃない。

 僕の生活そのものが、人生が、まるごと消滅してしまったのだ。

 喪失感、無力感、虚無感。

 貧困な語彙では語り尽くせない感情。

 それが津波のように押し寄せてくる。

 逃げられない。飲み込まれる。息ができない。


「うわあああああああああああああああ」

 自然と膝が崩れて、床に正座する形になった。

 擦過傷がずきずきと痛む。


 だがそれよりも胸に込み上げてくるものがあった。

 虚しさや悔しさ、決して無駄ではなかったはずの思い出。

 それが一瞬にして走馬燈のようによみがえってくる。


「僕は、僕はああああああああああああ」

 アゴが外れるほどの大声を出す。

 すると脳裏に流星が明滅した。

「元の世界に戻してください元の世界に戻してください元の世界に戻してください」

 僕の身体を、存在を、名前を、戸籍を、住所を、学歴を……返してください。

 すると、不愉快なけたたましい音が、遠くで鳴り始めるのが聞こえた。




4.現実



 倦怠感を伴った重い身体を起き上がらせる。

 どうやら僕は夢を見ていたらしい。

 アラームを止めてから、伸びをする。

 なんだか不思議な感覚だ。


 制服に袖を通して、階段を下りる。

 なんだか緊張する。すこしだけ胸騒ぎがした。

 家族に会うのが怖い。ドライヤーの音が聞こえる。

 扉を開けると、母親が目玉焼きを作っていた。


「おはよう」

 おそるおそる口を開くと、

「何やってるの!」と叱責が飛んできた。


「早く学校に行かないと遅刻するわよ」

 そんな母親の怒鳴り声。

 僕はあわてて時計を確認する。

 焦燥と高揚が心に波状攻撃となって襲いかかってきた。

 姉は僕の隣をすり抜ける際に、

「あんたも早くした方がいいよー」

 そう忠告をしてくれた。


 たまらず僕は喜びを爆発させる。

「うん、わかった。それと、いつもありがとう!」

「は? なにそれ、気持ち悪っ!」


 中学校に着くと、首筋に汗がしたたっていた。

 心臓の鼓動はまだ早鐘を打ったままだ。

 僕は、隣のクラスの教室のドアを開けた。


「あ……あの。ちょっと用件があるからさ」

 奇異な視線が一斉に僕に集中する。

 怖い。見えない刃物で刺されているような感覚。

 それは感じるけど、唇を噛んで、足を前に進める。


 誰になんと言われようとも、僕が僕であることに相違はない。

 僕が存在していることに変わりはない。


「あの……小学生の頃から好きでした」

 そう幼なじみの女の子に向かって言葉を放つ。

 嘲笑。歓声。冷やかし。

 野次馬はいつだって好き勝手に物を言うのだ。


「それだけが……伝えたくて。失礼します」

 教室のドアを閉めると、空気がびりびりと震えているのが伝わってきた。怒号や悲鳴が聞こえる。けれども僕の心は穏やかだった。好きって感情を素直に伝えるのは普通のことだから。僕の存在がなかったことにはしたくないから。


 だから、きっと、これでいい。





5.未来




「あれは暑い夏の出来事だったな」

 ベランダの柵に肘を乗せて、打ち上がる花火を眺める。

「そうだね。懐かしい」

 君は夜空と同じくらい美しい笑みを浮かべた。

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