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「皇子様だったんですね」

「あの子がべた褒めするものじゃから試してやろうと思ったわけじゃな」

「成程……」


 少女……もとい、正一品の妃であらせられる徳妃様はいたずら小僧のような爽快な笑顔を浮かべた。

 思わず黄色い声をあげながら抱きしめたくなるぐらいとても愛くるしい。声も鈴を転がすように心地よく、そして高い。


 けれど、こう見えて実際の年齢はわたしよりも二回りも高いんだそうだ。しかも何人も子を成しているんだとか。

 とても信じられないのだけれど、我が子のことを語る徳妃様のお顔は間違いなく母親がするような慈愛に満ちたものだった。


「初見で妾を見抜いたのはそなたが初めてじゃな。どうして分かった?」

「皆様の反応に違和感を覚えたからですね」

「成程なあ。よく見ておるな。しかし、だからと侍女に変装した妾に躊躇なくかしずくとはな。そなた、大胆と言われぬか?」

「思い切りがいいとはたまに言われます」


 故郷にいた頃にとある理由で人を観察する癖がついたもので。

 侍女達が不安を抱いてぎこちなく、徳妃様がわくわくを胸にしまいながら何も無いよう装うのが変だと思えたのは幸いだったかな。


 とは言え、改めて徳妃様を観察すると他にも手がかりはあった。服、かんざし等の身にまとっている品々は完璧に侍女のものだけど、髪や肌の艶まではごまかしてない。ましてや手が自分は侍女ではありませんと物語っているじゃないか。


「成程のう。もはや妾は子持ちとなって久しい。陛下の寵愛を得るために芸をそこまで磨かずとも良い立場になってしまったからな。侍女達のように水拭きもやらぬゆえ、手が荒れていないと見抜かれたか」

「ですが指先の傷つき具合を見るからに、今もなお何かしらの楽器を嗜んでいるのではないですか?」

「ほう、そこまで見ているか。あと、顔や体の張りは取り繕えても手はごまかせんな」

「はい。それが決め手になりました」


 で、わたしは何故か座るよう促された後にまるで客人のように歓迎を受けていた。お茶と茶菓子を振る舞われるのでどうも居心地が悪い。わたしはもっと堅苦しくないお気楽な感じが似合うっていうのに。


 徳妃様はわたしへの悪戯を終えた後、少しの間下がって着替えてきた。少女らしさが鳴りを潜め、威厳と寛大さを兼ね備えた妃として再び姿を現したのだ。

 装いを改めただけなのにこの雰囲気の変わりよう、驚かされてしまったものだ。


「で、だ。実を言うと妾の周りは人手が足りている。他の妃達は一人でも多くの優秀な侍女を揃えようとしているようじゃが、はっきり申すと無駄じゃな」

「? じゃあどうしてわたしを?」

「乾燒蝦仁が侍女兼護衛だとは貴様も分かったであろう? だがな、四六時中妾に張り付いてもらうわけにはゆかぬ事情が出来てしまったのだ」

「……つまり、徳妃様をお守りするのがわたしの使命だ、と?」


 徳妃様方から受けた説明によれば、わたしは普段は侍女としての務めを果たしていればいいらしい。けれどいざとなれば徳妃様やそのお子様をお守りせよ、とのことだ。わたしが素早くごろつきを撃退したのを評価したんだとか。


「……折角ですけどわたしは旅をする身。一時の雨宿りに過ぎませんから、そんな大役は務められません」

「無論そんなことは承知の上での採用に決まっておるじゃろう。立ち去られたのなら妾が所詮その程度の器だっただけの話よ」

「わたしを心変わりさせる自信がある、と?」

「貴様、妾を誰だと思っておる? 春華国が誇る正一品の徳妃なるぞ」


 徳妃様は自信満々な様子で鼻息を荒くした。本当にわたしが残るって確信しているかのようだった。


 正直に告白しよう。わたしはその時は後宮に尽くす自分を微塵も想像していなかった。

 語ったようにあくまで金払いがいいから選んだだけであって目的を果たしたらすぐにいなくなるつもりだった。


 けれど、同時に見たくもなった。徳妃様が信じる未来像、つまりわたしが旅を止めて後宮で働き続ける自分っていうのを。

 その時はわたしは徳妃様の傍に仕えているのだろうか?

 それともわたしの想像しえない全く未知の境遇に置かれているのか?


「面白そうですね」

「いい反応じゃな。それでこそ雇ったかいがあったというもの。仕事内容は侍女頭の什錦鍋巴に教わるが良い。什錦鍋巴もそれでよいな?」

「畏まりました」


 先ほど徳妃に扮していた侍女頭、什錦鍋巴は慇懃に首を垂れた。面を上げるとこちらに優しく微笑んで「よろしくね」と言葉をかけてきたので、わたしもまた立ち上がって深々と頭を下げる。


「さて、ではそなたをとても気に入った者がおるので会わせようと思うのだが?」

「わたしは問題ありません」

「そうか、ではあの子を呼んでまいれ」

「御意に」


 侍女の一人が徳妃様に命ぜられて一旦退室してから程なく、その侍女を従えてやってきたのは……わたしの知る人物だった。


「あ、やっぱり受かったんだ。猫目姉には贔屓しないよう頼んだけれど、さすがだね」


 まだかろうじて青年まで成熟していないあどけなさ。華奢な身体。声はまだ高く、はにかむお顔は少女のように可愛い。しかし少年と呼べるほど子供でもなく、身体つきや背からも成長の兆しが見られる。


 彼、乾燒蝦仁が護衛していた少年は装いを新たにしてわたしへと歩み寄った。


 庶民に扮していた時も隠しきれていなかった育ちの良さはこの年でもはや威厳にまで至ろうとしていて、ほんのわずかな時間であってもわたしは圧倒されてしまった。


「改めて名乗るよ。僕は麻婆豆腐。春華国の五番目の皇子さ」


 と、彼は優雅に自己紹介した。

 とても様になっていたけれど感心するより先に「まずい」と頭によぎった。


「さっきはとんだご無礼を」

「いや、いいんだって。お忍びだったんだから、もし知っててもしらばっくれてもらわなきゃ困るし。ねえ乾燒蝦仁」

「馴れ馴れしくしすぎるのもいかがなものかと思いますが?」

「まあ、それはそうとして、とにかく良かったよ。他の妃の所に行っちゃったらどうしようかと思ってたんだ」


 他の妃、と言うからには麻婆豆腐と名乗った第五皇子は徳妃様の御子なのか。

 それで色々と合点がいったものの、だとしたら安易に第五皇子の紹介に飛びつかない方が良かったかもしれない、と早くも後悔が芽生えだした。


「知っているだろうけど、後宮も王宮も魔窟さ。少しでも成り上がろうと醜い足の引っ張り合いばかりでさ。別に僕は皇位なんてどうでもいいし母上だって后を目指してたわけじゃない。けれど立場が静観を許さない」


 それはそうでしょうね。生まれついての宿命と言っても過言じゃないもの。


 妃だったら後宮から去れば済む話が皇子はその存在が皇室の権威を脅かす。皇帝に忠誠を誓えばいいのか、隠居して二度と表舞台に姿を現さなきゃいいのか。それとも、戦って勝ち残らなきゃいけないのか。


「護衛は多い方がいい。後宮みたいな閉ざされた世界に一体どれだけの刺客が紛れ込んでるかも分からないんだから」

「そうは言いますけど、わたしだってもしかしたら殿下の接近するためにあのならず者達の騒動を利用したかもしれないじゃないですか。わたしの素性でも調べたんですか?」

「それは追々でいいんじゃないかな?」

「は? どうしてですか? 不用心過ぎませんか?」

「君なら信じられる、って思った。直感が根拠じゃダメ?」


 第五皇子はわたしを一切疑っていなかった。

 深い色をたたえた輝く瞳はわたしを捉えて離さない。その眼差しはとても純粋で、思わず見入ってしまいそうな程だった。

 けれど同時に力強くわたしの心に訴えかけてくる。


 ずるい、と思った。

 こんなの断れるわけ無いじゃないか、と。


「じゃあ、これから母上をよろしく頼むよ」


 これは命令じゃない。お願いだ。


「お任せください。この杏仁豆腐、微力を尽くす所存です」


 けれどわたしはためらうことなく彼の前に跪き、頭を垂れた。


「ああ、杏仁豆腐か。やっと君の名を聞けた」

「……そう言えばそうでしたっけ」


 これがわたしと麻婆豆腐様との正式な出会いだった。


 この時は単に忠誠を誓うに値する器だ、ぐらいにしか思っていなかったけれど……そんな常識は即刻かなぐり捨てる破目になる。


「あ、こら! また紅玉宮殿下ですか! お待ちなさい!」

「やべ、見つかった! 逃げるよ杏仁豆腐!」

「ちょっとぉ! わたしを巻き込まないでくださいよ~!」


 だって麻婆豆腐様、無茶苦茶問題児だったんだもの。

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