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「死者が今なお影響力を持つなんてね」

「ま、ちょっと考えてみれば当たり前だよね。皇帝がいかに自分の血を絶やさないかも考えると、皇女を諸侯王に嫁がせるのはもう常識の範囲内だもの」

「青玉宮殿下も翠玉宮殿下もうろたえすぎですよね」

「そう言えば藍玉姉って北伯候の嫡男に嫁いだらしいけれど……」

「そうですよ。第一皇女であらせられた藍玉宮殿下は兄様のお嫁さんですから、わたしの義理の姉にあたります」


 ようやく胃に優しくない会食の席がお開きになって紅玉宮に戻った途端、麻婆豆腐様もわたしも椅子にぐったりともたれかかった。

 もう二度と御免だ、と願ってもおそらくまたああいった場に参加しなければならないと思うとうんざりした。


「にしても、太上皇后様かぁ……。大祖母様なんて僕見たことも無いんだけれど」

「あれ、わたしの殿下が幼少の頃はまだかろうじて存命じゃありませんでしたっけ?」

「もうその頃は公の場には姿を見せてなかったからね。にしてもさ、陛下はどうして太上皇后様を恐れるんだろ? もうその方の影響力なんて無い筈なのにさ」

「……」


 わたしは麻婆豆腐様の疑問に答えなかった。答えられなかった。

 沈黙しざるを得なかったのは、この方のためでもあった。


 その時振り返ったのは皇太子ご夫妻が亡くなった日のこと。

 取り調べが一区切り付いた辺りで青玉宮妃とわたしは皇帝直々から呼び出しを受けた。どうやら後継者の終焉を見届けたわたし達から直に事情を聞きたかったらしい。


 青玉宮妃は事のあらましを可能な限り細かく、けれど能力についてだけは胸騒ぎで片付けて、説明した。皇太子達の死は愛がもつれた結果であり、侍女長が皇太子妃を唆したのが要因だった、と。


「陛下、人払いを」


 そして肝心要な部分を口にする前、青玉宮妃は深刻な面持ちで皇帝に願い出た。

 皇帝はしばらくの間青玉宮妃を観察し、文官や近衛兵達を下がらせた。声がこだまするぐらいに広い謁見の間は贅沢にもわたし達三人だけになった。


「青玉宮妃よ、そなたの申す通りにしたぞ。して、朕に何を申す?」

「侍女頭は自決する前に真の主を拝んでいました」

「真の主だと?」

「はい。太上皇后様、と」


 皇帝はその名を聞いた途端、顔色を変えて立ち上がった。それまではまるでわたし達が皇太子達を殺したかのように憤りと共に責め立てていたのに、太上皇后と聞いた途端に困惑と驚愕が彼を支配していた。


「何故祖母、太上皇后の名が出てくる?」

「陛下、事は単なる痴情のもつれではございません。何者かが今は亡き太上皇后様の名を騙って企んでいるかもしれないのです。此度の一件もその一部ではないかと」


 何しろ侍女長が皇太子達を殺して一体何の徳が有るのかしらね。既に天に召された太上皇后の為にって動機も理解出来ないけれど。

 だから、未来の皇帝皇后両陛下を舞台から蹴落として終わり、とはとても思えなかった。何か大事を成すならなおさら。


「青玉宮妃よ、金剛宮の侍女頭の世迷い言を聞いた者は把握できているか?」

「え? あ、はい。その場で他言一切無用と厳命しております」


 なのに、皇帝は青玉宮妃の主張を打ち切るかのように言葉を挟んできた。思いがけぬ事態に青玉宮妃は面を上げるが、皇帝が思いつめたように手で顔を押さえる様子からただ事ではないと固唾を飲んだ。


「朕の名において、今後この一件で太上皇后の名を口にせぬよう命ずる。その場に居合わせた近衛兵や金剛宮の者には青玉宮妃より伝えよ」

「しかし陛下! 畏れながら申し上げますが、それでは皇太子ご夫妻がお亡くなりになった真の要因を調べられません! 宮廷内でこれ以上の凶行を許すわけには――!」

「聞こえなかったか? 二度は言わぬぞ」

「……っ! も、申し訳ございません……」


 皇帝に凄みのあるお言葉と共に睨まれた青玉宮妃は深々と頭を下げた。それはもう床に額が付くんじゃないかしらってぐらいまで。多分、あとほんの少しでも逆らっていたら頭が胴体から切り離されていた可能性すらあったものね。


「紅玉宮妃もだ。よいか、例え青玉宮や紅玉宮、皇后に問い詰められても一切答えてはならぬ。よいか?」

「畏まりました、陛下」

「調査は朕直属の専門部署に引き継がせる。此度はご苦労であったな」

「ぎょ……御意に……」


 青玉宮妃もわたしも全く納得出来なかったけれど、我を押し通して処罰されるよりはましだったから、あの場は素直に従う他無かった。

 更にはそれ以上詳しく問い質されず、下がるよう命じられて謁見の間を後にした。


「理解出来ない。どうして陛下は私を黙らせたんだ? 陛下は一体太上――」

「青玉宮妃様、それ以上口にしてはなりません。どこで聞き耳立てられているか分かりませんから」

「……っ! そうだったな、注意が足らなかった」


 帰り際、青玉宮妃とわたしは愚痴を言い合った。

 主に皇帝は太上皇后の何を懸念しているのか、そして太上皇后は何を目論んで金剛宮の侍女長に弑逆させたか。けれどいくら議論してもその時点では憶測を並べるだけに留まった。


「だからと言って指を咥えて待てるわけがない。紅玉宮妃様もそうだろう?」

「ええ、一度関わってしまった以上は引き下がれませんね。あの凄惨な最後を見てしまったんですから、なおさら」

「だが下手に動けば陛下の命に逆らったとみなされて罰せられるぞ」

「陛下のご命令は今日の一件で例の方を匂わせる発言をするな、ってだけです。なら今日とは関わりの無い範囲で調べてはどうでしょう?」


 例えばあまり知らない太上皇后について、だとか、その太上皇后と関わり合った者が今も宮廷内に残っているか、とか。太上皇后の思惑がどうであれ、信望者……いえ、狂信者さえ取り押さえれば死人の思惑なんて簡単に防げるでしょうから。


「……分かった。私は例の方の人間関係を洗ってみる」

「ではわたしは例の方がどのような人生を歩んだか、調べてみましょう」

「くれぐれも陛下に目をつけられないよう慎重にな」

「例の方の目にも、ですよね」


 こうしてわたしは青玉宮妃と結託して皇太子ご夫妻暗殺の真因を探ることになった。ただ皇太子ご夫妻の葬儀もあって慌ただしく日時が流れてしまったため、一切手を付けられていないのが実情だったりした。


 そういったわけで、わたしは麻婆豆腐様に太上皇后に関しては一切明かしていない。わたしの殿下を危険に晒したくはなかったから。

 事が落ち着いたら、もしくはわたしの手に負えなくなった時に打ち明けるつもりだ。


「おかえりなさい、お二人共」


 椅子に全体重をかけて項垂れるわたし達にお茶を用意したのは宮保鶏丁だった。

 出迎えられた際に喪服から部屋着に着替えるよう促されたものの拒絶した結果だ。申し訳なかったけれど、もう少しだらけたい気分だった。


 宮保鶏丁も部外者ではなかったので葬儀とその後の会食での出来事を簡潔に説明した。彼女は皇位継承争いが混迷を深めるだろう件も興味無い様子で、自分が罰せられなかったと聞いても彼女は眉の一つも動かさなかった。


「それにしても寛大な処置ですね。今後紅玉宮から出ることまかりならない、ぐらいは言われるものと覚悟してましたが」

「そこが何か妙だったんだよね。陛下も歯切れが悪かったって言うかさ」

「一体どのような理由を述べられていたんですか?」

「それがさ、宮保鶏丁が太上皇后様の孫だからって頓珍漢な――」


 静かだった室内に突如大きな音が響いた。

 それが宮保鶏丁が手に持っていた盆を取り落したためだと気付いたわたしは彼女へと視線を向けて……思わず背筋が凍った。


 憎悪。そして殺意。

 宮保鶏丁はこれまでにないほど凄まじい激情をあらわにしていた。


「太上皇后、ですって? それはまさか、わたしの祖母だとでも?」

「え? あ、うん。陛下は生前の太上皇后に頭が上がらなかったのかな? じゃあなかったら結構な遠縁の親戚なんて気にしないで処罰を下していたかもしれないのにさ」

「紅玉宮殿下、一つだけお願いがあります」

「……どうしたのさ、藪から棒に」


 次の瞬間、宮保鶏丁は両手で麻婆豆腐様の胸ぐらを掴んだ。

 それを見たわたしは一瞬で頭に血が上って宮保鶏丁に殴りかかろうと踏み込んだものの、既のところで麻婆豆腐様から手で制されたので、かろうじてこらえた。


「わたしの前で二度と太上皇后の名を口にしないでください。お願いします」

「わ、分かった……僕が軽率だった」

「……無礼を働いた罰は頭が冷えた明日にしてください」


 宮保鶏丁は手を離して自室へと足早に戻ろうとする。その前に麻婆豆腐様が彼女を呼び止めた。

 聞く耳を持つ程度には冷静さが残っていたらしい。それでもわたしからすれば一発頬を叩きでもしないと腹の虫が収まらないのだけれど。


「どうして太上皇后様を憎むのさ? 宮保鶏丁は一切関わりなかったんだよね?」

「関わりない? わたしが、彼女と?」


 冗談はよせ、とばかりに宮保鶏丁は自分の頬を強く叩いた。そしてあろうことかそのまま爪を顔に深く食い込ませたのだ。まるで自分の顔を剥がしたがっているかのようにわたしには見えた。


「太上皇后を崇拝していた祖父が言うには、私の容姿はかの方と瓜二つだそうですよ」


 宮保鶏丁は自虐的に空笑いして今度こそその場を後にした。彼女付きの侍女が焦りながらも一礼して彼女へと続く。


 残されたわたし達はただこの先の行く末に不安を覚えるしかなかった。

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