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「寝かしつける側は初めてです」

「……本当に徹夜で見張りしてたんだね」

「麻婆豆腐様はわたしを何だと思ってたんですか?」


 夜も更けてまいりました。

 わたしは徳妃様の寝室の隣に位置する部屋で待機中だ。


 只今我が主は皇帝と情事の真っ最中……なのかは知ったこっちゃない。単に寝具を共にして語り合っているだけかもしれないし、逆に激しく求めあっているかもしれない。どちらにしたってわたしの役目は変わりないのだから。


 親や子、恋人や恩人など、相手に夢中になるほど無防備になりやすい。いかに堅固な後宮の敷地内とはいえ間者が紛れ込んでいるとも限らない。不測の事態に早急に対応できるよう、常に傍で警戒を怠らないことが重要なのよ。


 かと言ってさすがに夫婦の営みをしている傍らで控えるなんて空気を読めてないにも程がある。なので護衛の者は主の目に映らない場所で待機しているわけだ。皇帝の御身を守る護衛も例外ではなく、扉を挟んだ向かい側の方を初めとして周囲を警護中だ。


 暇だったので脇目で護衛を観察する。さすがに後宮に男を連れてくるわけにもいかず、男の証を失った宦官の類か男装した屈強な女性なんでしょう。

 彼はわたしを気にもとめずに待機中。声をかけても絶対に返事は返ってこないでしょう。


(あーあ。これで故郷だったら相方と喋って時間潰したんだけどなぁ)


 徹夜は何度か経験がある。けれどどれも移動だったり勉学だったりで何かしら行動していた。こうして何をやらなでいるのはやはりくたびれてしまう。せめて屋外だったら星空を眺められたのに。


 そんな感じに後悔が芽生え始めた時刻だった。麻婆豆腐様が姿をお見せになったのは。


「それよりどうしたんですか? 眠れないんですか?」

「誰かさんのせいで昼寝しすぎちゃったかもしれないね。どうしてくれるの?」

「知ったこっちゃありませんよ。子供は寝すぎるぐらいが丁度いいんです」


 麻婆豆腐様は物音を立てないようにわたしへと歩み寄ってきた。


 寝間着姿の麻婆豆腐様は……なんというか、破壊力抜群だ。主にわたしへの。

 後宮内では皇子らしい身なりだったし市街地では肌が露出しないよう厚手の服を着ていた。今は薄着なものだから胸元も少し見えて、何だ? 誘ってるのかってぐらい目のやり場に困る。


「寝たい時は……そうですね。身体から力を抜くのが一番ですね」

「力を抜くって、どうやって?」

「例えば寝る少し前に軽く鍛錬するんです。すると身体が程よく疲れてだらけますから。あと額に濡れ手拭いを置くと冷たさに意識が向いていつの間にか寝ちゃったり。最終手段としては酒に頼るとか」


 しかしそんな狼狽えは表に出すまいと努めて平然を装う。

 麻婆豆腐様はそんなわたしの葛藤を知ってか知らずか、わたしの隣に寄り添う。何故か壁ではなくわたしの腕によりかかるようにして。


「色々あるんだね。寝よう寝ようと意識するのが悪いのかな?」

「自己暗示の方法もあるらしいですね。あと一定の規則に基づいて呼吸するといいらしいですよ。わたし個人はうまくいった試しがありませんので教わるなら別の方からで」

「今度暇になったらそうしてみるよ」

「……で、それはいいんですけど、そろそろ離れてくれませんか? 仕事の邪魔です」

「いいじゃん。どうせ何もしてないんでしょう?」

「そんなことないですよ。こうして喋っている間も周囲の警戒は怠ってませんから」


 麻婆豆腐様は今宵の相方に聞こえないよう小声で話しかけてくるのでこちらも声を潜めて語りかけている。にもかかわらず相方の意識が何割かこちらに向いているようだった。

 皇子と馴れ馴れしく喋る下女がそんなに珍しいのかしら。


「嘘だ。そんなこと出来るの?」

「会話に夢中にならないよう意識を向ける割合を決めるんですよ。わたしは未熟なので受け答えが鈍くなる場合もありますけど、専門の警護ならそんなことはありません」

「へえ、器用なんだね」

「わたしも信じられないんですが、寝ていても異常を察知したらすぐに目を覚まして身構える、なんて達人もいたりしますね」


 これは誇張でも何でもなく、麻婆豆腐様との語り合いをしている最中でも壁を挟んだ寝室に五感を向けている。今は……どうも真っ最中のようね。お盛んなものだから声がこちらまで漏れ聞こえてしまいそうだ。


「それはいいですから、麻婆豆腐様は早く自分の部屋に戻ってください。寝なきゃ駄目ですよ。布団にくるまっていたらいつかは眠れますから」

「……眠れなくてイライラするから、嫌だ」

「あー。寝具の中で悶々とする時ほど苛立つことはありませんからね。お察しします」

「で、どうしてくれるの? 責任取ってよ」

「責任と言われましてもねえ。ご覧の通りわたしはこの場で身動き取れませんし」

「寝なきゃ駄目って言ったじゃん」


 ぐうの音も出なかった。昼寝の道連れにしたのはこのわたしだし。かと言ってこの場で寝かしつけるわけにもいかないし、どうすれば……。


「……杏仁豆腐」

「……!」


 困っていたら救いの手が差し伸べられた。


 外側から聞こえるか聞こえないか程度に音量を絞って呼びかけてきたのは乾燒蝦仁だった。彼女は寝間着に上着を羽織っていて、なのに警棒を手にしている。

 麻婆豆腐様が深夜に徘徊したのに気づいて起きたのかしら?


「少しの間代わる。貴女は紅玉宮殿下を寝室へ」

「ですが、仕事をおろそかにするわけには……」

「この場は私でも代役が務まるが、殿下を寝かしつけるのは貴女にしか任せられない」

「……分かりました。少しの間よろしくお願いします」


 さあ行きましょう、と促すと麻婆豆腐様はようやくわたしから離れてくれた。それでもわたしの袖はしっかり握っているあたりちゃっかりしている。

 上目遣いの眼差しはわたしへの期待が込められていた。実に重い。


 後宮内での麻婆豆腐様の部屋は母親たる徳妃様と同じ建屋の中にある。けれど既に生活の中心は後宮の外、宮廷の方に移っている。なので部屋の中の私物はあまり見られず、少し殺風景に感じた。それでも残された調度品から彼を知ることは出来る。


「まさか一日に二回も麻婆豆腐様を寝かす破目になるとは思いませんでしたよ」

「もしかして、また僕を抱っこするの?」

「それもいいんですけど、眠りにいざなうんでしたらもっと効き目のある奴を。むしろわたしが一緒に寝ちゃわないかの方が不安ですよ」

「……僕はそれでもいいんだけれどね」


 聞こえません。何か言いましたか? わたしの記憶には何もありませんね。


 とにかくわたしは麻婆豆腐様に寝具の中に入るよう促した。素直に従った彼の許可を得てからわたしも潜り込んだ。

 さすが皇子が使っている寝具だけあって敷布団も掛け布団も柔らかいし温かい。睡眠にこだわりがあるわたしからすれば羨ましい限りだ。


「眠るには頭が休まるよう何も考えないのが一番ですけど、意識してやるのは中々難しいですよね。だから意識を外に向けるのが手っ取り早いです」

「例えば?」

「風の音や虫の音に耳を傾ける、とかありますが、今から取る手法はきっと麻婆豆腐様も経験がお有りかと思いますよ」


 わたしは再び麻婆豆腐様を抱きとめた。一瞬だけ彼の身体がこわばったものの、程なくわたしを受け入れてくれた。

 半日前は昼前だったからもあるけれど、夜って世界はどうも妙な気になるよう誘っているようだった。


 わたしは囁くように歌を歌い始める。母や姉が幼ない頃寝付けないで泣いていたわたしに聞かせてくれた子守唄だ。自然と興奮が冷めて段々うとうとし始めて、いつの間にか夢の世界に旅立っているのだ。


 わたしが知る子守唄が尽きてそろそろ二週目に入ろうとした頃だったかしら。麻婆豆腐様が可愛い寝息を立て始めたのは。わたしが子守唄を止めても全く反応を示さない辺り、無事に眠れたようだ。


「おやすみなさい。良い夢を」


 わたしは笑みをこぼしながら麻婆豆腐様の頭を撫で、起こさないように胴に絡まった彼の腕を引き剥がそうと……試みて失敗に終わった。思いの外がっちりわたしを抱きしめているせいで全く身動きが取れない状態に陥っていた。


 万策尽きたわたしは……、


「よし、寝よう」


 諦めて麻婆豆腐様の後を追うことにした。


 翌朝、乾燒蝦仁のご機嫌取りと徳妃様の追求を掻い潜るのに奔走することとなった。

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