ドワーフ村と少女
そろそろ涼しくなり始めた頃、聖剣チャレンジの団体客が来る時期になる。冬になるとこの辺りは雪は降らないが、それでも王都や他の都から長旅をするには辛い季節になる。
その為に冬に誕生日を迎える人々は、前倒しをして今の時期にやってくるのだ。毎年、宿屋では無い俺の家も臨時で兄貴や俺の部屋を宿として貸し出している。
その団体客を迎える準備で村中が大忙しだ。俺も聖剣の拭き掃除をいつもよりも2時間前から初めて、準備の作業に早く入れる様にする。
聖剣の拭き掃除の時に少女は1番いい笑顔をしているのが最近分かった。この時は少女は掃除をしている俺の周りをくるくると愉しげに歩いている。
今日の準備は隣村まで鍋と酒の買い出しの予定だ。隣村はドワーフ達の村で金属製品
と酒が特産品だ。ただ名工と呼ばれる程の名人は隣村にはいない。あくまでも調理器具や、狩人用の鉈や矢尻や槍の穂先程度がせいぜいだ。
俺はリアカーの様な荷車を引き山道を登っている。少女は最初後ろから押そうとしてくれていたが、白いワンピースが汚れそうだったし、荷物は野菜が少し載っているだけなので、今は野菜と一緒に荷車に乗ってもらっている。
「ふふふ〜ふふ〜」
少女はご機嫌な様子で、荷車にゆられながらも唄を口ずさんでいる。
隣村はこの山道を登り、降った先にある小さな村だ。村の中には坑道がいくつもあり、そこではドワーフ達が鉱石を掘り、それを職人達が調理器具や武器に変えている。
酒は村の横を流れる清流の水を使って仕込んでおり、雑味のない仕上がりになっている。もちろんドワーフ用の味よりも強さを求めた酒も作られている。
途中、道から外れた森の中に素早く動く影を何度か見かけた。こんな俺でも村を出る時には腰に護身用のショートソードを下げている。
ホーンラビットやゴブリンなら群れて来られない限り、身を守る事は出来る。素早く動く影がゴブリンなら問題無いが、他のモンスターなら一気に危険度が上がる。
そんな俺の不安を感じ取ったのか、少女ははっきりとした声でそれを伝えてくれる。
「あれはゴブリンです。2匹しかいません。」
「あ、ありがとう。」
「いえ、お姉ちゃんなので当然です。」
そう言うと少女は唄を再び口ずさんだ。懐かしい感じがするメロディだが、何の曲か思い出せないのがもどかしい。
ゴブリンと遭遇する事も無く、隣村のドワーフの村」に着いた。何度か買い出しに来ている為に顔見知りも多く、軽く挨拶を交わして村の中を進んでいく。
カーン、カーンと金槌を打ち付ける音がそこら中から響いている。その内の1つの建物を少女が指をさした。
「名工がいます。寄り道しましょう。」
「本当?都から来たのかな。」
どんな凄いドワーフがいるのかと、荷車を止め店先を覗いてみた。
「いらっしゃい。」
女将さんのエコさんが出迎えてくれる。
「こんにちは、どなたか新しい方が来てるんですか?」
「ん、家には旦那しかいないよ。それがどうしたのかい。」
「はじめまして、ジネヴィラです。うん、この響きと力強さ、剣が喜んでます。」
「そんなのが分かるのかい。わたしにはそんなのは分かんないからね。おーいアンタ、ちょっと来なー!」
奥の工房からロジーさんがやって来た。
「こんにちは、ロジーさん。」
「おう、ラクか。何の様だ。」
「この子がロジーさんの金槌の音が他と違うって。」
「初めまして聖剣のジネヴィラです。ラクのお姉ちゃんです。」
「聖剣だって?面白い事を言うな。ラクお前、こんな姉ちゃんいたのか。」
「ううん、最近ね。」
「ん?で、お嬢ちゃんがかい?」
「はい、剣を見せて頂けませんか。」
「最近ね、ロジーさんの剣ってこれ?」
「それよりこっちだな。」
そう言ってロジーさんは1つの棚を示した。少女は目を細めながらその棚の剣を1本1本見ていくと、その中から2本のショートソードを取り上げた。
両手にそれぞれ持つと、左右一度づつ振るとヒュンヒュンと風を切る音した。
「どっちも良い剣です。さすが名工です。」
「おだてるなよ、こんな田舎の鍛冶屋が名工なんて言ってられるか、恥ずかしくてよ。」
「おだててはいません。」
「こっちの剣は幾らでしょうか。」
少女は同じ棚にあった他の剣を手に取って、誰ともなく尋ねるとエコさんの大き過ぎる声量で返事が返ってきた。
「銀貨2枚だよ。」
少女はポシェットから銀貨を2枚出すと、エコさんに渡し、買った剣を壁に立て掛ける。
「見てて下さい。」
そう言うと2本のショートソードを左右に持つと右手は左から右へ、左手は右から左へ一閃し、両手が開いた状態で少女は静止した。
掛け声も金属音も無く、ただ銀貨2枚の剣が三分割になり、床板に落ちて響いている。
「はあ?」
「剣で剣を切ったのかい?」
「お嬢ちゃん何者だ。」
そんな質問に少女は胸を張って答える。
「ラクちゃんのお姉ちゃんな聖剣です。」
少女の宣言を全く無視して、ロジーさんは見立ての詳細を少女に問いかけている。
「嬢ちゃん音がどうとか、言っていたが教えてくれ貰えねえか。」
「槌の音が昔、都で聴いた名工の音と同じでした。」
「この剣なら金貨10枚でも安いです。ラクちゃん、お買い得品です。」
ロジーさんは少女から、剣を受け取ると刃先を見るが剣を切ったのにも関わらず、刃こぼれ1つ無い事にも驚いていた。
「ううん、金貨10枚の価値があるなら買えないから。それに俺はこれが有るから。」
と腰の剣を叩いてアピールする。
「お姉ちゃんもいます!」
腰の剣と張り合っているのか、ぐんぐんと近寄ってくる。
ロジーさんはまだ、他の剣と見比べているがエコさんはその2本の剣に金貨10枚と値札を貼り替えてしまっていた。
その様子を見て少女は満更でもない様子だった。
「名剣はそれなりの価値が有って突然です。むしろまだ安いぐらいです。」
エコさんと少女は気が合ったようで、買う予定だった鍋をこの店で全て買い込んだ。
そして店を出ようとした時にロジーさんにもう一度剣を切って欲しいと頼まれて、切って見せたが、それを見たエコさんにロジーさんは怒られていた。何故、廃棄品じゃなく商品を斬らせたのかと。
次は荷台の野菜をお金に変えなくてはいけない。広場を抜けて目的の店に向かう。イーナおばさんの商店だ。いつもこの店でお願いしている。
「ラク今日もいい野菜だね。これでいいかい。」
手渡された貨幣を数えると、腰の袋に入れる。
「ありがとうございます、助かります。」
「いいの、いいのお互い様だよ。本当にうちのバカ息子もラクみたいにしっかりとしてくれればねぇ。」
「タルマルは今日も坑道ですか。」
「ああ、家のが無理やり引っ張ってたよ。」
イーナおばさんの息子さん、タルマルはおばさんの言葉とは裏腹に毎日、真面目に坑道で採掘中だ。
御礼を言って帰ろうとした時、横にいた少女が山の方を向いて、俺の袖を引っ張った。
「ん?何。」
「坑道が騒がしいです。事故かも知れません。」
ここからでは坑道なんて見えないし、騒がしいと言う声なんて周りの鍛冶屋の騒々しさで、全く聞こえない。
しかしそのクールな表情には一切の嘘が感じられない。
「行こう。」
「はい。」
荷車を引き坑道へ向け駆けていく。鍋がガチャガチャと音を立てるが構わずに進む。
おばさんから離れると、横を走る少女が近づいてくる。
「さすがラクちゃん。お姉ちゃん嬉しいです。」
5分ほど走ると人集りが見えてきた。少女の言う通り何か有った様だ。チラリと横を向くと、コテンと顔を横にしてこっちを見返して来た。
人集りの中心はガタイの良いドワーフに、まだ若いドワーフが掴み掛かって叫んでいるのが見える。
「タルマル?」
そう若いドワーフはイーナおばさんの息子のタルマルだった。ガタイの良いドワーフは鉱山長だ。
タルマルは身体中に軽いカスリ傷を負っているが、彼自身には問題無い様だ。
「親父が俺を庇って、まだ出て来てないって言ってるだろ。誰か助けに行ってくれよ!」
「お前の親父さん以外にも、あと2名戻って無い。それでも無理だ、だれも救出には行かさん。」
「アンタも昔、ランク3の冒険者だったんだろ。それでも駄目なのか。」
タルマルは叫びながら、力任せに採掘長を揺さぶるがビクともせずに坑道を睨んでいる。
「ヒュージアシッドスライムを掘り当てたテメエが一番良く分かってんだろ。奴がどれだけ危険なのかを。」
ヒュージアシッドスライムは全長10メートルの緑と茶色の混じった様な色をしたスライムでその分泌される体液は強力な酸だ。
その酸に直接触らずとも気化する気体を吸い込んだだけでも獲物を死に至らしめる。それが密閉された坑道なら更に危険度が増す。
その名前を聞いた瞬間に少女は俺の手を引いて坑道に向けて走り出した。入口には何人かの男達が中の様子を伺っていたが、横をすり抜けていくには妨げにはならなかった。
俺たちが坑道に入ったのを見た、男達が制止させようと、声を荒げているがもう俺たちの姿は見えない筈だ。
二回程、分かれ道が有ったが少女は躊躇いもせずに進む。まるでマップやレーダーのスキルでもあるかの様に。ただ勇者ですらそんなスキルを持っていると聞いた事はない。
「退がれ。退がってなるべく高い所へ上がれ。奴の毒は地面から来るぞ!」
「駄目だ、もう退がれねえし、高い所なんで無ぇぞ!」
「ゴホッ、もう終わりだ。」
ヒュージアシッドスライムに追い詰められた3人は狭い坑道の末端に身を寄せ合っている。その15メートル先に酸の湯気を立てながら地面をゆっくりと這う捕食者がいた。
「少しだけ息を止めてください。」
少女が視界の端にスライムを見つけると、俺にそうお願いしてきた。
俺は息を止め、左手で口を押さえて頷いた。右手は少女と恋人繋ぎだ。
「うん、それで大丈夫です。えい。」
その一刀でヒュージアシッドスライムが縦に弾けた。そして体内の酸を空中に巻き上げていく。
「やあ。」
今度は水平に右手を振ると、スライムのいた空間に横線が入った気がした。
「毒は全て斬りました。もう大丈夫です。」
少女ははにかみながら走りだす。手が繋がったままの俺は自分の腕に引っ張られて、走り出す。
ヒュージアシッドスライムの残骸を飛び越え、男達の所へと辿り着いた。男達は目紛しく変化する状況についていけずに、ただ呆然としていた。
「お、お前ら。毒は大丈夫なのか?」
「はい、全て処分しました。気分が優れないようですのでここで治療します。」
3人とも少しづつ吸い込んでいた様で、少女が順に胸の辺りに手をかざして行くと、ヒールの魔法が発動し、みるみる内に顔色も良くなっていった。
「外では皆さん心配されていますので、戻られた方がよろしいです。」
「そう言えば、息子さんも心配されてました。」
今さっきまで死と隣り合わせだったはずなのに、少女に淡々と治療され、出口へ向かう事を促された3人は狐につままれたような風で俺たちの前を力無く歩いている。
それも出口を出るまでだった。坑道を見張っていた男達が3人を見つけると、大声で生還を叫び喜んだ。すると鉱山長らの集まりが何事かと走り寄って来た。そこから3人は揉みくちゃにされていた。
この時になって漸く3人は生還を実感した様だった。タルマルの親父さんはタルマルに飛び掛かられ、泣かれだしたので、その対応でも精一杯の様だ。
「こっちです。」
少女に手を引かれ、人混みの中をすり抜けていく。大回りに回り込んだ、そこには俺の荷車が有った。
少女の歩みが止まったので、一呼吸置き、握っていた手をほんの一瞬だけ、力を抜いて握り直すと少女は振り向いた。その蒼く澄んだ瞳に話し掛ける。
「ありがとう助けてくれて、ジネヴィラのお陰でだれも死ななかった。」
「うん、良し。」
少女は腰の辺りで小さくガッツポーズを取ると俺の手を離した。弾む様に荷車を大きく回り込むとその荷車にちょこんと座って微笑んだ。