いけない図書館の使い方
「ん? なに?」
ナディアに動かされたけど、邪魔だったのだろうか。だけどナディアはヴァイオレットの顔をにこやかな笑顔で見上げて、いや、にこやかか? 笑顔だけど。嬉しそうだけど。
疑問に思いながら尋ねると、ナディアは背伸びをしてぐい、と顔を寄せてきた。きらきらした目が手のひら一枚分もない距離で輝いている。
「マスター、ここなら、二人きりですよ」
「! あ、そ、そうだね?」
あいまいに相槌を打ちながら、さっきのお願いを今叶えてくれるということだろうか、じらし上手だなぁと微笑み返す。
「じゃあ、手、つないでくれるってこと?」
「ふふ、マスター、ほんとに、かわいいですね」
ゆっくりとした間延びした言い方に、どうしようもない艶を感じて瞳から目を離せないヴァイオレットに、ナディアはそっと右手をヴァイオレットの左頬にそえて、そのまま右頬に口づけた。
「……」
「……な、ナディア、まずいよ。図書館で」
「先に手を繋ごうとしたのは、マスターですよ? なんて、ふふ。こんなに可愛いマスターをみて、我慢できるわけないです。だから、マスターが悪いんですよ」
ひどい責任転嫁があったものだ。だけどそれと同じようなことはしょっちゅう考えていたし、口に出したこともあるヴァイオレットに反論はできない。
だけど、ここは実際に図書館、公共の施設なのだ。今は人がいないけど、いつくるともわからない場所で、なんて。
頬に口付けあった経験はもちろんある。だけどそれはいずれも、家で二人きりで、お互いに十分気持ちを高めあった状態でするのであって、こんな、外で、いきなりナディアからなんて。
急激に心臓が動き、さっきからうるさいくらいだ。いつも控えめなナディアが、我慢できないとヴァイオレットを壁に押し付けて自分から頬にキスするほど、求められているのだ。そんなの、興奮しないほうが嘘だ。
だけどここは図書館だ。真面目に勉学にいそしむか、そうでなくても知識を求めてやってくる人ばかりで、こんな不純なことをしている人は一人だっていないだろう。見とがめられたら、ヴァイオレットのことを知らなくたって、なんと言われるかわかったものではない。
「な、ナディア。気持ちはわかるよ。私だって、ナディアと二人きりになりたいって思わないわけがないんだから。でもね、ここは図書館なんだから。我慢しよう?」
「そうですね、図書館でこんなこと、駄目ですよね」
「うん、そうだよ」
素直に頷くナディアに、だけどその瞳は全く安心できないほどらんらんとした輝きのままだ。それどころか、小声で会話しているまま、ナディアはさらに顔をよせてくる。
「はい、だから、マスターは抵抗してもいいですよ」
「え?」
「私が、無理やりするだけですから」
「!?」
ナディアはヴァイオレットの肩を左手でつかんで、壁に押し付けるように強引に下げて鼻先にキスをしてきた。押さえられている肩が痛いくらいだ。だけど至近距離で上から見下ろしてくるナディアに、心臓が破裂しそうで胸をおさえた。
そんなヴァイオレットに、ナディアはにやりと笑って耳にキスをした。そして耳たぶを遊ぶように舌でなでる。
「んっ、な、ナディア、ほんとにまずいって」
思わず声が出てしまって、口元をおさえてから慌てて声をかけるけど、ナディアはとまらない。とまるどころか、舌は耳たぶからあがって一周して、耳の穴にまで侵入してきた。
「っ、ぅ」
くすぐったい。と思うと同時に、暖かい何かが流れ込んできた。その思いもよらない気持ちのいい何かに、声を出してしまうのをこらえる為、口元の自分の人差し指の関節を噛んでこらえた。
魔力を入れられている。そう遅れて気が付いたけど、普段刺激の少ない耳の穴の中、しかも皮膚が吸収しない分奥までどろどろと流れてくるようなその快感は、脳まで侵攻されるようで体から力が抜けてしまう。
「ぐっ」
膝が震えてたまらず折れてしまう。重力にしたがい下がる体を、ナディアが右手を腰に回して支えてくれたけど、そのままさらに全身を壁に押し付けられてしまう。
しつこくなめられて、ぴちゃぴちゃと唾の音が耳元でなり、図書館全域に鳴り響いていると錯覚しそうだ。
「や、やめて」
恥ずかしい。めちゃくちゃに恥ずかしい。単純に耳をなめられて悶えているだけでも恥ずかしいのに、音までならされて、しかもここは図書館で、とどめに気持ちよくなってしまっているのだ。本当に顔から火が出そうなくらい恥ずかしい。
もう自分で自分の声量がわからない。できるだけ小さな声をだしたいので、ほんのわずかにだけ喉を震わそうとして、声がかすれた。だけど確かに聞こえたようで、ナディアはぴたりと動きを止めた。
「……ふふ」
ゆっくりヴァイオレットを抱きかかえなおしたナディアは右腕で安定して腰を抱き、背中に左手をまわし自分にもたれさせた。
なんとか顔だけをあげてナディアを見ると、濡れた唇で微笑み、それからまた顔をよせてきた。
反射的に身をすくめながら、耐えるようにかたく目を閉じるヴァイオレットの耳に、ふっと息が吹きかけられる。ぞくぞくと背筋があわだつ。
「っ」
「マスター、そんなこと言って、抵抗しないんですね」
「そ、それは、だって」
「だって、なんですか? ちゃんと言ってくれないと、やめる理由になりませんよ」
「っ」
答えないといけない。やめさせないといけない。心臓が早くて、呼吸が荒くなって、自分が興奮してしまっていることはわかっている。
だからこそ、早くやめさせないと。そうでないと、頭がおかしくなってしまいそうだ。人が来たら、そう思うほどに、苦しいくらいで息が詰まりそうだ。
「き、気持ちいいから、力が抜けちゃったんだよ。だから、もう、やめて」
「マスター、耳の穴が弱かったんですね」
「っ、そ、そんなんじゃないって。ねぇ、ナディア、本当、私が悪かったから。もうやめよう?」
「ふふ。何を言っているんですか? マスター? マスターは何にも悪くないじゃないですか」
まったくもってその通りだ。別にヴァイオレットが特別ナディアを誘惑したとか、無理に我慢させたとか、そんなことはない。何も意地悪される覚えは、いや、まぁ、絶対ないかと言われると、過去に遡るとわからないけど。
中断されていることで、少しだけ冷静な思考が戻ってくる。何とか息をととのえる。まだ心臓はドキドキとうるさい。だけどそれは、ナディアに抱きしめられているこの状況なのでもう仕方ない。
「ナディア、見られたら困るし、セリカも待ってるから、もうやめよう?」
「大丈夫です。見られませんし、今セリカの名前を出すのは、無粋ですよ」
「無粋って。んんっ」
ちゅ、とまた耳にキスをされた。さっきとは違う、軽く触れるキスだったけど、余韻もあって、つい声が出てしまった。響いた気がして、かっと体が熱くなる。周りを見回す。相変わらず、人影はない。ホッとすると同時に、また耳元でナディアが囁く。
「あれ、マスター、キスだけなのに反応がいいですね? もしかして、図書館だからですか? 見られるかもしれないから、恥ずかしくって、気持ちよくなっちゃってるんですか?」
「っ、そ、そんな、そんなんじゃないってばっ」
「声、大きいですよ。抑えないと」
「っ!」
声をださせているのはナディアなのに、指摘をされて腹立たしくて、だけど何より、ナディアの指摘が全くの的外れではないことが、とても恥ずかしい。
少なくとも事実として、絶対にいけないのにという思いが、いつもより余計にヴァイオレットを緊張させ、過敏にさせているのは間違いない。そしてそれが、より快感につながっているのも、嘘ではない。
それを自覚してしまって、逃げたいくらいなのに、ヴァイオレットはナディアの腕の拘束から逃げられない。もちろんそれは、力が入らないからではない。
もう足にも力がはいっている。だけど、愛しい少女に抱きしめられて、求められて、可愛がられて、気持ちよくされて、そこから自力で脱出できるほど、ヴァイオレットの意志は強くなかった。それでもなけなしの理性が、本気で見つかったらまずい、と警鐘をならす。
「ナディア、お願いだから。ねぇ、今度、二人きりになったらなんでもするから、今はやめようよ」
「大丈夫です。私、耳がいいですから。ちゃんと、人が近づいたらわかります。私だって、マスターの立場とか、少しくらいわかるんですから」
「ほ、ほんとに?」
「はい。二つ向こうの棚よりこっちに、誰もいませんよ」
「!?」
ふ、二つ向こうって、それは、会話の内容が聞こえたりはしないだろうけど、誰かがいて内緒話をしているとか、さっきのヴァイオレットの思わず出した声とか、特徴的な水音とか、聞こえてしまっても不思議ではない距離ではないか?
足が震える。確かにそれだけなら、ヴァイオレットだとはバレないだろうし、ちゃんと音で補足しているなら、顔を合わせずに何とか逃げることだってできるだろう。だけど、誰かいてわざわざ確認には来ないけど不謹慎なことをしているとは思われているかもしれないと言うことだ。
なんなら、距離はあるけどこちらの様子を伺われている可能性すらあるのでは?
「き、聞こえているかもしれないって」
「でも、さっき来てから一歩も動いてませんから、大丈夫ですよ」
「んんん」
それは確かに、こちらを確認しにくる可能性は低いのもかもしれない。そこは安心していいのかもしれない。でも、ずっといるって出歯亀されている可能性がむしろ高いのでは?
ますますやめろと理性が言うけど、ナディアが首筋をなめあげて声がでてしまうのを歯を食いしばって耐えようとしたけど鼻から息がもれた。確実に誰かに、今の様子を伺われている。そう思うと羞恥心で死にそうなのに、ナディアの熱や魔力が生々しくて、気持ちよく感じてしまうことが悔しくすらあって、それがなぜかわからないけど、余計に快感を増幅させる。嫌なのに、気持ちよくてたまらない。
「大丈夫です。危なくないように、気持ちよくしてあげますね」
べちょべちょにされた。
件の足音は二人が戻ろうとわざと音をたてて歩いたら走っていなくなったので、明らかに出歯亀であったようだ。個人特定はされていないはずなので社会的立場だけは守られたけど、ナディアには重要な秘密を握られてしまった感しかない。
自分ですら知らなかった事実を発掘されて、ヴァイオレットはその事自体にも妙に興奮してしまう自分に、気づいていないふりをした。
なお、セリカは本を集中して読んでいたらしく全然怪しまれなかった。だからセーフ。セーフだと、思いたい。




