ナディアの思い
「っ、はぁぁぁぁ……」
ヴァイオレットがベッドの中でナディアを思ってもぞもぞしているころ、そのすぐ近くの自室で、ナディアもまた、眠れずに長い長い溜息をついていた。
お風呂上り、何気なく訪ねたヴァイオレットの姿は、とても無防備だった。当たり前だけど、軽装で、まだ髪が湿っているらしくしっとりして頬に一筋張り付いていた。ありていに言って、とても色っぽい。とてもドキドキした。
それがでも、素直にそう感じるのは何だか悔しくて、もやもやするのだ。
ナディアがこんなにも複雑な気持ちになるのは、理由がある。それを説明するためには、ナディアが故郷をどうして出てきたのか、まで遡る必要がある。
ナディアが故郷を出た理由は、取り調べ時には濁したし、ヴァイオレットも知らないことだが、今後も伝えるつもりはない。なんせ、恥ずかしすぎるからだ。
故郷は当然ながら、エルフしかいない集落だ。エルフは他の種族とは違い、性の分化が起こる前の種だ。だからこそ誇り高いわけだが、他の種族に性別ができたのはより容易に繁殖するようになるためだ。
体内にある子供を育てる子宮内に、自身以外の魔力を一定貯めて、そこで自身の魔力と結合させることで、新しく命が生まれる。それがこの世界におけるすべての生命の成り立ちだ。それはより繁殖しやすい器官により性差ができた種族も同様だ。
性差により、男女であれば直接子宮内に魔力を注ぎ込めるため、元来の口内の注入口から魔力を入れる繁殖方法よりも高確率で繁殖するようになり、エルフ以外の種族はどんどん数を増していった。
当然、元来の繁殖方法でのみ増えるエルフは相対的に数が少なくなってしまった。その為、せめて少しでも子供ができやすいようにと、魔力の相性によって多くの子供が生まれるよう、成人する際にペアを決める許嫁制度がエルフの里では定着しているのだ。
とは言え、別に強制ではない。成人するまでに相手ができれば、そのままだし、あくまで独り身で結婚しなかったりするエルフがいないようにしているだけだ。
しかし、ナディアは成人を控えて、自分の許嫁予定の人を知ってしまった。その相手は、自分より少し上の親戚で、そこそこ仲は良かった。けれど、ナディアにとっては驚愕だった。相手は、魔力がかなり少なかったのだ。
ナディアは昔から、大抵のことはできたし、親族からもよくできた子だ、素直でお手伝いも率先する扱いやすい子だとされてきた。よく働く分、多少の我儘が通ったり甘やかされてもいて、なんでも思う通りに物事が進むようにすら思っていたのだ。なのできっと結婚相手も自分の理想の相手にいずれはめぐり合うんだろうと勝手に信じていた。
しかし、誰にも言ったことがなかったのだが、ナディアは理想の王子様のような存在を、結婚相手に求めていたのだ。端的に言うと、好きな相手の子供を産む側になりたかったのだ。もちろん、性別がないエルフは誰と結ばれても基本的にはどちらに子供ができるか確率は半分半分。どちらにもできる。
が、旧繁殖しかないエルフにとって、魔力が少ないと言うことは相手に子供をつくらせる力が弱いことに直結してしまうのだ。
里の思惑としては、だからこそ、魔力の少なく孕ませられないエルフは、魔力が多く確実に孕ませられるエルフとペアにすることで、繁殖数を増やそうとしてそのような組み合わせにしたのだ。
だけどそれは、ナディアにとっては受け入れられないことだった。だけど仲がいい相手だからこそ、嫌だと言いにくく、思い余って家出をしたのだ。
つまりこれは、ナディアにとって、婚活の旅だったのだ。理想の王子様を探して、素敵な結婚をして、可愛い赤ん坊をその身に宿すことが目的だったのだ。
そんな脳みそからっぽの恋愛脳の無計画家出で空腹をかかえて食い逃げした、とは言いにくすぎるので、家出の経緯はぼかしたのだ。
もちろん、反省はしている。お腹が減って、魔力の量が命に直結するナディアにとってはもはや瀕死状態で、死ぬくらいならと食べたが、悪いことなのはわかっているし、償うつもりだ。
そこは真面目に、ちゃんとする。思い込んだら一直線とばかりに家出してきたナディアだが、善悪の区別はキチンと教育を受けている。
思った以上に大事になってしまって、どうしようかと思っている間は、さすがに婚活のことは忘れていたし、刑期を全うしてからと考えていた。
しかし、いざどんな刑罰なのかと恐れるナディアに、偉い人らしき男、ルロイはこう言ったのだ。
実は、俺の大事な友達が、結婚相手を探しているんだけど、と。
は? いやいや。そんな。償うといっても、そんなの身売りみたいなのは嫌! とはもちろん思ったのだが、よくよく話を聞くと、どうやらあくまで刑罰としては家事手伝いで、結婚するかは自由意思らしい。
仕組みはよくわからないが、首輪が無理強いしない為にも機能してくれるらしいので、変なことをされるとか、そういった心配はないらしい。また、もし嫌なことをされたなら、ちゃんと対応してくれるらしい。
それに人間としてとても信頼できて、絶対にそんなことはないはずだし、ナディアの稀少性や安全性のためにも、候補は少なく、その中では一番いい条件なのは間違いない、と言われた。
そういうことなら、とりあえず、ナディアには拒否できない。それに、もしかしたら、その人が理想の王子様かも? なーんて想像で胸もたかなり、わくわくしながら、ヴァイオレットと会える日を待っていたのだ。
もちろん、王子様でなくても、いい人なら普通に罪を償うだけだ。反省はしないと。と浮かれそうな心を引き締めていたナディアだったが、ヴァイオレットを見た瞬間、正確にはその存在を感知した瞬間、全てが頭から吹っ飛んだ。
ヴァイオレットが部屋に入るため扉を開けた瞬間から、その魔力のあまりの強さに、もうナディアは、あ、孕む。と思った。もちろん、接していない空気上での魔力で孕むことはない。しかし、それくらい濃度の濃い魔力だった。
傍に近寄ると、空気がすでにおいしかった。意味が分からない。夢でも見ているのかと思ったくらいだ。なんとか、平静を装って飲み物をいれて席につけたけれど、ナディアは気が気ではなかった。
魔力の多さは、要するに子孫繁栄能力の強さだ。本能的に、魅力的に感じてしまう。外見の美醜をあまり気にせず、直接的に魔力によって生きるエルフだからこそ、魔力はとても重要だ。それこそ、一目で釘付けになってしまう程度には。
だけど、こんなの、まだ、恋なんかじゃない。とナディアは自分に言い聞かせた。だってこんなのは、いわば外見だけでどうこう言っているようなものだ。見た目が好みと言うだけでああだこうだという人間を馬鹿だと思っていた。
だって、見た目なんかどうでもいい。大事なのは、ナディアが伴侶に求めるのは、ナディアに優しくて格好良くて強くて逞しくて、なによりナディアをお姫様扱いしてくれる素敵な王子様で可愛い子供を授けてくれていい親になってくれると言うことだ。
性別のないエルフだが、だからこそ、子供を産むのが母で、産ませた方が父役となる。要するにナディアは、お姫様になりたいのであって、誰かの王子様にはなるのは違うのだ。
恋に恋する乙女。脳内お花畑の馬鹿エルフ。そんなナディアにとって、突然現れた、自分と結婚したいと思っている、見るだけで唾が出てくるほどの魅力的な魔力をもった人間。少なくとも、確実に自分が産む側になれる。
ていうかもはや結婚とかそんなのどうでもいいから、魔力を食べたくなる。そんな理性が飛んでいきそうなほどの魔力の持ち主に、ナディアはくらくらしてきた。
確かに子供が産みたかったのだから、このヴァイオレットと言う人間は、結婚相手として間違いないかもしれない。でも、それだけではない。それだけじゃなくて、やっぱりちゃんと気持ちとしてももっとこう、ちゃんとした恋人じゃないと嫌だ。とナディアは思っている。
魔力だけが目当てとか、条件が合うからじゃなくて、ちゃんと相思相愛で、ちゃんと恋愛感情を持って、魔力だけじゃなくて中身も素敵で例え魔力がまずくても結婚したい、この人の子供を産みたいと思う相手じゃないと嫌だ。
だから、まだこれは恋なんかじゃない。
ナディアは心臓を落ち着かせるようつとめる。まだだ。正直これから恋が始まっていく可能性しか感じないけど、でもまだ、ナディアはそこまで安い女じゃない! 一目惚れなんてしない!
それに、確かに悪いことをしているのだ。すぐに恋だのなんだと浮かれるのはよくない。と思うのに、ヴァイオレットはそれもそんな気にしないでとか言ってくれる優しい好き! あ、いやいや。まだまだ。そんな。
幸い、ヴァイオレットもそのつもりのようで、ゆっくりでいいとは言ってくれてはいる。でも可愛いとか言って、家族になりたいとちゃんと告白はしてきた。
正直殆ど反射的に、こんな魔力の持ち主に求められるとかめちゃくちゃ嬉しい! と思ってしまうけど、だけどこんなに軽く告白してくるなんて、誰でもいいんじゃないの? なんて気持ちにもなった。
まあ、でも、悪い気はしないし、まずは贖罪をすべきだし。とりあえずは、結婚とか置いといて、この街に、そしてヴァイオレットになじみ、そしてよく知るところから始めなければならない。
そんな風に思っていたのに、全然、ヴァイオレットはぐいぐい来る。可愛いとか普通にべた褒めしてくるし、言動のいちいちが積極的に過ぎると言いたい。もちろん、限度は超えてないけど、それでも、仲良くなりたい感半端ない。
そうでなくても、食事の時点でめちゃくちゃ美味しすぎて気絶するかと思ったくらいで、もうこのまま流されて今すぐ結婚したいと決断しかけた。ずるすぎる。魔力が魅力的すぎてもう反則だろう、これは。
中身を、中身を見極めないと。まだ恋とは言えない。とは考えているのだけど、少なくとも今日一日の行動全部凄い好き。
まず、全体的に優しくて紳士的で、ナディアにけして無理強いしないけど、そっと誘導してくる感じとかリードしてくれてるみたいでとても接しやすい。あ、あと魔力さえあれば野宿生活でも特に困らないエルフ的にはそれほど重要視していないけど、立派なお仕事をしているようで生活も裕福のようだ。
そしてなにより、エルフ的にめちゃくちゃ重要な魔力は百点満点、超えて億点満点といってもいい。すぐ惚れそうでやばい。
でも、ちょっとまって欲しい。まだ会ったばっかりだ。だいたい考えてみても欲しい。
相手のヴァイオレットは50歳なのだ。なんの種族か聞いていないけど、長寿種族なのだからエルフ基準で考えていいだろう。つまり、ちょうどいい結婚適齢期。仕事も恋も色んな事を経験済みで一人前の大人だ。未成年のおぼこいエルフ一人、手玉に取るなんて訳もないだろう。
つまりこれはいま、試されているのだ。酸いも甘いも噛み分けたヴァイオレットの手練手管に簡単に乗ってしまっては駄目だ。もっとちゃんと、素のヴァイオレット、というか、なんというか、とにかくもっと見極めないと、一目惚れなんて認めないんだから!
とナディアは自身に言い聞かせているが、長かった今日が終わりに近づき気が抜けてしまった。
最後の最後に、ヴァイオレットのお風呂上りの姿を見て、めちゃくちゃ色っぽくてめちゃくちゃドキドキしてしまった!!
そんな、一目惚れするような安いエルフじゃないのに。うー、悔しい。相手は大人なんだから、ナディアなんか簡単にドキドキさせてしまうんだ。悔しい。
ヴァイオレットにとって、ナディアはどんな存在だろう。あれだけ、迫っているのだ。当然悪くは思っていないし、結婚したいと思っているのだろう。
だけど、初対面だ。何よりナディアは家出食い逃げ娘なのだ。いい印象の訳がない。あ、泣きたくなってきた。
でもだって、そうではないか。ちょうどいい、都合がいいし、悪くないから、結婚相手として見てくれているのに、ナディアは一人だけ一目ぼれして舞い上がっているなんて。悔しすぎる。なにより、そんな風に思うのに、それでも偶々偶然、ちょうどいいからだけでも、結婚相手として選んでもらえていることが、嬉しいと思ってしまっている。
それが何より、悔しい。ナディアは、これが恋なんて認めない。もっと、ヴァイオレットのことを知って、そしてもっとナディアのことを知ってもらって、そしてナディアに夢中になってもらわないと、これが恋だなんて認めないんだから!
ナディアはそう心に決めて、とにかく眠らなきゃと、寝具の中でごろごろしていたが、何度もヴァイオレットの姿が浮かんでしまって、なかなか寝付けなかった。