お酒2
「ん」
「どう?」
お酒が程々に入ったカップを受け取り、気持ちだけ喧騒を離れた塀近くに移動して口をつけた。ヴァイオレットにとっては、なれた味だ。
毎年のお祭りもそうだけど、普通にその辺の居酒屋でも出されている、安価なお酒だ。感激するような味ではなく、無難にそこそこに美味しい。
「そうですね、こう、泡が面白い感じはしますけど、特に美味しくはないですね。苦みが気になります」
「前に飲んだことあるお酒って言うのもエールだったの?」
「そうですね。あと一度だけ、赤いすっぱいようなのも飲んだことあります」
「ふーん」
ナディアは甘いものが好きだし、今まで食そのものの味に無頓着だったのだから、まだ食事をとり始めたばかりの子供舌として扱った方がいいだろう。
赤いすっぱいと言うのは、おそらく果実酒だろう。普及度から考えれば、ワインの可能性があるが、酸味の強いワインの銘柄がこの辺りにあっただろうか。封をあけて放置するとすっぱくなるが、それだろうか。またはナディアの味覚が鋭かったり、極端に酸味が苦手な場合も考えられる。
とりあえず、次は無難に甘い果実酒を飲ませてみるのがいいだろう。
「じゃあ、それも飲んじゃうね。次行こうか」
「え、そんな、飲めない訳じゃないですし、残り物をマスターに処理させるみたいな」
「変な風に思わなくてもいいでしょ。ナディアが口をつけたからって、私にとって悪くなるものじゃないよ。むしろ、よくなったくらいだよ」
「マスター……じゃあ、私がマスターの残りを飲みますね」
それは何の意味はあるのだろうか、と思ったヴァイオレットだったけれど、ナディアが楽しそうなのでその通りにした。
とりあえず一杯を飲んで、ナディアの反応は大したことはない。様子を見なくてはいけないが、予定通り二杯目を飲みに行ってみよう。
ナディアの足取りにも問題がないことを確認しながら、教会を出て、今度は先日も来た大通りだ。
大通りでは酒蔵と協力した、比較的安価の飲み比べの期間限定商品を出している店がたくさんある。教会はエールしか出していないので、他の味を試すと言うことで、果実酒を多数扱っている大きな酒屋に向かう。
大通りになると、最も大きく混雑する教会があるので、やはり相当な混雑だった。初日で体験したとはいえ、先ほどまでとの落差か、ナディアはやや不安そうにヴァイオレットと繋いでいる手に力を込めてきた。
笑顔で励ましてさりげなく、周りと接触したりしないように流れを見ながら歩く。人ごみになれたとは言え、まだまだナディアはのびのびと育った感覚がなくならないようでどこかおおらかな歩き方なのだ。
「すみません、混雑しておりまして、立ち飲みの形になってしまいます。それでもよろしければすぐご提供いたしますが、どのようにさせていただきましょう」
「立ち飲みで大丈夫です」
大きな酒屋は小売用店舗と飲食店舗を併設していることが多く、お祭り中もそこで食べられるのだけど、人が多いため、半分テーブル席がなくなっていて立ち飲み用になっている。入り口が開放され小さく背の高い丸テーブルが店の前にも置かれ、好きなところで自由に飲めるようになっている。
待てば奥に残してあるテーブル席を利用することもできるが、外の立ち飲みの方が、お祭りの雰囲気を感じられるので外の方がいいだろう。
ナディアに一瞬アイコンタクトしてから注文し、5つのカップとおつまみがおかれたトレイを受け取り、外に出て一番端のテーブルに置く。
「これは、エールではないですよね。色が綺麗ですね」
「果実酒だよ。色々な果実でできるからね。まず、一番よく作られているのがこれ、葡萄酒だね」
「これが。多分、飲んだことあると思います」
ナディアはカップを持ち上げて、覗き込むようにしてカップを揺らして、鼻を寄せて匂いをかぎながらそう言った。
そして警戒するようにそっとカップを置いたので、ヴァイオレットは苦笑しながらおつまみとしてナッツのお皿をナディアの前に押し出す。
「飲む前に、さっき一杯飲んだし軽く入れようか」
「そうですね、じゃあ食べさせ、あ、すみません」
一粒持ち上げて微笑んだナディアは、言葉の途中ではっとしたように俯き、自身の口に入れた。
食べさせてあげます、何て風に言おうとしてくれたのだろう。とても嬉しいけど、屋外にもほどがある人混みのすぐ隣だ。
そっと机の下でナディアの手を握った。と言っても、ここまでも手は繋いできたのだけど、それでも慰めたい気持ちは伝わったようで、ナディアは顔をあげてくれた。
「一口ずつ、味を見てみよう。気にいったのがあれば、今度は家でゆっくり飲めばいいよ」
「はい、マスター」
3粒ほどお互いに口に入れてから、一つずつ順番に飲みあう。なお飲み比べは一セットであり、同じカップの回し飲みである。
これはナディアの飲酒量が多くなりすぎないようにする配慮でもある。そして本人は外見は女同士なので、女同士でも付き合えるとは言っても、異性よりは同性のほうが距離感が近いのでこのくらいなら何の問題もない主従関係だと思っている。
だが実際には、距離が近いと言っても、ヴァイオレットは他人同士の距離感にそこまで気をつかっていないのでどれほどのものか正確に把握しているわけではない。ほぼ自身の体験談を元にした考えであり、勝手に自分が他の人に距離感を近くして、単に親交があるので許されてきただけだ。
なので回し飲みですら、めちゃくちゃ仲がいい相手とするものと世間的に思われているし、手を繋いでいたら同性でも付き合っているか近い関係だろうと思うのが普通だ。
ヴァイオレットが過去に見てきた街中で手を繋いでいる女性同士は、普通に付き合っているから繋いでいただけで、当時はそう思わず友人同士でつないでも普通と認識しただけだ。
と言う訳で、多少自重したところで正常な主従関係だとは全く思われないのだけど、保護している形ではあるのでぎりぎり言い訳できなくもない範囲、なので先日の受付でも見逃されただけだ。
ヴァイオレットのそんな自覚0の自制により、絶妙な距離感を保ったまま、味見を重ねていく。
「ん、これ美味しいです」
「ああ、リンゴ酒だね。飲みやすいよね」
「はい、リンゴの爽やかな味が、凄く、いいですね」
「逆に苦手なのは、葡萄酒かな?」
「そうですね。こう、舌がピリッとする感じが」
「渋み、かな?」
「しぶみ? ですか? マスターは味の表現も色々知ってるんですね」
「まあ、多少はね。ナディアも私と一緒に食べていけば、同じようになるよ」
ナディアの味覚はまだまだ、開発し始めたばかりで、舌で感じたことを言い表す単語をわかっていないだけだ。味の違い自体はよくわかる繊細さも持っているのだから、どう言った感覚が、どう言った味覚なのかを知って行けば、ヴァイオレットよりよほどの食通になれるだろう。
一通り味をみて、ナディアが気にいったリンゴ酒を購入して、後ほど家に届けてもらうよう手配する。
ゆっくり少量とは言え、飲むばかりだと酔いが回ってきている気がしたので、ヴァイオレットが一度落ち着くため、食事をすることにした。
空腹はあまり感じていないが、お祭り騒ぎの中の移動なので、時間はそれなりに経過している。お昼近い時間だ。混雑が始まるより先に食事をするのもちょうどいいだろう。
「ナディア、昼食は何食べたい?」
「そうですねぇ、リンゴが食べたいです」
「それはとってもいい考えだけど、リンゴか。今なら、果物屋の前で食べ歩き用があったと思うし、行って見ようか」
「はい!」
カップなどを返却し、離れないようにかたく手を繋いでまた喧騒の中を歩いて行く。果物屋を目指すが、商店街の中にあるので当然そこまでの道程も、屋台だらけだ。
いい匂いがしたり、人だかりができていたり、興味がそそられるものも一人分ずつ購入して、分けて食べていく。
ナディアが好き嫌いがないので、気軽に一緒に食べようと誘えるので楽でいい。一人よりもたくさん食べられる。これぞ複数人で楽しむことの醍醐味だ。
「んっ、あひ、うん、美味しいよ」
揚げ物の串を頬張ったヴァイオレットは熱さに一瞬口を開けてから、空気で冷やして味わって飲み込んでから、残りをナディアに差し出す。
ザクッと言うほど衣がしっかりしているけど、中は柔らかくて、なにかこりっとした触感もある。美味しい。ミンチ肉でコロッケの仲間だろうか。
混雑していて、商品名しか情報を得られなかったので想像してみるヴァイオレットに、ナディアはヴァイオレットが差し出した串を手ごと握って顔を寄せて食べて笑顔になった。
「ん! これいいですね」
「うん、美味しい。何が入ってるんだろ」
「今度家でつくりますよ」
「え、そんなのできるの!?」
「はい。だいたい作り方は想像つきますから」
これが春まで料理を切って焼くくらいしか知らなかった娘の言うことだろうか。日々真面目に家事をしてくれ、あげた本をもとに様々なレシピに挑戦してくれていて、もう立派な家庭料理人とは思っていたけれど。
まさか食べた料理をすぐに真似する算段を立てられるとは。単にレシピを覚えてできるだけではない。応用力が違う。天才だ。
「さすが、ナディアだね。楽しみにしてるね」
「ふふ、はい。任せてください」
胸を張るようにして力強くうなずいてくれるナディアにヴァイオレットは、めちゃくちゃいい嫁。と思ってから、自分で、嫁か……と照れくさくなって、誤魔化すように見えてきた果物屋へ足を向けた。




