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お祭り

 何はともあれ、プロポーズをする前と後ではやはり心づもりも変わってくる。結婚前提であろうと、恋人は恋人だったけれど、今はやっぱり婚約者の気分だ。

 そう、ヴァイオレットは端的に言って浮かれていた。


 翌日、いつものように仕事をして、いつものように家に帰り、いつものように料理をしている後姿を見ているだけで抱きしめてしまいたくなって、さらに我慢できなくなってしまうくらいには浮かれていた。


「ま、マスター、危ないですよ」

「うんうん、そうだね、ごめんね」


 もちろん包丁を手から離したのを見はからってから抱き着いたので、危険はない。だけどもちろん料理もすすまないので、ナディアは困ったように注意をしてくる。

 それに適当に謝りながら、ヴァイオレットはそのままぎゅーっと抱きしめて左右に揺れる。耳の上あたりに頬ずりする。とても落ち着くいい匂いがして、笑いそうになる。


「ナディア、今日もお仕事お疲れさま」

「は、はい、マスター。マスターも、お仕事お疲れ様です」

「ふふ、ありがと。邪魔してごめんね。煮詰まっちゃうね」

「いえ、全然……あの、離してもらわないと、そのお仕事ができないのですけど」


 謝られて否定するナディアだったけど、ヴァイオレットが抱き着いた姿勢のまま動かないので、嬉しそうに口角をあげつつも、振り向きながらそう言う。


「うん、わかってるんだけど、離したくなくて。あー、このままナディアとひとつになりたいよ」

「えー、一つになったら困りますよ」

「え、ど、どうして?」


 もちろん本気ではないし、ただすぐに離れるのが惜しくて言った冗談だけど、普通に不満そうに言われてヴァイオレットは顔をあげて尋ねる。当然近すぎるほどの至近距離で目が合い、ナディアは照れて視線をそらしながら答える。


「だ、だって……ひとつになってしまったら、もう、手を繋ぐことも、き、キスだって、できないじゃないですか」

「うーん、満点」


 頬にキスをしてから、ようやく手を離して解放する。と言っても力は全然入れていないので、ナディアがその気になれば最初から拘束力なんてないのだけど。

 ナディアは少し赤くなりながら、自身の頬に手を当てる。


「もう、またいきなり。マスターはほんとう、えっちです」

「はいはい、ごめんね。じゃあそろそろ、大人しくしてるよ」

「……ヴぁ、ヴァイオレットさん」


 ナディアは振り向かないまま、そうヴァイオレットを呼んだ。昨日のお昼に名前を呼んでもらってから、夜も恥ずかしがって呼ばずの今日、今である。思わず動揺して、椅子におろしかけた腰を空中で止める。


「ど、どうかした?」

「こ、ここでやめるのは、違うと思うんですけど」

「……え? なになに? どういう意味かな?」


 振り向かないまま、火を消して鍋に蓋をして保温しだすナディアに、ヴァイオレットはわざとらしく聞きかえしながら、ナディアの背後まで戻る。そしてぽん、とナディアの両肩をつかむ。

 にょっきり生えた耳が自己主張していて可愛いので、肩をもみながら隣に顔をよせ、ふっと耳元に息を吹きかける。


「ひゃんっ」


 面白いくらい全身がはねた。可愛い。そのまま、首の前に手を回して肩ごと軽く抱きしめる。


「……」

「可愛いね、ナディア。でもお腹減っちゃったなー、どうしようかな」

「ま、マスターは、どうしてそんなに意地悪なんですか?」

「それはね、ナディアが可愛すぎるからだよ」


 全く何の理由にもなっていないが自信満々にそう説明すると、ナディアはゆっくりと振り向く。真っ赤な顔で、うるんだ瞳。

 一度開きかけた半開きの唇は、だけど声にならずにまた閉じて、ちょっとだけ唇を突き出した。そのまま唇にキスをしたくなってしまう顔だ。だけど我慢して、おでこだけぶつける。

 黙ったま額をくっつけて、ちょっとだけナディアを揺らして催促してみる。ナディアは、うう、と唸りながらヴァイオレットの動きをとめさせ、ぐいっと頭を押し返した。


 勢いで離れたとはいえ、まだ距離は近くて、ナディアの顔の全部が視界に入らないほどだ。もうこのまま、瞳に引き込まれそうだ、と思っていると、ナディアの口が動いた。


「……も、もう一回、ちゃんと、頬にキスしてください」

「うん」


 普通に話すだけでなまめかしく動いているように見えてしまう唇に見とれながら、惜しいな、と思ってしまう。頬に、とキスされなければ、唇にしたのに。

 だけどそれはまだ、大事な時に取っておかないといけない。だから我慢して、ヴァイオレットはそっとナディアの頬にキスをした。









 そんな感じで調子にのった生活をすると、瞬く間に時間が過ぎ、あっという間に週末、建国祭の日がやってきた。

 朝早くから目を覚まし、掃除まで完璧にすませた元気いっぱいのナディアをなだめながら、世間が動き出しお祭りの雰囲気で街がざわめきだした頃に家を出る。


「わ、ここから凄いですね」


 住宅街を出て、太い本筋に入る角の手前で思わず立ち止まる。昨日までも準備ですでに屋台は用意され並んでいたけれど、被されていた布が外されて、活気が全然違う。

 それぞれに店員がいて、声をあげている。もちろんをそれらを覗き込む客もたくさんいるけど、立ち止まるのが億劫になるくらいの人だ。気を抜くと普通にぶつかってしまいそうな距離感で、その熱気は驚くと共に、その非日常感がすでに二人を興奮させるのに十分だ。


「うん、はぐれないようにしないとね」

「はい……ん?」


 ヴァイオレットの警告に頷いて握っている手を強く握りなおし、一歩踏み出すナディア。だけどヴァイオレットが動かないので、あげた足をおろして半歩だけ前に出て半身よじった状態でヴァイオレットを見上げる。


「マスター?」

「いつも手を繋いでいるけど、今日はそれだけじゃ、足りないと思うんだよね。だから、こうしよう」


 手をほどいて、ヴァイオレットはナディアの隣に立ちなおして、右手を腰に当てて肘を突き出した。


「? え、なんですか?」

「あれ、わからない? こう、私の腕をつかんで抱きしめる感じにしてもらおうと思ったんだけど」

「あ! 見たことあります……ん、でも、なんか、体勢が違う気がします」

「まぁ、ちょっとわざとらしくしたけど」


 ダンス会場のエスコートと言うならともかく、実際には腰に手を当てた状態で街を歩いている人なんていない。あまりピンときていない、と言うか形のわかっていないようなナディアなので、仕方なくヴァイオレットは手をおろす。


「ちょっとやってみるね。逆に組むなら、こうなるんだけど」


 降ろされているナディアの左腕をつかんで軽く隙間をつくり、右手をいれてぎゅっと抱きしめる。自分の体の側面やや前よりにきているので、若干体がナディアに向いたようになった。

 右腕も当然ナディアの体に押し付けるようになっていて、こんな風に抱き着いたような体勢になるのか、とヴァイオレットは自分でしておいて動揺しながら、それを隠してナディアを見る。


「こんな感じだけど、どうかな?」

「……す、すごくいいです」

「あ、ほんと? それはよかった」


 ナディアはきらきらと瞳を輝かせていて眩しいくらいだったので、目が合った時点でいけそう、と思ったけど、本人の口から聞くと安心した。

 そんなヴァイオレットに、ナディアは抱きしめられている自分の腕を引くようにしてヴァイオレットを逆に自分の胸にヴァイオレットの腕があたるほど引き寄せ、顔を近づける。


「はい。マスターが、凄く控えめに抱き着いている感じが、すごく保護欲をさそうと言いますか、控えめに言って、ぐっときます。守りたくなります」

「う、うん……あの、逆にね? 逆にナディアにこうしてほしいなって思う訳ですが」


 下からなのに迫られているようで思わずぐっときてしまった。ナディア恐るべし。こんなに可愛いのに、カッコよさも備えていたのか。新たな魅力に気づいてしまった。今もすでにわりと魅力におぼれてる感はあるので、まだ知りたくなかった。

 とは言え、いくらなんでもこの状況で人通りの中へ行くのは抵抗がある。背の低い方に腕組んでいるのはなかなか見ない。なんとか逆でお願いしたい。


 ナディアはヴァイオレットの提案に、少しだけ考えるように眉をよせてから、すっと腕を動かす。それにヴァイオレットは力を抜いて手を離し、腕をつかみやすいよう体を向ける。

 ナディアはヴァイオレットの右腕に左手で絡みつき、ぎゅっと横から抱きついた。こつん、と頭を肩にぶつけてきた。


 抱きしめられた腕に感じるナディアの柔らかさや、仕草の可愛さにときめいていると、ナディアは顔をあげて微笑んだ。


「これもいいですね。マスターと、すごく近くにいるように感じられますし」


 にぱっと可愛い笑顔を向けられて、ヴァイオレットはほっとしながら勢いよく相槌をうつ。


「でしょ? じゃあこのままでいい?」

「はい、いいですよ。マスターがお望みならば」

「なんだか、可愛い言い方するね」


 まるで本当に従順なメイドさんみたいな言い方にきゅんとしながら、からかうようにナディアの左手を自身の体で挟むように右腕を引く。ナディアはそのままヴァイオレットによりかかるほどの距離になり、嬉しそうに悪戯っぽい顔になる。


「ふふ、私はいつでも可愛いんですよ。知りませんでした?」

「もちろん、知ってるよ。ナディアはいつでも、世界一可愛い」

「……い、今のは、ちょっとした冗談です」

「私にとっては事実だよ」


 自分で言っておいて、ヴァイオレットが認めると恥ずかしくなったらしく、赤くなってナディアは顔をそらした。可愛い。だけどいつまでもここでいちゃいちゃしていては、パレードが始まってしまう。


「じゃあ、そろそろ行こうか。特等席まで」

「はい!」


 ようやく大通りに足を踏み入れる。ほんの数歩手前だっただけでまるで薄い壁があったように、急に雑踏の音が大きくなった。それに驚いたのか、ナディアは少しヴァイオレットの二の腕に添えていた手に力を込めた。

 ヴァイオレットははぐれないよう、そっとナディアの腕を体におしつけるように抱き締めて促す。


「まだ時間はあるから、ゆっくり見て回りながら行こうね」

「はい」


 顔を覗き込みながらそうなだめるように言うとナディアはうっとり頷いた。可愛い。


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