種族名:エルフ
ルロイが空気を読んで戻ってきたので、早速手続きを進めることにした。資料とは別の、契約書類を用意して席につきながら、ルロイは少し呆れたように口を開く。
「にしても、即決するとはな。ことがことだし、数日は悩むかと思ってたぜ」
「早い方がいいでしょう? 耳長族ってことで、特例にしても、望ましくない形なのは確かだし」
「あの、すみません」
「ん? あ、なに?」
ヴァイオレットに促され、ナディアは言いにくそうにしながらも、しっかりとヴァイオレットの目を見返して口を開く。
「あの……ずっと気になってたんでけど、耳長族って呼ぶの、やめてくれませんか? 私たちは自分達を古の呼び方で、エルフと呼んでます」
「あー、古語、か。エ・ルフ。確か、魔力に付き従うもの、だったっけ?」
「その認識で間違いではありません」
一般的な呼び方は耳長族だ。それは間違いないが、その呼称をつくったのは別の種族だ。特にどこの種族を贔屓して命名したと言うこともなく、自然発生的に呼ばれだした安直すぎる名前を流用している場合が多い。だが自分たちの呼び方に愛着を持っている種族にとっては、あまり連呼されたくないのだろう。
古代に使われたとされる言語は今では話者はいないらしいが、古い文献を読むために多少の知識は残っているし、ヴァイオレットも多少の心得はある。
エが名詞の接頭につくと、名詞の下位存在を意味する。逆にオだと上位存在になる。ルフは魔力を意味する。魔力の下位存在、だいたいそんな感じのはずだ。
妖精のことはオルフと呼んでいるらしいが、それは妖精自身は関知していないらしい。あくまで耳長族内での伝統だろう。しかしそれに拘っているなら否定する必要はない。文化的な誇りがあるなら大事にすべきだ。
「じゃあ、エルフね、そう書類も付け加えてもらおうね。ごめんね、無粋な名前で呼んで」
「いえ……それが、一般的な呼び方なのはわかってます。ただ、その、これから一緒に過ごすなら、その呼び方はやっぱりってことで」
「そ、そっか」
これから一緒に過ごすなら、と少女の可愛らしい声で聞くと、何だか妙に落ち着かなくてヴァイオレットは相槌をうちながら視線をやや泳がせた。
そんなヴァイオレットの不審な態度に、ルロイは半目になってソファにもたれて、ちらとナディアを見て口を開く。
「あー、とりあえず、書類はそのままな。他の職員に通じねぇし。ほら、さっさと手続きするぞ」
そして必要書類を全て処理して、さっそくナディアを連れて家に帰ることにした。
とにかく必要なのは会話だ。それも、ルロイの前だとなんとなく気恥ずかしい。二人きりで落ち着いて対話したい。
ナディアと共にルロイの部屋を出て、歩きながら声をかける。ナディアが所持していた荷物は、一通り検査して現在第二倉庫にある。そちらに立ち寄り、受け取った。思っていたより大きな背負い鞄で、あっさりと持ち上げて背負ったナディアに少し驚く。
エルフについて、一応知識はあるが、今まで会ったこともないし、会うと想定したわけでももちろんないので、簡単にしか知らない。同じ家で暮らす以上、もっと種族特性を把握していかないとな、と思いながらヴァイオレットはナディアを出口へと促す。
「ナディア、それじゃあ、さっそくだけど私の家に招待するよ。色々と必要なものも準備しないといけないし。あ、なにかあったらすぐに言ってね。ここで遠慮して、不自由な生活をされたら困るから」
戸惑いつつも、ナディアは隣を歩きながら、しっかりヴァイオレットを見つめ返す。
「は、はい。あの、あなたのことは、なんと呼べば、いいのでしょうか?」
「え、あー。普通に、名前で呼んでくれていいんだけど」
「そ、それは、まだ」
「そ、そっか。じゃあ、そうだね。とりあえず、うちで家事をしてくれる使用人として生活するって形になるんだから、マスター、とか?」
普通に言うなら、仕えている主人を使用人が呼ぶのはご主人様が一般的だろう。しかしヴァイオレットにとってはかなりなれないし、あまりに距離がある。今後家族になって名前で呼んでほしい相手に、それはさすがにない。
しかし名前ではまだ、と言うなら仕方ない。ご主人様を意味する古語なら、その単語自体はナディアも口に慣れていないだろうから、そう距離がある感じもしないだろう。
マスは支える。ターは言葉の後につけることで人を示す。直訳すると支える人。主や家長をさす言葉だ。ご主人様を意味するが、それほどかしこまった言葉ではない。そう言う意図で、提案してみた。
「マスター、ですか」
「そう。あんまりかしこまりすぎても嫌だし、できれば親しみを持ってもらいたいから、どう?」
「そう、ですね。わかりました。それでは、マスター、と」
「うん。私はナディアで大丈夫? 馴れ馴れしい?」
「あ、いえ。それは大丈夫です」
まだまだ固い。当たり前だ。初対面なのだから。会って一時間ほどで、その内殆どが書類仕事をしながらのながら会話だ。目を合わせたのはほんの数度だ。
馴染んでいる方がおかしい。だけど、ナディアはちゃんとヴァイオレットを向いてくれている。それだけで今は十分だ。
ヴァイオレットは自分にとってもとても驚くべきこの急展開に、だけどとてつもない幸運なことだと思っていた。この出会いはきっと、一生ものだと、勘が囁いている気がした。特に今まで勘がさえてうまくいったりしたことはないけれど。
「あ、その前に、もうお昼だよね。食事は? 魔力をとるってことだけど、魔石じゃなくて、普通の料理でもいいのかな?」
「多分、普通の食事だと、少ないですね。特に街で出される食材は、死んでから時間が経って魔力が大分抜けているはずですし」
「ふぅん。食事自体は、なんでもとれるの? 味覚は? 魔力がないものはどう感じてるの?」
「摂取できないものはないと思います。味覚は普通にあります。魔力を感じる以外に、甘さや塩けを感じますから。ただ、魔力のおいしさには敵わないと言いますか、うーん、と。娯楽、と言うか、嗜好品みたいなものですね。魔石を食べる時に、砂糖をかけるのが好きって人もいますし」
それを聞きながら、ヴァイオレットの中で食事の予定をたてる。一応、家には多少の備蓄はある。サンドイッチくらいしか作れないが、ないよりはましだろう。外で食事をする予定だったが。
「魔石は、ちなみにどんな味?」
「魔力によってかわりますね。なので石自体には味はないと思います。うーん、まぁ、魔力がない魔石って食べないので、よくわからないですけど。たぶん普通の石の味だと思います」
「なるほどね。じゃあとりあえず、一旦家に帰ろう。荷物もあるしね」
「はい」
ここの敷地面積は広い。とても広い。王族が実際に生活する宮殿とはさすがに大きな塀で隔たれているが、執務室とヴァイオレットたちの研究棟がある施設とは塀で区切られていない。あらゆることが行われるそれぞれの施設が全て同じ敷地内なのだ。
しかも研究棟は危ないこともあるので、敷地内で言うと端で、しかも他の場所より広くとられている。それだけ広いので、出入り口に行くだけでもまあまあ距離がある。防犯のための高い塀が区切れて出入りできるのはその一か所だけだ。
緊急時の出入り口もあるのだが、もちろん普段は使えない。そのため30分以上歩いてようやく出れた。
もちろん、出入りには身分証の提示が必須だ。各部署別に受付がわかれているからまだいいが、他の部署も一斉に登城してくる時間帯は込み合ったりするらしい。そんなところは、時間が自由な研究員であることがありがたい。
ちょうどお昼少し前の時間だ。他の部署の受け付けにも数人がいるが、研究部門は誰もいない。さっき入ってくる時にも対応してもらった顔馴染みの受付員だったので、ヴァイオレットは軽く片手をあげて声をかける。
「や、お疲れ様」
「あ、ヴァイオレットさん。お疲れ様でーす。……ん? お連れ様ですか?」
ヴァイオレットはすでに10年以上勤務している研究員で、それなりに古株だ。当然わざわざ身分証をだして確認したりしなくても、顔パスで通してくれる。だがもちろん、ナディアはそうではない。
普段は誰かと連れ立っても、同じように顔が知れている相手なので、今回もスルーしかけた。
「そうそう。忘れてた。えっと、ナディア・アリエフ。とりあえずうちの家政婦さんになることになってね。あ、一応家族カードつくってくれる?」
身分証は全国民が持っているわけではなく、この城にはいるためにつくられている。本人以外にも、緊急時に備えて家族カードとして、勤務者の血縁者などに許可をだすことが許されている。
当然乱用は許されないが、身分証があっても用件があって内部者の確認がとれないと入れないので、いままで大きな問題にはなっていない。緊急時以外にも、忘れ物を届けたりと使用することもある。
滅多にないだろうが、万が一もあるのでつくってもらうことにした。
「ああ、誓約の。なるほど。にしても……」
「なに?」
「すっごい、可愛い子ですねぇ」
ヴァイオレットの後ろにいるナディアを、覗きこんでまじまじ見て首輪を確認してから、そう感心したように言った。
ヴァイオレットはついつい、得意気な顔になる。早くもうちの子は可愛いだろうという状態だ。
「でしょ? ぇへへ。カードはいつになる?」
「あ、すみません。カードですね。誓約書か、首輪の裏を見せてもらえます? 誓約番号あれば、すぐ発行できます」
「あ、そうなんだ」
「そのための誓約の首輪ですから」
信頼の証となっている。ということだ。だけどその物言いに、すっかり世間はそうなんだなぁ、と成り立ちを知っているだけに微妙な心境になるヴァイオレットだった。
「じゃあこれね」
「はい。少々お待ちください」
待つこと5分少々。すぐにできた。さすがに早いと思ったが、まだ、正式には手続きがまだなので、使えるのは明後日以降とのことだった。ヴァイオレットが保証人の家族カードだから特別にすぐに渡してくれたらしい。
お礼を言って、連れ立って門をくぐりながらヴァイオレットはナディアに、身分証を渡す。
「はい、身分証。これで、もし何かあったらここにきて、私か、さっきのルロイ呼んでくれても大丈夫だからね」
「はい。……ありがとうございます」
受け取ったナディアははにかんだように、嬉しそうにしていた。