懺悔
初めての恋人と言う存在に舞い上がってしまって、落ち着こうとしてもその度に何度もドキドキしてしまうヴァイオレット。
そんなヴァイオレットを見透かしたように、ナディアはヴァイオレットの右手をぎゅっと握る力を強くして、その手を胸元まであげて両手で包み込んでますます顔を寄せてヴァイオレットを見つめながら微笑んだ。
「私もですよ。だから別に普通にしてくれて大丈夫です。って、言うのは別に今のが駄目ってことじゃないですからね。むしろいつも大人で格好いいのに、恋人になると照れてしまうマスターが可愛くて、惚れ直しちゃいます」
「……」
は、恥ずかしすぎる。ナディアも条件は同じで、ドキドキしているだろうに、見透かされてしまうくらいに動揺したあげく、惚れ直された。
嬉しいけど、受け入れられるのは嬉しいけど。相手は20以上年下の、散々保護者面してきた少女なのだ。そこをこうも手玉にとられるように、微笑ましい瞳を向けられると、何とも複雑な気持ちになる。
「な、ナディアは、その、なんかちょっと、いつもと違って、余裕があるね?」
「ん、そういう訳ではないんですけど。なんかすごい、心臓止まりそうなくらいうるさいですし」
「と、とめないでよ」
「大丈夫です。とにかく、ドキドキしてますし、緊張もしてます。ただ、マスターも私のこと大好きだって確信持てているので、ちょっとくらい変になってしまってもだいじょうぶかなって、開き直ってるだけです。今までは、求婚されたって言っても、初対面から恋愛感情だったわけではないですし、その、どうすればいいのかわからなかったって言うのがあるので」
「……」
求婚、と言う言葉に、ヴァイオレットは背筋を思わずただした。
そういう事になっているのだった。頭でわかっていても実感が伴っていなかったが、改めて嬉しそうなナディアから聞くと、何とも言えない。
勘違いでそう伝わったことは、話がややこしくなるし、今後は事実になるのだからいいだろうと思っていた。しかし純粋な笑顔で言われると、意図的ではないけど嘘をついたみたいになっているので後ろめたくなる。
だけどどうだろう。これを言ったら言ったで、ナディアは騙されたと思って嫌な気持ちになるだろうし、騙された側ではあっても恥ずかしくなったりするかもしれない。そう思ったら、今後の未来には関係ないのだから胸の内にしまっておくのも一つの選択として間違っていないだろう。
確かに初対面からめちゃくちゃ可愛い子だと思っていたし、今になって思えば一目惚れとも言えないこともない。子供枠だと思っていたので誤魔化していたが、実際結構ドキドキもしていた。
だからまるっきり嘘と言う訳でもない……がこれもやはり、後付けの言い訳に過ぎない。最初から求婚していた、と言うのはやはり誤解なのだから。
後々もこうして微妙な気持ちになったり、葛藤したりするなら、今言った方がまだ傷は浅いのでは? しかしそれは結局自分が言ってスッキリしたいと言う自己満足でもあるわけだし。
そうヴァイオレットはしばし悩んで言葉に詰まる。それはそう長い時間ではない。ほんの数秒だ。だけどナディアが首を傾げるには十分な時間だった。
「マスター? どうかしました?」
「あ、その……ナディア、一つだけ聞いてもいい?」
「はい、なんですか? マスターの一番好きなところですか?」
「興味はあるけど、それは置いといて。もし、だけど、その、知らなくても全然困ることはないけど、ちょっとしたすれ違いで思い違いしていることがあったとして、そう言うのって結構知りたいタイプ?」
「え、なんですか、それは。んー? 具体例が全然思いつきません。マスターと私の間で、勘違いしてることがあるってことですか?」
「あ、うーん、うん」
ぼかして意思確認だけしたかったのだけど、普通に実際の話だと察せられた。さすがにこの雰囲気で唐突に真面目に切り出したら、いくらナディアでもすぐわかると言うものだった。
曖昧に頷いてなお誤魔化そうと知る卑怯なヴァイオレットに、ナディアは握っている右手をぐいと引いてた。
「あいった」
純粋な腕力で、ヴァイオレットがかなうはずもない。不意を突かれたのもあって、ヴァイオレットは思わず前のめりになってしまい、なのにナディアもヴァイオレットに顔を寄せたままだったので、そのまま頭突きをする形になった。
目から星が出るかと言うほど痛くて声が出たが、その姿勢のままナディアはヴァイオレットを睨むように見つめている。
「な、ナディア?」
「私とマスターの間に行き違いがあると言うなら、どんな些細なことでも知りたいに決まってるじゃないですか。何を遠慮する必要があるって言うんですか? もし、もしそれがどんなひどい内容でも、受け入れてあげるくらい、私はマスターが好きです」
「ナディア……」
じん、と感動した。何だかヴァイオレットが悪行を隠しているような確信をされているけど、少なくともそこまで覚悟してくれていると言うことだ。
そしてどんなひどいことだとしても、受け入れるくらい愛されているのだ。それはどれだけ、今のヴァイオレットの勇気となってくれることか。
「ありがとう、ナディア、じゃあ、ちょっと長くなるけど、ありのまま説明するから、最後まで聞いてくれる?」
「はい、もちろんです」
お願いするヴァイオレットに、ナディアはにっこり笑って手を緩めた。ヴァイオレットは空いている左手で自分の額を撫でながら説明した。
そもそも自分が異世界の魂を持つ、人工的な存在であるホムンクルスであることは説明済みなのだ。ならばそこまで時間はかからない。
あとは、だからヴァイオレットは自身の寿命を勘違いしていたこと、そして介護要員を探していたこと、そして一目で気に入ったナディアを娘と言う建前で愛していたのに、本当に恋をしてしまったこと、ナディアが告白してくれたことでルロイに確認して誤解に気づいて、調べた結果老化の確認ができなかったから改めて告白したこと、一度は誤解を正さず誤魔化そうとしたこと、それらをできるだけ簡潔に伝えた。
「……」
ナディアは話の最後まで黙って聞いていた。だけど途中から明らかに顔を伏せて、握っているヴァイオレットの右手にはぷるぷる震えているのが伝わってきていた。
不安を覚えながらもそれでも説明を終わらせて、それからヴァイオレットはそっと左手でナディアの髪をなでた。
「ごめんね、黙ってて。わがままだけど、私のこと、嫌いにならないでほしい」
「きっ」
顔をあげたナディアは、ぎりぎりと痛いほどヴァイオレットの右手を握りしめながら、歯を食いしばったような真っ赤な顔をしていた。涙目で、怒りによるものなのか、咄嗟に判別がつかない。
「嫌いになるわけないじゃないですか! その言い方は今したら、ずるいでしょう!?」
「ご、ごめん」
「あ、謝らないで、って言うか、別に、マスターが悪いとかじゃなくて、勘違いからってことで、誰が悪いとかじゃないですし、ただ、ただっ、ちょっと、待ってもらっていいですか?」
「う、うん」
ナディアは自分を落ち着けるように、深く呼吸をしてからぱっとヴァイオレットの手を離した。そしてすっと立ち上がって、部屋を出た。展開について行けなくて戸惑いながら、待ってと言われたので、そのまま座った状態で待つ。
部屋を出たナディアは、まだその場にいるようだ。足音も聞こえない。
「すぅ、はぁ………あああああああああああっ! 恥ずかしいぃぃぃぃぃぃっ! ああっ、あああああっ! あーーーーー! もう駄目ぇぇぇぇ! あぁぁぁっああああっっ、あ、あ、あっ、はあああぁぁっ! うっ、うううううううぅぅぅぅぅっ!!! う、うああああぁ……ああ……あぁぁ……」
「……」
ものすごい感情の発露だった。力強く、隠すことなんてできるはずのない全力の声。周りから離れていて防音対策も行っているとは言え、庭くらいだと聞こえそうなくらいの声量だった。
何か言えるはずもない。だってナディアはヴァイオレットが自分に惚れていると確信してその前提で告白してきたのだ。実際その通りだったとはいえ、勘違いによる確信だったと知れば、羞恥の感情が湧き上がるのは想像に難くない。
「……お待たせしました」
しばし沈黙が続いてから、ゆっくりとナディアが室内に戻ってきた。
ドア一枚隔てて、まさか聞こえていないとはナディアも思っていないだろう。ドア越しに声をかけてくるくらいはしているのだから。だがツッコめるはずもない。ここはさすがに、優しくスルー一択である。
「いや、全然待ってないよ。色々一気に話したから、混乱させちゃってごめんね」
「いえ。色々と、事情がありますから、しょうがないですよ。色々と」
しょうがないとは言ってくれたけど、棒読みだった。感情を押し殺して言ってくれた感さえある。
「あ、ありがとう。そう言ってくれると嬉しいよ。えっと、とにかく、隣、座ってよ」
「はい」
まだ表情も硬いけれどナディアはヴァイオレットに促されるままに、ヴァイオレットが座るベッドのすぐ隣に座る。
ヴァイオレットはナディアの腰に右手を回して、左手でそっとナディアの右肩を掴んで抱き寄せる。今ばかりは、下心もない。
「ありがとう、ナディア。こんな私を許してくれて。大好きだよ」
「っ……やっぱり、マスターはずるいです」
ナディアは両手でヴァイオレットの左腕を掴みながら、そこに顔も押し当てた。それが可愛くて可愛くて、ヴァイオレットはぎゅっとナディアを抱きしめる。
「ずるくてごめん。それでも、私のこと大好きでいてくれるよね?」
「き、聞き方、ほんと、ずるいです……こんな体勢じゃ、マスターが大好きってことしか、考えられないに決まってるじゃないですかぁ」
「うん。今ので今度こそ、隠し事はないよ。だから、今も私のことを大好きでいてくれるなら、私もナディアのこと大好きだから、今までのことはともかく、ずっと傍にいてね」
「……はい……マスターこそ、もう、何があっても、私から離れるとか、絶対無理ですからね」
「離れないよ」
「んふふ。本当ですよ。本気になったら、どんなにマスターが逃げたって、私、世界の果てまで追いかけますからね」
何故だろう。嬉しいセリフのはずなのに、何故か脳内ではナディアが鬼の形相で異次元の速さで追いかけてくる姿しか想像できない。ちょっと恐い。
その言葉と共に力を入れて握られた左腕がわりと本気で痛いからかもしれない。
「うん、恐い恐い。だから逃げないでおくよ」
「むぅ。なんですか、恐いって。そこは、好きだから逃げないでいいじゃないですか」
「大好きだよ、ナディア。心から愛してる。こんなに人を愛しいと思ったのは生まれて初めてだ」
「……ほんと、ずるいです」
ナディアの肩においていた右手を引き上げて、ナディアの頭を撫でながら言うと、自然と離れたナディアの両腕はそっとヴァイオレットの腰に回った。




