彼女の事情
友情に厚い男、ルロイが職権乱用をして耳長族をここに連れてきたのは、ヴァイオレットのためだった。と言ってももちろん、道端を歩いていたのを無理やり連れてきて首輪をはめたわけではない。
間違いなく犯罪者として、多額の賠償金が必要となり、首輪をはめることになったので連れてこられたのだ。
彼女の事情は、実は単純だ。家出同然に里を出て、無事目的地であるこの国にたどり着いたらしいが、路銀が尽きてついつい目についたおいしそうなものにかじりついてしまったが、お金がない。要するに食い逃げ。しかし彼女は他の人族とは違い、耳長族だった。おいしそうなものは、魔力を多量に含んだもので、彼女は高濃度の魔力がつまった、魔石屋で非売品の看板として置かれている高価なものにかじりついたのだ。
食べ切れなくても、かじり後のついた魔石なんて、箔がつかない。そのものの弁償と改めて用意するためと賠償金はふくれあがった。
そこまでは、法律にのっとったごく普通のレアケースだ。しかし、あまりに大金だが即座の弁償を求めれらていることと、希少な耳長族であることも考慮して、オークションを避けることになり、ちょうどいいと白羽の矢がたったのがヴァイオレットだったらしい。
「そういう事か……でも、うーん、いやいやしてもらっても、困るんだけど」
「時間はあるんだから、ここから愛情をはぐくんで、家族になるかはお前の努力次第だろうが。あ、ちなみに、もちろんベッドで添い寝的なのは仕事にはいってないからな。誓約内容はあくまで家事手伝いだ。同意もらえるよう頑張れ」
「黙れ」
「え、急にキレるじゃん」
そりゃあ、本人前にして何を言っているのか。まぁ、この美しさだからもちろんそう言う懸念もあって、女相手がいいだろうってのもあったんだろうけども、とヴァイオレットは内心のイラつきをおさえて冷静になろうと努める。
「まぁ、とにかく、ちょっと考えて見ろって。悪い話じゃないと思うが」
「そうだねぇ」
先ほど渡された、少女の簡単なプロフィール、経緯、誓約内容の一覧の資料を軽く見ながら、ヴァイオレットはソファに深くかけなおして考えてみる。
資料によると29歳らしいが、長命種は若年期の成長も緩やかだ。外見からしても幼げで、まだまだ少女らしさが抜けていない。成人年齢は国や種族の集落によって異なるが、成人していない可能性も高い。
今回の件、確かに急だし驚いた。首輪労働者を、という発想は全くなかったヴァイオレットだ。正直に言えば、強制力のある雇用関係になるので、抵抗がないとは言えない。
しかし実際に、若くて体力がありそうだし、長寿種族だから仮に長引いて十年以上世話になったとして、貴重な青春や若い時間を消費する意味ではそれほど負担にはならないだろう。見かけはもちろん文句のつけようはない。肝心の家事能力等については不明だし、本来は家族のように接してほしいが、そこはヴァイオレットもすぐに老後と言う訳ではない。
まだ数年余裕のあるうちに、いくらでも改善していく余裕はあるだろう。
かなりの高額負担になるが、幸い高給取りでお金をつかう趣味もないので、貯金は人並み以上にある。払っても生活に支障はない。
借金による雇用だと、当然その費用分は働くことになる。衣食住と最低限の自由になる現金支給が義務なので、普通より低賃金の労働になる。長寿種族であるだけに、数世代にわたって働いていくことになる可能性もあるが、ヴァイオレットの雇用なら死亡すればチャラとしてあげることもできる。
これは少女本人にとっても大きなメリットだろう。金額は馬鹿げているが、罪の内容は馬鹿らしいほど小さい。未成年の食い逃げくらいなら、昔でも焼き印はつかず、体罰系一度で済んだ程度だ。金額が金額なのでこうなっているが、同情の余地はある。
「わかった。とりあえず、彼女と少し話してみてもいい?」
資料を机においてそう言うと、ルロイは予想していたように、ああ、と頷いた。
「一応、お前のことも話している。俺の知る限り、名前も経歴も、今回のこともな。まぁ、ちょっと話してみろ。俺の方でも話してみたが、悪い子じゃあねぇ。じゃあ、ナディア、席を外すが、衝立の向こうにいるから、もしあれだったら、助けを呼べよ」
「は、はい」
「ルロイ、別に席を外すまでしなくてもいいし、あと、私が何かするみたいに言うな」
「目の前にいたらさすがに気ぃつかうだろ、あー、俺ってチョー気が利くなぁ」
気が利く人間は、これから仲良くなりたい関係の相手に対して、友人を危険人物扱いしないだろう。と言いたくなったが、ルロイがすっと有無を言わさずに席をたって衝立の向こうへ移動して、椅子に腰かけた音がしたのであきらめた。
ナディアに改めて視線をやると、ヴァイオレットをそっとうかがうように見ている。
「えっと、お互いに知っているとは言え、軽く自己紹介からしようか。私はヴァイオレット・コールフィールドです。改めて、初めまして。宮廷魔法使いの開発部に所属しています」
「は、初めまして。私はナディア・アリエフ、です。その……あなたのことは、ルロイさんから聞きました。その、凄い、発明家だって」
「そ、そう? へへ、照れるな」
ルロイから直接言われたなら、本物の革命者に言われても皮肉かと思うが、こうして美しい少女、ナディアの口からそう言われると、普通に照れた。
ヴァイオレットは照れていることを何とか誤魔化そうと頭を掻きながら、話題をかえる。
「今回のことは、何というか、災難だったね。たまたま口にしたものが、そこまで高価でなければ、普通にしばらく働けばすんだはずなのに」
「はい……いえ、私が、考え無しだったからです。それに、たまたまじゃありません。本当は、わかっていたんです」
「え?」
「商品なのはわかってました。お店で、お金が必要なことも。だけど、少しくらいなら、その場で手伝いをさせてもらってチャラにしてもらえないかと思って、それを狙ってやりました。かじったのも、あれだけ大きい魔石なら、一食分が減ってもたいしたことがないから、小さな魔石を一つ食べるより、安価で済むと思ったんです」
わかっていた、と聞いて、まさか高価だとわかっていたのかと一瞬勘違いしたヴァイオレットだったが、続けてされた告解に、理解する。
なるほど。つまりナディアが真剣な顔で懺悔しているのは、本当はわけもわからず前後不覚でつい食べてしまったのではなく、自分の常識なら許してくれる範囲だと計算して犯罪だとわかって食べた。と言うことだ。
ヴァイオレットからしてみれば、それが災難だったね、と言うことだったのだが、本人にしてみれば、それこそ許されないことなのだろう。意識して悪いことをしようとした。だから、こうなったのも自業自得だと。
「そっか。悪い子だね」
「はい……」
「でも、ありがとう」
「……はい? え? ど、どういうことですか?」
「だって、その結果、こうして出会えたわけで、私としてはすごく幸運なわけだしね。その魔石屋には迷惑をかけたわけだし、後で一緒に謝りに行くけど、まぁ、そんな感じで……あんまり、深くとることはないよ」
その時は空腹でつい魔がさして、そんな計算をしたけど、後からそんな自分も嫌悪したんだろう。ナディアほどの幼い少女なら、十分にありえることだ。そんな潔癖な真面目さは、むしろ好ましい。
きっと仕事も真面目にしてくれるんだろう。ヴァイオレットはなんとか、ナディアには今回のことを気に病まず前向きに生活してもらいたくて、言葉を選ぶ。
「実際、食い逃げは立派な軽犯罪だ。でも成人が悪意を持ってやったならともかく、未成年者が金銭もなく支援を受け取れない状態で、追いつめられて、しかも贖罪の意思はあったとなれば、普通なら情状酌量の余地ありで実刑や大金の罰金なんてありえないことなんだから。だから、そこまで気に病むことはないよ。もう二度としないと反省すれば、それでいい。世界は、君が思っているより、少しは優しいよ」
「……」
ヴァイオレットの言葉に、ナディアはぎゅっと膝の上にある自身の両手でスカートをぎゅっと握りしめて、ややうつむいた。
どう受け止められたのか。ヴァイオレットは、それなりに社会経験もあるし対人経験だってそれなりにあるけど、だからって慰めの言葉になれているわけではない。同じ言葉でも人によって受け取り方は全然違う。これでいいのかわからないけど、でもこれがヴァイオレットの精一杯だ。
「まぁ、やってしまったことはことだから、最低限働いてはもらうのはそうだけどね。とにかく、この話はこれで終わりだ。申し訳ないとか思っているなら、その分働いてくれればいいよ。大丈夫。この国をしって、常識を知れば、もう間違うこともないし、それまでは私が責任をとるよ。安心して学んでいけばいいんだ。君はまだ、子供なんだから」
「……はい、ありがとうございます」
ナディアはまだ俯き気味だけど、少しだけ、鼻先が見えるくらい顔をあげて上目づかいでちらっとヴァイオレットを見ながらそう言った。
あまり表情は見えないけど、その仕草は実に子供らしくて可愛らしくて、なごむ。と思わずにっこり笑顔になってから、自分のセリフにはっとする。完全にヴァイオレットが引き取る前提で言ってしまった。そのつもりだけど、一応本人の意思も尊重したい。
「あ、勢いで私が、って言ってしまったけど、いいかな? 私の事情も、もう聞いているんだよね? もちろん、最初からそうってことじゃなくて、普通に、とりあえず普通に家事を任せたいってことで考えてくれたら十分だから、そう難しく構える必要はないんだけど」
「き、聞いてます……その、わ、私は、その、誰でもいいわけじゃないんですけど、と、とりあえず、お仕事ですし、その……お、お願いします!」
ナディアは戸惑っているようだったが、本人にとって急展開だろうし無理もない。むしろそれでもそう前向きに答えてくれたので十分だ。
ヴァイオレットはほっとしながら微笑んで手をだした。
「ありがとう。こうして話して、私はあなたと家族になりたいと思ったけど、もちろん無理強いする気はないから、そう身構えないでよ。これから、よろしくね」
「はい……よろしくお願いします」
そっと手を握った。小さくて、でも熱量の高い手で、生命力に満ちた若い手だと思った。柔らかくて、可愛い手だ。
未成年の幼い主観なら十二分に理不尽とも言える展開に順応し、必死に生きようとしている。その姿は何だかまぶしくて、かつての自分を見ているようだ。と思ってから、ヴァイオレットは、さすがにこの美少女に自分を重ねるのは自画自賛が過ぎるかと苦笑した。