ナディアの無知
マスターがカゼをひいてしまった。よくわからないけど、体調を崩す病気のひとつで、よくあるものらしいけど、病気と言えば死ぬと言う概念しかないナディアは慌てるしかなく、何かあったらするように言われた通報をしてルロイを呼ぶしかなかった。
ルロイには呆れたように、落ち着いてヴァイオレットの指示を仰げと言われたが、偉そうにしないでほしい。もしヴァイオレットが本当に重い病だったらどう責任をとるのだ。今回たまたま軽かっただけではないか。まあ、早朝から呼び出したことは悪いと思わなくもないけど、ヴァイオレットの緊急事態には違いないのだから、そんな態度をするべきではない。全く。
だけどヴァイオレット本人も大丈夫と言うのだから、信じるほかない。ないんだけど、ヴァイオレットはぼんやりしていて、目もうつろだ。
見ているだけで不安でそわそわしてしまう。何をすればいい? 単なるカゼだって言っているけど、苦しいのは変わりないだろう。どうすればそれが軽くなるのか。ナディアには見当もつかない。
だけど慌てるナディアに、ヴァイオレットはそう冷静に諭してくる。どうすればいいのか尋ねても、ヴァイオレットはぼーっとしている。
声をかけても返事がない。ナディアは不安になりながらも、だけどいつもと違う様子に、むしろこれは安静にしたいヴァイオレットに話しかけて邪魔をしているのではないかと気づいた。だから部屋を出ようとしたのだけど、ヴァイオレットに引き留められた。
「……そばに」
「え?」
「黙って、傍にいて。ごほっ。ごめん、でも、いてほしい」
戸惑うナディアを、ヴァイオレットは潤んだ瞳で見上げて、そう言ったのだ。その瞬間、ナディアは、雷に打たれた気さえした。
いつも凛々しくて格好良くて、ナディアを気遣ってくれていたヴァイオレット。そんなヴァイオレットが、都合も何もかも無視して、傍にいてほしいと言うのだ。
そんなの、きかないはずがない。ずっといる。このまま干からびるのだとしても、ずっと傍にいるに決まっている!
咳き込んで熱っぽいヴァイオレットは、力なくて頼りなくて弱弱しくて、今にも倒れてしまいそうだ。こんな姿を見せられて、ナディアの胸が高鳴らないはずがない。
いつもと違い過ぎて、めちゃくちゃ可愛い。いつもは格好いいのに、こんな可愛さを隠していたなんて! ますます好きになってしまった。
ぎゅっと抱きしめて、ずっと頭をよしよししてあげたい。でも今は病気なのだ。熱があるのに、抱きしめてはうっとうしいだろう。我慢して、言われた通り手を繋ぐだけで我慢した。
ナディアはヴァイオレットのベッド脇に座ってヴァイオレットと手を繋ぎ、ずっとその顔を見つめていた。
弱っているヴァイオレットは可愛い。でも、どんなに可愛くても、元気な方がいいに決まっている。早く、元気になってほしい。どんなに大丈夫と言われたって、不安になる。
もし、万が一、重症になって、死んでしまったらどうしたらいいのか。そんなことを考えると、心細くて泣いてしまいそうだ。だけど、不安なのはナディアよりヴァイオレット自身だろう。
そうしてしばらくじっとして、ヴァイオレットが眠ってしばらくしてから、誰かが家に訪ねてきた。
もちろんヴァイオレットの傍を離れられないので無視をしたナディアだったけど、予想外にもその人物は勝手に入ってきた。それを物音で気づいたけれど、だけどルロイがしめていった玄関カギをちゃんと開けている。
きっとルロイが戻ってきたのだろうと思っていると、足音が部屋の前まで来た。こんこん、とノックがされて不思議に思っていると、ナディアが声をかけるより先に、ドアの向こうから声がかかった。
「勝手にお邪魔してすみません。ルイズです。ルロイの妹の、ルイズです。兄から聞いて、お見舞いに来ました。入ってもいいですか?」
「マスターは眠っていますから、静かにしてください」
事情はわかったけど、普通の声で話しているのでヴァイオレットが起きたら可哀想だ。そう、声量に気をつけながら注意をする。
「……」
少々の沈黙の後、そっとドアが開いた。そして二人の姿を見て、そっとナディアに近づいてきて、耳元で小声で話し出した。
「初めまして、ルイズです。お見舞いにきたのですけど、食事とかはもうとられましたか?」
ルイズの吐息がくすぐったくて不快だけど、仕方がないので我慢しながら、こちらも小声で返事をする。
「初めまして。ナディアです。いいえ。マスターは起きてすぐ、また眠られました」
「そうですか。病気について明るくないので、あなたに教えるようにも言われたのですけど、病人食とかつくれますか?」
「い、いえ……できません」
そんなのは、知らない。病気だと、たくさん元気になるために、お肉の方がいいのだろうか。
ヴァイオレットの力になりたいのに、支えになりたいのに、何もできない自分が恥ずかしくて、ナディアは視線をそらしながら答えた。
「じゃあ、眠られているうちに、教えますよ。きてください」
その言葉は、渡りに船だ。ルロイの差し金だとしたら、珍しくいい仕事をしたと言いたいくらいだ。だけど、できない。今、ナディアはここにいないといけないし、ここにいたい。あんなに苦しそうだったヴァイオレットの傍に誰もいないなんて、そんな危ないことはできない。
「いえ……ごめんなさい。マスターが、傍にいてほしいと言って眠られたので、手を離すわけにはいきません」
「え……わ、わかりました。じゃあ、とりあえず作っておきます」
「ありがとうございます」
この国の人間にとっては、ヴァイオレットの状態はやはり普通なのか、戸惑われたけれど、深く追及されずにそう言ってもらえた。
ヴァイオレットが目を覚ましたなら、食事は絶対に必要だ。ありがたい。悔しいけど、それが一番いい。
「ところで、ナディアさんの食事は大丈夫なのですか?」
「大丈夫です。ありがとうございます」
ナディアの食事は問題ない。ヴァイオレットが元気になるまで食べなくたって平気だ。ヴァイオレットがこんな状態なのに、呑気に魔力をとっていられない。
ルイズが部屋を出て行ったのを見て、ナディアはまたヴァイオレットを向く。汗ばんで、寝苦しそうにしている。それを見ても、額の汗を拭くくらいしかできない。
本当はわかっている。今ここにいたって、何の役にも立たないことは。ヴァイオレットに言われたのは言い訳だ。本当はナディアがいたいだけだ。きっと今ここを離れても、同じようにヴァイオレットが気になって、結局何の役にも立たないだろう。そんな自分が情けないけど、どうしようもない。
今はただ、ヴァイオレットの無事を祈るしかできない。
ナディアは祈りながら、ずっと、ヴァイオレットの手を握っていた。
○
ルイズが料理を終えて戻ってきた。なんだか甘くいい匂いがしている。こんこん、とノックがされたので、小声で返事をしてルイズを部屋に招く。
「……う?」
と、その時、ヴァイオレットが声をあげて、ゆっくりと目を開いた。目が覚めたのだ!
慌てて声をかけて安否を確認するけど、ヴァイオレットは咳き込むばかりで返事ができない。ますます重症化したようなその様子に、ナディアは目を白黒させて声も出せない。
うそ、うそどうしよう! マスターが死んでしまう! と慌てるナディアの横から、ルイズが声をかけた。どうやら水が飲みたいらしい。
何も気が利かないナディアに対して、ルイズは冷静にヴァイオレットがしてほしいことを察してあげられるのだ。それが悔しくて、積極的にヴァイオレットが水を飲むのを手伝った。
「こんにちは、久しぶりね、ルイズ。来てくれてありがとう」
水を飲んだヴァイオレットはひと心地ついたようで、ルイズに声をかけた。それは当たり前だ。お見舞いに来てくれたお客様に、まずは挨拶するのが普通だ。
ヴァイオレットは常識のある大人だから、体調が悪くてもちゃんとそうしたのだろう。だけどナディアにとっては、どうしても複雑な気持ちになってしまう。
せめてご飯はナディアが食べさせようとしたら、断られた。しょんぼりする間もなく、ナディアはルイズに教わることになった。
助かるのだけども。ルイズの前だからと恥ずかしがる気持ちもわからないでもないし、ここで知っておかないと困るのもわかるのだけど。感情だけがついてこない。
そんなナディアのことは無視して、ルイズの提案でナディアはルイズに病人食の作り方などを教わることになった。
いやだったけれど、ヴァイオレットに、お願いしてもいい? とか可愛い上目遣いで言われたら仕方ない。
しぶしぶナディアはヴァイオレットの元を離れた。
「はぁ」
「そんなに心配しなくても、食欲も出たみたいですし、明日には熱も下がっていると思いますよ」
部屋をでるなりしょんぼりしているナディアに、ルイズが微笑みかける。だけどナディアの気持ちは晴れない。兄妹も、本人も大丈夫だと言う。だからきっと、大丈夫なのだと思う。
だけど、どうしても不安がなくならない。もし、ここから急に悪化したら? 絶対に大丈夫だって言いきれないなら、楽観的になんてなれない。
「……そうだと、いいんですけど」
「とりあえず、いくつか教えるので、それを食べて、本人が食べたいと言えば、明日の夜くらいから普通の食事でも大丈夫だと思いますけど」
「は、はい。ありがとうございます。お世話になります」
「どういたしまして。あなたが覚えてくれたら、私も安心だしね」
「……」
台所に移動して、病人の対応について教わる。
まず基本的に病人には胃にやさしい食事がいいようだ。油っ気のない、シンプルなもの。牛乳をつかったパン粥は牛乳で栄養もとれるし、柔らかい分食べるのも楽なので一般的らしい。他にもスープ類がいいようだ。
数種類、実際に教わりながら作ってみる。手際がいいと褒められ、これなら問題ないだろうと言われた。
ほかにも、適宜換気をしたり、汗をかいたら着替えさせて汗をぬぐうとか、あまり熱が高いなら冷やすようにするとか、今後のためにもといくつものパターンを教えてくれた。
さすがに全部は覚えられないので、言われたことのメモを取った。とにかく、清潔にする必要があるようだ。
「汗を拭くのも、つらいようなら拭いてあげるといいですよ」
「それは前にもそうしてきたってことですか?」
「はい、そうですよ」
「……」
苦しむ病人に対し体を綺麗にしてあげるのが普通だと言うなら、そうなのだろう。だけど、ヴァイオレットが他の人に肌をさらして、その身をゆだねているのだと思うと、言いようのないほど嫉妬した。
だけど、それは口に出すべきではない。ナディアは口をつぐんで耐えた。
「さて、じゃあ、このくらいですかね。ヴァイオレットさんに気をつかわせてもあれなので、帰りますね。あとはお任せします」
「はい。今日はわざわざ来てくださって、ありがとうございました」
「いいえ。あなたのことも知りたかったもの」
「? そうですか」
そういわれてみれば、最初にもそんなことを言っていたような。
よくわからずとりあえず流そうとするナディアに、ルイズはにこっと笑った。
「あなたが一生懸命、ヴァイオレットさんのお役に立とうとしているいい子なのがわかって、ほっとしたわ」
「そ……えっと、る、ルイズさんは、マスターと仲が、いいんですね?」
「まぁ、長い付き合いだし、ね。友達とは少し違うけれどね。じゃあ、ヴァイオレットさんをよろしくね」
「……はい」
複雑な気持ちだったけれど、だけど、ルイズは一つも悪いことは言っていない。普通にヴァイオレットを気遣ってくれている発言ばかりだ。
ナディアはそう頷いて、なんとか笑顔でルイズを見送った。




