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本音

「……もし、もしもですよ? 私が、嫌だって言ったら、どうしますか?」


 その質問は、表情からは絶対に怒っていないし、本当にたとえでしかないとわかっても、とても嫌な気持ちになった。

 ナディアがヴァイオレットといるのが嫌と言ったら? もしそうだとしたら、反対することはできない。無理強いはしないと最初にも言っている。だけど、じゃあそうしたら?

 ナディアは他の人のところへ行って、ヴァイオレットはもう会えない? ナディアの笑顔を、他の人に見せるのか。そう考えただけで、頭がくらくらしてきた。


 また、熱が上がってきた気がする。だけど答えないと。


「嫌だ」

「え?」

「あ、ごめ、ちがくて。えっと」


 なんだ、嫌だって。子供か。聞かれているのはそういう事ではないだろう。ナディアが嫌だと言ったなら、どうするか。決まっている。

 ナディアがいないなんて、考えられない。ナディアに傍にいてほしい。だったらどうするか。決まっている。傍にいてもらえるよう、努力しないといけない。


「努力するよ。ナディアに傍にいてもらえるよう、好かれるように、努力する。だから、いなくならないで」

「あ、ぐ、ご……ごめんなさい。あの、いなく、なりません。傍にいますから。マスターが望むなら、私、いますから」


 ヴァイオレットの答えに、ナディアは全く赤い顔のまま、視線を泳がせてからそう言ってくれた。

 その言葉に、ようやく少し、体温がさがった気がした。ナディアは傍にいてくれる。表情だけじゃなくて、ちゃんと言葉で言ってくれた。ナディアもヴァイオレットを好いてくれて、ちゃんと世話をしてくれる気でいるのだ。

 胸が熱くなる。嬉しくて、胸が高鳴って、そして、落ち込んだ。


「うん……うん、ありがとう。ごめんね、あの、それで……それでも、まだ恥ずかしいから、とりあえず、自分で拭くね」

「あ、は、はい! すみません。私、じゃあ、片付けますので!」

「あ、ナディア」


 はっとしてから慌てたようにタオルをヴァイオレットに渡して立ち去ろうとお盆を持ったナディアを引き留める。


「はい!」


 めちゃくちゃ元気に返事をしてくれたナディアに、反射で引き留めてしまって何の用事もないことに、返事までされてから気づいた。とりあえず口を開く。


「あー、その、終わったら、また寝るよ」

「はい。ゆっくり静養してください。本当に、体調が悪いのに質問とかして、すみませんでした」


 申し訳なさそうに言われたけど、そうじゃない。今ナディアを呼び止めたのは、そうではない。ちゃんと考えれば自分のことだ。わかる。ヴァイオレットはただ、行ってほしくなかっただけだ。


「そうじゃなくて、えー、また、戻ってきてほしい」

「え?」

「あの、寝るまでだけでいいから、その……また、手をつないでいてほしいんだけど」

「っ、はい! わかりました!」


 子供っぽ過ぎるお願いに、ナディアは驚くでもなく、笑顔で頷いた。そしてにこにこ笑顔のまま部屋を出て行った。片付けたらすぐ戻ると言い残して言ったので、ヴァイオレットも早く体を拭かなければ。


 服を脱ぐ。脱ぐと、結構べったりしているなとわかる。今の会話でも体温が上がっていて、余計に汗をかいてしまった気がする。

 かたくしぼってもらったタオルで体をぬぐうと、ひんやりしていて気持ちがいい。ナディアがおいてくれた服に着替える。


「お待たせしました」

「どうぞ」


 足の指まで拭いてとてもすっきりしたところで、ちょうどナディアが戻ってきた。迎え入れると、ナディアは相変わらずの笑顔だった。

 ドアが開いた瞬間から笑顔で、少し驚いた。着替えで気持ちを切り替えたヴァイオレットに対して、ナディアはさっきのテンションのままらしい。


「はやく、こっちきて」

「あ、はい」


 少し恥ずかしくなったけれど、まだぼんやりしているヴァイオレットは、それほど悶えることもなく、すんなりベッドに横になってナディアを隣の椅子に招いた。


「はい」

「は、はい」


 手を出すと、すぐに繋いでくれた。ぎゅっと繋ぐと、ヴァイオレットの方が熱があるずなのに、何故かとても熱く感じられた。

 そんなナディアの体温が、とても心地いい。


「ごめんね、忙しいのに。寝るまでだけでいいから」

「いえ。いますよ、ずっと」

「……ありがとう」


 当たり前のように答えてくれて、嬉しくて、どうしてか泣きそうになった。


 ナディアが傍にいてくれると言ってくれて、嬉しい。死ぬまでお世話をしてくれるつもりがあるみたいで、すごく安心だ。だけど、同時にとても苦しくなる。


 そんな自分の心に、嘘はつけない。自覚した。ナディアが大好きだ。それは自分でもわかっていた。可愛くて大好きで、でもあくまで親愛の段階でいなければならないと自制してきた。

 それでも、ナディアがあんまり可愛いから。あんまりに、素直にヴァイオレットに懐いてくれて、傍にいるとか言ってくれるから、もう、これは恋愛感情として好きなのだとわかってしまった。


 だけどどうしようもない。時は戻らない。ナディアとヴァイオレットの年の差は永遠になくならない。ヴァイオレットは50歳で、ナディアは29歳なのだ。

 まさかナディアだって、介護する相手から恋をされるなんて思ってもいないだろうし、そんなことを言われたら気持ち悪くてしょうがないだろう。だから絶対に、恋なんてするべきではなかったのに、だけど、しょうがない、とヴァイオレットは自己弁護する。

 だって、ナディアはこんなにも可愛いのだから。例え年が離れていて、ナディアがまだ少女で、ヴァイオレットが老人だとしても、恋に落ちないなんて土台無理だったのだ。こんなに美しい少女に恋心を抱かないほど、ヴァイオレットの精神はまだ枯れていなかったのだ。だから、しょうがないのだ、とヴァイオレットは己の恋心を認めた。


 そうして思うのだ。これはこれで、幸せなことなのだ、と。


 いいではないか、老いらくの恋だって。おかしなことをして悟られない限り、心の中だけは自由だ。愛しい少女に看取ってもらえる、これ以上贅沢な話があるだろうか。こんな幸せが、他にあるか。だからきっと、これはとても幸せな状況なのだ。恋心を胸にさえ秘めていれば、恋しい人に死ぬまで傍にいてもらえるのだから。

 もちろん、他に望みがないとはいえない。独占したいし、ナディアが他の人に恋をしたとなれば、心穏やかに受け入れられる自信はない。だけどそれを表に出さないでいられる程度には、きっと理性はある。だから大丈夫だ。


「ナディア」

「はい、なんですか? マスター」


 名前を呼ぶと、すぐ傍から優しくいたわるような声音で返事が来る。

 これが幸せで、十分じゃないか。ナディアとであえて、家族になれる。それだけでももう十分、幸運なことなのだ。これ以上は罰が当たる。だから、いいんだ。

 ヴァイオレットはそう己に言い聞かせて、胸をしめつけるような思いは無視して、ただただナディアの可愛さと、ナディアへの愛おしさだけに意識を集中させる。


「大好きだよ。だから、ずっと傍にいてね」


 この恋を伝えてはいけない。伝えたって困らせるだけだ。だけど今なら、言える。大好きだって言っても、今なら、風邪だし、さっきの会話もある。どれだけ思いを込めたって、これが恋情だってわかるはずがない。

 だから今だけは、ヴァイオレットは万感の思いを込めて、そう伝えた。


「はい、マスター。ずっと傍にいます」


 ナディアはそう優しく答えて、少しだけ手を握る力を強くした。

 今この時、この思い、この会話だけは、本当のことだ。だから大丈夫。それだけで、幸せだ。


 ヴァイオレットはそっと目を閉じた。この思いを閉じ込めるように。今この感じている幸せに浸るかのように。


「おやすみ、ナディア」

「はい。ゆっくりと、おやすみなさい、マスター」


 ヴァイオレットはゆっくりと、眠りに落ちた。








 目が覚めたヴァイオレットは、すっかり熱がひいていた。頭の調子も問題ない。そして当然、記憶もある。

 なんだ。ナディアとの会話は。ちょっとくらい熱があるからって、甘えすぎだろう。傍にいてとか、大好きとか何を口走っているんだ。

 と言うか、普通に本当に好きだし、目が覚めても全然夢じゃないから、今も隣に居てくれているナディアを見ただけで心臓がうるさくなってきた。

 恋と自覚したせいで、余計に昨日まで平気だったことまで駄目だ。


「あ、起きましたか? マスター。体調はどうですか?」

「だ、大丈夫。すっかり良くなったよ、ありがとう」

「いえ、よくなられたなら嬉しいです。熱、はかりますね」

「う、うん」


 ナディアはそう言って、繋いでいない方の手でヴァイオレットの額に触れる。う。ひんやりしていて気持ちいい。

 と言うか、外が暗いので確実に夜なのに、本当にずっと手を繋いだまま傍にいてくれたのか。天使過ぎる。好きだ。


「熱は下がっている、と思います。考えたら私、マスターの平熱知りませんけど」

「うん、まぁ、大丈夫だよ。ありがとう、迷惑かけたね」

「いいえ。迷惑なんて。マスターの為ならどうってことないですし、そう言う言い方、好きじゃありません」

「そう? でも、ありがとう。トイレにも行きたいし、ちょっと起きるね」

「あ、ついていきますよ」


 起き上がるのを背中を支えて補助してくれたナディアが当然のように言うので、一瞬、うん、お願いと言いかけたけれど。え、トイレですよ?


「いや、さすがに恥ずかしいって」

「駄目です。もし途中で倒れたらどうするんですか」

「えぇ、そう言われると困るけど。熱はないし、本当に治ってるって」

「駄目です。治ったと言われても、必ず一日は様子をみるって、ルイズさんから聞いてます」

「それはそうだけど……わ、わかったよ」


 真顔で言われた。心配をかけているのだから、しょうがない。ヴァイオレットはあきらめて、ナディアの言う通りに看病された。

 その過保護で付きっきりの看病は、一日どころか丸二日続けられたけれど、ヴァイオレットも幸せだったのでよしとする。


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