あーん
ヴァイオレットの人生初の釣りは、大した釣果はなかったが、一匹はとれたので、ないよりましだろう。何より、教える側のナディアがいきいきしていて可愛かったのでよしとする。
もう、ナディアが楽しんでくれていたらヴァイオレットも楽しい。これが親ばか、というものなのか。
ナディアが釣りでいっぱいとってくれたので、網はそれを捕まえるだけにした。最初は袋に水を入れて湖に浮かべていたけど、それでは足りなくなったので。
網で囲った範囲内に、十分すぎるほど入っている。持ち帰っても腐るほどありそうだ。ナディアが楽しそうなので満足するまでとめなかったけど、重さは何とかなるとして、かさばるので運ぶのが大変そうだ。
さすがに満足したようで、ナディアは網の中を窮屈そうに泳ぐ魚たちを見て満足げにヴァイオレットを振り向いた。
「ふー、まぁ、こんなところですね」
「いっぱい釣れたねぇ。ナディアは釣りが本当に上手だね」
「ふふん。まぁ、それほどでもあります。見てのとおり私、狩りは得意ですから。マスターがもしクビになっても、養ってあげますよ」
「ありがとう。頼もしいなぁ。でもクビになる予定はないからね」
テンションが上がっているのだろうけど、笑顔でクビになったらとか言われても反応に困る。ルロイは別としても、割と順調に出世していて同僚の中では出世頭なほうなのだけど。
あと、見てのとおりって言っているけど、外見では狩りが得意そうには見えない。普通にか弱くておっとりして魚が気持ちわるくて触れなーいとか言っても許しちゃいそうな可愛い美少女にしか見えない。
「頑張ってくれたし、ちょっと休憩しようか」
「はーい。あ、魚食べます? 私さばきますよ!」
「え、ナイフ持ってきてるの?」
「! 持ってきて、ませんでした……うぅ。せっかくの新鮮な魔力が……このまま、食べます?」
釣り具を置いて、笑顔で一匹の魚を生け簀状の投網から取り出して、かかげるようにヴァイオレットに向けてきたナディアだったけど、ヴァイオレットの指摘に眉をあげて驚いて、落胆で眉をさげた。
諦めがたいようで、魚を下げて胸の前に持ったまま、ナディアはヴァイオレットを上目遣いで見つめてきたけど、いや、いやいや。
ナディアは平気だとして、ヴァイオレットは生で下処理せずにとか食べられないということはわかっているよね? あくまで冗談ですよね?
おもわず敬語できいてしまいそうだけど、軽くスルーすることにする。
「せっかくお弁当作ってきたのに、私の魔力より魚がいいの?」
「! い、いえいえ! すみません、つい。綺麗で魔力豊富な森だったので、つい。マスターの魔力があればいりませんでした!」
ナディアはかっと目を見開いて両手を上にあげて、その勢いで手にしていた大きめの魚は背後の湖に落ちていった。ざぱ、と割と大き目な水音がたった。
いや捨てなくてもいいんだけど。というか、普通に味付けを変えるみたいに、時々他の魔力食べたくなったとして何にもおかしくないと思うのだけど。エルフの価値観がいまいち判断つかないデリケートな部分なのでそっとしておく。
「そこまで気にしないでいいけど、じゃあ、とりあえず、お昼にしようか。時間もちょうどいいし」
「はい!」
テンションが上がったままなのか、非常にいいお返事だった。とても可愛いので頭を撫でようとしたが、魚を触った手のままだったことを思い出したのでやめておく。
荷物を置いておいた最初の木陰に戻り、手を洗って綺麗にして鞄の横に並んで座る。
「んんっ? な、なんですか?」
せっかく手も洗ったし落ち着いたので、頭を撫でてみた。何度触れてもさらさらした髪といい、完璧な手触り。一生触っていられるやつ。
しかし初めてではないとはいえ、頻繁にしているというほどでもないので戸惑われた。ぱちくりと瞬きして、やや恥ずかしそうに尋ねられた。
改めて理由を聞かれると困る。よくできました、というのにかこつけただけとも言える。単に可愛くて触れたい、と言うのが本音だけど、そのまま言うと不審者のようだ。
「えー、元気にお返事ができていたから? なんとなく」
「うぅ……また、子ども扱いですか」
嫌がるわけではなく、むしろ頭をかたむけてくれているくらいだけど、表情はむくれたように眉をよせている。そんな子供っぽい顔も可愛い。
「そういうわけじゃないんだけど。だって、ナディアが可愛いから。私としては、手を繋いだりするとかも、もっとこう、スキンシップしたりとか、そう言う気やすい関係になればいいな、と思っております」
子供扱い、と言われたら、被保護者枠と言うか、子供枠ではあるのだけど、そういうことではなく、単にナディアが好きなので、触れたいのだけど。
と何となく思ったことを言いながら、なんだか恥ずかしくなってきてヴァイオレットは誤魔化すように敬語でしめた。
なんだ、これ。と言うかナディアが好きで触れたいって、もうそれはアウトなのでは。あー、いや、家族でも愛しい相手とはスキンシップ取りたくなるものなので、セーフで。
と頭の中で言い訳しながら手を下げると、ナディアは照れているようで赤くはなっているけど、じっとヴァイオレットを見つめてくる。
「そ、そういう、ことなら……私としても、い、嫌ではない、と言いますか……さっきも言いましたけど、手を繋ぐのも好きですし、えっと、とにかく、スキンシップしても、いいですよ?」
そして視線はめちゃくちゃ泳がせながらだけど、そう言ってくれた。これはつまり、むしろナディアもスキンシップ大好きなので、仲良くなった今ではどんどんしていってほしいな! ってことだろう。都合よく考えると。
「え、あ、そうなの? じゃあ、もっと、積極的に、と言うか、理由なくても撫でたり、手を繋いだりしてもいい感じだったりする?」
「は、はい……どうぞ」
「あ、うん」
そっと左手を下手に差し出されたので、右手をそっと重ねてみる。
「えへへ……」
自分から出してきたのに照れくさいのか、ナディアははにかみながらそのまま指先を曲げる。きゅっと曲がった細い指先が、ヴァイオレットの指の間のひとつひとつにはいってくる。
はい、可愛い。恋人つなぎだし、どれだけスキンシップ好きなのっていうか、スキンシップ好きのちょろ美少女とか、こんなの絶滅危惧種だろう。すぐに保護しないと。なーんて、もうしているのだけど。はー、恋に落ちそう。なんてね!!
などと脳内で冗談っぽく全力で誤魔化しながら、なんとかナディアの可愛さに負けず、笑顔で声をかける。
「じゃあ、お昼もこのまま食べましょうか」
「え、ああ、でも、食べにくいですよね。すみません。お昼なのに、なんか」
「いやいや。私も繋ぎたいんだから。こんなの、食べさせあえばいい話でしょ」
「え?」
空いている左手で鞄を膝の上に引き上げ、中を探り、お弁当と水筒を取り出す。
「ちょっと持って」
「あ、はい」
ナディアの膝に渡して、鞄を閉じて膝からおろす。そして改めてお弁当箱をひきよせてあける。結んでいるので開けにくかったが、気づいたナディアが手伝ってくれた。目が合って、何故か猛烈に気恥ずかしくてお互いに照れ笑いしながら、開ける。
「よし、じゃあ、はい。お先にどうぞ。あーん」
お弁当は定番のサンドイッチだ。レパートリーの増えたナディアは家ではあまり作らない分、お弁当はサンドイッチが定番になっている。
なので片手でも簡単に食べさせられるのだ!
「……あ、あーん」
口元に差し出されたサンドイッチに、ヴァイオレットの様子を窺うようにしながらも、耳まで赤くしたナディアがついにかじりついた。
小鳥がかじりつくようにかわいい。と和みながらヴァイオレットは気が付いた。別にこれ、食べさせ合わなくても普通に片手で自分で食べられるな、と。
「お、美味しいです……えっと、じゃあ、次はわたしですよね? あ、あーん、してください」
「ありがとう。あーん」
だがナディアは気付いていないようだし、すでに始めているし、何よりナディアが可愛いので、このまま続けることにした。
仕方ない。ナディアが魅力的なので、こんな間近で見たら思考力落ちて馬鹿になっても仕方ない。長い(可愛い)ものにはまかれるほかない。それが賢い選択なのだ。
「うん、美味しいなぁ。はい、ナディア、あーん」
「あーん」
お互いに一口ずつ食べさせ合う。遅々として進まない昼食だけど、全く不満がないどころか、もっとゆっくりとしたいくらいだ。
とにもかくにも、美味しい。ナディアの手ずから食べさせてもらっていると、美味しさもひとしおだ。
時々間違って唇に触れてしまってその柔らかさにどきっとしたり、逆に触れられていちいち動揺するナディアが可愛くて溜息がでそうになったりしたりするのもスパイスだ。
ナディアの作ってくれる食事は全てヴァイオレットの好みなので、純粋に美味しいのももちろんのこと、それをナディア自身も美味しいと感じてくれていることも嬉しい。
そういう風に味覚を共有し、さらに触れ合っているお互いの手を強くしたり弱くしたりして握り合ったりすることで触覚すら共有する。さらに、見つめあってお互いにこの状態に照れていて、でもお互いに楽しんでいることを自覚している。
そんな付加情報もりもりで、美味しくないはずがない。今まで食べてきた中で一番おいしい。これ以上となるともう思い浮かばないくらいだ。
「名残惜しいけど、もう終わりだね」
「はい、最後の一口ですね。……デザートでも、用意すればよかったですね。次から気を付けます」
「そうだねぇ」
さらっと言っているけれど、これは次のお出かけも食べさせあおうと言うことなのだろうか。
ともあれ、本日はこれが最後なのは変わりない。
「今日のところは、一緒に食べて終わろうか」
「あ、そうですね。では」
「あーん」
「あーん」
同時にお互いの口に入れる。さっきまでより、さらにゆっくりと。名残惜しくて、つい、押し込むように唇に触れた指を離さず、そのままにしてしまう。
と、口元のナディアの指先が今まで遠慮がちだったのが最後だからか歯に触れるほどはいってきた。折角なので舐めて綺麗にしておく。
「ひゃっ!? な、わ、あ?」
しまった。調子に乗りすぎた。とナディアが驚きに両手をあげて万歳で固まったので気付いた。とりあえず口の中身を飲み込んで、自分の指先も舐めてしまう。
あ、普通にパンを食べたように舐めたけれど、これはナディアの唇にふれていたものだった。
「……ごちそうさま、ナディア。美味しかったよ」
心臓が妙な音をたてだしたので、ヴァイオレットは誤魔化すようにそう微笑んだ。
ナディアはそんなヴァイオレットに、あっけにとられたような顔をしてから、むぅっとわかりやすくむくれた顔をした。