お風呂上り
夜、お風呂に入ってからナディアに声をかけて、ナディアにも入ってもらう。仕事で遅いならともかく、基本的にはヴァイオレットが先に入る。決めたわけではないが、ナディアが遠慮するし、夕食の片づけをしてくれている間に入ったほうが効率がいいからだ。
髪を乾かし、しばらく過ごしていると、控えめにとんとん、とノックがされた。マッサージに来てくれたのだ。でも少し、遅いな、と思った。急かすわけではないけど、この後ナディアもお風呂に入ることを考えると、あんまり遅いとどうなのだろう。
今日、いつもよりは遅く寝て、起床時間を合わせてくれると言うことだけど、ナディアはどのくらい眠る時間をとるのか。それによってまた変わってくるだろうし。
「はーい、はいってはいって」
そんな余計なお世話なことを考えながらドアを開けてナディアを迎え入れ、違和感にすぐ気が付いた。ナディアはすでに入浴しているようで、しっとりしていた。
「あれ、ナディア、お風呂はいったんだ」
「え、はい。連続して入らないと、もったいなくないですか?」
「そう? まぁいいや。どうぞ」
「はい、お邪魔します」
ナディアが部屋に入り、ヴァイオレットの前を通り過ぎる瞬間、濡れた髪は舞ったりしなかったけど、ほのかにいい匂いがした。
入浴時の石鹸等、同じものを使っているのにどうしてナディアはいい匂いがするのか、不思議である。
なにか特別なものつかっているのかな? と気になったけど、いい匂いがする、とストレートに言うとまたデリカシーがないとかで怒らせてしまいそうなので自重する。
「マスター、じゃあさっそく、仰向けになってもらえますか」
「いいけど、お風呂上がってすぐなら、疲れてるでしょ。ちょっと休憩してもいいよ? 何時くらいに寝る予定?」
とりあえず、まだ火照った体だと無駄に疲れるだろうから、並んでベッドに座って話すことにする。ナディアも座りながら口を開く。
「そうですね。睡眠時間は適当ですけど、五時間くらいは寝ておきますか」
成長期の睡眠時間にしては短く感じるが、エルフと言う特殊種族のことだし、そもそもこの世界はヴァイオレットの以前の世界の感覚とは違うところも多いので、本人の感覚に任せておくことにする。
しかしそれにしても、普段そんなに横並びになることは少ない。まして自室で、ベッドの上だ。私室で気が緩んでいるのか、いつもより近いようにすら感じられる。
先ほど一瞬感じた、ナディアのほんのり甘い香りが鼻をくすぐる。卓上はともかく、部屋の天井灯は少し光量を控えめにしている。もちろん暗いとは感じない程度だが、いつもと違う雰囲気に感じるには十分だ。
未成年の少女を風呂上りに私室でベッドに座らせるなんて、もしかして、訴えられたらまずいような状況なのでは? とシチュエーションのせいかややドキドキしてきたヴァイオレットだが、不審に思われないよう平静を装いながら会話を続ける。
「じゃあ、まだ結構時間ある感じだね」
「そうですね。故郷では明かりがもったいないのもあって、ほとんどみんな早く寝ていたので、魔法具で明かりがつくなら時間が有効に使えていいですね」
「うん、まぁ。でも、世間的に明かりの魔法具が浸透しているとはいっても、やっぱり魔石と言う消耗品がある分、あまり夜更かししない方が一般的みたいだけどね」
「そうなんですか?」
「うん。うちはほら、腐っても魔法使いだからね。自分で魔力を補充しているから」
使い放題だよ、と冗談めかして言ったのだけど、ナディアは何故か驚いたように、まぁ、と小さく漏らしながら口元に右手をあてた。指先で口元をおさえるようにして、小指がぴくぴくしている。
「そ、それはその……できれば知りたくなかったです」
「え、どうして?」
「その。魔力が入っているのはわかっていても、時間経過で風味が飛ぶので、手で触れるだけではマスターの魔力とはわからなかったんです」
「うん」
「ですけど、マスターの魔力と知ったら、その、味が気になるじゃないですか」
やや恥じらいながら言われた。可愛い。可愛いけども。
「あー、ひとつくらいならいいけど、まめに補充するのは面倒だから、つまみ食いはしないでね」
「わ、わかってます。ひとつだってしません!」
「ご、ごめんごめん。冗談だよ」
何気なく言ったことだけど、ご機嫌を損ねてしまったらしい。慌ててフォローをするも、ナディアは手を下してつんと顎をややあげて、むっと眉をよせている。
「嘘です。いま、本気で注意しました。私、そんなに食いしん坊じゃありません。マスターに十分魔力いただいてますからっ」
その通りである。確かに、割と本気で注意した。だって、魔力大好きじゃん。花の魔力ももったいないって言っちゃうし、先日魔力をいれたカップをこぼしたとき、めちゃくちゃ葛藤してから処理したじゃん。
と言いたくなったが、言ったら絶対、さらに怒らせるやつ。丸見えの地雷を踏むほど、ヴァイオレットは愚かではない。
「ごめんね。つい。あ、そうだ。新しい石材をサンプルとしてもらってきたんだけど、どれにいれたら一番長持ちするかはかったりするんだけど、エルフって魔力に敏感だけど、何かわかったりする?」
「露骨に話をそらしますね。まぁ、いいです。許してあげましょう。でもそうですね。空気中に発散される魔力量を感覚で察するのは、他の種族より敏感だと思いますけど」
「他の種族っていうか、空気中の魔力を感知するのって結構大変なやつなんだけど」
「え、そうなんですか? でもたとえば、マスターくらいだと、同じ部屋だともうわかるくらいですよね?」
「えっ、部屋? いや、私なんかは触れた状態でしか魔力は感じないくらいだよ。確かルロイが敏感な方だけど、それでも手をかざすくらいの距離で感じるって言っていたし」
他の同期も、少なくともそう言った話は聞かない。魔法使いでない人は、自分の体内の魔力すら感じられないと言っていたので、空気中の魔力は基本的に感知できないものと思っていいはずだ。
呼吸と同じように魔力を大気から吸収することもあるが、それより多くの魔力が体内から放出されている。空気中に魔力はあるし、人が出すのも知識としてわかっているが、それを意図的に吸収したりするほどの密度ではなく、ないものとして扱うのが、少なくともこの国では一般的だ。
だけど今の物言いでは、空気中の魔力を密度まで込みで感知できて、しかも多くの魔力もちなら部屋にいるだけでわかるということだ。それはすごい。触れてはかろうとすれば、おおざっぱにその人の魔力をはかることはヴァイオレットにもできるが、同じ部屋だともうわかる。という言い方は、意図せずともわかると言うことだろう。
「ちょっと待ってよ。それ、めちゃくちゃすごいんだけど。え、じゃあ、魔石にいれても、どのくらい魔力がもれでているかとかもわかるの?」
「え? えっと、魔石とかは、ぎゅって入ったのが漏れ出ているだけで、生物より漏れる量が少ないので、意識してやってみないと、わからない、と言いますか、マスターがいるとそれでまぎれてほとんどわからないですね」
「あ、そうなの? あ、食事のときとか、同室でも大丈夫なの?」
興奮してしまったが、ナディアの返事にハッとする。さすがに無生物の分はわからない程度だとして、人より多いヴァイオレットの魔力はかなり感じているようだ。そうだとすれば、せっかくの食事の際にもずっとヴァイオレットの発する魔力を感じながらだということだ。
自分の立場で考えれば、魔力酔いしてしまいそうだ。それにエルフなので酔わないとしても、せっかく味を変えたりしても、強く魔力を感じすぎては味覚にほとんど意味がないのは初日にわかっている。一緒にいることで余計に魔力を感じるなら、食事の邪魔をしていることになるのではないか。
「うーん、空気で何となく感じるのと、味覚でぜんぜん違いますし。たとえるなら、嗅覚、みたいな感じでしょうか」
「感じてるのと、摂取は違うんだよね?」
「もちろんです。全然違います。空気だけで摂取はできません。それにマスターの魔力には慣れたので、もう平気ですよ」
「そうなんだ」
もう、ということは、最初は空気中の魔力に戸惑っていたのだろうか。ヴァイオレットは、丹精込めて作られただけあって相当に魔力が多い。魔力を数値化することができないので、具体的にはわからないが、少なくとも今まで魔力不足を感じたことはない。一気に使うと疲れはするが、魔力量が減っていると感じることはないので、魔法使いの数人分はゆうにあると言ってもうぬぼれではないと思っている。
だから戸惑ったのだろう。人に言われたこともないので、特に普通に体から漏れる魔力を意識したことはないのだが、少し気を付けてみよう。ナディアのためだけではなく、少なくとも感知するほど、ならそれをなくせばそれなりの魔力量になるかもしれない。
「じゃあ、ちょっと意識して、魔力が漏れないようにしてみようかな。あ、そういえばエルフってどのくらい魔力があって、どのくらい魔力がもれてるものなの?」
「……あの、質問に答えるのは、全然、いいのですけど、もれないようにとかは、その、しなくて大丈夫です」
「ん、そうなの? 邪魔じゃない?」
「いえ。なんというか、たとえるのは難しいですが、さっきの嗅覚にたとえるなら、ほのかにいい匂いがするくらいですから。マスターは人より多いですけど、それも嫌ではなくて、いいにおいがするってことですから。むしろ、その……私は、マスターの魔力を感じるの、好きです」
「わかった、じゃあやめるよ」
ナディアのためだけではないと言ったが、あれは嘘だ。と言うか仮に今までだしてなくても、ナディアが嬉しいなら魔力をもっと垂れ流したいくらいだ。
しかも何故かナディアは何故かめちゃくちゃ照れくさそうだ。魔力が好きと言うのは感覚が分からないが、例えをそのまま受け取るなら、匂いが好きというようなものなのだろうか。
だとしたら、言いにくいのはわかる。そしてなおさら、そんな可愛い顔をしてまで言ってくれた言葉を無下にするわけがない。
「はい……えへへ、嬉しいです」
ヴァイオレットの即答に、ナディアははにかんで、本当にうれしそうな笑顔を見せてくれた。