マッサージ
昼食を食べ終え、片付けて、ぽちぽつと話をしていると、あまりの陽気になんだか眠くなってきた。敷物を大きく引き直し、もう少し厚くして、靴を脱いで上がって寝転がることにした。
「家の中ではいいですけど、外で靴を脱ぐのは、なんだか少し、変な感じですね」
「気持ちよくない?」
「よくわかりません」
そんなものかな、と思いながらヴァイオレットは何気なくごろりと、ナディアに向かって転がった。
「……」
「……そ、そんなに見ないでください」
ナディアはすでにヴァイオレットを向いていて、正面から目が合った。しかも思いのほか近くて、その美しさに、思わず見とれてしまう。
ナディアは恥ずかしそうにそう言ったが、ヴァイオレットは目を離せるはずもない。
「ねぇ、ナディア」
「なんですか?」
「ナディアの綺麗な瞳、ちょっとのぞいてみてもいい? 光っているのも、ちゃんと見たいし」
「え、い、いいですけど。いちいち、綺麗とか、そう言うの言わなくていいです。ていうか、恥ずかしいですし」
「あー、ごめんね。つい」
綺麗だ、と思っているのは本当だ。でも、綺麗だね、可愛いね、と言うと、ナディアはいちいち反応してくれるので、つい言ってしまうのが癖になってきているのかもしれない。嫌われない程度に気を付けないと。
「じゃあ、ちょっと失礼。じっとしてね」
と言う訳で、改めて、もう少し顔を寄せてみる。あんまり可愛いから、つい顔全体を見てしまいそうになるのをこらえて、なんとか瞳に集中しよう。
日差しの下ではわかりにくいので、そっと右手をナディアの顔の横に添えて影をつくる。その陰に自分も入るようにぐっと顔を寄せる。頑張っても鼻くらいまでしか見えないくらいの距離だ。
ナディアの息が触れて少しくすぐったくて、なんだか妙にどきどきしてしまいそうなので、余計なことは考えないようにして、なんとか瞳に集中する。
「ああ……」
目が慣れて、ナディアの瞳が淡く光っているのがわかると、その神秘的な輝きに思わず声がもれた。今までも、夜の薄暗い中に光っていると認識することはあった。だけど照明0の真っ暗闇ではなくて、普通に話す距離だったので、そこまで目立つことはなかった。普通の眼球でも、反射で光っているように感じることはあるからだ。
だけどこうしてみると、全く他の種族とは違う。瞳孔の細かいギザギザした内側が、小刻みに震えるように収縮を繰り返している。まるで見ていると、その奥の青く濃い色に吸い込まれてしまいそうな気になる。
「本当に、綺麗だね」
「っ……も、もういいでしょう?」
ナディアは目を閉じて起き上がった。
見せてもらうために開けておいてもらったから、目が乾燥したのだろうか。と、はっとしながら、ヴァイオレットは寝転がったまま、視線で追う。
ナディアはいつの間にか、耳まで真っ赤になっていた。可愛いけど、どうしたんだろう。そんなに恥ずかしかったのだろうか。
「ごめん。目が疲れた?」
「いえ……でも、駄目です。綺麗とか、駄目って言ったのに」
「あぁ、まぁ、思わず」
本当に美しい光景に出会った時、人は感嘆の息をつき、言葉を漏らす。それはもう反射だ。止められるものではない。
だけど、ついさっき言われたところなのもそうだ。ヴァイオレットは頭を掻きながら誤魔化す。誤魔化しついでに、そのま手足を伸ばしてうーんと大きく伸びをする。
「うー、いてて」
「? どうかしました?」
「ああ。大丈夫。ちょっと腰が痛くて」
「そう言えば、家でも時々、撫でてますね」
「うん、まぁ。恥ずかしながら、年かな」
あまり、年寄りアピールはしたくない。恥ずかしながら、ナディアの前ではついいい格好したくなってしまう。しかし、実際に50歳と言う年齢は大きく現実としてヴァイオレットにのしかかる。
そう。ナディアはこんなに可愛いけど、お友達ではなくて、介護してもらう、家族の中で言うなら子供や孫の立ち位置なのだ。
……いや、孫は言い過ぎだ。しかし、子供、と言うか次世代枠であることには変わらないだろう。そう思うと、何故か無性にナディアが遠いような気になって、ため息が出そうだ。
「あ、そうです」
と一人勝手に沈みそうになっているヴァイオレットを横目に、ナディアはポンと軽く手をうった。ナディアはナディアで、何か考えていたようだ。
「どうしたの?」
「はい。マスターを支えるためにできることを考えていたんですけど、私、マッサージしますよ」
「マッサージ……マッサージ?」
「はい。私、結構上手なんですよ。家族には結構やってましたし、評判も上々です」
ずいぶんと自信満々だ。突然で驚いたけど、しかし、悪いことではない。むしろかなり素敵な提案だ。人気のない、気持ちのいい屋外で、心許せる可憐な少女に按摩してもらえるとは。何とも言えない甘美なお誘いである。
そもそも、マッサージなんてしてもらうことはない。病院にも縁遠い体だ。この体で生まれて、初めてのことではないだろうか。友人同士で冗談で軽く肩をもまれることはあっても、しっかりしたものではない。
「それじゃあ、お願いしようかな。起き上がればいい?」
「いえ。腰ですよね? うつ伏せになってください」
「そう。わかった」
うつぶせになる。
「じゃあ、肩回りからいきますね……ん」
「ん」
宣言されたとはいえ、肩から始まって少し驚いたヴァイオレットだったが、ナディアの動きは手慣れたものだ。
弱すぎず、体重をかけたしっかりした、けれど痛くはない程度で、肩回りから背中、腰と降りていき足先までしてくれた。
「はい、終わりですよー」
「あー……あ、終わりか。あー」
途中痛くて、うぐ、とか声が漏れて少し恥ずかしかったが、慣れた様子のナディアは気にせずどんどんしてくれるので、完全に身を任せた。途中で仰向けになったり、腕をあげさせられたり、足を曲げたりとかなり本格的な施術だった。
ぐーっと、手足を伸ばして思いっきり伸びをしてみる。ぐぐっ、と思ったより伸びたし、痛みもない。むしろ気持ちいい。
「あー……き、もちいいー、なにこれ、ナディア、すごすぎるんだけど、もしかして本職?」
「違います」
「本職は冗談だけど、でも、めちゃくちゃ本格的じゃない? 勉強とかしてたの?」
起き上がりながら尋ねる。腰を気遣う必要がないどころか、なんだか体全体が軽く感じる。
「そうですね。マッサージは魔力の流れをよくするためにも役立ちます」
「あ、そうなんだ。じゃあ、エルフはみんなこんな風に本格的なマッサージをするってこと?」
「いえ、そうではありませんけど。私が個人的に、まぁ、興味があって学んだことがあるだけです」
やや言葉を濁された。マッサージを学ぶことに言いにくい要素があるとは思えないけど、突っ込むこともないだろう。
肩を回して、肩こりも解消されていることを確認し、にこにこしながらヴァイオレットは改めてお礼を言う。
「そうなんだ。すっごく気持ちよかったよ。ありがとう」
「どういたしまして。じゃあ、また、やってあげますよ」
「いいの? 嬉しいなぁ。長生きしちゃいそうだ」
得意げに胸をはるように応えたナディアに、ヴァイオレットは笑いながら軽口をたたく。ナディアはふふっと声に出して笑う。
「もう、マスターったら。そんなこと言って。お年寄りみたいに言ってますけど年よりずっと、若く見えるんですから」
「そう? へへ、何歳くらいに見える?」
若く見えると言われて、満更ではない。そもそも外見は昔から変わっていないヴァイオレットなので、実年齢とはかけ離れて20代前半に見えるはずだ。
なんなら、姉妹にみえちゃうかな? なんて調子にのったことを考えながらあえて聞いてみると、ナディアはにっこり微笑んで答えてくれた。
「はい。40歳くらいに見えますよ」
「……そうなんだー、ありがとー」
思わず、棒読みになってしまったが、セリフは普通なので、ナディアは首をかしげながらもどういたしましてと返した。
40歳。40歳て。いや、確かに、ヴァイオレットは50歳だ。それは、ルロイ経由でヴァイオレットの素性や事情を聴いた際に、教えてもらっているだろう。
だから、それより若く言っていて、ナディアはお世辞を言ったつもりなのだろう。この笑顔だし。だけど、40歳に見えるのか。ヴァイオレットは外見が全然変わっていないつもりだったし、ルロイたちも、変わらないなーと言われていたので真に受けていた。
しかに、実際には時間経過で老いが表れていた!? そして、幼いナディアから見たら、そのくらいに感じられるのか!?
ものすごく、ショックだった。そうだ。現実逃避をしていた。ヴァイオレットは、50歳。それがまぎれもない事実なのだ。若く見えるとか、姉妹かなとか痛々しいにもほどがあるではないか。
「……」
自分は介護をしてもらう、老人なのだと自己嫌悪で沈黙して空をみあげるヴァイオレットに、ナディアは首をかしげていた。
ナディアはもちろん、ヴァイオレットに介護まじかの老人にリップサービスする気持ちで40歳と言ったのではない。
単純に、長命種にとって40歳は若いのだ。ヴァイオレットは格好良くて素敵な大人だけど、時々子供っぽくも可愛いところもあって、外見も若く見えるので、そう言ったに過ぎない。
そんな行き違いに気付かず、ナディアは空を見上げるヴァイオレットに、ぼんやりして物思いにふけっている姿も格好いいなとぼんやり考えていた。
「ナディア」
「はい、なんですか、マスター」
呼びかけられ、ぼーっとしていたことなどおくびにもださず、ナディアは素早く返事をした。
ヴァイオレットは、まさかナディアがそんな風に思っているとは知らないので、今後は身を振り返って、ちゃんと身の丈にあった感覚を身に着けないといけないな。と思いながら、話しかける。
「これから、ナディアには色々とお世話になると思うけど、改めて、よろしくね」
正面から見つめて、そう真面目に言うと、ナディアは一瞬きょとんとしてから、ふっと優しく微笑んだ。
「はい、いいですよ。お世話いたします」
「ふふ。ありがとう」
「いいえ。私こそ。その……よろしくお願いします」
そして、照れて赤くなりながらも、そう笑顔のまま言ってくれた。なんて、可愛い女の子なのか。
ヴァイオレットは、この笑顔をあと何年見られるのかと考えて、少しだけ、悲しくなった。