お姫様
ヴァイオレットの友人の家にいって、ピクニックに必要な敷物をかりるのだけど、当然昨日突然決めたのでアポなしである。この世界、遠方と通信連絡する手段はあるものの、一般庶民に浸透するようなものではないので、普通に一般的には手紙一択で、アポなしも普通である。
だからこそ、ルロイが勝手に入ってくるのも、多少しょうがない面も……いや、やはりドアベルを鳴らして返事がないのに勝手に入るのは違うだろう。いくら親しいと言っても、話は別である。
「すみませーん。ヴァイオレットですけど、どなたかいませんかー?」
時間は11時頃。休みの日に尋ねても非常識ではない時間だ。なので安心して声をかける。
玄関をノックしてそう声をあげると、すぐに足音と共に返事がある。
「はーい。いまーす」
声から予想して、ヴァイオレットが一歩引くと、勢いよく玄関が開いた。
「おはようございます! ヴァイオレット!」
にこにこと、微笑んで挨拶してきた女の子。ヴァイオレットの友人の娘である。今年で5歳。おしゃべり大好き可愛い盛りの女の子である。
ついつい、ヴァイオレットもにこにこしながら、しゃがんで視線を合わせる。
「おはようございます、レニーちゃん。お母さんいる?」
「いるっ。ごほん。いますわ。すぐ呼んでくる!」
前回会ったのは三か月ほど前になるが、その時にお姫様ブームがやってきて、敬語をつかいだしたのだけど、今も続いているらしい。全然敬語を使えていないところがまた、可愛い。
「お母さん、早く早くー、ですよ!」
「はいはい、おはよう、ヴァイオレット」
手を引かれて出てきた母親は、ヴァイオレットの顔を見て気だるげに挨拶した。
学生時代からの友人だが、宮廷魔法使いではなく、普通に実家を継いでいる魔法使い友達だ。跡継ぎの婿をもらって子供もいる、同期の中で一番わかりやすいリア充である。
「おはよう、リッタ」
「で、どうしたの、久しぶりだけど」
「ああ、ピクニックに行くから、敷物借りたくて」
「あー、あれね。て、ピクニックって、一人で?」
「まさか。紹介するよ、あ、ナディア」
振り向くと、すぐそばにいると思っていたナディアは、少し離れたところにいたので、ちょいちょいと手招きして呼び寄せる。
ヴァイオレットの隣に来たナディアを見て、リッタは眠そうだった目を開いた。
「あら、綺麗な子ねー」
「でしょでしょ! ふふふ。可愛いでしょ。今、うちでお手伝いをしてくれている、ナディア・アリエフだよ。ナディア、こちらは私の学友の、リッタ・コルベック。と、娘のレニーだよ」
「初めまして。ご紹介にあずかりました、ナディアです。マスターの身の回りのお世話をさせていただいてます。よろしくお願いします」
「まぁまぁご丁寧にどうも。リッタです。じゃ、レニー姫も、ご挨拶はできますか?」
「う、うん」
ナディアに対して人見知りが発動したレニーは、母親の手を握ったままスカートの陰に隠れていたが、お姫様として促されるとしょうがない。
やや胸をはるように、気合をいれて前に出てきた。
「れ、レニー・コルベック。五歳。お姫様です。え、えと。ヴぁ、ヴァイオレットぉ」
続きに困ったレニーはヴァイオレットに助けを求めた。どうやら母親はスパルタなので助けてくれないと判断したらしい。苦笑しながら、リッタに視線で確認してから、抱き上げて褒めてあげる。
「はい、レニーちゃん、よくできました。さすがお姫様」
「ん。お姫様だもん。もっと高くして」
「はい、たかいたかーい」
「きゃはっ、高い高いだって! たかいー!」
「はい、じゃあ姫、ヴァイオレットはピクニックに行くんだって。奥の倉庫から、必要なものとってこれる?」
リッタにお願いされたレニーは、ヴァイオレットからおろされて不満そうに声を上げる。
「ピクニック! えー、いいなー!」
「お姫様は、今日、一緒にクッキー作るんでしょ?」
「そうだった! しょーがないなー、です。私がとってきてあげるです!」
本日の予定を思い出したレニーは、機嫌よく家の中に走って行った。それを見送ってから、リッタは改めてヴァイオレットに向かい合う。
「すぐ持ってくるよ。てか、久しぶりじゃない? もっと買い物にきてよ」
「いや、まぁ、必要なものがあればね」
リッタの店、魔道具屋コルベックは、魔道具の販売、修理、買取をしている、ごく一般的な魔道具屋だ。ヴァイオレットの家は一般の家よりたくさんの魔法具があるが、どれも自家製だし修理も自分でできる。研究の試作品を自分用にしているので、費用もあまりかからないが、逆に売り払うこともできない。
普通に購入している品もあるが、そもそも魔道具は頻繁に買い替えたりするものでもないので、自然と、魔道具屋から足は遠のく。
その理屈はわかってはいるものの、その言いようにリッタは眉を寄せる。
「品揃えが悪いみたいに言わない。ナディア、だっけ。あなたも大変でしょ。研究者って言うのは、みんな生活リズムずれてるし、そもそも常識ずれてるし」
「いえ。マスターはよくしてくださってます」
緊張でもしているのか、ややかたく、ナディアはそう端的に答えた。そんなナディアの様子を気にせず、リッタは首をかしげる。
「マスター? なんか聞いたことあるけど。古語なのはわかるけど、意味、ヴァイオレットをさしてるのよね。愚か者、とか?」
「そんなわけないよね? 雇い主とか、家主のことだよ。初対面でボケるのやめて。ナディアが困っちゃうじゃない」
「ほー? ずいぶん過保護ねぇ」
「そう?」
「お待たせー!」
普通じゃない? と言おうとしたところで、レニーが頭上に野外に敷ける防水仕様の敷物を掲げて持ってきてくれた。
「わー、ありがとう、レニー姫」
「んふふ。どういたしまして」
しゃがんで受け取ると、レニーは得意満面の笑顔で胸をはった。頭を撫でてもう一度お礼を言ってから立ち上がる。
「じゃあ、リッタ、レニーちゃん、ありがとう。今度返しにくるね」
「ありがとうございます」
「はいはい。別に返さなくてもいいけど、楽しんできてね」
「ばいばーい!」
二人と手を振って別れる。ナディアはヴァイオレットが持っていた敷物を、自分が持ちますと言って手を伸ばした来たので、素直に渡す。
「随分とちいさい敷物ですね」
「ふふふ。これは特別製でね。昔学生時代にみんなでつくったんだけど、その後小さい子がいる家を転々としてるんだ」
学生時代は季節ごとにピクニックをしたりしていたので、協力し合って立派な敷物をつくった。当然魔法具であり、子供でも持てる大きさに折りたためて軽いものだが、広げると10人くらいは余裕でつかえて、汚れにくく水をはじく。二重構造になっていて、端の魔石に魔力を込めると膨らみ地面の凹凸を無視できて、簡易ベッドにだってなる優れものである。
予算なんか完全に無視して、使用者への配慮もない、一般人には使えない魔力量を要求するものだけあって、性能はよい。
が、当然大人になればそうそうピクニックばかりしていない。仲間が一気にあつまることもそうそうない。
そう場所をとらないし、捨てるのももったいないので、とりあえず子供が生まれたメンバーにあげてから、たらいまわしになっている。それなりに使用されているようなので何よりではある。
「そうなんですか」
「きっと驚くよ。いいものだから」
「はあ」
「……? う、うん、あの、なんか、怒ってる?」
反応が薄い。興味がないならそれでも仕方ないけれど、積極的に手にとって、しげしげと見ていたのに。
それになんだか、せっかくここまでの道中で機嫌もなおしてくれていたのに、またちょっとつんとしたような、拗ねたような表情だ。微妙な変化だけど、毎日顔を合わせていたので、なんとなくわかる、気がする!
「え、お、怒ってませんけど……私、なんか、顔に出てます?」
「ちょっと、出てるかな。何か不満なことあった?」
少し困惑したような驚いたように尋ねられ、ヴァイオレットが微笑みながら聞き直すと、ナディアは唇を尖らせて、前を向きながらもぞもぞと口を開く。
「ふ、不満というか……私、子供じゃありません」
「え? うん。そうだね。もちろんわかってるよ」
「……子供じゃありませんけど……、その、お、お姫様とか、あの女の子に言うのは、違うと思うんです」
「うん、そうだねぇ」
相槌をうちながら、意味を考える。
子供じゃないけど、レニーにお姫様と言うのは違う。違う、というのは嫌だということだろう。子供じゃないけど、と言うのは、単なる枕詞だ。子供っぽいことを言っている自覚があるのだとして、それ自体に意味はない。つまり大事なのは、レニーにお姫様と言わないでということだ。意味は子供っぽい内容。
つまり、短絡的に考えると、レニーではなく、ナディアがお姫様扱いされたいので、嫉妬した。ということだろうか。
「ごめんね、お姫様。うちのお姫様をさしおいて、他の子を特別扱いするのは違うよね」
「! そ、そうですよ……」
当たりだった。しかし、当たりだったとして、素直に肯定するとは思わなかったので、少し驚いた。だけどそれを表には出さずに、ヴァイオレットはにんまり微笑んで、そっとナディアの頭を撫でた。
「可愛いね、私のお姫様。これから姫って呼んだ方がいい?」
「そ、あ……う、は、恥ずかしいから、だめです」
ナディアは真っ赤になると、そっと頭上のヴァイオレットの手をとっておろした。
さすがに調子に乗ってしまったかな? と一瞬焦ったヴァイオレットだったが、ナディアはそのまま、ヴァイオレットの手を握ったままだ。
ヴァイオレットは、急にドキドキしてきた。気軽に触れてしまって申し訳ないような、その小さい手を握り返すと潰れてしまうんじゃないかという不安感に、そしてそれ以上に、なんだかたまらなくナディアが可愛くて、もちろんいつも可愛いけど、それだけではなくて、ぎゅっと抱きしめたいような可愛さで、なぜか胸が苦しいくらいだった。
だけど、それを出すのは何故かとても恥ずかしい気がして、平静を装って、ヴァイオレットは声音に注意して頷いた。
「そっか。じゃあ、また今度、二人きりの時だけ、呼ぶね」
きっと、ナディアはお姫様に憧れがあるんだろう。だから、簡単によその子がお姫様扱いされているのをみて、ずるいなって風に思ってしまったんだろう。
それはとても子供っぽいけど、とても可愛い。それに、お姫様と呼ぶと、本当にどこかの国のお姫様なんだろうと思ってしまいそうなほどの美貌だ。これほどお似合いの呼び名もなくて、どうして今まで思いつかなかったのかと思うほど似合う。
だから違和感もなくて、むしろもっと呼びたいけど、確かに、小さなレニーに言うのは平気だけど、ナディアにお姫様と呼びかけるのは、どうしてかおふざけではない本気が入ってしまいそうで、少し気恥ずかしい。なので、ヴァイオレットはそう、ナディアにだけ聞こえるような声で囁いた。
「……はい」
ナディアもまた、絶対嫌なわけではないけど、恥ずかしいのだろう。そう、小さな声で応えた。