エルフの里について
そうして、のんびりと過ごして、夕方には家に帰ってきた。
何だかんだ、朝から活動していたので、家にはいると途端に疲れたなーとヴァイオレットは腕をまわした。
「今日はお疲れさま。なんだか、結構振り回しちゃったけど、大丈夫?」
「大丈夫です」
「体力とかも結構あるんだね。それも種族として?」
「そうですね。特に今は、マスターの……魔力で、その、十分、お腹いっぱいなので、3日くらいは飲まず食わずで歩き続けても大丈夫です。このくらいなら、エルフの中でも普通です」
「そ、そうなんだ」
口ぶりから、飲まず食わずで、夜通しということだろう。他の種族なら、飲まず食わずの時点ですでに苦しいのに、夜通しで歩き続ける。しかも例として出すということは、軽めの、余裕でできるくらいの例なのだろう。思っていた以上だった。
とりあえず、居間にはいってお茶を用意して座る。ナディアの席はヴァイオレットの向かいが定位置になっている。
まだ夕食には早いが、自室に戻るには、楽しかった午後が名残惜しい。
「エルフの頑丈さは、思ってた以上にすごいんだね」
「うーん。私は、やっぱりこれが普通なので。むしろ、魔力の効率がいいと言うだけなので、どうして他種族は魔力以外の物を摂取するように進化したのか謎過ぎます」
「ああ、なるほど」
エルフ側からすれば、それ以外に進化した方が謎なのか。面白い視点だ。ヴァイオレット自身、この世界の生物の進化からは外れた存在なので、あまりそういった点は考えないようにしていた。同じ人間である、と信じたかったからだ。
だが長く生きた今となっては、そんな感傷は今更だ。前世の世界とはどのように違う生物であるのか、興味がなくはない。しかし今まで生きてきて、あまりに生活、文化が似ている。生態系も同じようなものだろうから、あまり真剣に考えることもでもないけれど、こういった他の視点というのは興味深い。
「そういえば、エルフの里、っていうか、地元、はどのあたりにあるのか、は、聞いてもいいのかな?」
「あ、はい。大丈夫ですよ。地図とかあれば、簡単なんですけど」
「地図か。ちょっと書くから待って」
資料には、本人の証言をそのまま書いたのだろう、エルフの里、としか書かれていなかった。固有名詞がないということは、少なくともこの国には把握されていないということだろう。聞いてもいいものか少し迷ったが、ナディアは普通に教えてくれるらしい。
あまり精密な地図は国家機密ということになっているので、見たことがあるヴァイオレットも正確な地図を描くことはできない。しかし、行商人もだが、普通の住人なんかも行き来したことがあれば、近くならそれぞれの位置関係を大まかに把握しているものだ。
それらをまとめた、距離関係などがいい加減でおおざっぱな地図は高額だがやり取りされているくらいだ。なので適当に、定規や資料もつかわずにつくる地図なら描いても問題ない。
ヴァイオレットは職業柄、色々なことを知っているが、その分、機密にも触れている。相手がナディア、すなわち首輪労働者なので、言ってしまってからでも口止めすれば、それで問題なくなるが、できるだけしたくない。というかそれに慣れてしまって、普通の人に言ってしまったら大変だ。
棚から紙とペンを取り出して、ささっと描いてしまう。時々、急に研究についてのアイデア、悩んでいるところの解決方が浮かんでしまう時のために、どこでも手を伸ばせば届く位置に用意しているのだ。
「こんな感じかな。徒歩で来たんなら、この国か、近隣よね? 東からって言っていたから、東側だけ描いたけどこの範囲にあるかな?」
「うーん? えっと、ここがこの街ですよね?」
「そうだよ」
「じゃあ……」
ナディアは地図の左側に書かれたこの街を指さして、確認するようにゆっくりと左へ直線的に動かしだした。
街の横森を抜け、大きな川を越え、また森があり、砂漠がしばらく続き、それをさらに超えて森、そしてその次にようやく村、というところでナディアは指をとめた。
「あ、ありました。ここの、キロ村が、一番近い村です。なので、えーっと、この森あたりですね」
「森? この中に、エルフが住んでたんだ。というか、じゃあ、かなり遠くから来たんだね?」
直線距離ではそれほどではないが、大きな砂漠がある。東西にはそれほどではないが、縦にながく、北側は険しい山のため、大きく南へ迂回しなければならない。
休みなく馬車をはしらせたとして、半年はかかるだろう。範囲としては同じ国ではあるが、端の方だ。
家出娘が一人でやってきて、ふらふらになりながらもたどり着いたというのは、意外すぎる距離だ。
驚きながらそう言うと、ナディアはしかし不思議そうに首をかしげる。
「え、そうですか? 一か月くらいですし、まぁ、多少離れていますけど、この街の隣ですよね?」
「ん? え、隣? ……いやまぁ、単純な直線で言うなら、この森からして、砂漠と森、川、森、となってこの街だから、ほかの集落がないという意味では隣だけども。えー、隣の感覚なの? というか、一か月でどうやってきたの? 砂漠は?」
「えぇ? どうやっても何も、この砂漠をまっすぐ歩けば、2週間もあればこえられますよ」
「え?」
砂漠は、確かに東西方向にはそれほど大きくない。しかしそれは、縦の北南に比べたらということだ。迂回すれば足りるので、わざわざ中を通る意味はない。
水もなく食料も。集落がないので補充はできないのだ。それだけ大荷物が必要になる。数日で通れるほどの大きさではないので、その荷物を人力では不可能だから荷車とそれを引く駱駝などが必要になる。もちろん、駱駝の分の食料も必要だ。
仮に大急ぎの用事だとして、砂漠の砂地では普通の道を歩くよりずっと大変だ。日中はやけどしそうなほど暑いのに、夜はとても冷えるので、長時間移動はとても難しい。普通に、迂回ルートを馬で飛ばした方が早いだろう。
どんなに準備を万端にしても、あの砂漠を2週間で越えられるはずもない。最低でも2か月以上かかる。さらに、砂漠からここまでの森も、道が整備されているわけでもないから、その準備も荷車に乗せることを考えると、砂漠だけで3か月かかってもいけるかどうか。
それを、全行程で一か月できただって、意味が分からない。実際にヴァイオレットが砂漠を超えた経験はないので、この時間は昔の、迂回路が出来上がる前の資料になるが、それにしたって、徒歩で一か月は早すぎるだろう。
「ど、どうかしました?」
「いや、だって、荷物とか」
「荷物はあのカバン一つですね。あ、人族は食料が必要なんですよね? エルフはそんなことありませんし、魔石だけもって、身一つでも平気です。あ、あと、温度も気にならないので、砂漠でも普通に一日中歩き続けられるので」
「……お、温度も平気なの?」
「まぁ、温度を感じますし、平均温度から外れると、その分魔力消費が激しくなりますけど、だから苦しいとかはないですね。多少うっとうしいくらいで」
「……」
あまりに予想外の話に、ヴァイオレットは言葉を失った。
確かに、一つ一つは聞けば、ああそうかと納得できる。温度以外はさっき聞いていた。だけどまとめて聞いて、あの砂漠を超えて、一か月でこれるとなると、すごい、と語彙力のない言葉しかでてこない。
なんというか、エルフ強すぎる。最強種族なのではないだろうか。魔力を摂取するという根本的違い一つで、あらゆることが違うように思われた。
これで交配可能なのが不思議……できるのか? しかし、それはさすがに、未成年の少女に聞くのはためらわれる。と悩むヴァイオレット。悩む時点でそうとうあれである。
「あの、マスター?」
「あ、ごめんごめん。エルフが凄くて」
「そう、ですか。ちなみに、じゃあ、他の種族の方だと、どれくらいかかるんですか?」
「昔の資料だと、砂漠だけでも三か月くらいかかるみたいだよ。だからこそ、より安全で経費がかかりにくい迂回路が確立されたわけだし」
「え、さ、三か月ですかぁ?」
あ、半笑いで、さすがにそれはないでしょ。いい加減なこと言ってる、みたいな顔された。
と少々悪意的にヴァイオレットは受け取ったが、実際、ナディアはそれは遅すぎるとは思っていた。
「うん、まぁ。多分ね。でもそういわれると、確かに、エルフとそれ以外の種族の差って大きいよね」
「ですよね。どうして、魔力摂取の形に進化しなかったんですか?」
ですか? とか聞かれても、ヴァイオレットが決めたわけではない。だがナディアはヴァイオレットが研究者としての知識階級の人間なので知っていると思って聞いているのだろうから、何かしら答えなければならない。
ヴァイオレットはとりあえずカップを空にして時間稼ぎをしてから、口を開いた。
「そうだね、魔力摂取でないからエルフとそれ以外に分けるのではなく、それぞれの種族で分けて考えてみようか。長命種、短命種でも、長命種の方が単純にいいと思うかもしれないけど、一生のうちの繁殖可能期間が明らかに長い長命種のほうが、平均繁殖数ではむしろ少ないという結果もある。それだけじゃなくて、器用不器用、魔力が多い少ない、力が強い弱い、と個人差はあってもそれぞれに種族ごとの傾向は確実にある。いい面もあれば悪い面もあるんだから、一概にどの種族がいいとは限らないよね」
「うーん、そう言われたら、それはそうかもしれないですけど。じゃあ、エルフじゃないことの利点ってあるんですか?」
さすが、エルフと言う自身の種族を誇りに思っているだけあって、そんなに含むところなさそうに普通にエルフが一番な言い方をしてくる。
ヴァイオレットも自種族に拘りがあれば、ひと悶着起こってもおかしくないが、ホムンクルスのヴァイオレットはほとんど一人種族みたいなものだ。むしろナディアのように、種族や出身について強い拘りと誇りを持っているのは、何だか微笑ましいと言うか、いっそ羨ましくすらある。
「そうだねぇ。色んな見方があるから一概には言えない、と言うかそもそも、私もエルフについてまだすべてを知ってるわけじゃないし、あなたのことしか知らないから、的外れだったらごめんね」
「あ、いえ、無茶ブリだったらわたしこそ、ごめんなさい」
「無茶ブリってことはないよ。考えるのは仕事みたいなものだし、好きだもの。そうだね。エルフはかなり牧歌的な、と言うか、自給自足の生活をしてるみたいだけど、例えば料理について文化的な発展はあまりしていなくて、甘味も少ないでしょ?」
「あ、はい」
「魔力さえあればいいから、味について拘って、創意工夫することが少ないんでしょうね。でも他の種族は、食事を普通に必要とするし、固かったり不味かったら食べられないから、色んなことをして、料理の種類や味付けが進化したんだと思う。それ以外にも、身一つで何でもできるからこそ、そのままだったことが、他の種族ではより便利に、よりできるようにと工夫をしたりする。そう言った差があるんじゃないかな。劣っているからこその、利点とも言えるね」
「なるほど……確かに、その発想はありませんでした。すごい、マスターは凄いですね。知らないことでも、すぐ、考えたらわかるんですね」
そんなことは、ない。全然ない。ヴァイオレットは最高の師がいて、魔力豊富な体に生まれ、そして体が丈夫で時間があったから学べたし、研究者としての発想は全て別の世界からの借りものだ。真面目に学んできた自負はあるので、知識は人よりある。だけど、考え方は平凡だ。頭の回転が速いとか、そんな風に思ったことはない。
だけど、目を輝かせて、すごいなって、純粋な目を向けられて、それも目にいれても痛くない少女に正面から見つめられて、無下にするのは躊躇われた。
「そ、そうかな。ありがとう。ぇへへ」
「はい。凄いです……」
うっとりしたように言われて、何だかヴァイオレットは照れくさすぎて背筋がむずむずして、でも嫌ではないので、誤魔化すように頭をかいた。