プロローグ
最初は設定が多いので、しばらく平日毎日10時更新します。
「ふーっ、できたぁ」
自室で机に向かっていたヴァイオレットは、作業がひと段落ついたことで、息をつきながら提出日を確認するためカレンダーを一瞥して、違和感に気づいてもう一度顔をあげた。そしてまじまじとカレンダーを見直してから、はっとその違和感に気づいた。今日はヴァイオレットがこの世界に生まれた日、すなわち誕生日だった。
「はぁ」
誕生日。この世界に生まれてから、10年間は楽しみであったそれは、今となっては残りの寿命を数えるようで憂鬱だ。なにせ、今年でついに50になる。
ヴァイオレットは生まれた時と何ら変わらない、20代前半の人間の姿をしている。けれどいずれ寿命はやってくる。それがいつなのかは、ヴァイオレット自身にもわからないが、人間の体を基本に作られているのだから、そう変わらないだろうと思われる。
「んー、うっ、いたた」
思わずついてしまったため息を誤魔化すように、椅子から立ち上がって大きく伸びをして、腰の痛みに思わず呻いた。
猫背になって、腰をさする。筋をいためたような痛みだが、ここ最近はおなじみだ。
年をとったなぁ、とヴァイオレットは自嘲した。普段はそれほど、外見が若いこともあって加齢を感じたりはしない。しかしこうして落ち着いて考えると、ここ最近の腰の痛みは加齢なのだろう。そうとしか考えられない。
この国にきたのは20年前だ。現在親しくそれなりに長い付き合いの友人たちは皆30前後なこともあり、気持ちも若いつもりで、元気にしてきたが、そろそろ老後のことを考えてもいいのかもしれない、とヴァイオレットは思った。
とりあえず、机の上を片付けながら、どうしようかと考える。
そもそもヴァイオレットは、作成者の老後を世話するために作られた人造人間だ。魔法で作られた、ホムンクルス。だからこそ、生まれた時からこの背格好だったし、人格も霊魂の再利用なので最初からあった。死んだ後も生活できるよう、いろんな知識を教えてもらっている。
霊魂は別の世界のものだったので、この世界の常識には疎いところもあったが、作成者である父の教えもあり、父をみとってからはこうして自立した生活を送れている。
しかし、いくら教えを受けて錬金術や魔法に通じていると言っても、残念ながら自分でホムンクルスをつくれる気はしない。そもそも父、オーウェン・コールフィールドは天才錬金術師と呼ばれた上で、奇跡的にまぐれで成功したのがヴァイオレットだ。何度か再現試験が試みられたが、一度の成功もなく、本人も奇跡だと認めていたのだ。再現など不可能と言い切っていいだろう。
となると当然、普通に他の人に老後を頼むことになる。ヴァイオレットの魂が以前にあった世界では、お金さえ払えば老後の世話をしてくれる施設と言うのがあった。しかしこの世界では聞かない。いったい子供のいない人はどうしているのだろうか。
「おーい、ヴァイオレット! 遊びに来てやったぜ!」
と、そこまで考えたところで、ばたばたと騒がしい足音がして、勢いよく作業部屋の扉が開いた。足音が聞こえた時点で侵入者の予想はついていたので無視したが、予想通りそこにいたのは友人の一人、ルロイ・クレメンツだった。
「ルロイ。あなたね、勝手に入ってくるなって、何回言ったら理解するの?」
「何度言われても、呼び鈴に反応しないお前が悪い」
「反応しないのは作業室にいるからなんだから、入ってくるなって言ってるんだけど?」
「しょうがないだろ。今日が何の日か、忘れたのか?」
そう言いながら、ルロイは大事そうに抱えている酒瓶をちらつかせる。酒を飲みに来た、と言うこと自体はままある。しかしこんな風に改まって言うと言うことは、何らかの特別な日と言うことだろう。この年で言うのは気恥ずかしいが、しかし思い出している以上、一つしかない。
「……私の誕生日?」
「おう! 今年は覚えていたみたいだな」
「まぁ……ね」
先述したとおり、嬉しくはない。体が若く見えるから、若い気持ちでいた。しかし、実際にはそうではないのだと、この腰痛が訴えてくる。ならば、ちゃんと実年齢を受け入れていかなければならない。たとえ、人ならざる身であり、異世界の霊魂が元で、体のつくりもよくわかっていなくても、生きているのだ。寿命からは逃れられない。
なら、前向きに考えるしかない、かつてヴァイオレットをつくった父が、よりよい老後の為にと努力したように。
「でも、思い出したのはついさっきだから、何の用意もしてないよ」
「おーけーおーけー。いつものことだ。ちゃんと上に食事を用意してるっての」
「いつものことだけど、まあ、ありがとう」
「ん? どうした。珍しいな。いつもなら、だから勝手にするな。ともう二言くらい文句を言ってからのお礼だろ?」
「わかってるのにするから質が悪い。まあ、とにかく。私にも心境の変化くらいあるよ」
「ふーん? まぁいいや。今日は奮発したからな! 飲めよー」
部屋を出て、施錠をしてからルロイと共にキッチンダイニングに向かう。テーブルには料理が並べられていて、すぐにでも始められそうだ。
○
「ははは、ルロイ、それはないでしょ」
「あるってあるって! もうマジで、最悪だったんだからよ!」
「盛り過ぎにもほどがあるって。はは。はー、おかしい」
お酒が入ると陽気になる。あまり強い方でもないが、ちょうど仕事にひと段落がついて、友人が誕生日を祝いに来てくれてお酒が進まない方が嘘だ。
ヴァイオレットは学生時代のように、ルロイの馬鹿話に笑い声をあげていた。先ほどまでの年齢の悩みが嘘のようだ。
「ヴァイオレットはほんと、容赦なく笑うよなぁ」
「そりゃあ、おかしければ笑うよ。あれ、もしかして傷ついたりした?」
「まさか。でも、見かけはクールって感じだもんよ。マジで初対面だと騙されるわ」
外見詐欺だと言わんばかりに、ルロイはへっと笑って言う。ヴァイオレットは他国からやってきたので、この国では少し珍しい顔立ちで、切れ長の瞳と相まって不愛想なクール系に思われるのはよくある。よくあるが、騙されたとは人聞きが悪い。
「なにを失礼な。ていうか、ルロイとの初対面って、じゅう……15年くらい前だったよね? その時はまだ私も、まだ世間知らずで緊張していて、クールな感じに間違いないはず」
「その頃はクールって言うか、暗いって言うか。てか、幼かった、みたいな感じに言ってるけど、お前その時すでに今の俺より年上だろうが」
「はー? 女の年齢を事細かに聞き出すとか、だからルロイはモテないんだよ」
「初対面から変わらない長命種が何言ってんだ」
そう軽く笑われて、何度かしたような会話だが、その返しに、ふむとヴァイオレットは口元に手をあてた。
長命種。この世界には同じ人間族で交配可能な体のつくりにもかかわらず、寿命や能力、外見の異なる種族違いが存在する。その中で平均寿命が100年以下、それ以上で短命種と長命種におおざっぱに分けられている。
生まれた時から変わらない、この世でたったひとりの人造人間であるヴァイオレットは、そのことを吹聴したことはないので、10年以上たっても老化しないことから当然長命種のいずれかだと思われているのだろう。
しかし実際にはそうではない。唯一の成功例として、自分の存在が奇跡的で珍しいこともわかっているので、実験体やらなにやらになりたくないので人造人間だとは今後も話す気はないが、しかし実際のところ、見た目が若いからと言って寿命が長命種と同じと言う訳ではないだろう。基本的に創造主の体を元につくられたそうなので、寿命もそれに準拠していると考えていいだろう。そうなると、残りの人生はそう長くないのが事実だ。
「……ねぇ、ルロイ」
「ん? どうした、急に真面目な顔になって。飲み過ぎて吐き気がするのか?」
「そんな馬鹿な飲み方するほど、若くはないっての。そうじゃなくて……やっぱいい。相談する相手を間違えた」
介護をしてくれような相手を探したい。それもできるなら、父が自分に求めたように家族のような感じでビジネスライク過ぎないものがいい。財産なら残った分は相続させる。そろそろいい年だから。
なんて、そんな相談内容が頭をよぎったので、思わず開きかけた口を閉じた。
だって、32になる男盛りの友人に、老後の心配の相談何て、先月会った時には、まだ若いなんてアピールしていたのに。恥ずかしすぎるだろう。
しかし中途半端に開いた口に、突っ込まれない訳がない。ルロイは一瞬きょとんとしてから、盛大にブーイングをあげる。
「えー! なんだよなんだよ! 相談!? だったらそんなの、大親友の俺にするしかなくない!? 他の誰にする気だよ!? 誕生日も祝いに来ない他のやつらか!?」
「大声をださないでよ。そうじゃなくて……わかった、相談するよ」
「おう。最初から素直にそう言ってればいいんだ。で、なんだ?」
机にのりあがる勢いで抗議され、大親友の言葉は大げさだし、普通に他にも友人もいるが、ルロイを信頼しているのは間違いない。
真面目な顔になってさらに酒杯をあおぎながら促された。恥ずかしいが、しかしそれは他の友人にも同じことだ。酒の勢いもある。ヴァイオレットは観念して口を開く。
「実は、その、将来のことを考える切っ掛けがあってね。家のことをしてくれるような人を、探したいと思ってるんだ」
「あ? 家事手伝いの人間を雇いたいってことか?」
「うーん、違う訳じゃないんだけど、なんというか、その、将来的にお世話をしてくれる人というか、もっと身近な、家族のようになってくれるような人がいいというか……私の年齢を考えたら、わかるでしょう? 恥ずかしいんだから、察してくれない?」
「いや実年齢知らないし、知ってたとしても、俺ら短命種的に何歳なのか知らないから実感ねーけど……そういう話か。まじで、そういう、なんつーか、いい年なのか?」
「そう、だね。いい年だね」
はっきりと言うのははばかられて、いつになく歯に物が挟まったような物言いになったヴァイオレットだったが、ルロイが神妙な顔で応えたので伝わったのかとほっとしつつも、いい年、という表現には頬をひきつらせた。
いい年、か。確かに。もういい年だから、老後を考えるわけだが、そのフレーズは、かつてヴァイオレットが介護をする父に、いい年なんだから年齢考えてよ。なんて何度も言っていたので、何というか、自分に返ってきて辛いヴァイオレットだった。
「そうか……どんなやつがいいんだ? 好みとか、あるだろ?」
「ん、そうだね。そんなにまだはっきりとは言えないけど……女性がいいかな」
神妙な顔で続けて尋ねられ、ヴァイオレットは視線を右上に泳がせながら考える。さすがにそこまでまだ考えていなかったが、希望がないかと言われたらそんなことはない。
介護してもらうとなると、どうしたって下の問題が出てくる。父が自分をつくったのは、色んな試行錯誤の中での成功例の為、女性型だが、それも沢山の魔法具のお陰で、直接陰部を見なくてもいいから、お互いに大きな抵抗がなかったようなものだ。
まぁ、それも魂が元女なので女性型と定義しているが、実際には性器はなく、体のラインが女性系なだけで生物学的には女ではないが、本人が思っていれば女なのだ。
もちろん、魔法具なら今持っていなくても再現できるし、他に魔法でも代用はできる。だが、その上で、転移させた汚物を処理されるのだけでも、異性と認識していると、やはり抵抗はある。父の時のように選択肢がないならともかく、選べるなら同性がいい。
「そ、そうなのか。他には?」
「そうだなぁ。やっぱり、料理は上手で、綺麗好きがいい、かな。まぁ贅沢は言わないよ。一番大事なのは性格面と言うか相性というか、気持ちの面で家族になれるかだからね」
「いや、とにかく、高望みとか考えず、言って見てくれよ。相手がヴァイオレットを気にいるかはともかく、お前が気にいるかどうかわかっている相手を見繕うほうが早いだろう?」
「確かに……」
相手が自分を素直に年長者として尊重して、ビジネスとして割り切っていても表向きには優しくしてくれるなら、それでもいいが、好みがないとは言えない。
好みと言うか、快適に介護を受けるならになる。贅沢を言っていいなら、もちろん毎日見るなら見目麗しい方がいいし、介護の関係上、接触する可能性を考えるといい匂いがするほうがいい。汗っかきでべたつかれた肌だとあんまりだ。かと言って過度に綺麗好きで、神経質でも嫌だ。ある程度汚い仕事もあるのだから、その度に嫌そうにされるのは嫌だ。
笑顔で、本当に本心から受け入れていると、こっちが勘違いする程度にはにこやかに優しくしてくほしい。そこまで徹底してくれるならビジネスでもいい。とは思うけど、本当なら、自分のように本心から父や母を思うように、尊重してほしい。あ、あと体力とかもないと。さすがにそんなにすぐ死ぬ気もないから、ある程度若くないと困る。それらを総合して簡潔に伝えよう。
「……できれば、顔が良くていい匂いがして、若くて、笑顔が可愛くて素直で優しくて、多少の失敗も笑って許してくれるようなおおらかな感じで」
「……お、おお。なるほどな」
あ、さすがに注文つけすぎた。とヴァイオレットはドン引きしたようなルロイの反応に我に返ったが、しかし時すでに遅い。
実際、赤の他人の介護となると、心が広い汚れ仕事を厭わない働き者でないと、なかなか務まらないだろう。その上でできれば家族のような心のつながりを持ちたいし、ずっと一緒にいるなら清潔で見目がいいに越したことがない。しまった。撤回できる項目がない。
「もちろん、全部を満たせる人がいるとは思っていないけど、まぁ、そんな感じで。もちろん、心のつながりの方が大事だから。あくまで。高望みとかじゃなくて」
「お、おお。ああ。わかってる。俺から言ったわけだしな。安心しろ。どんなお前も、親友だぞ」
「……うん」
あえて強調された感があるけれど、突っ込まないことにする。
微妙な空気をかえるためか、わざとらしくルロイはゴホンと咳ばらいをしてから、ぐっと杯をあおった。
「はっはー! まかせろ! 俺が完璧な女を見繕ってやるぜ!」
相談する相手を間違えたな、と思いながらも、ヴァイオレットは心なくも期待しているよ、と言いながら合わせて乾杯をした。