とある公爵家令嬢の実情。
ミナーティア・ブンダソンはブンダソン公爵家の長女にして、この王国の王太子の婚約者という尊き立場にあった。
燃えるような血のように真っ赤な髪と、栗色の瞳を持つ齢十七歳の少女だ。
彼女はまるで人形のようだとよく比喩される。それには理由がある。まず、その表情は基本的に動かない。婚約者である王太子と過ごす時でさえも、その顔に笑みが張り付けられることはない。まるですべてがつまらないとでもいうように、感情がないとさえ思えるほどに少女は淡々としている。
それに加えて、少女は美しすぎた。まるで作り物のようにその顔立ちは整っている。
その二点のことから、少女は『氷人形』と呼ばれていた。
ミナーティア・ブンダソンは、憧憬と畏怖の感情を周りから一心に受けていた。
国内でも有数の権力を持つ公爵家の長女。
王太子の婚約者にして次期王妃。
そんな尊き立場にあるミナーティアは、王侯貴族が通う学園に通っていた。とはいってもミナーティアは必要最低限授業に出ることはない。久方ぶりに学園に顔を出したミナーティアは、相変わらずの無表情のまま、その場に存在していた。
その日は、試験が行われる日だった。だから、ミナーティアは学園に顔を出していた。ミナーティアほどの権力のある令嬢の側には取り巻きがいそうなものだが、ミナーティアの周りには誰もいない。ミナーティアが一人でいることを好んでいることは学園内では承知の事実であり、不興をかわないように基本的にミナーティアの側に誰も近づかないのだ。
さて、無表情のまま食堂に顔をだし、昼食を口にしているミナーティアに周りは注目していた。というのもこのミナーティアという少女が食堂に顔を出すことは珍しいことだった。いつも学園に顔を出したとしてもどこか別の所で食事をとっているのかあまり顔を出さない。
そんな彼女が食堂にいることだけでも珍しいのだが、それ以上に彼女が注目される原因があった。
それは、たった今食堂の中へと入ってきた騒がしい面々である。
王太子、宰相の息子、ミナーティアの兄である公爵子息、騎士団長子息と、輝かしい面々の中に異分子がいる。それは一人の少女である。真っ白な美しい髪を持つ美しい少女―――彼女はミナーティアの異母妹にあたるサティア・ブンダソン。今年学園に入学したサティア・ブンダソンは驚くことに学園の有能な子息達を落としていっていた。すべての男たちがサティアに愛を乞うていた。全員が婚約者がいるにも関わらずである。そんなわけで、この学園の中で彼らは注目されていた。
久方ぶりに学園を訪れた王太子の婚約者、ミナーティア・ブンダソンがどんな対応をするのだろうという注目があったのだ。
流石に王太子が異母妹に首ったけであるのならば何かしら行動に出るのではないかと言われていたのだが、ミナーティアは一切興味ありませんといった態度で、視線さえも向けない。
そんなミナーティアに近づいていくのはサティア一味である。
「ミナーティア・ブンダソン!」
ミナーティアは、婚約者である王太子の言葉にそちらに視線を向ける。しかし、相変わらずの無表情だ。王太子が鬼のように恐ろしい顔をしていたが、それでも気にした様子はない。
「貴様は……相変わらずだな。ミナーティア・ブンダソン! 俺は貴様との婚約を破棄する!」
「……そうですか」
ミナーティア、興味がなさげに頷く。婚約破棄という普通の令嬢なら卒倒してしまいそうな出来事だが、ミナーティアは一切気にしない。寧ろ食事の途中で迷惑そうだ。
「貴様はサティアを苛めているそうだな。サティアのことを差別し、サティアのことを――」
「またサティアのドレスが破られたのも貴様の指示なのだろう!」
「貴方の指示によって嫌がらせを行っていたのでしょう」
「それだけではなく、一昨日サティアが暴漢に襲われたのも貴方なのでしょう!」
サティアの取り巻きたちが次々に言う。そして異母妹であるサティアはミナーティアをまっすぐに見据えていう。
「お姉様……罪を認めてください。私はお姉様が謝ってくれるのならば、お姉様のことを……今までのことを、許しますから」
「サティアは優しいな、こんな女に…っ」
サティアの言葉に、王太子は感涙極まった様子だ。
ミナーティアは、そんな言葉も興味がなさそうにしている。
そんなミナーティアの様子に王太子は痺れを切らした。
「貴様っ。認めないというのか、サティアがこれだけ心を砕いているというのにっ。慈愛を見せているというのにっ。貴様が悔い改めないというのならば、公爵家からの追放だって出来るのだぞっ」
そういったのは、ミナーティアの実の兄である。同腹の兄は、同腹の妹であるミナーティアよりも、サティアのことを好いていた。それは完璧すぎるミナーティアに対する劣等感も含めてである。
「……そうですか」
だけど、そんな言葉にさえ、視線を向けてそういうだけだ。表情を一切変えない。
「貴様なんぞっ、次期ブンダソン公爵の名において、公爵家から追放する!!」
「―――そう、ですか」
兄の言葉に、ミナーティアは驚くべき表情を浮かべた。笑っていた。『氷人形』と呼ばれるのに相応しくないような笑みを零した。
その場にいるだれもが驚いた。そんな笑み見た事なかった。
そして笑ったミナーティアは、また表情を消して立ち上がる。そして食堂を後にしようとする。
「ま、まてどこにっ」
「私は追放なのでしょう。ならば、私は私の行きたい場所に行きます。お父様――いいえ、もう追放されるので父親ではないですね、ブンダソン公爵には貴方の口から伝えてください。では」
「はっ、な、ま、待て!」
ミナーティアは、王太子や異母妹、他の取り巻きたちに声を上げられるものの一切振り向くことはなく、周りが唖然としているうちに姿を消すのであった。
そして、そのまま、公爵家に帰ることなく彼女は消えた。
―――その後、彼女が《氷の剣姫》などと呼ばれる冒険者であったことを彼らは知ることになる。
「師匠、私、公爵家追放で、婚約破棄されたよ!! だから一緒に冒険しよう!!」
「はぁ!? 公爵家令嬢でありながら冒険したいって我儘いって、それなら王妃になれって言われてたんだろ。お前。それなのに追放に婚約破棄?」
「そう。王太子殿下とお兄様が勝手にやったのよ! 私からすれば凄い嬉しい」
ミナーティアは、学園にいた頃とは考えられないような笑みを零して”師匠”と呼んでいる男に話しかけている。
その男の名は、ガラエド。《竜殺し》、《火竜》、《爆炎》などと様々な呼び名をされている冒険者である。
ミナーティア・ブンダソンは、幼い頃にガラエドの姿を見た。圧倒的な力を振る舞い、戦う姿を見た。彼女はそれに憧れた。それが、彼女が今の彼女となった始まりだった。
冒険者になりたい、強くなりたい、ああなりたい。
―――幼い少女はそう願った。
父親である公爵家はその気持ちを本気にしなかった。普通に考えて公爵家令嬢が冒険者を目指す気持ちをずっと持ち続けられるはずがないから。だから公爵はいった。ならば王太子の婚約者になり、王妃として相応しい令嬢になり続けろと。それが出来て、なおかつそれに加えて冒険者になるための行動をする分には構わないと。
普通に考えて、王妃になるための勉強に加えて、冒険者になるための行動なんて出来るはずがない。だけど、ミナーティアは普通ではなかった。彼女はどうしても憧れた。ああ、なりたいと望んだ。だから全力で取り組んだ。両方に全力で。
王妃として相応しい少女とみられるように、完璧な令嬢になった。その影で、彼女は強くなろうと努力し続けた。憧れたガラエドを見つけては強くなるための秘策を聞き、ガラエドはその情熱に負けて彼女を弟子にした。その結果、今の彼女が居る。
ミナーティアは、令嬢としての生活が退屈だった。王妃になりたいとも思っていなかった。学園での勉強もつまらなかった。だから、彼女はミナーティア・ブンダソンとしてふるまう間は《氷人形》だった。
彼女は王妃になんかなりたくなかった。公爵令嬢であることもめんどくさいと考えていた。だけど、どうするべきかというのがいまいち分からなかった。卒業したら王妃になるようにとなっていたので、国王陛下と公爵に相談していた。王妃になりたくないと、それを必死にとどめていたのが国王陛下と公爵である。王妃になりたくないミナーティアと、ミナーティアを王妃にしたい国王陛下と公爵。そんな攻防が水面下で繰り広げられていたのである。
―――そんな中で冤罪とはいえ、公爵家追放と婚約破棄である。ミナーティアは、冤罪だとかどうでもよくて笑顔で頷いた。あれだけ大勢の前での発言だ。撤回は出来ないだろうと、さっさと学園を出て師匠に合流したわけである。
「そうか、じゃあどうするんだ?」
「師匠と一緒に冒険者やる! ずっとよ! 私はずっとそうしたかったんだもん」
ガラエドの手を取って、嬉しそうに年相応に笑うミナーティアの言葉にガラエドは「じゃあ行くか」と笑みを零したのであった。
それから、二人の冒険者としての旅は本格的に始まる。―――そして数多の伝説を生み出していくのである。
ミナーティア・ブンダソン
完璧な公爵家令嬢。学園生活は退屈。婚約者も好きではない。貴族生活も嫌い。そのため基本無表情。
幼い頃に見た師匠の戦いぶりに憧れて、強さを磨きまくった。師匠にはとても笑顔を見せる。師匠のことは大好き。
父親にも情はある。だから自分から無理やり婚約破棄とか家出とかよりはもっと話し合いですませたいと相談中だった。同腹の兄と異母妹は正直どうでもいい。
ガラエド
ギルド最高ランクの冒険者。ガタイの良い男。ミナーティアよりは一回り上。
火炎の魔法が得意。大剣を扱っている。多分、後にミナーティアに押されまくって結婚するんじゃないかと思われる。
王太子
ミナーティアの婚約者だったけど、どうでもいいと思われていた。ミナーティアが完璧なためコンプレックスもち。無邪気で公爵家令嬢として相応しくないぐらいぽややんとしたサティアにひかれた。
サティア
異母妹。母親は使用人。姉のことを貶めようとしたわけではなく、ただ馬鹿な子なので、姉がやったと思わせたい人たちの思惑にはまって姉を断罪。
兄
コンプレックスの塊。父親がミナーティアが冒険者となりたいといって行動していると聞かされていたが一切本気にしていなかった。その頃から王妃教育で完璧ぶりを見せつけていったミナーティアとは距離を置いていた。