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彼女は怒ってみたいらしい

作者: 若紫

「私を怒らせてみてください」

彼女は突然そう言った。

僕は意味が分からなかったので、尋ねた。

「どういうこと?」

すると、

「私、最近気づいたんです。怒りや悔しいという感情をね、感じないんです。

上谷さんは最近、怒ったこととかありますか?」

そう返ってきた。


彼女はよく突拍子もないことを言う。前触れもなく、髪をばっさり切ったり、英会話教室に行き出したり、バク転がしたいと言い出したり、バンドがしたいとギターを買ってきたり。

思い出せばきりがない。何かに影響されてすぐハマっては、すぐ飽きて。まあ見ている分にはおもしろいのだが。


僕は大学四年生で就職活動が終わり、あとはただただ卒業を待つだけだ。残りの半年とちょっとをどう過ごそうか考えているところである。

彼女は僕とは違う大学の二年生。年は一つ下で以前は学年も一つ下だったのだが、彼女はいつの間にか二回目の二年生をしていた。僕と彼女はここ、カラオケのバイトで知り合った。僕は大学一年のときからずっと同じバイトを続けている。そこに彼女が僕より一年ほど後に入ってきた。最初の彼女の印象は、おとなしいという感じだった。見た目は、黒髪ロングで目も大きく鼻筋も通っており、はっきり言って美人である。だが、動作が子供っぽく、表情がコロコロ変わるので、動物のように可愛らしい。見た目と内面のギャップのため、バイト仲間ともすぐに打ち解け、男子の間では、人気投票第一位を獲得している。


そんな彼女と冴えない僕が仲良くなったのは、帰る方向が一緒だったからである。バイトの上がりが同じときは一緒に帰った。また、僕が先に上がる時も、理由をつけて少しだけ残り、彼女と一緒に帰った。(ストーカーではない。途中で分かれ道になるため、彼女の家がどこにあるのかは知らない)

そうしていくうちに、たくさん話すようになった。彼女は見た目にはわからなかったが、僕と同じくらいかそれ以上にマンガやアニメに精通していた。そのため、その話題になると話が弾んだ。彼女は最初こそマンガ好きを隠していたが、バイト仲間にもすぐ広まり、そのあとは好きな作品に対して熱く語っていた。なぜかここのバイト仲間にはサブカル好きが多く、彼女の好感度はさらに高まった。僕しか知らなかったことがみんなに知られて少し嫉妬したが、僕の気持ちを彼女が気付くことはないのだろう。



彼女は今、怒りたいらしい。しかし、怒らせてみろと言われると難しい。とりあえず、彼女が嫌がりそうな言葉を探して言ってみた。「今日もジャージ?女子力低いね。」「髪型前の方が良かったよ。」「オタクだよね。」「天然だね。」

今まで彼女が否定してきたことを色々言ってみたが、全く怒りはしなかった。笑顔で「もう、そんなことないですよ」と、いつものように否定した。

彼女の言葉から僕は色々考えるようになった。どうしたら人は怒るのか、なぜ彼女は怒らないのか、どうして彼女は怒りたいのか。一応接客業なので、クレームに対応するスキルは少なからずあるが、逆に怒らせるスキルは持っていない。それに、人を怒らせるようなスキルを必要とする人はいないだろう。


僕は友達に聞いてみた。「怒りたいと思ったことある?」

すると「そんなの思ったことないや。日常的にイライラしてるのに、何でさらに怒らんといけんの?」

と少し切れ気味で返された。

その通りだと思う。


数日後、彼女とバイトの勤務時間が被っていて、休憩中に聞いてみた。

「どうして怒ってみたいと思ったの?何かマンガの影響?」

すると彼女は少し悩んでから、

「そうですね。マンガの影響ですかね。今ハマっているマンガの主人公が15歳の少女なんですけど、かっこいいんです。逆境にも負けずに、前を向いて進んでいくんです。その原動力が怒りや悔しさなんです。少女は画家になりたいんですけど、周囲から否定されるんです。けれどどうしてもなりたくて、家を出て、工房に弟子入りしに行くんです。そこで、親方にどうして画家になりたいのかと尋ねられるんです。少女は絵が好きだからと答えるんです。すると親方から一晩では無理だろうという課題を明日の朝までに、と出されるんですけど、必死にやり遂げたんです。そして親方に、どうしてそこまでするのかと尋ねられるんです。少女の家は有名な財閥なんですけど、家に居れば楽な生活ができるのにと。少女はこう答えるんです。『絵が好きだから。でもそれだけじゃない。悔しいんです。絵を否定され、財閥の令嬢だからと後ろ指をさされ、私の力は認められない。今まで本当の私を見ようとしなかった周囲に対する怒りが私を動かすんです。』と。」


彼女は好きなものになると、目が輝く。親しくなってから気づいたのだが、彼女は接客しているときは、さわやかな笑顔で、目も大きく開いていて美人だなぁと思うが、バイトに来た時や帰るとき、休憩中に仲いい人と話すときは、少し眠たそうな目をしている。そこがまた、優しそうでおっとりとした感じを醸し出し、癒し系キャラを確立しつつある。しかし、彼女が語りだすと、また違った一面が出る。いつもより少し話すテンポが速くなり、目が輝く。どういう原理なのかはわからないが、目が輝いて見え、とても生き生きした表情になる。


「それで、悔しさや怒りを感じたいわけなのか。」

「そうなんです!上谷さんもあんまり怒ったりするイメージないですけど。」

(それは君の前だからだよ)っと言いたくなったが、僕はそんなキザなセリフを言うキャラではない。

「そんなことないけど・・・」

「じゃあ、最近何か怒ったり、嫉妬したりすることありましたか?」

「う~ん。君が僕よりガチャ運があることかな。」

ガチャとは今、バイト内で流行っているアプリゲーム内で引けるガチャのことである。

そうやって少しごまかして休憩が終わった。


僕はそれほど表には出さないが、怒ることは多々ある。

水たまりを通った車に水をかけられたり、友達に貸したものが1か月くらい返ってこなかったり、日常的に降りかかる災難に怒っている。

彼女は本当にイライラしたりしないのだろうか。


バイトが終わった後聞いてみた。

「例えば、友達に約束をすっぽかされたりしたら怒らないの?」

「う~ん...たぶん怒らないですね。先週も友達にすっぽかされるまではなかったですけど、約束した時間の1時間後に連絡が取れて、そのあとさらに30分ほど待たされましたが、腹は立たなかったですね。」

「ちなみに聞くけどその友達は日本人だよね。」

「そうですよ。高校からの友達で、こっちで一番仲がいいです。その子は遅刻の常習犯なので、その子と待ち合わせをするときは、座るところがある場所を待ち合わせ場所にして、小説をかばんに入れてから行きます。」

「僕なら顔合わせたら、一回は怒るけどなぁ。」

「まぁ一応、約束は守らないと信用を無くすから付き合い浅い人との時間は最低5分前集合しておいた方がいい、と伝えました。」


それから数日は彼女とバイトのシフトが被ることはなかった。そのため、僕の中で悶々と怒りとは何かという問いが繰り返された。僕はネットで怒りの感情について調べてみた。けれど納得のいく答えを見つけることができなかった。むしろ、すぐ怒ってしまうがどうすればいいのかといった質問が多くあった。普通は、怒ってしまうことを悩むのに、怒りたいと悩む人はいないだろう。改めて、彼女の不思議さを感じた。


久しぶりに彼女と被った。

帰り道、何気ない会話をしながら自転車を漕いでいた。すると、いつもは通り過ぎる公園のところでブレーキをかけ彼女は立ち止まり、自転車を止めた。

「すいません、上谷さん。先に帰っていてください。」

彼女はそう言って、数人の子どもたちが遊ぶ公園へ入って行った。

僕は突然のことで、彼女に声をかけることも帰ることもできなかったので、とりあえず、僕も自転車を止めて、彼女の後へ続いた。

彼女は子どもたちが輪になっているところで足を止めた。僕は彼女の斜め後ろで立ち止まったため、彼女の表情すべてを見ることはできなかったが、普段の爽やかさや穏やかさはなく、凛然とした女性の表情だったと思う。

「ねぇ、なにしてるの」

彼女は子どもたちに強くも弱くもないが、芯のある透った声できいた。

すると子どもたちはその声で彼女と僕に気が付き、驚いたように顔をこわばらせた。そしてその中の一人が

「死にそうな猫がいるから」と弱々しく答えた。

近づいて見てみると、傷つき汚れた猫らしきものがいた。

そして、その周りには小石や木の棒が散らばっていた。

明らかに子どもたちが猫をいじめた跡だった。

「ねぇ、なにをしていたの」

彼女はもう一度同じ言葉を、けれどさっきより強い口調で言った。

子どもたちは下を向いたまま、小さくつぶやくように言った。

「ごめんなさい」

周りの騒音がなくなり、僕たちの間にしんと重く生温かい空気が流れた。

彼女はふぅ、と一息ついて、さらに一歩子どもたちに近づき、しゃがんだ。

「自分たちがしたことが悪いことだって思っているんだね。最初から話を聞かせてくれないかな。」

いつもの柔らかい口調に戻っていた。

子どもたちから経緯を聞く間、彼女は優しくうんうん、とうなずいていた。

「君たちはどうしたらよかったかなぁ」

彼女は子どもたちに尋ねた。

子どもたちは少し考えてから、「病院に連れて行ってあげる」と不安そうに答えた。

「病院にはどうやって行くの?病院に行ったらお金を払わないといけないよね?」

子どもたちは「うん」と頷き、「大人に言う…?」

彼女はにっこりと頷き、「そうだね。じゃあ、次からはできるね?」

子どもたちは「うん」と彼女の目を見て力強く頷いた。

「生き物とか大切にしようね。この子はあたしたちが病院に連れて行くから。じゃあ、今日はもう帰り~。気ぃつけてね。」

彼女はさっきまではアナウンサーがしゃべるような標準的な口調だったが最後だけ訛って話した。

「お姉ちゃん、お兄ちゃん、ありがとう。じゃあね~!」

子どもたちはこっちに向かって手を振りながら帰っていった。


子どもたちが公園から見えなくなってから、彼女は僕にこう言った。

「すいません。付き合わせてしまって。時間は大丈夫ですか?」

僕はさっきまで傍観者を決め込んでいたため、言葉がすんなり出てこなかった。

「う、うん。大丈夫だよ。」とっさに答えたため、言葉がつまってしまったのが恥ずかしかった。

「なら、よかったです。ではこれで。私はこの猫を動物病院まで連れて行くので。」

彼女はそう言って何とか息をしているような猫を優しく撫で、スマホを取り出し、いじり始めた。そして電話をかけ、これから伺っても大丈夫か、と話していた。電話を終え、「近くの病院が見つかったので行ってきますね。お疲れさまでした!」と猫を抱え、頭を下げて行った。


その夜、彼女からLINeがあった。

『今日はありがとうございました。子猫は無事一命をとりとめました。』

絵文字もスタンプもない彼女のLINeは一見冷たいように感じるが、彼女の人柄を知っていると、そう思わない。僕は返事をし、スマホを閉じた。その後彼女から連絡はなかった。僕は猫がどうなったか気になりつつも、聞くことができず、バイト中や友達と遊びながらも頭の片隅にそのことがあった。彼女は一人暮らしをしているらしく、おそらく動物は飼えないだろうから、もし困っているなら、僕が飼うことを名乗り出ようかと考えていた。


数日後、彼女とバイトで会った。

彼女は休憩中にスマホを見せてきた。「あの子猫、あのときの子どもたちのうちの一人が飼っているんですよ!」明るく元気な声と共に、きれいになった猫を抱いている子どもの写真があった。

「あたしの部屋では飼えないので、どうしようかなって思っていたんですよ。大家さんには内緒で一日は部屋に入れたんですけど。次の日に子猫を連れて、公園に行ったら子どもたちがいて!その中の一人の子が飼いたいって言ったので、動物を飼うことについて話して、親御さんにも了承を得に行ってきたんですよ!」

彼女の話す勢いと、ここ数日の行動力に圧倒された。子どもたちと再び会って、さらにその親にまで会いに行くとは。

「ここ数日ですごく話が進んだね。動物を飼うことについて話したって何を言ったの?」

「ペットにも自分と同じ命があること、毎日世話をしなければならないこと、いずれ自分より早く死ぬことを説明しました!」

小学生に重たいことを話したなぁと思った。こういうところが彼女の魅力の一つだと思う。

猫の話で休憩が終わった。


今日のバイトは彼女の方が先に終わった。もう少し彼女と話したかったなぁと思いながら、自転車にまたがった。あの公園の横を通ったので、ふっと公園内を見渡した。するとブランコに会いたいと思っていた影を見つけた。僕は話しかけに行くか迷ったが、ここ数日の彼女を見習って動いた。

「お疲れ様。まだ帰ってなかったの?」

彼女は近くのコンビニで買ったであろう、アイスを食べていた。

「お疲れさまです。はい。急がなければいけない用事もないので。」

しまった、と思った。特に話すことがなかったので、一呼吸の間、僕の中で気まずい沈黙があった。彼女はそんなことは気にしてないようにニコニコとアイスを食べている。

「上谷さんも座ります?」彼女はそう言って隣のブランコを見た。

僕は彼女の言葉に従った。

「上谷さん、あたし、最近怒りました。」

突然の言葉に、一瞬、何を言っているのか分からなかった。

「この前、子どもたちが、動物をいじめているのを見て、怒りました。怒って、その感情に任せて自転車を降りたんです。」

彼女は怒ってみたかったことを思い出し、ようやく話の筋が見えてきた。

「でも、すごく冷静だったよね。あの時怒っていたの?子どもたちに対して優しい感じだったじゃん。」

「自転車を降りて、子どもたちに話しかけるまでに、どう話したら伝わるか考えていたので、怒っていたのはほんの少しの間です。でも、怒りの感情から叱ったのは初めてかもしれません。」

僕の頭では理解できなかった。僕の表情を感じ取ってか彼女は続けた。

「“怒る”と“叱る”って違うと思うんですよ。怒るのは自分の感情だけで、叱るのは相手の未来(さき)を思っての行為だと思うんです。 だから、あのときはどうやったら子どもたちに伝わるのかなって考えていました。子猫を引き取った子が、みんなで子猫をいじめているとき楽しそうじゃなかったんです。きっと周りにつられてやっているんだろうなと思って。弱いものをいじめることも、いけないと思いながらも周りに合わせてしまうことも、誰かがダメって言わないといけないなと思いました。あの子どもたちが常識のある子たちでよかったです。話が早くて済みました。あと嫌われなくてよかったです。叱ってしまうと、嫌われるかなって思ったんですけど、子どもたちの方から話しかけてくれるので、ホッとしました。」

彼女があの時にそんなことを考えていたなんて。僕の人間の小ささに呆れてしまった。

「すごいね。そんなことを考えていたんだ。怒ると叱るの違いなんて考えたことがなかったよ。でもまぁ、怒る感情を体験できてよかったね。」

「はい!」

彼女はにこやかに頷いた。そして、「怒りなどの負の感情は悪いように思われがちですけど、なくてはならないものだと思うんです。怒りの感情は行動に繋がります…」

そこで彼女は言葉を止めた。

僕は彼女の方を見た。

「最後に上谷さんと話せてよかったです。あたし、今日でバイト最後なんです。これから学校が忙しくなるので。」

僕はきっとハトが豆鉄砲を食らったような顔だったと思う。あまりにも突然だった。

彼女はブランコからひょいっと立ち上がり、

「バイトでいろんな人と話ができて楽しかったです。上谷さんは卒業まで続けられるんですよね?また、お客として伺います。今までお世話になりました。ありがとうございました。」

いつの間にかアイスは食べ終えており、カバンは持ったままきれいなお辞儀をした。

「あ、あたし、友達のところ寄って帰るので、ここで失礼します。」

僕はただ、彼女の後姿を見送ることしかできなかった。


家に帰る間も、帰ってからも、後悔ばかりした。ここ数日、彼女の行動と考えに、尊敬と突然性で驚くばかりで、僕は何も言えなかった。彼女が最後なら、伝えるべきだったのではないか。でも、もう遅い。わざわざLINeで伝えるのも重い。これは縁がなかったと思って割り切ろう。もやもやしたまま、そういうことに結論付けた。




数か月後、彼女が「おはようございます。お久しぶりです。」という言葉と共にバイト先に現れた。なんとバイトの制服を着ていた。僕はとっさに「え?」と聞き返してしまった。

彼女は相変わらずの笑顔で、「やっと授業などが落ち着いたので、復帰しました!あっ、もしかして、辞めたと思っていましたか?名簿見てくださいよ。まだあたしの名前ありますよ。」

最後の方、彼女はニコニコからニヤニヤに変わった笑顔だった。

やっぱり彼女の言葉と行動には驚かされるばかりだ。僕がまだまだなだけかもしれないが。

僕は彼女と出会って、話をして、一緒にいて色んなことを学んだ。僕は彼女とさようならした日から決めていた。もう黙ったままでは終わらせない。ゆっくりでもいいから伝えると。心をざわつかせる感情をそのままにしない。名前を付けて、行動に出そう。

「今日一緒に帰らない?」




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