例え闇に包まれても
逆境の中で咲く花は、どの花よりも貴重で美しい。
ウォルト・ディズニー
第二暁【例え闇に包まれても】
「鳳如!!鳳如!!」
「なんだ騒がしいな。今度は何だ」
「天狗が来た!!」
「あ?」
帝斗も煙桜も琉峯も、ようやく部屋から出て行って静かになったと思ったばかりだったのだが、またすぐにやってきた。
帝斗はまだ何か話しを聞きたいのか、鳳如の部屋から出て行こうとしなかったため、通りかかった煙桜を呼びとめてアイコンタクトを取れば、煙桜は帝斗を連れて行ってくれた。
「何か用か」
「ぬらりひょんはここに来ておらぬか?」
「ぬらりひょん?しばらくは見てないな。どうかしたのか?」
「いや、ここ数日見かけなんでな。もしやと思うたまでじゃ。そうか、ここにも来ておらんか・・・」
何処に行ったのだろうと、天狗は顎に手を当てていた。
その間も、鳳如は特に一緒に考えるということをせず、ただひたすらに資料と睨めっこをしていた。
鳳如の部屋のドアを少しだけ開けた状態で、帝斗は天狗が何をしに来たのか興味があるのか、じーっと見ている。
最早、傍から見ると変態か変質者か不審者か、そのあたりの人間にしか見えないのだが、帝斗が鳳如の部屋を覗いているという今の状況を、煙草を吸いながら煙桜は見ていた。
何も言わずに近づいていき、帝斗の肩にぽん、と手を置くと、よほど集中していたのか、帝斗は大きく身体をびくつかせた。
「なっ、なんだよ煙桜!驚かすなよ!」
「さっきから何してんだお前。気になるなら入りゃあいいだろうが」
「鳳如と天狗のやりとりが気になるだけだよ。煙桜こそ、何してんだよ」
「俺はお前と違って仕事にケリがついてな。暇だから酒でも物色しに行こうかと思ってたら、鳳如の部屋を覗いてる不審者を発見したんでな」
「また酒かよ。煙桜の頭には煙草か酒のことしかないんだな」
「おう天狗、相変わらず色白い奴だな。ちゃんと外出てんのか?」
はあ、とわざとらしく大きくため息をついて煙桜にそう言った帝斗だが、気付けばすでに煙桜はそこにはいなかった。
いつの間にやら鳳如の部屋に入っていて、天狗と話をしていた。
煙桜に仕事をしろと言おうと口を開いた鳳如だったが、声が出る前にほら、と言って終わった報告書やら書類を渡されると、何も言わなかった。
何時間も文字を眺めていたからか、鳳如は眉間を指で挟んで険しい顔をしていた。
「琉峯はおらぬのか」
「琉峯?いるぜ。呼ぶか?」
「頼めるか。薬草のことについて、少々聞きたい事があってのう」
煙桜は鳳如の部屋にある小型の無線機を手に取ると、琉峯を呼んだ。
内容を報せずに呼んだものだから、琉峯は何事だろうと急いで来てくれたようだ。
「なあ、天狗、お前ぬらりひょんのことを聞きに来たんじゃないのか?」
忘れているのかと、帝斗が尋ねる。
すると、天狗は飄々とこう答えた。
「それはついでじゃ」
ついでなのかと、何か面白い話でも聞けるんじゃないかと期待していた帝斗は、少しだけ肩を落とした。
琉峯は部屋から薬草に関して書かれている本を何冊か持ってくると、それを天狗に手渡した。
すっかりみな鳳如の部屋に居座っていると、部屋の本来の住人である鳳如は、その場にいる全員にこう告げる。
「お前ら、俺の部屋にいるなら仕事手伝ってもらうぞ」
そう言うと、琉峯も煙桜も帝斗も大人しく部屋を出て行った。
帝斗は部屋を出て行ってからすぐ、ドアを少しだけ開けると、顔を覗かせてこう言った。
「天狗、すぐ帰るのか?」
「ワシか?まあ、長居する理由も必要もないからのう」
「そっか。わかった」
「なんじゃ?何か用じゃったか?」
「いや、別にいいんだ」
じゃあな、と言って帝斗はドアを閉めて消えてしまった。
残された天狗は、自分に何か用があったじゃないかと鳳如に聞いてみると、そういうのではないと鳳如ははっきり答えた。
じゃあなんだったんだと思っていると、んー、と背伸びをしながら鳳如が言う。
「憧れてんだよ、お前等のこと」
「憧れてる?ワシらをか?」
小さく笑いながら、帝斗が去っていったドアの方を見つめる天狗。
窓から差し込む光は柔らかくなってきたが、鳳如は眩しそうに目を細める。
「あいつらにとって、天狗もぬらりひょんも、それからオロチも、強さの象徴であって、いつかは越えるべき存在なんだよ。特に帝斗は、ふざけて見えるが誰よりも負けず嫌いなとこあるからな」
「・・・人間の思考はようわからんのう。ワシらとは何もかもが違うというのに」
鬼や妖怪として表舞台に出ることはなく、闇の中で生きている天狗たちにとっては、人間のように太陽の下、生きていける方が良いように思える。
生まれた時から持たなくても良い力を持っていて、今はまだ良くなったが、昔は人間に見つかってしまうだけで大変な目に遭ったのだ。
それが少なくなったのだから、良い時代になったと思うべきなのか。
「帝斗は無理するからな。煙桜にも見張っておくようには言っておくんだ。じゃないと、身体壊しても鍛錬続けやがるからな」
「意外じゃのう。あ奴は怠惰というか、マイペースなイメージがあったんじゃがのう」
いつもヘラヘラというか、琉峯は無口で、麗翔は気が強くて、煙桜は落ち着いていて、という中で、帝斗はよく笑っているという印象を持っていた。
それぞれが個性的で自分の世界を持っているのがよく分かる。
琉峯が来る前までは、鍛錬場は帝斗が最も使用頻度が高かったらしい。
怪我をしても体調が悪くてもいつでも鍛錬していたため、煙桜にしょっちゅう首根っこを掴まれて医務室に運ばれていた。
琉峯が来てからは、琉峯を弟のように可愛がっており、以前ほどは無茶をしなくなった。
「良いバランスを保ってんだよ、あいつらは。けど、人間には限界がある。お前等よりも遥かに手前にある。だからだろうな。焦って強くなろうとしちまうんだ」
「ワシからしてみれば、主も焦っているように見えるがのう」
「は?俺か?」
「ぬらりひょんとも話しをしておった。主はここに長くいるせいか、いや、長く人間をやっておるせいか、己を責め過ぎているように見えるのう」
「ふん。気のせいだろう」
椅子に腰かけると、鳳如は天狗と向かい合った。
沈みかけている夕陽を背にしている鳳如を見ている天狗からしてみれば、逆光になってしまって鳳如の表情はよく分からない。
しかし、口元が少しだけ口角をあげたように見えた。
「さて、そろそろ帰るとするかのう」
「ぬらりひょんの行き先が分かったら連絡するよ」
「それは有り難いのう。だがまあ、心配しておるわけじゃない。あ奴のことじゃ。無駄な心配に終わるじゃろうが」
そう言って、天狗は風を起こすと、扇子に乗って去って行った。
「・・・・・・」
小さくなっていく姿を、ただ鳳如は眺めていた。
その頃ぬらりひょんはというと、ぐっすりと眠っていた。
翌日、どれだけ強く目を瞑っても眩しさが伝わってくる太陽の光に起こされる。
いつもならあまり太陽の光が入って来ない場所で寝ているため、こんなに早く起こされることはまずない。
だからなのか、ぬらりひょんは少し不機嫌なようにも見える。
起きてすぐ、悠啻の部屋の中を横目で見てみると、悠啻の部屋には数人の召使いたちがいて、悠啻は何やら着替えをしていた。
いつものような適当な格好ではなく、貴族らしい、堅苦しい格好だ。
動きにくそうに見えるだけの服装だが、今日は何か大事なことがあるのだと、ぬらりひょんは分かった。
「悠啻様、お召し物はお気にめさいましたか?」
「んん?ああ、まあまあだな。俺としては、もっと豪華でクールな感じでも良かったんだけどな。親父の趣味だから仕方ねぇか」
「とてもお似合いですよ」
「そう?なら、今度2人で食事でもどう?」
「悠啻様ったら」
にこっと悠啻が微笑めば、召し使いは否定の言葉を述べながらも、頬を赤く染めていた。
それからお昼近くになると、国全体がお祭りのような、それでいてピリピリしているような、そんな空気が流れていた。
悠啻はスワロフスキーや他の宝石が散りばめられている椅子に腰かけると、その椅子から90度の角度で長くある足を12人の屈強な肉体の男たちが持っている。
椅子の周りを女性達が取り囲み、その中心には悠啻がいる。
何が始まるのかと思えば、悠啻の何歳かのお祝いが始まるようだ。
一体全体、悠啻が何歳かなど興味はないし、なぜ他人の誕生日をこれほどまでに勢大にやらねばならないのか。
ましてや、悠啻は国民を愛しているわけでも、大切にしているわけでもなく、むしろ蔑んで馬鹿にして苦しめているというのに。
「悠啻様!悠啻様!」
あちこちから拍手喝采を浴び、悠啻は至極ご満悦だ。
こうした誕生祭というのは、はっきりいって悠啻が初だろう。
悠啻の父親の代までは、単に自分への敬意を表し、そのために金品を納めたり何か有益な情報を与えるかといったものだった。
それもそれで楽なことではなく、納める金品も気に入らなければ、どんなに高価なものであってもゴミのように扱われてしまう。
だからといって返すわけでもなく、自分のものにしたうえで、より高価で貴重なものを要求するのだ。
悠啻に代わってからというもの、そういったことはほとんどなくなった。
しかし、こうして盛大な祭りとして国民を全員出席させ、自分を祝福させるのだ。
それになにより、悠啻には金品よりも欲しいものがあったのだ。
それは他でもない、女性であった。
こうした祭りのときに国中を回ることによって、自分好みの女性がいないかを探しているのだ。
いや、悠啻自身の好みの女性でなくても、とりあえずは手をつけておくか、程度の考えなのだろう。
悠啻のことを知っているそれなりの年齢の親たちは、こうした誕生祭のときには目立たないような格好をさせたり、服がすぐ汚れるような仕事をさせておく。
そうすることで、悠啻の目から逃れさせようとしているのだ。
しかし、さすが悠啻というべきなのか、はっきりいって褒められた才能ではないが、悠啻はそういった女性も目ざとく見つけるのだ。
雰囲気だけでどういう顔の女性かは分かるのだろうか、気になる女性がいるとすぐに椅子から下りて女性のもとへいき、そのまま自分の家へと連れて行くことがある。
当然、当然という言い方もおかしいのだが、女性は一晩悠啻に付き合わされたあと、家から追い出されてしまう。
自分の娘が泣きながら、震えながら帰ってくる姿を見ても、親はただ黙って抱きしめることしか出来ず、悠啻のもとへいって文句の一つも言えずにいるのだ。
祭りも終わりに近づいてくると、徐々にみな気を抜いてくる。
そんな時だ。
物影から、悠啻に近づいて行く一つの影があった。
悠啻の椅子を担いでいる男たちでさえ気付かぬほど静かに近づいて行くその影は、光る何かを持っていた。
「!!!」
その影の動きは、止まった。
それは、ぬらりひょんがその影の腕を掴んだからだ。
悠啻を乗せた椅子とその行列が無事に過ぎ去って行ったあと、ぬらりひょんとその影だけが取り残されてしまう。
触れることによって、男にはぬらりひょんが見えるようになってしまったが、ぬらりよんは気にしない。
きっと、男もぬらりひょんが本当は見えていないことなど知らないだろう。
「何故止めた」
「殺せばお主は確実に捕まって処刑されておったんじゃ」
「お前には関係ないことだ。俺はあいつを殺す。絶対にな。その為なら、どうなったって構わない」
ぬらりひょんが止めた男は、真っ黒でさらっとした髪に、モスグリーンの綺麗な目をした男だった。
悔しそうにギュッと強く拳をつくると、ぬらりひょんに止められてしまった手に握られていたナイフをまた隠した。
そんな男を見て、ぬらりひょんは告げる。
「お主があやつを殺すことは無理じゃろう」
「!?なんだと・・・」
足元まで隠れるほどの長いコートのようなものを着ている男は、頭にもフードを被っていたが、ぬらりひょんに腕を掴まれたときに脱げてしまった。
それを再び頭に被りながら、ぬらりひょんを睨みつける。
しかし、その睨みは無意味であって、ぬらりひょんは明後日の方向を眺めていた。
男はちっ、と小さく舌打ちをすると、悠啻が去って行った方に顔を向ける。
「・・・あの男に何か恨みでもあるのかのう」
「無ければこんなことしていない。あの男だけは、何があろうと俺は赦さない」
「随分と物騒じゃ。ワシに茶でも出して、話しでも聞かせてくれぬか」
「はあ?」
茶を出せと上から言ってきたぬらりひょんに、男は怪訝そうな表情を向けるが、ここらへんじゃまず見ない滑稽な服装に、悠啻の側の人間ではないだろうと判断したようだ。
離れた場所に洞窟があり、そこで生活をしているようで、そこまで案内してくれた。
茶を出せと言ってきたわりには、ぬらりひょんは腰にさげてある酒に手を伸ばし、それを飲んだ。
一応ぬらりひょんの分もお茶を淹れて出すと、酒は腰に戻してお茶に手をつけた。
「して、何がおうたと言うんじゃ」
「お前こそ何者だ?滑稽な服を着ているな」
「ワシのことはどうでもよかろう。たまたま通りかかっただけじゃ。あの偉そうな男とは何の関わりもない。それに、これは着物というものじゃ」
ズズズ、と音を立てながらお茶を飲んでいるぬらりひょんに、多少は怪しさも感じた男だが、なんとなくだが、悪い奴には見えなかったのだろう。
ふう、と息を吐くと話し始めた。
「俺の名は澪音。俺には弟がいて、弟は颯天。俺と颯天は両親と4人で暮らしてた」
悠啻の父親の代のときは、澪音たちも国の中央あたりで生活をしていたようだ。
貧しい暮らしではあったが、欲しいものなどなく、毎日ただ平和に暮らして、無事に終わればそれで良いと思っていた。
唯一、悠啻たちのもとで生活をしていて良いと思ったことは、戦争が無いことだった。
悠啻たちは金だけは有り余るほど持っていたため、その金を使っていわば金の結界のようなものを作っていた。
隣の国で戦争をしていたとしても、狩りだされることもなければ、国自体が戦争になることもなかった。
しかしそれは良い面だけではなかった。
国の中で何が起ころうとも、口出しも手出しも出来ない状況ということだった。
国民がみな苦しんでいても、悠啻たちに良いように使われても、女性たちは弄ばれたとしても、どこからも助けが来ないのだ。
そんな中、澪音の父親が病気になってしまい、働けなくなってしまった。
みな自分達の生活を守ることで手いっぱいで、他の家族にまで手を貸すなど、そこまでの余裕があるはずがなかった。
薬代もなく、かといって治療してくれるような医者も悠啻の家にしかおらず。
「母親は毎日のように頼みに行っていた。日に日に体調が悪くなる父親を見て、子供ながらに、俺と颯天だって危ないんだってことは分かった」
雨の日も嵐の日も、雪の日だって行った。
毎日毎日、地べたに頭をつけてお願いをしに行っていた母親も憔悴しきり、ついには父親よりも先に亡くなってしまった。
残された澪音と颯天は、呼吸が浅くなっていく父親を眺めることしか出来なかった。
ついには父親も亡くなり、これから兄弟2人で頑張って生きて行こうとしていた。
それから数年後のことだ。
悠啻の誕生祭がおこなわれることになり、強制的に澪音たちも出席となった。
武装した男たちが一軒一軒チェックして、家族全員が出席しているかを確認していた。
そこで出席していないことがバレてしまうと、その先のことは思い出したくもない。
風邪をひいていても、子供を出産する時であっても、生まれたばかりの赤子であっても出席は必須だった。
「そのとき、颯天はまだあの誕生祭がどれだけ重要な儀式かということを分かっていなかったんだ」
歪んだ男の歪んだ誕生祭で、弟の颯天はとても無邪気に遊んでいた。
きっとその純粋な目に映った輝きというのは、想像も出来ないほどのものだったのだろう。
国中の人が参加しているのだから、人で混み合っていることもあって、澪音と颯天ははぐれてしまったらしい。
「俺は颯天を探して回った。そして見つけた」
颯天は、悠啻の誕生祭の列の前で、子猫と戯れていた。
あ、と思ったときにはもう遅く、颯天は男たちによって暴力を振るわれ、まるで見世物のようになっていた。
それを止めてくれたのは、澪音の友人でもある陽太だった。
空のように綺麗な水色の髪をした陽太は、颯天を助けると悠啻に向かって頭を下げた。
陽太の妹もやってきて、妹も一緒に頭をさげてくれた。
遅れてきた澪音も、何度も何度も謝って、なんとか赦してもらったというよりは、解放してもらえた。
「颯天の傷の手当てをして、陽太たちに礼を言って、それで終わるはずだったんだ」
それからしばらくした頃、澪音は生活をしていくために仕事を貰い、なんとか颯天と2人で生きて行くことはできていた。
その日も仕事で、澪音はいつものように颯天に「行ってきます」と言って家を出て行った。
辛くて大変で嫌だけど、颯天のためにも自分はいなくてはいけなくて、生きて行くためには必要なことだったから、我慢した。
両親が亡くなって悲しかったけど、颯天がいるから頑張っていられた。
「ただいま」
家に帰ると、そこにいつもの灯りはなかった。
真っ暗な部屋を手探りで進み、それほど広くはない家の灯りをつけた。
「颯天?」
返事も気配もない颯天を探してみるが、何処にもいなかった。
いつもなら、帰ってすぐに「おかえりなさい」と言って走ってくるのに。
そんなとき、陽太が家にやってきた。
颯天が出かけるのを見て、しかも一緒にいたのは悠啻だったとか。
陽太は止めようとしたそうだが、陽太の両親が、自分達にまでとばっちりが来るのは御免だと、そんな陽太を止めたのだ。
「ごめんな」
謝ってくる陽太を責めることなど出来るはずもなく、澪音はとにかく探すことにした。
しかし、その日は真っ暗になってしまって見つけ出すことは出来なくなってしまった。
翌日、太陽が昇るよりも少しだけ早く起きた澪音は、颯天を探しに出かけていた。
威圧感のある悠啻の家の方へと歩いていくと、向こう側から誰かがこちらへ向かって歩いてくるのが見えた。
「颯天!」
それが弟だと分かるのにそう時間はかからず、澪音はホッと一安心して、名前を呼びながら近づいて行った。
ゆっくりと顔をあげた颯天に、思わず足が止まってしまう。
いつもの明るい颯天はそこにはおらず、ただ黙ってまた俯いてしまった。
何かあったのかと聞こうと近づくと、颯天は澪音から逃げるかのように、背中を向けて走って行ってしまった。
思わず後を追いかけていくと、悠啻の家の後ろ側にある、谷底まで続く崖の淵で立っていた。
「颯天、どうした?一緒に帰ろう」
そう言いながら、ゆっくりゆっくりと近づいて行く。
こちらを振り向いた颯天は、真っ直ぐに澪音を見据えて笑顔でこう言った。
「兄さんは、幸せになってね」
「?何を言って・・・」
颯天に向かって腕を伸ばしたその時、颯天は涙を流しながら微笑んで、そのまま身体を傾けて落ちて行った。
「 」
声にもならない声が響く。
どんなに伸ばしても、その腕は颯天を捕まえることが出来なかった。
どんなに叫んでも、その声が颯天に届くことはなかった。
澪音が呆然としていると、後ろの少し上の方から、パチパチという手を叩く音が聞こえてきた。
そちらに目を向けると、そこにいたのは誰でもない、悠啻だった。
「素晴らしい最期だったな。兄のために死んでいく弟。これが約束の金だ」
「約束、だと・・・?」
そう言って、悠啻が窓から風に乗って放り投げてきたのは、見たこともないほどのお金だった。
ハラハラとまるで桜や雪のように降ってくるそれだが、澪音はそれどころではない。
「どういう、ことだ?」
状況が理解出来ずにいると、悠啻は口角をあげて言う。
「何だ、聞いてないのか?あいつ、金に困ってるっていうから、俺の前で死ねば兄貴にやるよって言ったんだよ」
颯天は、澪音が仕事をしている間、毎日悠啻のところへ行っていたらしい。
父親のこと、母親のこと、そして自分達の生活や周りの人の生活のこと。
どうして悠啻の家にはお金があるのに、自分達にはお金がなくて、身につけているものも違くて、生活も違う。
『みんなで一緒に、幸せになれないかな!』
「みんなで一緒に、だとさ。笑えるよ。幸せになる権利があるのは、金を持ってる奴だけだ」
だが約束だからな、と言ってばらまかれた金を、澪音は触れようともしない。
「なんだ?いらないのか?お前の弟が折角命を懸けて作ってくれた金だぞ?」
拾おうとしない澪音に、悠啻は首を傾げる。
ただ強く、澪音は悠啻を睨みつけた。
家に戻ると、陽太の両親がやってきて、陽太と妹を見なかったかと聞かれた。
知らないと答えると、陽太の両親はまたすぐに探しに出て行った。
「陽太の妹は悠啻に連れて行かれてて、陽太は行方不明になった。俺の大事な人はみんな、あいつに奪われたんだ」
陽太の妹はそれ以来帰ってきていないらしく、陽太の両親は抜け殻のように今も生きている。
陽太のことも探してはみたが、今日に至るまで見つかっていない。
色んな感情が蘇ってきたのか、澪音は持っていた湯のみを強く握ったかと思うと、罅が入って割れてしまった。
それで我に戻ったのか、澪音はフードを取って壁に背中をくっつける。
「他人に話すことでもなかったな」
「・・・・・・」
コト、と静かにお茶を置くと、ぬらりひょんは着物の裾に左右それぞれの腕を入れ、ふう、と息を吐いた。
「国の情勢や時代の流れなんてものは、ワシにはとんとわからん」
「・・・・・・」
「じゃが、今の話から分かったことがあるとするなら、主は幸せ者ということじゃ」
「!?俺が幸せ者だと!?馬鹿を言うな!!こんな理不尽な世界に、俺みたいな奴だけが生きてるなんて、知った風なことを言うな!!!」
勢いよく立ち上がった澪音は、ぬらりひょんを強く睨んだ。
中身が残ってはいなかったが、ぬらりひょんの湯飲みはごろ、と倒れてしまうが、ぬらりひょんはピクリとも表情を変えずに澪音を見ていた。
何度かの呼吸をしたあと、澪音は落ち着いたのか、静かに座った。
「何を恨んでおる」
「この世のすべてだ」
「それはまた、大それたもんじゃ。この世の全てを知らぬも、この世のすべてを恨むか」
「この国は縮図だ。金を持ってる奴が最後は笑う。金の無い奴は、こうして惨めなまま生きて行くしかない」
「・・・そうかのう」
ぬらりひょんはまた腰の酒に手を伸ばすと、ぐいぐいと飲んだ。
口の端から零れる酒を手の甲で拭うと、片足を少し高い位置に持ってきて、そこにある岩に置く。
寛ぐような格好になると、澪音に向けてこう続ける。
「ワシは、主のように世の中に絶望した者達を数人、知っておる」
「・・・?」
澪音の方は見ることはないが、その視線の先には、きっとその誰かたちが映っているのだろう。
「世界や時代を悲観しおののき、孤独に生きてきたそ奴らじゃが、今は大分違う」
ぬらりひょんの話を、澪音は黙って聞いていた。
「幾ら己自身を取り巻く環境を嘆いたところで、何も変わらぬと悟ったのじゃ。ならば、自らが変わるしかないとな。己の曲げられぬ信念はそのままに、奴らは人間として生きて行くことを決めたのじゃ」
「・・・そう簡単には変われない。俺にはもう、誰もいないんだ」
肉親もいなくなり、友人もいなくなってしまった澪音は、これからも独りだ。
小さく呟いた澪音に、ぬらりひょんは続ける。
「ならばこの場所を出るということも、選択肢の一つとしてあろう」
「ここを、出る・・・?」
「ワシにはあまり分からぬが、思い出の場所だからといって居座り続けることに意味があるとは思えん。新たな場所で生きることもまた、主ら人間には出来るであろうに」
「新しい場所・・・」
考えたこともなかったようだ。
ここで産まれ育った澪音からしてみると、ここには両親との思い出も、颯天との思い出も、友人との思い出も、様々な記憶も残されているのだ。
嫌なことから良いことも、全て。
その土地を離れて生きるということなど、今まで考えたことがなかった。
悠啻に復讐をする、ただそれだけを頼りに今まで生きてきたといっても過言ではないのだ。
復讐さえできれば、後はどうなっても良いと思っていた。
「生意気な人間が言っていたんじゃが」
一体誰のことか気になるが、きっとその人間のことを嫌ってはいないのだろうということは、話しているぬらりひょんの表情や口調から察することが出来た。
「起きてしまった事象ばかり思い返して生きるより、これから起こることを想像して生きる方が、何かと楽しいらしい。まあ、ワシにはようわからん話しじゃが」
「・・・俺にも、それが出来ると思うか?」
「?」
下を俯いてしまったことによって、黒い髪で顔が全く見えなくなってしまった澪音。
それでもしっかりと声が聞こえてくるのは、きっとこの場所がとても静かだからだろう。
「今まで、いや、今でさえ、まだあいつのことを恨んで、殺したいと思ってる自分がいる。何年経とうと、この感情が消えることはなかった。人間は生まれたその時から不平等だ。圧倒的な権力も地位も、金がある奴には敵わない。こんな俺にはもう、あいつを殺すという気持ちでしか、自分さえ動かせないようになってる。こんな今の俺を見たら、きっと颯天も母さんも父さんも悲しむだろうってことは分かってる。けど、俺にはもう、そういう生き方しか出来ないんだ」
話し終る頃には、澪音の声は微かに聞こえるくらいだった。
下を向いたままの澪音は、しばらくそのままの格好でいたが、ごくごくと目の前の男が何かを飲んでいる音が聞こえてきて、つい顔をあげてしまう。
ぬらりひょんは人の話を聞いていたのかいなかったのか、酒を飲んでいた。
「生き方というのは、変えられるようじゃ」
「え?」
これまで、あまり感情というか表情を動かさなかったぬらりひょんだが、ほんの少しだけ、笑ったように見えた。
「実際、生き方を変えた者達を知っておる。本人たちは変わったと思っておらぬかもしれぬが、見ている方は分かるものじゃ」
「・・・あんた、本当に何者だ?」
「通りすがりの不審者じゃ」
「いや、そうじゃなくて・・・」
はあ、とため息を吐いたあと、澪音は思わず笑ってしまった。
「変な奴だな。けど、ありがとな。なんかすっきりしたよ」
初めて会ったときの表情とは一変した澪音を見て、ぬらりひょんは別れを告げようとする。
しかし、またすぐに澪音の目は濁っていく。
「すぐには変われないだろうけど、俺もいつか、あんたの知り合いの人のように、変わりたいよ」
「・・・そうか」
そろそろ行くと伝えて洞窟から出ると、ぬらりひょんは後ろを振り向いた。
一度帰ろうかとも思ったぬらりひょんだが、ただならぬ予感を感じ取り、しばらくそこで澪音を見張ることにした。
澪音はというと、ぬらりひょんが去ってからすぐ、懐に隠してあったナイフを握りしめていた。
そのナイフを眺めたあと、再びしまう。
「颯天、陽太・・・。俺が必ず、必ず、やるからな」
その声は誰に届くでもなく、虚しく自分だけに聞こえるのだ。
「閻魔様、少しお休みになられてはいかがですか?珍しく真面目に仕事されておりましたし、疲れておいででは?」
「小魔、お前失礼だな。お茶菓子をくれ」
いつもならすぐに仕事に飽きてしまって、気付けばお菓子を食べている閻魔だが、ここ最近はきちんと仕事をしていた。
それも驚異的なスピードで仕事をこなしていたため、小魔だけでなく、周りの者たちも驚いていた。
なぜかというと、きっとぬらりひょんに頼みごとをしたことが関係している。
ぬらりひょんとはそこまで仲が良いというわけでもないだろうが、互いに信頼はしているのだろう。
ぬらりひょんとて、いつも仕事に追われているというわけではないが、鬼や妖怪といった類の者達をまとめるのはそうたやすいことではないのだから。
その忙しいだろうぬらりひょんに依頼をした以上、その間自分もやるべきことをやらねば、と思っているようだ。
小魔としては願ってもいないことで、こうして巻物が徐々に減って行くのを見て、いつもこうなら良いのに、と思っていることは決して口にはしないが。
「閻魔様、コーヒーとシフォンケーキをご用意しました。あとチョコクッキーも」
「おお、サンキュ・・・」
再び小魔が部屋に入った時には、閻魔はデスクにうつ伏せになっていた。
デスクを簡単に片づけると、そこに持ってきたコーヒーなどを置く。
閻魔は少ししてから上半身を起こしてコーヒーに手をつけ、一口飲んでからチョコクッキーをまずは一つ食べた。
「糖分が俺を呼んでいた」
「いえ、呼んではいません。呼んだのは閻魔様であって、お菓子は私が」
「ああ、そういうことじゃないから。ほんと、聞き流してくれていいから」
「そうですか」
なんとも真面目な返答をしてくる小魔に、閻魔は苦笑いをする。
そして部屋の隅にあるソファにずっと座ったままの女性をちらっと見ると、小魔が持ってきたお菓子を持ってそちらに向かった。
「気分はどうだ?」
「・・・悪くはありません。ですが、なぜか、とても苦しい気持ちです」
「・・・苦しい、ねえ」
鼻の先を指でかきながら、閻魔はシフォンケーキにかぶりついた。
甘いお菓子に苦い飲み物を交互に口にしている閻魔を見つめていた女性、翠は、急にフフ、と笑いだした。
閻魔が首を傾げていると、翠は楽しそうに肩を揺らす。
「いえ、すみません。なんだか昔、似たような光景を見た気がして」
「へえ。もしかして、兄弟でもいた?」
「きょうだい・・・」
何か思い出したのか、翠は閻魔との間にあるテーブルをじっと見ていた。
それでも思い出せないようで、閻魔は無理することはないと伝える。
「成仏出来ない人間ってのは、別に珍しいことじゃねえよ。未練がねえ方が珍しいくらいだ」
「けど、それでもみなさん、ちゃんと最後には成仏なさってるんですよね?」
「まあ、大体はな。成仏出来ずにずっとうろうろしてる奴もいるが、それはお勧めしないね」
閻魔が食べている姿をじっと見ていたから食べたいと勘違いされてしまったのか、小魔が閻魔と同じものを用意してきた。
閻魔のケーキは紅茶だが、翠のは可愛らしくイチゴになっていた。
薄いピンク色のケーキを見て、翠は一口含んでみると、丁度良い甘酸っぱさが口の中に広がる。
「病気か何かで死んだ奴は、自分がそろそろ死ぬかもしれないと思ってる。それだって、死んだ時には信じられずに彷徨うもんさ。思いがけない死に方をした人間や、大切な人を残して死んだ人間、色んな人間がいるが、すんなりとここに来る奴は、まあ、まずいないな」
「そうなんですか?」
「ああ。だってよ、考えてみな。後悔しないように生きてたって、何かしら心残りがあるもんだろ?もっと未来があると思って生きてて、急に死んだらまず受け入れられないだろ?逆に言うとよ、未練があるってことは、ちっとは自分が生きてた世界に関心があったってことだ。未練も何も無けりゃそれは、無関心ってことだからな」
「・・・無関心」
ケーキを食べ終えた閻魔は、小魔にコーヒーのおかわりを要求した。
それを見越していたのか、小魔は用意してあったコーヒーを淹れると、またすぐに仕事に戻る。
あまりにも手慣れていて、しかも素早かったため、翠はそれに気付かなかったほどだ。
「もし・・・」
「ん?」
「もしも、自ら望んだ死だったとしたら、それはどうなりますか?」
「・・・・・・」
コーヒーを飲んでいた閻魔の腕がピクリと止まる。
真っ直ぐに見てくる閻魔の目にゴクリと唾を飲み込むと、カップを置いて、閻魔は腕を組んで考える素振りを見せる。
だが、きっと答えなどすでに持っていたのだろう。
「望んだ死だからっていって、未練がないとはイコールじゃないね」
「・・・・・・」
「そもそも望まれた死なんてないんだよ。それがどんなに強い決意であっても、ね。人間にはそれぞれ決められた寿命というものがあって、その寿命が来る前に命を絶つという行為は、悪事と同等の罪だ。待っていればそのうち心臓は止まる。そのときまで生きようとしないのは、人間のエゴ」
「けど・・・!!生きることが辛くて辛くて、死んだ方がマシだって思う人もいるはずです!!それなのに、死ぬことも赦されないんですか!?」
急に立ち上がり、興奮気味にそう叫んだ翠。
丁度部屋に入ってきた小魔は、その様子を見て翠を取り押さえようと近づいてきたのだが、閻魔が手を出してきて制止したため、その場で足を止めた。
閻魔はそんな翠を見ても平然としており、まだ残っているコーヒーを飲んだ。
悠長にコーヒーを飲んでいる閻魔を、座るタイミングを失ってしまった翠は見ていることしか出来ずにいると、コト、とカップをテーブルに置いた閻魔が、翠に座るようにと手だけで合図した。
再びソファに座った翠を見て、閻魔は小魔にも目線だけで出て行くようにと伝えた。
それに気付いた小魔は、ちらっと翠を見たあと、静かに部屋を出て行った。
「生きることが辛い、死んだ方がマシ、死ぬことが赦されない、ねえ・・・」
翠は酷いことを言ってしまったと謝ろうとしたのだが、閻魔は気にしていない様子で笑っていた。
「確かに生きるのは楽じゃない。なんで生まれてきたのか、なんで生きてるのか、疑問に思うのは尤もだ。けど、死ぬことがマシだと思うのは、それはきっと大間違いだな」
翠は唇を噛みしめながら聞いていた。
「生きることが苦痛になったなら、死ぬことよりも先に、どう未来を変えるかを考えるべきだな」
「未来を変える?そんなこと、簡単には出来ません・・・」
「出来なくてもいいだろ。ただ、希望を持つことだ。辛い状況に耐えながら、何年後かにはこうなってやるって。それは仕返しとかそういうんじゃなくてな。過去のことを笑い飛ばせるくらい、目の前のことで必死になれるくらい、好きなことを見つけるんだ」
「・・・私でも、見つかったでしょうか」
「きっとな。だが、人間っていうのは難しいもんで、今が一番辛いときだと分かっていても、耐えられない時がある。身体の痛みなら耐えられても、心の痛みまでは耐えられないもんさ」
翠は少し下を向き、口を開きかけたが、結局は何も言わなかった。
何を言おうとしたのか、それは閻魔にも分からないが、きっと巻物が見られるようになったその時、全てが分かるのだろう。
無理に聞きだすこともないと、閻魔はコーヒーを飲もうとしたが、すでに空になっており、小魔を出て行かせたことを悔やんだ。
「死っていうのは、赦すとか赦さないとか、そういうことじゃないだろ?」
空になったカップを置きながら、閻魔は続けた。
「生きることは、平等に与えられた権利であって義務だ。それを放棄するってことは、自分を生んで育ててくれた親も、それまでに関わった人達も、短かろうが長かろうが自分が歩んできた道も、全てを否定して全てを無意味なものにするってことだ。それがどれだけ無情な行為は分かるだろ?」
「生き続けることに、意味はあったんでしょうか?」
「意味はあるさ。誰かの人生を左右するとか、そういう大きなことじゃなくていいんだ。たった1人にでも感謝されたり、人間じゃなくてもいい。蟻を助けた、蜘蛛を殺さなかった、それだって、そいつらに命を与えたってことだ。それは大きな意味がある」
植物に水をやることだってそうだ、と閻魔は翠に告げる。
どのような人生を送ってきてここにいるのかは知らないが、成仏出来ない以上、何かしら心残りがあるのだから。
「人間てのは、どうしてこうも千差万別かね」
「え?」
「いや、ちょっと思っただけだ。動物にも個々で性格は違うだろうけど、人間ほどじゃない。人間だけだよ。こんなに色んな性格があるのはね」
それから、閻魔はしばらくその話をしていた。
ちょっとしたことで泣く人間もいれば、どれだけ強い口調できついことを言っても、全くもって心に響かない人間もいる。
1人が好きな人間もいれば、誰かと常に一緒じゃないと嫌だと言う人間もいる。
かつては1人の女、1人の男から産まれてきたというのに、ここまで十人十色な人間が出来上がるとは思っていなかっただろう。
強い者、弱い者、時の権力者たちは何を想ってその剣を振るってきたのだろうか。
「それより、ケーキ美味しいから食べな。コーヒーなら小魔に淹れてもらえばいい」
「あ」
そういえば、折角のケーキを一口だけ食べたままにしていたと、翠はフォークを握る。
しっとりとしていて弾力があるのに、口の中でさらっと溶けて行く、なんとも言えない美味しいケーキだ。
それを見て、閻魔はニカッと笑ったかと思うと、いつも仕事をしているデスクに向かってそこに座った。
しばらくして小魔が部屋に入ってくるなり、コーヒーがない、とだけ言うと、小魔は文句を言うでもなく新しいものを淹れなおす。
以心伝心というのか、とにかく余計なことを言わなくても小魔には分かるようだ。
「おかわりはいかがですか」
「え、あ、お願いします・・・」
こんなところで自分は何をしているのだろうと、翠はちょっと思ったが、こんな時間も悪くないと思った。
自分がなぜここに留まっているのか、それは翠自身にも分からないのだから。
「美味しい」
「閻魔様、次の仕事です」
「え!ここにあったやつで終わりじゃないのかよ!!?」
「まだあります。何しろ、閻魔様が真面目に仕事をしていなかった分、綺麗に別の部屋に移動してありますから」
「・・・鬼だな、お前」
「お褒めの言葉、ありがとうございます」




