劇場
初めて短編に挑戦しました。とても短い作品です。
僕は、劇場にいた。とても広い劇場に。
席は満席に見えた。
僕は歩き出して、空席がないか探した。
既に席に着いている人は、隣の人と楽しそうに喋ったり、これから始まる公演に胸を踊らせているみたいだった。
僕は焦った。
その内、僕は小走りになっていた。
──早く空いている席を探さなきゃ。
探しても探しても、見えるのは楽しそうに笑う人の顔ばかり。
──空いている席なんて無いんじゃないだろうか。
そんなこと分かるはずもないのに、僕はどこかでそう思ってしまった。
その考えは余計に僕を焦らせて、僕の足をもつれさせた。
時々転びそうになりながら、目に涙を浮かべながら、僕は小走りで空席を探した。
──くすくす。くすくす。
ただ談笑しているだけの声が、僕にはとても恐ろしかった。
──まるで、僕を嘲笑ってるみたいだ。
まだ空席を見つけられないのか。
あいつ、泣きそうになりながら席を探してるぞ。
席に座った人がみんな、僕のことをそうやって笑っている気さえした。
──大丈夫。大丈夫、大丈夫。
誰も僕を嘲笑ったりしない。
そう自分に言い聞かせても、僕の足はもつれてもつれて、目からは涙が溢れてくる。
──僕の席。僕の席。僕の席。僕の席。
この嘲笑から逃げたいのに、僕はこの公演を見なくちゃならない。
そうしないと、僕は逃げたと思われて、もっと笑われる。
あいつは自分の席を見つけられなくて、尻尾を巻いて劇場から逃げたんだ、って。
叫びそうになる喉をくっと絞めて、情けない嗚咽を漏らしながら走る。
──あれ、僕はいつの間に走っていたんだろう。
広い広い劇場を、長い長い通路を、ずっとずっと走っている。
空席を求めて、嘲笑を振り払うように。
ちょっと先に、空席、が見えた。
──やった!
いや、もしかしたらあそこには誰かが荷物を置いていて、実は空席ではないのかもしれない。
僕は走るのをやめて、ゆっくり、とてもゆっくり歩いて、その席に近づいて、そして。
覗き込んだ。
空いている。
空席だ。
隣の人の顔を伺う。
隣人を待っているようには、少なくとも僕には、見えない。
恐る恐るその席に触れて、腰を下ろす。
──座れた! 座れたぞ!
確かに僕は、今、空席に座った。
でも。
──まだ、誰か、僕を、笑っている。
嘲笑う声は消えてくれなくて、僕の体は強張った。
せめてこの席は手放さないように、肘掛けをぎゅっと掴んで、ぶるぶると震えた。
──あいつは無様だ。泣いて転んで、ようやく見つけた席ではぶるぶる震えてる。格好悪い。
やめてくれよ。
僕はちゃんと空席を見つけて、こうして座ったじゃないか。
なんにも笑うことなんて。
恐怖に内蔵全部をぐちゃぐちゃにされているような、そんな感じがする。
係員が駆けて来て、僕よりちょっと前の列の席の人に声をかけた。
──すみませんお客様。そちらの席はご利用できません。
その席にいた人は、怒ったような困ったような、悲しいような恐がっているような顔をして席を立った。
僕は恐がった。
今まででいちばん恐がった。
──嫌だ! 折角座ったのに! 嫌だ!
係員は、僕の方をちらっと見て、どこかへ行ってしまった。
──良かった。
ほっと胸を撫で下ろした後、係員に席を立たされた人が目についた。
その人は顔色を真っ青にして、きょろきょろ周りを見渡した後、足をもつれさせながら駆け出した。
──ははっ。なんだあの人。涙なんか流しちゃって。情けない。格好悪い。
僕は笑った。
衝動的にというか、本当に思いつきで書いた短編です。一応詩に分類させて頂きましたがなんとなく実録みたいな部分もあります。このお話を読んで、少しでも何かを感じて、思って頂ければとても嬉しいです。