第九夢「現実」
夢を見ていた。
とても甘くて、溶けてしまいそうな幻を。
とても深くて、溺れてしまいそうな妄想を。
俺は、『彼女』の肉体から弾き出され、黒い空間でふよふよと漂っていた。
直感的に分かった。俺はもう、あの世界には戻れないのだと。
どうせ異物だ。元々の俺はあんなにかわいくないし、強くなんてない。チートを貰ってヒャッハーしても、どうしてもそれは俺じゃない。
――だって、そもそも身体が違うんだから。
『社会不適合者』。これが、現実で俺に押された烙印だった。決して抗わなかった訳じゃない。それでも、俺は流されるままに、その運命をなぞった。
そんな俺にも、とうとう転機が訪れた。
俺は、美女で、強くて、職もあって、権力もあって、何もかもを持っている、まさに理想の自分になっていた。
言うなれば、これはちょっと有頂天になっている俺の我儘。
本来の自分に戻って、あの出来事なんて夢だったのだと自覚できる、あくまでも現実的な出来事である。
俺は嫌だ。
急に得た力を手放して、元のひきこもり生活に戻る?
あれが夢だから、どうせ現実は帰ってくる?
ただの傲慢?
たとえそんな風に批判されようとも、俺は言える。
現実になど、決して戻りたくないと。
――☆――
「は、ははははははっ! やったぞ! 僕はやったんだ!」
勝利の雄叫びとも言えるべきそれは、僕の口から放たれた。
目の前には、ただの人間と化した彼女が、僕に敗北している姿があった。
さあ、次は彼女の命を殺してやろう。人間になったら、もう二度と生き返らない。
片手でメイド服の少女を投げ捨てる。ドサッと心地よい音が届いた。
「かわいそうだなぁ。かわいそうだから、君の武器で殺してあげるよ」
敵に情けをかける。なんて甘美な響きだろうか。
彼女を見下ろす僕は、紛れも無い勝者。口から変な笑いが零れた。
彼女の腰から剣を引き抜く。黄金の剣は眩しすぎて、僕にはもったいないくらいだ。
この剣は強い。武器を研究してきた僕にはひと目で分かった。何より、その輝きから感じ取れる『死』の気配――只者じゃない。
「じゃあね、お姉さん」
黄金の剣を、振りかざした。
僕が前されたように、彼女の身体は真っ二つに裂け、無様な姿を僕に見せる。
――筈だった。
彼女は、確かにその足で立ち上がり、僕の真後ろに立っていた。
「……あれ。お姉さんは人間になったから、僕の瘴気に充てられて立ち上がれない筈じゃなかったっけ?」
「……現実逃避する事に決めた、それだけだ」
「あはは! 現実逃避するだけで、僕の武器の効力から逃れられる訳がないじゃないか」
口では笑ってみせる僕だが、内心とても焦っていた。
……何故だ。何故彼女は立てている? 僕の瘴気が効いていないのか?
僕は黄金の剣へと目線を下げる。そうだ、これは確かに僕のモノだ。僕の手にあるんだから、紛れも無く僕のモノだ。
だから、何も萎縮することはない。
「まずは、その剣を返してもらおうか」
なのに、何故。
――僕は怖がっている?
「お断りするよ」
いや。
立場を見れば、僕が有利なのは一目瞭然だ。
そのような感情を感じる余地もない。
僕はただ、勝てばいいんだから。
「そうか、残念だ」
緊迫した空気の中、彼女は動いた。
それは、単純に剣を奪うだけの動き。僕の持つ剣目掛けて、白い腕が伸ばされた。
遅い。遅すぎる。こんな速さで奪い取ろうだなんて、とことん甘い。
僕は剣の柄を両手で握り、彼女の胴体を狙って襲いかかる。彼女は余裕の表情で、くるんと高くまで飛び上がり、あっさりと僕の攻撃を回避した。
そこからは、まるで対等な駆け引きだった。
僕が剣を振り、彼女は避け、僕に殴りかけ、僕はそれを避ける。その一連の流れを数回繰り広げた頃。
彼女は、つまらなさそうな顔で僕の猛攻を避けながら言った。
「そろそろ止めにしないか? どうせどちらも得をしない戦闘だ。そこにいるアンモラとヘリオドールを返してもらえば、私は帰ろう」
……どちらも得をしない?
僕の気も知らずに、何を言う。僕は彼女のようなエリートを撲滅するために戦っているんだ。
ふつふつと湧き上がる怒りを、彼女に思い切りぶつけた。
「じゃあ、その対価として――お姉さんの首を頂こうかな」
剣を両手に振りかかる。
――今度こそは、本気だ。
残像を引く僕の身体と、驚いた表情の彼女。
そして、彼女の肩に食い込む、黄金の剣。
……勝った。
肩を打ち破る黄金。ついに、その肉をも引き裂いた。
その瞬間、僕は確信した。
ただひとつだけ、勝利を。
「ははははは! 残念だったね、ヘリオドールとアンモラとやらが、君の手に渡ることは一生涯ありえな……」
僕は見た。
肩から押し出される黄金と、奪われる剣。
血すらも流さずに、彼女は平然として、立っている。
「な……なんだよ…………!」
あんなモノ、人間じゃない。
いくら戦士と言えど、その機能は人間と同じもの。生理現象は起こらず、不死の概念と、高い身体能力が加わっただけの人間だ。
――だからこそ、ありえない。あんなに固すぎる肉が。あんなに異常な人間が。
例えるならそう、ダイヤモンドのような固さ。人形だと言われても納得するだろう。
「お返しだ」
彼女はぼそりと呟き、僕の首に向かって、水平に剣を振る。
慌てて後方に避けるも、僕の速度は明らかに彼女よりも劣っていた。
黄金が僕に襲いかかる。スレスレで剣は通り抜ける。僕の顔を黄金が照らした。
(まずい……このままじゃ、僕は殺される……!)
殺される。
殺されたら、戦士はどうなる?
戦士は死んでも、生き返る。そこに『永遠の死』は訪れない。
そうだよ、僕は戦士。別に死んでも『敗北』にはならない。
開き直れば、何ということはない。僕のプライドよりも、『勝ちたい』という気持ちが上回っていた。
だから僕は虚勢を張る。精一杯の、自分自身への励ましを。
「僕が勝って、君が負けるんだ! 君は負けて、僕に無様に殺される。実にかわいそうだ!」
「…………なに?」
彼女の気配が、広がった。
身体が強張り、足が震える。
彼女は艶のある声で言った。
「私はプライドが高い」
彼女が、一歩、一歩と足を進める。
僕はゆっくりと後ずさる。
後ろを覗き見る。
先程殺したばっかりのメイド服少女が、自らの武器を手に持ち、僕を見つめていた。
黄金の剣を持つ彼女を見る。彼女の目は、後ろにも後にも退けない僕を見て、嘲笑っているように見えた。
「だから……死ね」
彼女は、剣を使う事無く、僕を殴った。
遠くまで吹き飛ぶ躯。
まるでスローモーションのように僕は感じた。
白い空間に、僕の鼻血が零れた。
彼女は、いつの間にか僕の目の前に迫っていた。僕が恐怖で立ち上がれないのを良い事に、気が済むまで殴られた。
意識が、ゆっくりと飛んだ。
――☆――
「書類だ」
「ありがとう、ラッカ」
神様に書類を提出して、俺は記憶をたどる。
俺がボロボロになった少年を事務室に連行した後から、ぱったりと悪魔バクが出てこなくなった。それはつまり、彼が黒幕だったという事なのだろう。
後で神様に彼の処遇を聞いたが、ドリームワールドを追放されたらしい。まあ、いつまでもここに居られたら、永遠に悪魔バクを発生させてただろうし、納得だ。
その後が問題だ。俺は神様から、少年の使っていたらしい武器――アズライトを手に入れた。
アズライトは、まるでコントローラーのような形をしていて、ドリームワールドの雰囲気とそぐわない。まあ、それ自体は問題じゃない。
なんでも下位変換できるトンデモ能力らしく、あの瘴気は周りの空気のランクを下げていたのだと判明。
ついでに、あくまでランクダウンと言っても、その進化形にある場合しかランクダウンできない。
つまり、天才を馬鹿にはできても、『馬鹿』とは、その天才が『一番馬鹿だった時』の馬鹿にしかできない。人間を猿にしろ、と言われても不可能という訳だ。あくまでも、進化の過程での『最低ランク』にしか退化できない。生まれながらの天才ならば、『馬鹿』にランクダウンさせても、ほぼ能力は変わらないのだ。
ま、これも問題じゃない。
一番の問題は――。
「ラッカ様――――!」
こいつだ。
事務室の扉を打ち破って出てきたのが、メイド服少女ことアンモラだ。
あの少年にやられた事が相当なトラウマになっているらしく、助けてくれた俺への依存という、深刻な症状を抱えている。
俺の胸に飛び込んできたアンモラを適当にあやしながら、俺はため息をつく。
「ラッカ様、いかがなさったのですか!? まさか敵!? それとも……私の事が、好き?」
「違う」
「そんなぁ! うぅ、あざといアピールしてるのにどうして!」
潤んだ瞳、上目遣いで俺を見上げてくるアンモラ。俺の肉体は同性だからそれほど興奮はしないものの、彼女のせいで仕事がやばい。全然進まない。
このままじゃ神様にクビにされちゃうよ、嫌だよまじで。離れて下さいお願いします。
一応、扉には神様特製の『結界』とやらを仕込んでいるわけだが、どういうことかそれすらも突き抜けてくるのだ。
こわい。
「んもう! 聞いてますか、ラッカ様?」
「聞いている」
まあ、それでも。
アンモラが無事でよかった、と思わなくもない。
ちょっとほっこりしている俺の机に、容赦なく置かれる大量の書類。
それを置いた張本人――神様は、俺を見てニッコリと笑っていた。
せっかくなら、書類の大量発生もなくなったらいいのに。




