初心者専用契約書
「その代わり、キュータ君には新たな契約をオススメしときます」
「新たな、契約?」
おもむろにアイテムチェストに付いているボタンを押すと、アキの視界には膨大なアイテムの入っているアイテム欄が表示された。
透過している翡翠色のアイテム欄の中にある、『初心者専用契約書』と書かれたものを右手の人差し指で押し込み、そのまま視界の端にある円のアイコンにスライドして移動させて行く。円のアイコン付近で指を離すと、紙のアイコンが円へと吸い込まれた。
左手でアイテムチェストの前に手を添え、みるみる出現する初心者専用契約書を手に取った。もう一度アイテムチェストのボタンを押し、アイテム欄を視界から消す。
「こちらはオータムセキュリティが初心者の方のために作った契約書です。良ければ見てください。そちらもエタニティオンラインのシステムに登録済みです」
差し出された一枚の白い契約書をキュータはまじまじと見つめる。若干たれ目気味な瞳が、少しずつ大きく開かれていく。やがて契約書とアキを交互に見ながら、唇をわなわなと震わせ始める。クオンも内容が気になりそわそわとし始めたところで、アキが内容を説明した。
「その契約書は先ほどのものとさほど内容は変わりません。こちらがモンスターを貸し出し、契約者には『見返り』をいただく」
「で、でもこれじゃ……!」
「なになにー! 気になるから早く話してよぉ!」
「その初心者専用契約書というのは、まあ俺が個人的に気に入った商売人初心者に、特別に与える契約書なんです。ランク付けされているモンスター以外の、若干弱いモンスターを契約者が決めた期間まで自由に貸し出す。そしてその『見返り』は、オータムセキュリティを一人以上に宣伝すること。これが条件です」
「え、アキ、それだけなの?」
「それだけってことはないさ」
「でもでも! 他の宣伝のほうが、圧倒的に効果大きいじゃん! 別のお店の宣伝効果に潰されるんじゃない?」
ふとアキは苦笑いして見せた。
「だから俺が気に入った人限定なんだ。これは正直言って期待できる報酬じゃない。でもそれと同時に、キュータ君には恩も売る。これだけじゃあ商売にはならないけどな」
クオンとキュータは、こんなことではいつかオータムセキュリティは潰れてしまうのではないかと心配になった。どこからどう見てもそれは、慈善事業以外の何物でもなかったからだ。
「あ、あの、俺にとってはすごくありがたいことですが、これはあまりにも甘いんじゃ……?」
「じゃあやめときます?」
「え、そ、れは……」
「良いことを一つ、教えておきます。人の好意は素直に受け取っておくこと。まあこれはよく言いますが、その続きがあると俺は思ってるんです。受け取った好意は最大限活用すること。これに尽きます」
キュータが顔をしかめながら悩んでいる時、部屋の扉がゆっくりと開かれた。そこには仕事を終えたフラメルが人数分のココアをトレイに乗せ、室内へと入ってきた。
「あら。その契約書、懐かしいですね。アキさん」
「仕事は一段落したんですか?」
「ええ。ココア、良ければ飲んで下さい」
フラメルがココアを机に置くとクオンは飛び跳ねてからそれを一気飲みした。フラメルはキュータの背後に移動し、初心者専用契約書を覗き込んだ。上品に笑いながらアキに視線を移した。
「相変わらずやっているのですね、アキさん」
「フラメルさんの時から、たまーにやってるんですよ。まあ、儲けに繋がるかはわかりませんが」
「フラメルさんの時? もも、もしかして、フラメルさんもこの契約書を……?」
キュータが振り返るとフラメルは部屋の壁に寄りかかった。思い出すかのように、微笑むフラメルは淡々と話し始めた。
「エタニティオンラインの一周年記念から一週間ほど経った頃、クランのいざこざが嫌で、私は当時所属していたクランから抜けました。
そして全財産を利用して念願だった宿屋の経営を始めた時、どうしても人手が必要になりました。まだNPCを雇えるお金もなく、かと言ってずっとオンラインのままでいるわけにもいかない。しかし店を空けるわけにもいかない。
そんな時、同時期にオータムセキュリティという護衛の事業を始めた人がいると聞いて、参考までにと思って訪ねたことがアキさんと出会ったきっかけなのです」