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竜騎兵と花嫁  作者: 海乃野瑠
第16章 エル・ドラド
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16-1


暗い廊下にノックの音がびっくりするほど大きく響きエヴァは首を縮めて手を引っ込めた。


だが、いくら待っても答えはなかった。


どうしよう?


もう眠ってしまったのかしら?


隙間風に蝋燭の炎が頼りなく揺れて、慌てて消えないようにと手で囲った。


今夜はこのまま自分の部屋に戻った方が良いのだろうか?


でも、そうしたらもう二度とこんな勇気は出せないだろう。


アルカンに張り倒してやれと言われたことを思い出し、エヴァは頬を緩め体の力を抜いた。


そっと扉を開くと部屋の中は真っ暗だった。


あの人の匂いがするわ。


おずおずと足を踏み入れ胸を高鳴らせながら部屋の真ん中に置いてある大きなベッドを明かりで照らすが、そこにはふっくらとした羽根布団が乗せてあるだけで誰もいなかった。


どこに行ってしまったのだろう?


台所にいると聞いていた夫の姿は台所にも寝室にもなかったのだ。


エヴァは燭台を倒さないように注意して床に置くと、火掻き棒を手に取り暖炉の火を掻き立てた。


熾った炭火が新しく入れた薪に燃え移り、やがてちらちらと赤い炎が踊り出す。


ここで待っていたらいつかは戻って来るわよね。


蝋燭を吹き消すと暖炉の前の椅子に座ってすっかり冷えてしまった両手を火に翳した。


何度もちらちらと扉の方を窺ってしまう。


アルテュスが留守の間、ずっと寝起きしていた馴染み深い部屋である。


暖炉の火に照らされる床板の模様や蔓草の壁紙、ベッドの足元にある見慣れた長持を見回して、エヴァは懐かしさに目を細めた。


だけどあっちの暗がりにあるのは何だろう?


雨戸を閉めた窓際の見覚えのない黒い影にエヴァは目を凝らした。


船長さんが航海から持って帰って来た新しい家具かしら?




丁度同じ頃、アルテュスはある部屋の前にいた。


大きく息を吸い込んで肩を怒らすと、決心したように拳でドンドンと扉を叩き返事を待たずに扉を開いた。


「エヴァ? 」


蝋燭の明かりがベッドの上の黒い小山のように見える形を照らし出す。


布団の中から白い帽子を被った頭がひょっこりと出て寝惚け眼を擦りながら驚いたように言った。


「・・・・・・兄上? 」


弟のヤンの姿を認めたアルテュスは頭の中が真っ白になる。


これはいったいどういうことだ?


どうしてヤンがエヴァのベッドにいるんだ?


頭に血が上り思わず短剣を探して懐に手をやった男は、激しく顔を顰め舌打ちをした。


俺は自分の弟を殺すつもりなのか?


違うだろう、何か理由がある筈だ!


ズキズキと痛む頭に手をやり一生懸命考えようとする。


また俺を陥れる陰謀だな?


畜生、もう騙されないぞ!!!


できるだけ平静を装って尋ねた。


「エヴァは? 」


落ち着いて見てみると、どうやらベッドにいるのはヤン一人のようだ。


「義姉上の部屋は三階の西側ですよ」


ベッドの上に座ったヤンは兄を見上げて言った。


「あの事件があってから義姉上はここで眠れなくなったので、僕と部屋を交換したのです」


アルテュスは肩の力を抜くと大きく息を吐いた。


「起こしてしまってすまなかった。明日の朝早く父上と一緒にティミリアに行くのだろう? 」


「はい、棚卸しに行きます。兄上もお休みなさい」


ヤンは回らない舌でそう言うとばたんとベッドに倒れ込み、また直ぐに夢の世界に旅立ってしまったようだった。


まだ子供だな。


少しでも疑ったりして悪かったな……


安らかな寝息を立てている少年に心の中で詫びると寝室を後にした。




アルテュスは焦っていた。


弟に教えられた部屋にエヴァはいなかったのだ。


誰も寝た形跡のないベッドの上に見つけたのは荷造りされた小さな荷物だけだった。


担ぎやすいように布に包まれたその荷物には最低限の衣類しか入っていないように見えた。


辺りに漂う懐かしい甘い香りに胸が締め付けられるように痛み唇が震える。


アルテュスはきちんと片付けられた部屋を見回しながら顔を曇らせて頭を振った。


エヴァはド・クレリゴーと一緒に行くことを決めたのだろうか?


だが、海軍の軍人に寄り添った幸せそうな姿の代わりに、荷物を担いで港町を彷徨っている夫に家を追い出された哀れな女が目に浮かんだ。


俺は何て馬鹿なんだ!!!


あんなことを言ったら出て行くしかないだろうが……


ベッドの脇にある椅子を引き寄せ腰を下ろすとアルテュスは膝に肘をついて両手で頭を抱えた。


夜が明けたら永久の別れとなってしまう。


もう二度とあの優しい姿を目にすることは叶わないだろう。


まだ引き止めることは可能なのだろうか?


もしもここに残って欲しいと言ったら彼女はどうするのだろうか?


消えかけた蝋燭がジィと音を立てる。


いつまで経っても部屋に戻って来ないエヴァにアルテュスは確信が持てなくなった。


本当に荷物を取りに戻って来るのだろうか?


このまま消えてしまうのではないか?


アルテュスは慌てて立ち上がると部屋を飛び出した。




「エヴァ……!! 」


すっかり温まってウトウトしかけていたエヴァは急に聞こえてきた声に椅子から飛び上がった。


慌てて扉の方を見るが人が入って来た気配はない。


「……誰? 」


恐る恐る尋ねると何か齧るような小さな音がしただけで答えはなかった。


鼠?


じっと耳を澄ましたが、パチパチと薪の爆ぜる音以外にはもう何の音もしなかった。


嫌だわ、私ったら寝惚けていたのかしら?


思わず立ち上がっていたエヴァは椅子に真っ直ぐ座りなおした。


今何時なんだろう?


船長さんはいつ戻って来るのだろうか?


その時、また耳慣れない声に呼ばれたエヴァは背筋がスッと冷たくなるのを感じた。


やっぱりこの部屋に誰かいるの?


「誰?! 」


「……………………エヴァ! 」


「グレゴール? ユナ? 」


子供の悪戯かも知れないと思いアルテュスの弟妹の名を呼んでみるが返事はない。


だが、部屋の奥の暗闇に潜む何者かは、まるで老人のようにしわがれた声をしていた。


絶望と悲しみに満ちた声が縋りつくように呼びかけてくる。


エヴァは窓の方に一歩踏み出すと、震える声でそっと尋ねた。


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・お父さん? 」




自分の部屋の扉を開けた途端、転がるように飛び出して来た誰かに抱きつかれたアルテュスは驚いて立ち竦んだ。


「何だ、いったい……?!」


小柄な体躯に初めは子供達の一人かと思った。


だが、解けた髪からよく知っている甘い香りがふんわりと漂ってきて心臓が飛び跳ねた。


「・・・・・・エヴァ?」


「・・・・・・」


普段の妻からは予想できない振る舞いに目を見張りながらも、縋りついてくる柔らかな体を抱きとめた。


「どうした?」


「・・・・・・お父さんが」


カチカチと歯を鳴らしながらエヴァが今にも泣き出しそうな声で囁く。


「義父上が?」


怯えた瞳で見上げてくる。


「あそこに・・・・・・」


アルテュスはそっと指で示された窓の方に視線を移した。


「・・・・・・まさか」


幽霊の存在は否定しない。


今まで航海では実に様々な目にあっており、その中には非現実的な出来事もいくつかあった。


しかし、いくら目を凝らしてもエヴァが怖がっている物は見えなかった。


船乗りには一般的に迷信深い者が多い。


だが、怖い物知らずの私掠船の船長は目に見える物以外は信じていなかったのだ。


「エヴァ」


アルテュスは華奢な肩を両手で掴むと少しばかり体を放し、できるだけ落ち着いた声を出そうと努力しながら言った。


「義父上のことは、本当に申し訳ないことをしたと思う。だが、義父上はちゃんと天国におられるぞ。こんな所を彷徨って大事な娘を怖がらせたりは絶対にするまい」


首を傾げてそれでも頷いたエヴァだったが、不意に窓際から聞こえてきた苦しそうな呼び声にか細い悲鳴を上げた。


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