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竜騎兵と花嫁  作者: 海乃野瑠
第15章 攻城
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15-5

エヴァは居間に入るとおずおずと辺りを見回した。


こんなに大勢のむさ苦しい男達がこの家に集まるのは稀である。


いつもはだだっ広く感じる天井の高い部屋も窮屈に見える。


日が暮れるとまだかなり冷え込むので奥の大きな暖炉には威勢よく火が燃えており、薄暗い部屋の壁に人々の影を映し出していた。


居間は人々の話し声が壁や天井に反響して大層騒がしかった為、城主と奥方は頭痛を理由に早々と寝室に引き上げてしまった。


エヴァの姿を認めると何か声高に話していたマテオが口を噤んで席を立った。


そして部下に声をかけるとぞろぞろと居間から出て行った。


扉の脇に手持ち無沙汰に立っているエヴァの傍を通る時には元気付けるように頷いたり、肩を叩いたりして行く。


だが、エヴァはそんな皆の様子に気付かないようだ。


彼女の目に映るのは唯一人、皆から離れて窓際の椅子に腰を下ろして外を見ている男だったのである。


緊張に強張った体をやっと動かし、エヴァは部屋の中に足を踏み入れた。


胸はドキドキと高鳴り足が震えそうだ。


一歩一歩数えながら窓に向って歩くと男から5、6歩離れた所で立ち止まる。


居眠りをしているのだろうか?


アルテュスは窓に額をつけたまま身動ぎひとつしない。


もしかして怪我が悪かったのかしら?


急に心配になり、エヴァは勇気を振り絞って口を開いた。




「エヴァ!!! 」


その声に驚いて飛び上がったエヴァは震えながら辺りを見回した。


知らないうちにマテオと部下達は部屋を出たようで残っているのはアルテュスとルイスだけだ。


ああ、この人のことをすっかり忘れていた……


エヴァは申し訳ない気持ちで一杯になり俯いた。


ルイスは暖炉前の椅子から立ち上がり自分の許を逃げ出した女を睨むような強い眼差しでじっと見つめている。


そうだ、自分のことの前に中佐様にちゃんと謝らなければならないわ。


けれども顔を上げるとやはり自分のことをじっと見ているアルテュスと視線が合った。


貴方と話す前にしなければならないことがあるの。


「ごめんなさい」


顔を強張らせている夫に向って軽く頭を下げるとエヴァは、しっかりとした足取りでルイスの方に向った。


「どうぞ、こちらへ」


人が入って来る可能性のある居間を出て暗い廊下を通り、滅多に人の入らない図書室に男を案内した。


ルイスは何も言わずに後をついて来る。


エヴァは図書室の扉を押すと、男を通す為に脇に避けた。


壁には天井までぎっしりと本の詰まった棚が並ぶ埃っぽい匂いのする暗い部屋である。


中央には艶のある黒い大きな楢の机があり、その周りにビロード張りの椅子が何脚か置いてあった。


エヴァは窓に近付くと重いビロードのカーテンを左右に開いた。


菱形の曇ったガラス板が嵌められた窓から差し込む午後の眩しい光に埃が舞っている。


エヴァは男の方に振り向くとゆっくりと口を開いた。


「……中佐様」




エヴァの声にがっしりとした机に寄りかかっていた男は苦笑いを浮かべた。


左目の周りに赤紫の痣があり唇は腫れて頭と右腕には包帯を巻いている痛々しい姿だ。


「名前で呼んではもらえないのか? 」


「ド・クレリゴー様」


ルイスは小さな溜息を吐き頭を振ると近くの椅子を引き寄せドサリと腰を下ろした。


そして、エヴァにも座るように身振りで示すと口を開いた。


「ド・タレンフォレストは貴方と別れることを承諾してくれた」


凍り付いたように動かない女を見つめながらルイスは身を乗り出した。


「もし貴方が……」


だが、澄んだ青い瞳からぽろりと一滴涙が流れるのを見るとそれ以上何も言わずに口を噤んだ。


暫くの間エヴァは唇を噛んで俯いていたが、やがて顔を上げると手の甲で涙を拭い小さな声で話し始めた。


「ド・クレリゴー様、置手紙を残すような恩知らずな真似をして姿を消したりしてごめんなさい。私を海から救い出して、ご親切にご自分の家に連れ帰ってくださったことはいくら感謝しても足りません」


「エヴァ、私は別に詫びや礼が聞きたい訳ではない」


「……」


「あの男を見つめる眼差しで分かったよ。何も期待できないとね」


「ごめんなさい」


「謝る必要はない。いいか、もしあの男がまた貴方を酷い目に遭わすようなことがあったら、世界の果てからでも駆けつけて助けてやるから」


多分、二度とそんなことは起こらないだろうがな……


だが、あの男が死ぬほど悔やんでいることは教えてやらないぞ。


ド・タレンフォレスト、全ておまえが引き起こしたことだろう?


だったら男らしくきちんと始末をつけて彼女の心を癒してやるがよい。


涙を零しながらエヴァは感謝の気持ちを込めた眼差しでルイスを見つめていた。


ルイスは立ち上がると海から救い出した愛しい娘に近付き、屈んでそっと白い額に口付けた。


これで十分だ。


「幸せになるんだぞ」




アルテュスは椅子の背に力なく寄りかかったまま、エヴァ達の出て行った扉を虚ろな瞳で見つめていた。


体は彫像にでもなったように冷たく強張っているが、胃の辺りに感じる火のように熱い塊が体内からチリチリと自分を焼き尽くそうとしているように思えた。


だが、この苦しみも彼女が耐えてきたことに比べれば全然大したことがないだろう。


朝夕休みなく苛み続ける胸の痛みは苦しかったが、同時に苦行によって得られるような精神的な安らぎを感じていた。


覚悟していたことだが、実際に起こってみると自分が情けないほど動揺していることがわかった。


謝肉祭の翌日にマテオの話を聞いてから、諦めなければならないことは分かっていた。


自分には彼女に許しを請う資格も彼女を引き止める権利もない。


だが、認めざるを得なかった。


自分が耐え難いほど彼女を求めていることを。


気が触れるほど彼女を愛していることを……


ずっと近くにいながら気付かなかったことが悔やまれてならない。


時間を遡ることができたら……


いや、無駄なことを考えるのはよそう。


……………………もし本当に彼女を愛しているのだったら………………


アルテュスは大儀そうに立ち上がると窓に近付き、冷たいガラスに熱い額を押し付けた。


窓に嵌められた小さな菱形のいびつなガラス板は完全に透明ではなく、庭がまるで悪夢の中の景色のように歪んで見えた。


子供の頃、その高価なガラス板が派手な音を立てて割れるのが面白く、小石を投げて数十枚壊し父親に酷く叱られた思い出がある。


何故こんな時に昔のくだらぬことを思い出すのだろう。


俺は綺麗なものを見ると壊したくなる性分なのだろうか?


小さな溜息を吐いた時、背後の扉が開く音がした。




「アルテュス」


耳に入ったのは躊躇うような小さな声だったが、男はビクリと身を震わせた。


とうとうこの時が来てしまった。


青い湖のように澄んだ瞳を覗き込むことを望んでいたが同時に恐れてもいた。


謝らなければならない……


アルテュスは覚悟を決めるとゆっくりと振り向いた。


大きく息を吸い込むとそのまま固まったように動けなくなった。


そこには水の精のように美しい女性が立っていたのだ。


エヴァは繊細なレースに縁取られた青い絹の衣装を身に纏っていた。


凝った刺繍の施された胴着はすらりとした体をぴったりと包み、膨らませたスカートは優雅な襞を作りながら足もとまで流れ落ちている。


午後の日の光に柔らかくきらめく蜂蜜色の髪は三つ編みにされ頭にぐるりと巻きつけてあったが、まるでわざとそうしたように可愛らしいカールがひとつ左の耳の辺りで揺れていた。


ほっそりとした首元には鈍く光る小粒の真珠の首飾りが巻かれている。


アルテュスは胸を波打たせながら妻の顔に目を移した。


ふっくらとしていた頬は少しばかり痩せたようで、左側には白い傷跡が斜めに薄っすらと走っているが彼女の美しさは少しも損なわれていなかった。


頬を薔薇色に染め、口元には優しい微笑を浮かべている。


そして、見開いた大きな瞳は雨上がりの空のように澄んでいた。




何であんな酷い目に遭わせた男にそんな顔ができるのだ。


酷いことをしたのは自分だと分かっていたが何故か腹が立ち、アルテュスは不愉快そうに眉を潜めた。


エヴァは男の顔に怯んだように顔を曇らすと立ち止まった。


違う、そんな顔をさせたい訳じゃないんだ!!!


自分自身を張り倒したくなる。


畜生、俺は何をやっているんだ?!


全て俺の所為なのに……


ふらふらとエヴァに近付いたアルテュスは床にがくりと膝をついて頭を垂れた。


「……すまなかった!!!」


一度話し始めると次から次へと溢れるように言葉が出てきた。


「全て俺の所為だ。貴方があの双子に酷い目に遭わされたことも顔を傷つけられたことも、義父上が亡くなったことも、全て俺が悪かった」


涙を浮かべた青い瞳を見たくなくて顔を上げられなかった。


「死ぬほど後悔した。船の上でも陸でもずっと貴方のことを想っていた。自分で捨てたのに貴方のことを求めて気が狂いそうだった。カッとなったら見境のなくなる自分の性格をこれ程呪ったことはない。一時たりとも心の休まる時はなかったんだ」


答えはなかった。


だが小さく鼻を啜る音が耳に入り、更に深く頭を下げた。


「償う為なら何でもする。過去に遡ることはできないが、少しでも貴方の気持ちを楽にすることができたら……言ってくれ、俺に何をして欲しい?」


頭に血が上り耳鳴りがする。


アルテュスは大きく息を吸い込むと、顔を上げて口を開いた。


「明日の朝、教会に行って婚姻無効の宣告を願い出るつもりだ」


ああ、そんな目で見なくても分かっている。


俺と一緒にいたらどうしても嫌なことを思い出してしまうだろうからな。


「ド・クレリゴーは少々口煩いが信用できる男だ。俺よりも貴方を幸せにしてくれるだろう」


急いでそれだけ言うと、立ち上がり逃げ出すようにエヴァに背を向けた。


これ以上ここにいたら女々しいことを口走りそうだった。


もう自分にはそんな権利はないと分かっているのに、彼女の足に接吻して一緒にいてくれと哀願してしまいそうだったのだ。


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