14-6
「エヴァ様、よくぞご無事で……」
エヴァに手紙を書いてもらったことのある台所の下働きの女が前掛けで目を拭きながら涙声で言った。
「若奥様の花壇は去年も見事な花を咲かせましたよ」
庭師の小僧が目を潤ませて声をかける。
年老いた召使が白い頭巾を被った太った女の腕を引っ張った。
「ほら、何やってんだい! さっさとお子を連れておいで」
使用人に囲まれて嬉しそうにしていたエヴァは、乳母が抱いてきた赤ん坊を目にすると驚いたように目を見張ってヤンを見た。
ヤンは顔を赤くして眉を潜めると乳母を部屋から押し出そうとする。
「義姉上は大層疲れておいでだ! 皆さっさと仕事に戻りなさい!!」
「ヤン!」
「義姉上……」
思わず顔を背けて扉の方に向う青年の背中に追い縋るようにエヴァは震え声で尋ねた。
「あの人の子なの?」
ヤンはその声に仕方なく振り向いて頭を振った。
「分かりません。でも兄上が家に連れてきたのです。そして先日洗礼を受けさせてエヴァと名付けました」
「……お母さんは?」
「多分、死んだのではないかと思います。いくら兄上でも乳飲み子を母親から引き離すような真似はしないでしょう」
「そうね。赤ちゃんをここに連れてきてもらっていいかしら?」
気遣わしげに見つめるヤンを安心させるように微笑みながらエヴァは言った。
あの人の子供…………
………………私が産む筈だったあの人の子供。
ヤンが乳母を呼びに行っている間、エヴァは暖炉前の椅子に力なく腰を下すと屈んでちらちらと燃えている火にじっと見入った。
体は冷たいのに頬は火照るようだ。
チクチクと胸が痛い。
この痛みは知っている……
片手で胸を押さえて、エヴァは唇を噛んできつく目を閉じた。
ヤンが心配するだろうから泣いてはいけないわ。
やがて扉が軽くノックされ、ヤンが顔を覗かせた。
その後ろから小さな包みを抱えたマリーが入ってくる。
「義姉上、お久し振りです」
そう言って挨拶をした少女は真面目な顔をして赤ん坊をエヴァに差し出した。
白い布できっちりと包まれて故郷の町の教会でクリスマスに飾られる幼子の人形のようだ。
エヴァは震える両手で受け取ると恐々と赤ん坊の顔を覗き込んだ。
触れた途端、顔を見た途端に憎しみを感じるではないかと怖ろしかったのだ。
だが、赤ん坊は泣きもせずに自分を抱き上げたエヴァの顔を大きな瞳でじっと見つめている。
「まあ可愛い!」
思わずそう呟くと言葉の意味が分かったのか小さなエヴァはにっこりと微笑んだ。
胸が熱くなった。
ほっと息を吐いたエヴァは傍に立っているヤンとマリーを見上げて晴れ晴れとした笑みを浮かべる。
先程感じた嫉妬の炎は爽やかな微風に掻き消されて、ただ小さな命が愛しかった。
「もしも貴方のお父さんが許してくださったら、私が貴方のお母さんになって大切に育ててあげるわ」
そして小さなエヴァを抱いたまま立ち上がるとヤンに言った。
「お義父様と奥方様にご挨拶に行かなくてはならないわね。今、お会いできるか確認して来てくれるかしら? 」
一発しか撃つことはできないだろう。
もしかしたら敵を一人も倒せないうちに殺されてしまうかも知れない。
誰に狙いを定めるか迷う必要はなかった。
ずらりと並んだ敵が火縄銃を自分に向けて構えているのが目の端に見えたが、それには構うことなく黒馬の騎士の胸辺りに狙いをつけた。
まるで戦場の絵画のように音もなく静止した野原を一頭の馬に跨った男が土埃を上げながら駆け抜けて行く。
後数十歩で射程に入るという時、突然その静寂が破られた。
鋭い銃声と共に整列した兵達の中から一騎が踊り出てきたのだ。
男は何か一生懸命叫んでいるが風向きの所為でアルテュスの所まで声が届かない。
チッと苛立たしげに舌打ちしたアルテュスは咄嗟に標的を変え、まるで一騎打ちを挑むように迫ってくる敵兵に銃を向けると引き金を引いた。
だがその瞬間、相手が誰だか分かったアルテュスは、男が棹立ちになった馬から振り落とされるのを見ると恐怖の叫び声を上げ、馬から飛び降りて駆け寄った。
「マテオ!!! 」
友人の頭の脇に膝をつくと震える右手でそっと兜の脱げた頭に触れる。
俺はいったい何をしてしまったのだ?
エヴァだけではなく、今度は親友を撃ち殺してしまったのか?
「マテオ、生きているか? マテオ、お願いだ! 目を開けてくれ!!! 」
髪を探って血が流れていないことを確認する。
いつの間にか兵達が自分とマテオを囲んでいるのに気がついたが、立ち上がって刃向かう気力はなかった。
屈み込んで友人の胸に耳を押し当てていたアルテュスは安堵の息を吐いた。
「おい、いくら欲求不満だからって抱きつくのは女相手にしろよ」
くぐもった声が耳に入りアルテュスは泣き笑いの顔で起き上がる。
「驚かせやがって! 」
「ド・リュスカ様の兵から借りた兜を被っていたのは正解だったな」
地面に胡坐をかいたマテオは傍らに落ちていた兜を拾い上げ左上のへこんだ痕に指先で触れながら呟いた。
そしてニヤリとすると差し出された友人の手を取って身軽に立ち上がった。
マテオはアルテュスを公爵に紹介した。
「ダヴォグールから話は聞いておる。我々の邪魔をすることは許さぬが、できれば敵のことを知っている貴方に協力して欲しいと思っている」
アルテュスは頷いたがひとつの条件を持ち出した。
「ド・ラ・クールの兄弟が捕らえられた時に彼らと話をさせて欲しい」
「許そう。だが双子の一人は既に死んでいると聞いているから、残っている方と話をさせてやろう」
そして後ろに控えている部下を呼びつけると命じた。
「随分時間を無駄にした。早速前進の号令をかけるがよい」
ラッパが吹き鳴らされ大砲の音を彷彿させるような太鼓の音が冬の空に響き渡った。
騎兵が一定の位置まで移動すると歩兵が大砲と共に後に続く。
それらの物音が聞こえていない筈はないのに未だに城からは誰も出てこない。
「卑怯な奴らだからな。負ける可能性のある戦には出て来ないだろ」
「籠城戦か。長引きそうで嫌だな」
「俺の休暇が終わらないうちに決着つきそうもないよなあ! 」
「奴らは大砲を持っているのだろうか? 」
「兵力だって予測でしかないんだろう? 」
「きちんと並んでいる兵隊さんの中で何だかここだけちぐはぐだな」
「そりゃ、仕方ないだろ。俺達は陸での戦など本当に久し振りなんだから」
「ド・タレンフォレスト、海でも陸でも上司の命令を無視して勝手な真似は許されんぞ」
「だから軍隊は苦手なんだよ」
部隊から少し離れた所でアルテュス達が小声で話していると、近付いて来た数人の兵の後から武装したオベルとアルカンが姿を現した。
「おい、おまえらエヴァの傍を離れちゃ駄目だと言っただろう?! 」
マテオの怒った顔にオベルが落ち着いて答える。
「義弟が彼女を迎えに来たのです」
アルカンは脹れ面で黙って一通の手紙をアルテュスに差し出した。
その後ろにはド・タレンフォレスト家の召使が海の上で戦闘の際に主人が身に纏う武具の包みを抱えている。
手紙の封を切ってサッと目を通した男は顔を赤くすると紙に唇を押し当ててシャツの胸の辺りに押し込んだ。
そんな友を見てマテオは何かを言いたそうに口を開いたが、中佐の方をチラッと見て口を閉じた。
召使に手伝わせて武具を着けているアルテュスをルイスは厳しい目付きで見つめていた。
あの手紙は彼女が書いたのだろうか?
そうに決まっている!
胸の中が焼けるようにカッと熱くなった。
俺は自分の気持ちは絶対に変わらないと言ったが、彼女はどうなのだろう?
婚姻無効の宣告がされたら、マリナは俺の妻になってくれるのだろうか?
いや、マリナじゃないな。
エヴァ……
何と美しく君にぴったりの名前なのだろう!
何故俺はこの男よりも前に君に出会わなかったのだろう!
…………この戦で、もし俺が命を落としたら彼女は悲しんでくれるのだろうか?
もし、死ぬのがあの男だったら………………?




