14-5
エヴァ、エヴァ、エヴァ…………
………………エヴァが生きていた!!
アルテュスは額に汗を浮かばせて髪を振り乱し、吼えるような雄叫びを上げながら馬を飛ばす。
エヴァが生きていてくれた!!!
胸に満ち溢れる喜びは息苦しいほどであった。
しかし、馬の揺れに身を任せているうちに活火山のように噴出する感情は次第に収まり、代わりに謙虚な気持ちが生まれ口から祈りの言葉が零れた。
神よ、感謝します。
自分の為には何も望まない。
彼女が幸せでいてくれさえすれば……
どうか、どうか、彼女の為に……
彼女を酷い目に遭わせた男に復讐をさせてください。
刺し違えでも構わない。
いや、その方がいいだろう。
彼女を傷付けた男が3人共この世からいなくなるのだから…………
子を抱いた妻の隣で笑っている自分の姿が頭の隅に浮かんだが、アルテュスは苦しそうな溜息を吐くとその思いを振り払った。
もう俺には夢見ることなど許されないのだ。
馬は裸の木々が寒そうな林を抜け、やがて小川に架かった橋の上に蹄の音を轟かす。
アルテュスは手綱を引き締めると速歩で最後の坂を登り始めた。
「止まれ! 止まれ!! 」
後ろから追いついた六騎の軍兵に怒鳴られマテオとルイスは馬を止めた。
「我々は怪しい者じゃない。この方は海軍中佐のルイス・ド・クレリゴー殿、俺はトリポルト陸軍大尉及び陸軍兵学校教官のマテオ・ダヴォグールだ」
マテオは憤慨した様子で声を張り上げた。
それから、彼らの後に続く立てられた槍の列に軽く目を見張って尋ねた。
「これはド・リュスカ様の部隊か? 」
兵はその問いには答えず二人についてくるように言った。
「申し訳ないが陣営まで同行して頂きたい」
「我々はこの先に急ぎの用事があるのだ。どうか見逃して欲しい」
そう言って強引に馬を進めようとしたルイスの前に躍り出た騎兵が槍を交差させて行く手を遮る。
「逆らっても無駄です。一緒に来てください」
マテオとルイスは仕方がないという風に顔を見合わせて兵の後に続いた。
残りの兵も後ろからついて来る。
「馬から下りてください」
陣営となっている黄ばんだ草が疎らに生えている野原に着くと、先に馬を下りた兵がマテオとルイスの馬の手綱を取った。
周りでは出陣の準備に忙しい男達が騒がしく消えかけた焚き火の周りで武具を締め直したり武器を点検したりしている。
二人は兵の後について中央に立てられた天幕に向った。
天幕の上には紋章を刺繍した旗が冷たい風に靡いているが、辺りの空気からは戦に向う者達の興奮と熱気を感じられるようだ。
「マテオ・ダヴォグール! こんな所でいったい何をしている? 」
公爵の厳しい声にマテオは心底驚いたように目を見張って叫んだ。
「これはこれは、ド・リュスカ様、凄い偶然ですね!!! 」
「休暇ではなかったのか? 友の窮地を救いに行くとか何とか言っていなかったか? 」
マテオは惚けたように頭を掻いた。
「はい、公爵様。実は親友が少々厄介なことに首を突っ込んでいまして……」
「ド・ラ・クールに関係することか? 我々の邪魔は許さないぞ」
「決してそんなつもりはありません! 敵の許に向った友人を引き止めようと追いかけてる最中に公爵様の兵に遮られた訳でして」
「ド・ラ・クールは様々な悪事を働いていたようだな。君の友人とやらは何をされたのだ? 」
「奥方を襲われたのです」
「それは復讐したいという気持ちも分からなくないが。奥方は殺されたのか? 」
「いいえ。でも殺されたのと変わらない位酷い目に遭いました」
「それにしても単独で敵地に乗り込んで行くとは、勇気があるのか思慮が浅いのか」
「私の所為なんです。友人は確かに怖いもの知らずで短気な奴ですが、私掠船の船長をしておりますのでいつもはもう少し分別があります。彼の性格を良く知っているのに私が考え無しにぺらぺら話してしまったから、奥方の話を聞いて逆上してしまい前後の見境もなく突っ走って行ってしまったのです」
「君の友人には申し訳ないが今回の出陣を止める訳にはいかぬ。ド・ラ・クールはできれば殺さずに生け捕りにしたいのだ。全て終わった後で敵の城を探る許可は与えてやろう」
マテオは唇を噛んで頭を下げた。
エヴァは宿屋の広間でアルカンとオベルに教わってタロット・ゲームをしていたが、カードを手にしながらちらちらと扉の方を見てしまうことを避けられなかった。
「ほらエヴァ、いい加減にゲームに集中したまえよ。このカードは捨てちゃ駄目だとさっき言っただろ」
「ダヴォグール様がここを出られてからもう随分経つわ」
「話が長引いているんだろ」
「でも……」
「あの男がそんなに気になるのかよ? 」
アルカンがムッとした顔でエヴァに言った。
「何だ小僧。やきもち焼いているのか? 十年早いだろ」
オベルがアルカンをからかい、そばかすの散った顔を真っ赤に染めた青年はベンチを蹴飛ばして立ち上がり外に出て行ってしまった。
目を丸くしているエヴァの肩を笑いながらオベルが叩く。
「俺達皆、君のことが可愛くて仕方がないんだよ。セラファンや俺なんかは妹のように思っているけど、あの若造はなあ! 死んだと思っていた大事な友が実は女性で人妻だったなんて、俺だってあいつ位若かったら動揺しちまうだろうよ」
「ごめんなさい」
オベルは友人の後を追って外に向おうとするエヴァの肩に手を置いて引き止めた。
「謝る必要なんてないさ。そのうちけろっとして戻って来るだろうから放っておけよ」
その時、宿屋の扉が乱暴に開かれ顔色を変えたアルカンが飛び込んで来た。
「戦だ! 戦だ!! 戦が始まるぞ!!! 」
アルカンの後ろから顔を覗かせた人物にエヴァが驚きの声を上げた。
「義姉上」
それはアルテュスの弟のヤンだったのだ。
泣き出しそうにくしゃくしゃに顔を顰めている義弟を見てエヴァも涙を浮かべた。
「ご無事で本当に良かった」
心からのその言葉にエヴァは城で暮らしていた時のような屈託ない笑顔を見せた。
その様子を見てホッとしたように肩から力を抜くと照れ臭いのか袖で顔をゴシゴシ擦っていたヤンだったが、傍に来たアルカンを見ると真面目な顔になりエヴァに言った。
「義姉上、ここは危険です。どうか僕と一緒に家に戻ってください」
「ヤン……」
躊躇するエヴァにヤンは安心させるように頷いて言った。
「ご心配なく、兄上は留守です。それに義姉上の傷は全然目立ちませんよ。でも家の者に顔を見られるのが嫌だったらベールを被っていればいいでしょう」
俯いて答えない義姉を説得しようとヤンは声を張り上げた。
「義姉上、手遅れになる前に早く準備をしてください! 彼らの命も危険に晒すつもりですか?」
エヴァはハッとしたように顔を上げた。
「ヤンは早く家に戻って……」
「義姉上を一人でここに残していくことなど出来る訳がないでしょう? そんなに聞き分けないことを仰るなら担いで行きますよ」
ヤンはオベルとアルカンに荷物を纏めるように頼んだ。
「急ぎましょう。兵に道を閉鎖されて戻れなくなってしまいます」
エヴァは袖で涙を拭くと立ち上がった。
目は赤かったが口元には嬉しそうな微笑が浮かんでいる。
会わないうちに何てこの子は頼もしくなったのだろう。
未だに自分のことを家族の一員として見てくれていることがとても嬉しかった。
城から連れて来た召使に荷物を運ぶように命じると皆は外に出た。
辺りは同じように荷物を抱えて逃げ回る人々でごったがえしていた。
金切り声を上げる女や泣き叫ぶ赤ん坊、籠に押し込まれたり縄で引っ張られたりする家畜の鳴き声で大層騒がしい。
一行は馬に跨るとド・タレンフォレスト家の城を目指して道を急いだ。
暗い水の溜まった深い堀に囲まれた敵の城は夕闇に青白く浮かび上がっていた。
跳ね橋は上げられ門は閉じられている。
アルテュスは馬を正門から少しばかり離れた場所で止めると、聳え立つ石の壁をキッと睨みつけて大音声で呼ばわった。
「俺はアルテュス・ド・タレンフォレストだ!! ド・ラ・クールの卑劣な犬め!!! 勇気あるならばこの場に出て勝負せよ!!! 」
答えはなかった。
辺りの静けさに馬が不安になったのか鼻を鳴らして城に背を向けようとするのを手綱を引き締めて制した。
「怖気づいたのか?! さっさと出て来い、ド・ラ・クール!!! 二人で同時にかかって来ても構わんぞ!!! 」
そのようにして暫しの間叫んでいたアルテュスは痺れを切らし門の前に乗り付けようとしたが、背後から迫って来る物音に気付いて慌てて振り返った。
…………畜生、これは何だ?!
鬱蒼とした森を背に丘の麓にはずらりと槍を掲げた兵が並んでいる。
白い旗が風に靡いているが描かれている紋章はアルテュスがいる所からは見えなかった。
愚かな兎のように俺はまた罠に引っ掛かってしまったのか?
歩兵の後ろから騎兵が現れ列を作って最前列に並んで行った。
中央には甲冑を身に付けた隊長らしき男が黒馬に乗っている。
たった一人の男を殺すのに随分と大掛かりじゃないか。
アルテュスは皮肉な笑いに顔を歪ませた。
袋の鼠か。
情けない最後だな……
だが見苦しい真似はするものか。
嘗てないほど轟く胸に男は口元を引き締め、立ち並ぶ兵達をキッと見据えて片手に銃を構えると馬の腹を蹴った。




