14-4
「アルテュス、止せ!」
二人の間に割り込んで来た男は、エヴァを背中に庇うようにして親友に向かい合った。
「彼女は……イサベラは昔暴漢に襲われて顔に醜い傷跡があるんだ。仮面を取らないでやってくれ」
アルテュスは黙って手を下ろすと顔を背けて行列の向った方に歩き出した。
「おい、どこに行くんだ?」
俯いて震えているエヴァをオベルとアルカンに任せると慌てて友人の後を追った。
「弟達を探して家に帰る」
顔を見もしないで吐き捨てるようにそう言った男の肩を掴んで無理矢理振り向かせた。
「アルテュス!」
「心配無用だ。おまえの女なんだろ? 手を出すつもりはないよ」
「彼女に何か感じたのか?」
肩を竦めて去って行く男の背中を見ながらマテオは感心したように頭を振ってひとりごちた。
「顔を隠して変装しているのに何と鋭い、野生動物並みの直感だよなあ」
あの赤ん坊の母親が誰なのか非常に気になるが、どうやら奴は言っていたとおりエヴァのことを忘れていないようだ。
明日は朝早くから奴の家に行って話をしなけりゃならないぞ。
マテオは皆の所に戻ると項垂れているエヴァを元気付けるように話しかけた。
「疲れたのか? もう今夜は宿屋に戻った方がいいだろう。帰りに屋台で砂糖を塗した揚げ菓子を買ってやるよ」
「おい、これはいったいどういうことだ?!」
翌日、昼過ぎにアルテュスの家に向ったマテオは、召使に取次ぎを頼む間もなく玄関先に現れた怒りに顔を赤くした男に引き摺って行かれてしまう。
額に青筋を浮かべて怒っているその様子は大の男でも震え上がる程怖ろしいものであった。
何故アルテュスがそんなに怒っているのか分からなかったが、親友の性格を熟知しているマテオはこんな時には逆らわない方が良いことを知っていた。
アルテュスはある小部屋にマテオを連れ込むと、やっと相手の腕を痣が出来るほど硬く掴んでいた手を緩めた。
「さあ、説明してくれ! なんで急にあの男が目の前に現れて自分の婚約者を俺が匿っているなどと意味不明なことを喚くんだ?」
「あの男って……」
「聞いてみりゃおまえが手紙を書いたそうじゃないか!」
「ははあ、じゃあ間に合ったのだな。しめしめ計画通りだぞ」
「さっさと説明しろよ!! いい加減にしないとおまえのそのにやけ面を張り倒すぞ!!!」
マテオは襟首を掴んだアルテュスの手を跳ね除けて真面目な顔で言った。
「アルテュス、これから貴様が耳にしたこともないような面白い話をしてやろう。中佐殿のいる部屋に案内してくれ。彼にも聞く権利がある」
アルテュスはじれったそうに舌打ちしたが、それきり口を継ぐんだ相手がそれ以上話すつもりはないことが分かったのか、ついてくるように手で示すと扉に向った。
居間の暖炉を背にして左右に二人の男が腰を下ろしていた。
そのうちの一人は前屈みになり食い入るように二人の前に立つマテオを見つめていた。
赤々と燃える火は男の髪を鈍い黄金色に輝かせ端整な顔に影を作っている。
男は制服ではないが軍人らしいきっちりとした服装で拍車のついた皮の長靴を履いていた。
もう一人の男は寛いだ姿で飾り襟を取ったシャツの上にビロードの外套を羽織っている。
その顔は影になっていてよく見えないが、椅子の背にだるそうに寄り掛かっているにも拘らず、その隙のない逞しい体はまるで獲物に飛び掛ろうとする獣のように静かに力を溜めているように見えた。
役者のように大袈裟な身振りで二人の方を向いて挨拶をしながらマテオは話し始めた。
「昔々――と言っても今から3、4年前の話ですが――ある小さな町に気立ての良い娘がその父親と幸せに暮らしていました。ある日、ある貴族の男が娘の瑞々しい姿に目を留めて……」
二人の男は黙って聞いている。
だが、物語が主人公の男が悪者に騙される箇所に来ると、アルテュスは椅子から腰を浮かし語り手を遮ろうとした。
「まあまあ、黙って最後まで聞きたまえ! 文句を言うのはその後だ」
マテオはにこりともせずに冷たい声で相手を制した。
そして、角を生やされたと勘違いした愚かな夫が妻を果てのない航海に連れて行くところまで話が進むと今度は中佐が椅子を蹴って立ち上がった。
「マリナが人妻だと?! そんな馬鹿な……」
「お座りください! まだ話は終わっておりません」
断固とした態度で相手を黙らせるとマテオは話を続ける。
「大海原に捨てられた娘は運良く通りかかった軍船の船長に救われました。そして誠実なその男は心に深い傷を負った娘を自分の屋敷に連れ帰り妻として愛しむことを決心したのです。しかし娘は自分の命の恩人に重婚の罪を犯させることを望みませんでした。その為、男が任務に戻ると変装して屋敷を出て父親の住んでいる町へ戻ろうとしたのです。港へ向うとある船の台所の小僧として雇われました」
そこまで語ったマテオはいったん口を噤むと歌を歌い出した。
暇潰しに歌おうよ
美しい娘の過去の恋
娘は水夫のなりをして
船に乗り込み職を得た…………
航洋船の船長は水夫を船首楼に呼び付けて
微笑みながらこう言った
おまえの優しい顔も
金の巻き毛も、たおやかな姿も
あの人を思い出させるのだ
遠い港に残してきた愛しい人を
彼らはそのようにして七年間暮らした
同じ船の上、相手が誰かも知らないままで
彼らはそのようにして七年間暮らした
船を降りる時になって初めて相手に気が付いた
「……キャプスタンを回しながら歌うこの歌を勿論ご存知ですよね? 愛する妻を殺めた男は自分のしたことを大層後悔していました。どんな姿でもいいからもう一度妻に会いたいと日夕祈っていたそうです。しかし、彼女がこの歌のように自分の船に乗り込んで働いていたことには残念ながら気付くことはありませんでした。娘は故郷の町で船を降りて父親の家に帰りました」
アルテュスは顔を蒼白にしてブルブルと震えている。
「父親は亡くなっていました。哀れな娘は帰る家もなく孤児となってしまったのです。幸いなことに親切にしてくれる隣人がいたのですが、娘は身の潔白を証明することを望みました。その為、夫の友人の許を訪ね力を貸してくれるように頼んだのです。律儀な娘はその代わりに自分のできることは何でもすると友人に約束しました。その頃、あるお方に重要な任務を任されていた友人は娘の力を借りることを決めました。しかし任務のために赴いた都で運悪く娘は敵に出会ってしまい、奴らに拐かされ……か弱く美しい娘を拉致した暴漢がどのようなことをするか、後は話さなくても分かりますよね」
二人の男は恐怖と憤りに顔を引き攣らせている。
そんな二人を順番に見ながらマテオは容赦なく続けた。
「哀れな娘は二目と見られない顔にされ身も心もずたずたになってしまったのです」
薄暗い居間は重苦しい沈黙に支配されていた。
焼け落ちた薪が音を立てて転がると男達はビクリと身を震わした。
頭を抱えて蹲っている男と唇を噛み締め膝の上の拳を震わせている男を見ながら、マテオは芝居役者のようにお辞儀をすると口を開いた。
「物語はこれでおしまいです」
それからマテオは友人の方に一歩近付いた。
「アルテュス、貴様の極悪非道な振る舞いが全てのことを引き起こしたことを忘れないでくれたまえ。エヴァを捨てたことは離縁を望んだということだろう。婚姻無効の宣告を教会に求めることに同意してもらいたい」
次にマテオは海軍中佐ルイス・ド・クレリゴーに向けて言った。
「貴方は可哀想な娘を拾って家族にしてやろうとした慈悲深いお方です。もし今の話を聞いて全てを許し、それでも彼女を妻にと望まれるのであれば教会の許可が下り次第結婚されるが良いでしょう」
そして、少し考えてから苦笑いを顔に浮かべて続けた。
「けれども今彼女に感じているのが哀れみだけだとすれば、結婚なさる必要はありません。その場合は都で彼女を守ることのできなかった私が責任を持って彼女を……」
ルイスはマテオの手を掴んで続く言葉を強い口調で遮った。
「その必要はない。どんな姿になっていようと自分の決心を覆すつもりはない」
ずっと黙って俯いていたアルテュスが掠れ声で呟いた。
「では、昨夜の女は……」
深い溜息を吐いた男は、決心したように席を立つと上司だった男の前に歩み寄り跪いて頭を垂れた。
「ド・グレリゴー殿、妻を救ってくださったことを心から感謝します。自分にはエヴァを引き止める権利はない。彼女が望むなら婚姻無効の宣告を申請します」
それから、悲壮に満ちた表情でマテオに尋ねた。
「俺を陥れた者の正体を知っているのだな。どこの誰か教えてくれ。この手で八つ裂きにしてくれよう」
「私も手を貸そう」
「フェリックス・ド・ラ・クールという男を知っているか?」
「隣の領地はド・ラ・クール家の所有するものだが、フェリックスという名の者は知らないぞ」
眉を潜めて暫く考えていたアルテュスはハッとすると右手の拳で傍らの壁を打った。
「……あの馬鹿な双子の一人か!」
「全うな城攻めもせずに、陳腐な策略で相手の城に忍び込み城主の嫁に乱暴を働くなど卑劣な真似をしやがって!!!」
「その陳腐な策略にまんまと引っ掛かったのは貴様だぞ。奴らに随分憎まれているようだな。過去に何か恨みを買うようなことをやったのか?」
「ガキの頃には何度か喧嘩をした記憶があるが、ここ数年は顔も見ていないぞ」
「おい、アルテュス!! どこに行くんだ?」
「決まっているだろ」
「待てよ! エヴァの話は先程語ったとおりだが、ド・ラ・クールの話はまだ終わっちゃいない」
引き止めようとする友人の手を振り払いアルテュスは自分の部屋に向かい剣と銃を手に取ると階段を駆け下りた。
「おい、待てよ!! アルテュス!!! 畜生行っちまった」
「ダヴォグール殿、我々も後を追いかけた方が良さそうだ」
マテオの後から外に出たルイスが、復讐の神のように凄まじい姿でがむしゃらに馬を飛ばして遠ざかって行く元部下を呆れた様に見ながら言った。
「分かりました」
厩に向って走りながらマテオは簡単にルイスに状況を説明した。
「そんなことになっていたのか。急ごう!! あの馬鹿が無茶なことをする前に止めなければならないぞ!」
馬に飛び乗った二人は約3マイル離れた隣の領地を目指して襲歩で坂道を駆け下りた。
だが目的地に近付くにつれ、マテオは蹄の音が辺りに反響しているような気がしてきた。
連れの方を横目で見るとルイスは馬の背に身を伏せ前方を睨みつけながら馬を走らせている。
俺の耳がおかしくなったのか?
いや、これはまずいだろ。
マテオは既に敵の城に着いているだろう友を思い背筋を嫌な汗が流れるのを感じた。




