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竜騎兵と花嫁  作者: 海乃野瑠
第14章 帰路
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14-3

マテオは顔を引き攣らせて、親友の腕の中の小さな生き物を見つめていた。


そしてやっと恐る恐る口を開くとしわがれた声で尋ねた。


「……アルテュス、それは何だ?」


「赤ん坊だ」


「俺だってそれ位分かる。誰の子だ?」


「俺の子だ」


「き、貴様はあんなに愛していた奥さんをもう忘れてしまったのか?!」


冷静に話そうと思っても口調が刺々しくなるのを避けられなかった。


馬車の中でのエヴァの悲しそうな微笑が頭に浮かび背中に冷や汗が流れた。


「妻のことは、一生忘れることはできないだろう」


「じゃあ何で……」


アルテュスは赤ん坊を抱き上げると顔が見えるようにマテオの方に向けた。


「見てみろ。そっくりだろ?」


「この子の母親は……」


「エヴァだ」


こいつ気が触れてしまったのか?


俺と一緒にいたエヴァがこんな赤ん坊を産めるはずないじゃないか。


マテオは眉を潜めるともう一度尋ねた。


「母親は誰なんだ? 貴様、まさか再婚したなどと言わないだろうな?」


「エヴァと俺の子だ、それ以外はありえない! 再婚とは何のことだ?」


「いや……エヴァのことを忘れていないならいいんだ」




乳母に赤ん坊の世話を任せると、アルテュスは立ち上がり部屋の隅のテーブルにあった瓶を取ってコップに葡萄酒を注いだ。


コップを受け取ったマテオは不思議そうな顔をする。


「貴様は飲まないのか?」


「ああ。心から笑えるようになるまでは飲まないと決めた。だからもう一生酒を飲むことはないだろう」


「ふーん。だが今夜の祭りには行くだろう?」


「謝肉祭か……」


浮かぬ顔の友人の肩を叩いてマテオは熱心に誘った。


「おい、アルテュス! 行くよな? 行くだろう? 昔のように夜通し踊って騒ごうぜ! 友が遥々と訪ねて来たんだ。それを一人で勝手に楽しんで来いと言うのかよ」


アルテュスはとうとう苦笑いをしながら降参した。


「分かった。弟達も行きたがっているから一緒に連れて行く」


客間の暖炉には大きな薪が赤々と燃えているが、外は既に薄暗くなってきており召使が火の灯った燭台を持ってきた。


マテオはそれを見ると立ち上がって言った。


「積もる話はまた明日来るからその時にしようぜ。じゃあ、俺はいったん宿屋に戻るから。後で町の広場で落ち合おう」


「大勢人がいるだろうから見分けがつくかどうか分からんぞ」


「だったら待っているから宿屋に迎えに来てくれたまえ」




宿屋のある通りに足を踏み入れたマテオを数人の子供が笑いながら追い越して行く。


冷たい風もどことなく華やかで楽しい雰囲気を纏っているようだ。


友人とのやり取りを思い出して苦々しい顔をしていた男はやっと眉間の皺を緩めた。


「仮面、仮面、怖ろしい仮面! 可笑しい仮面! 美しい仮面はいらんかね!」


色とりどりの仮面を吊るした、先に鈴やリボンのついた長い棒を持って声を張り上げていた男が、立ち止まったマテオを目敏く見つけて駆け寄って来る。


「旦那、お安くしときますぜ」


自分とエヴァの他、部下全員の分を選んだマテオに目を丸くした。


「えっ、そんなに沢山買ってくださるのか?!」


マテオは道化の仮面のように満面に笑みをたたえた男の掌に硬貨を何枚か乗せてやった。


宿屋に戻ると皆大きな暖炉に火の燃えている広間に集まっていた。


「エヴァ、君は奴に会いたいんだろう?」


マテオの言葉にエヴァは青い目を見張ってゆっくりと頷いた。


「今日は色々あってまだ奴とちゃんと話ができていないんだ。明日また奴の家に行くつもりなんだが、まだ君の正体をばらす訳にはいかない。仮装しろよ。そしたら俺がここで知り合った娘だって紹介してやるよ」


「仮装?」


「ほら、俺の帽子を貸してやるから、これを着けて」


黒い布で頭を包んで帽子を被り黒地に金と赤の蔓薔薇を描いた仮面をつけると、ちょっと見ただけでは誰だか分からない。


マテオはカイガラムシの色素を蜜蝋に混ぜた口紅をどこからか見つけてきて、エヴァの唇を小さなハート形に塗ってやると、まるで芝居の中の貴婦人のように見えた。


「よし! 君の名はイサベラだ。口を効く時はおちょぼ口にして澄ました声を出すんだぞ。後は奴を待つだけだな」


他の者にも仮面を配りながらそう言ったマテオはまるで子供のようにわくわくしている。


宿屋の他の客も凝った衣装を着けている者はおらず、殆どの人が晴れ着に布の黒い仮面をつけているだけだ。




外が暗くなるにつれ次々と客は宿屋を出て行った。


木の枠にぼろ布を張って色を塗った人形を先頭にして仮装行列が始まるのだ。


「俺たちだけになっちまったな」


マテオが仲間を見回してぼそりと言った。


男達は諦めの表情でベンチにだらしなく腰掛けている。


宿屋の亭主と女房まで爺さんと台所の小僧に店を任せて祭りに行ってしまっていた。


約束したのに来ないつもりかよ。


姿を現さない親友のことを腹立たしく思いながら暖炉の前から立ち上がった。


「仕方ない。俺らだけで行くとするか」


途端に元気になった部下達を見て苦笑いをしたマテオはエヴァを手招きし、彼らの後に続いて出口の方に向った。


丁度その時、扉が勢いよく外から開かれて、戸口を塞いでしまうような大きな影が立ちはだかった。


布で顔の上半分を隠して目だけギョロつかせている黒尽くめの怖ろしげな姿に先頭に立っていた兵が情けない声を上げる。


「悪い、遅くなった」


白い歯を見せたのは皆が待ち侘びていた男だった。


「アルテュス」


「妹達の仕度に手間がかかってな」


苦笑いをしながらそう言った男の後ろから色とりどりの衣装を着た少年少女が顔を覗かせた。




あまりジロジロ見たら変に思われてしまうわ。


エヴァは前を行く夫の大きな背中を見つめながら思った。


少し痩せたようだけど、顔色は悪くないし元気そうだわ。


この気持ちを何と言うのだろう?


愛と呼ぶには彼らの間に様々な事が起こり過ぎた。


悲しみや喜びと言うほど強くはないが哀愁を帯びた懐かしい気持ち……


そっと小さな溜息を吐くと前の方で仲良くじゃれ合っているアルテュスの弟妹に視線を移す。


子供達のなんと大きくなったこと!


ヤンはもう私よりもずっと大きいしマリーも私と変わらない位だし、グレゴールもユナも背が伸びたわ。


そしてアルテュスの横には義兄の許婚だったマダレンがいた。


結い上げた黒い髪に大きく派手な帽子を被り、子供達のように黒い布で顔の上半分を隠している。


エヴァが城にいた頃よりも随分皆と打ち解けているように見えた。


喜ばしいことだと思うと同時に小さな不安が胸を過ぎるのをどうすることもできなかった。


私は死んだことになっているから、もしかして後妻にマダレンさんを迎えることにしたのではないかしら?


宿屋ではマテオはここに泊まっている客だとエヴァのことを皆に紹介したが、薄暗い広間の中で仮面をつけていることもあり誰も相手が良く知っている家族だとは疑ってもいないようだった。


外に出ると広場の方からか音楽やざわめきが風に乗って聞こえてくる。


早く行きたくてうずうずしている子供達は目を放すと駆け出して行ってしまいそうだ。


人混みで迷子にならないかとエヴァがはらはらしながら見守っていると、マテオが部下に命じて子供達の後を追いかけさせた。




農家の馬に引かせた巨大な人形を乗せた荷車を先頭に謝肉祭の行列が街を練り歩く。


薄暗い中を松明を掲げて様々な仮装をした人々が踊るような足取りで歩いて行く様子は異様で幻想的だった。


道端の見物人は知り合いの姿を探して首を伸ばし、楽隊はラッパを吹き鳴らし太鼓を叩く。


急に行列が進む方向を変えてエヴァ達4人が歩いている方に凄い勢いで迫ってきた。


目の前に来た怖ろしい獣が両手を広げて唸り声を出し悲鳴を上げたマダレンを傍にいたマテオが背中に庇うのが目の端に見えたが、エヴァはあっと言う間に皆と引き離されてしまった。


興奮した群集が追って来る様子に都での嫌な思い出が蘇りエヴァは震え上がった。


体がカッと熱くなり続いて氷のように冷たくなって息が苦しくなり助けを求めるように周りを見回すが、目に入るのは仮面を被った不気味な顔ばかりだ。


逃げ出そうと身を翻して駆け出したエヴァの手を力強い手が掴んだ。


か細い悲鳴は辺りの喧騒に掻き消されてしまう。


「大丈夫か?」


道端に蹲ったエヴァの上から低い声が問いかけた。


心臓がどきんとして顔が熱くなる。


よく知っているこの声。


船の上では荒くれ男も縮み上がらせる厳しい声が、二人だけの時にはビロードのように柔らかくまろやかになるのだ。


辺りは相変わらず騒々しいが、自分のいるこの空間だけ時間が止まってしまったように思えた。


暫くして漸く落ち着きを取り戻したエヴァは大丈夫だと言うように頷くと、差し出された男の手に縋って立ち上がった。


「皆と逸れてしまったな」


行列の向った方を見ながら男が少しばかり掠れた声で言った。


既に日はすっかり暮れて互いの顔もはっきりとは見えない。


「探しに行くとするか」


離そうとした男の手をエヴァは思わず握り締めていた。




アルテュスは眉を潜めて自分の手を握って俯いている女を見下ろした。


宿屋でマテオに紹介された娘にはさっぱり興味はなかったし、知らない女を一緒に連れて行こうとする友人に少しばかり腹も立った。


混雑に巻き込まれた時も助けるつもりはなかった。


しかし、まるで追い詰められた獲物のように怯えた風の女を放っておけず、声をかけて手を差し伸べてしまっていた。


女の手は小さくて温かかった。


エヴァの手のように……


そして、女が立ち上がった時にふと感じた匂い。


腹の奥に感じた熱が欲情だと気付いた時、思わず相手の手を振り払いそうになったが、どうにか自分を制して何でもないような風を装って女の手を離そうとした。


だが女は縋りつくように手にしがみついてきた。


アルテュスは苦しそうに顔を顰めたが、手を振り解こうとはしなかった。


確かにずっと女の肌に触れてはいないが、何故見知らぬ女の手を握っただけでこんな気持ちになるのか?


暗い路地で二人は仮面をつけた顔を見合わせ、目を凝らして相手の表情を隠されていない部分から読み取ろうとした。


妻ではない女に惹かれる自分に腹を立てて、アルテュスは自分の顔を覆っている布を乱暴に毟り取った。


続いて女の顔に手を伸ばす。


指先が硬い仮面に触れた時、アルテュスは後ろから誰かに強く肩を掴まれて振り返った。


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